それぞれの理由

「本当に済みません。アシュリーさん」

「なーにいいって、いいって。一度、飛竜を間近で見てみたかったんだ。ほーこりゃあ結構可愛いじゃねーか」

 あれから、サシャはどうにかこうにか苦労の甲斐あって『朽木くちきその』へフレッチと共に来ていた。とてもじゃないが、ルロイの事務所にフレッチャーを置いておくスペースはない。道路のど真ん中で通行の邪魔になっているフレッチャーを、サシャとルロイが色々なだめすかして家屋のないレッジョの郊外へ誘導しようとするもなかなか上手くいかず、更にフレッチャーを力ずくで追い立てようとする治安維持局の憲兵にルロイが色々説得の言葉を並べ、どうにか一時的にフレッチを預かってくれそうな候補として『朽木くちきその』のダンジョン主であるアシュリーを頼るに至ったのである。

「せっかくだし、いっそフレッチにこのままウチのダンジョンのマスコットにでもなってもらう。ってのもいいかもなぁ」

「えーと……」

「アハハ、冗談だって。まぁ、今日は大変だったろ。その竜笛だっけ、それが直るまでゆっくりしてけよ」

 アシュリーは快活にサシャの背中を叩く。気が付けばフレッチャーをここまで誘導するために日は暮れていた。なんだかんだで、この件で付き合ってくれたルロイは事情をアシュリーに話すや、まだ終わっていない仕事を片付けに事務所に戻ってしまった。サシャもまた、フレッチャーの様子を見守るために、今はアシュリーの好意に甘えることにした。

 そんな流れでアシュリーは、サシャを霊園で働く墓守たちが詰めている宿舎の一室へ案内した。フレッチャーはというと、サシャの部屋隣の使われていない厩舎に案内され無事藁のベッドの上で寝っ転がっている。

「ボロい安普請やすぶしんで悪ぃけど、そこは堪忍かんにんな」

「いいんですか?ホントに」

「こんな暗くなった時分に女の子一人帰す訳にもいかねえさ。アンタだってまたあんな目に合いたかねぇだろ?」

「そ、そうでしたね……」

 例の種付けおじさんの一件を思い出してサシャも苦笑いする。

「そいじゃ、晩飯できたら知らせっから。ちゃんと休んどけよ~」

「ええ、どうも」




「ふぅ、なかなか上手くいかないなぁ」

 竜笛を前にして、サシャは悪戦苦闘していた。

 笛の汚れを取り除き、どうにか音が出せるようにはなった。が、まだまだ掠れた音しかでない。

 竜騎士たちの信奉する飛竜教の教えにおいて竜笛とは、竜騎士見習いが飛竜を呼び寄せ飛竜と一体となるための最初の段階を示す補助具のようなものである。簡単に言ってしまえば、竜笛は飛竜を呼んだり笛の音で飛竜を空中で操る道具である。もっとも、いずれ竜騎士の技量や飛竜との信頼関係が深まればやがて笛を使わずとも、言葉や意識そのものを飛竜と共有することさえできると言われている。現にサシャの父ランベールはその身一つでフレッチャーを操り、もう一つの己が分身として離れていてもフレッチャーの存在を感知することができていた。

 ちなみに、この笛はかつて若かりし頃のマティスが使っていたものだが、久しく使われなくなっており、更にサシャが生まれてからは幼いころのサシャにオモチャ代わり使われ、サシャがそれにも飽きると家のどこかにしまわれそのまま忘れ去られていた代物だったりする。

「フレッチ、私に父さんみたいな竜騎士になってほしいの?」

 厩舎に面した窓から部屋の様子を興味深げに眺めているフレッチャーに、サシャは伸びを一つ。今の自分自身が抱く疑問を優しく語り掛ける。

「キュイ?」

 当のフレッチャーは、とぼけた様に首を僅かに捻るのみだった。

 仕方がないとサシャは笛に視線を戻す。後は穴の部分をきりとノミで削って音の具合を調整するのみ。もうひと踏ん張りである。

「ふぁ……さぁ、頑張るぞ」

 欠伸を一つ。疲れがたまって眠気が濃くなっきたが、サシャはもう少し竜笛をいじってみたかった。きりを握って自分を奮い立たせたその刹那せつな――――


「ヒャッハー!晩飯とあと、酒とつまみも持ってきたぜぇ!」

 聞き覚えのある奇声が、眠気で鈍ったサシャの鼓膜を叩く。したたか酒を飲んだギャリックが酒瓶と食べ物を満載したバスケットをもって部屋に入って来る。

「ここは実に猟奇的ではないが、まぁその飛竜は興味深い」

「だったら、テメェは来るな!」

 続いて、同じく食料品を抱えたリーゼとアシュリーがいがみ合いながら部屋に来る。

「どうも、お邪魔するだニャ」

「し、失礼しますぅ……」

 夕食のおこぼれに預かろうとホクホク顔のディエゴが飄々ひょうひょうと、最後に遠慮がちにアナが入室する。

「み、皆さん!」

「悪いな、サシャ。そこのフレッチの噂聞いた暇人どもが集まって来ちまった」

 後頭部をきむしって首を垂れるアシュリーに、リーゼが嫌味ったらしく大げさに肩をすくめてみせる。

「君も似たようなものだろうに」

「ウッセ!アタシはサシャに晩飯届けに来ただけだってのに……」

 アシュリーがぼやくようにリーゼに噛みつく。その晩飯の入っているであろうバスケットは、今ギャリックが抱えている。加えて、道中で買ったらしい他の食べ物やら酒やらも混じっている。

「今日はダンジョンで景気よく稼げたからよぉ。俺がおごってやんぜぇ!」

「でもさすがに、ご迷惑なら……」

「いやいや、みんなで食った方が美味いだニャよ」

 唯一いけずうずうしい雰囲気に付いて行けずにいるアナが、済まなさそうにサシャに目配せをするも、このメンバーでもっとも図々しいディエゴの言葉に遮られてしまう。

 いきなりの大人数の来訪者に、当然サシャはあっけに取られていたが不思議と笑いが込み上げてきた。

「うふふ、助かります。笛の修理に没頭してて夕食もまだだって今気が付きました」

 同時に、サシャの腹の虫も音を上げる。

 思えば、こんな風に大人数で集まって食事をするなどサシャにとって何年振りだろうか。そう思い至って、サシャは一つの気掛かりを口にした。

「そう言えば、ロイは?」

「ああ、私たちも誘ったんだがね。仕事がまだ片付いていないと断られたよ」

「まったく、あいつは堅物で付き合い悪いだニャ~って……あ痛て!」

 ディエゴは我慢しきれずリーゼが抱えていたパケットに嚙り付こうとして、あえなくお預けを喰らいそのままバランスを崩して床にコケてしまっていた。

「ヒャッハー、今日はサシャの姉ちゃん大変だったそうじゃねぇか!」

「い、息抜きもその必要ですよ……」

「まー、とにかくそう言うこった。腹が減っては何とやらだぜ。メシだ!メシ!」

 形はどうあれ、皆サシャを気遣っていることは確かだった。苦笑しつつも最後はアシュリーもその場のノリに合わせる形で、料理や飲み物が入ったバスケットを抱え床に座りその場を仕切り始めている。

 こうなればもう、野暮やぼは言わず楽しむのがレッジョでの流儀である。




 アシュリーは、本来サシャに渡す夕食である雑穀や根菜の詰まった質素な麦粥を、ギャリックは屋台で買ったのであろう大量の謎の肉塊の串焼きに、ケバブ、そしてエールやワインの入った酒瓶を、リーゼの持ち寄ったバスケットには、パニーノサンドにトランショワールを使った卵のキッシュに、とサシャが得意とする料理が詰まっていた。どうやら、サシャに学んだモリーが練習がてら一生懸命作ってくれたものらしい。

 気が付けば、皆思い思いに飲み食いして騒いでいた。

「あの、皆さんはどうしてレッジョに来たか聞いてもいいですか?」

 すでに酒が入って出来上がっている者も居たが、サシャの質問は皆の耳に届いたようで雑然とした雰囲気は一瞬なりを潜めた。

「ヒャア!そりゃオメェこんだけダンジョンがありゃ、強くて面白れぇ奴が一番集まってきそうだからよぉ!レッジョはたぎる街よぉ!!」

「私は、サシャさんと同じです。レッジョで活躍する父に憧れて、何者でもない自分が嫌になって冒険者になりました」


「私は逆だな。何者でもない有象無象うぞうむぞうだらけだからこの街は面白いのさ。土着的な因習いんしゅうだの、タブーだの過去だの。そういうものが嫌で故郷を飛び出したくちでね。不思議なことにここは一見雑多に見えてその実まっさらなんだ。レッジョは因縁めいたこだわりがないから私にとっては居心地がいい」

「ここに来て、オメェと気が合うとはなオイ。アタシも故郷が息苦しくておん出てきたのさ。エルフの集落ってのは保守的で閉鎖的だからなぁ。アタシの肌に合わないっつーか」

「君の場合、粗忽そこつ過ぎて一族から追放されたんじゃないか?」

「んだとコラ!」

 どうやら、これがこの二人のいつもの平常会話らしくこんな時でもブレないのはある意味流石であった。

「……ん、オイラかニャ?」

 ディエゴは飲み食いすることに夢中であった。ようやくサシャの視線に気が付き、エールで腔内こうないに詰め込んだ食物を一気に流し込みディエゴは大きくゲップをする。

「実は、オイラここの生まれでニャ。他の奴らと違ってここが故郷なのニャ」

 ディエゴは胸を張って答える。

「まぁ親父もお袋も、不法にレッジョに入ってきた不良コボルトでニャ。オイラがチビだったころに死んじまってだニャ。幼いオイラは生きるためになんでもしたのニャ。そん中で、このレッジョで冒険者を始め旅人に商人に巡礼者に、まぁとにかく色々見てきたニャ」

 珍しく食べる手を止め、ディエゴはしみじみ昔を思い出すよう目を閉じる。一見いい加減で能天気に見えるディエゴだが、生まれてからずっとこの街で酸いも甘いも舐めてきたその直感はこの中の誰よりも鋭い。

「じゃあ、ディエゴさんから見て冒険者ってどう思います?」

「んー難しい質問だニャ~」

 ディエゴは困ったように眉間にしわを寄せ唸る。

「レッジョに来る人間は冒険者にあるなしに関わらず貪欲で好奇心旺盛。でも、冒険者に限って言えばこういうことは言えるかもニャ。『自由を渇望する空っぽ』。少し前の気取った言い方をすると『大いなる喪失』ってやつかニャ」

「ほう、まさか君がチェーザレの『レッジョ史』を知っているとはね」

 赤ワインを瓶ごと豪快にあおりながらリーゼが声を弾ませる。

「チッチ……オイラを舐めちゃいけねぇニャよ。これでもレッジョ一の情報通だニャ。それくらい当然知っているのニャ。聞きかじりだけども……」

「それ、途中ですけど今読んでます」

 サシャが興奮気味に身を乗り出す。

「じゃあ、話は早いニャ。つまり、どー言うことかってーと冒険者って奴は基本空っぽでどーしようもなく馬鹿なんだニャ」

 ディエゴとギャリックの目線がほんの少し目が合う。しこたま酒を飲み赤ら面のギャリックは、更に顔を紅潮させながら腕をまくりディエゴの襟首えりくびを掴む。

「ヒャアーー!テメェそりゃ、俺への当てつけかオラァ!!」

「いやいや……そういう、空っぽじゃないのニャよ!」

 慌ててディエゴが首を振る。

「さっきの発言。空っぽなのは頭じゃなく心がって意味だろう?」

 今にもギャリックにぶん殴られそうなディエゴにリーゼが助け舟を出す。

「ど……どういうことですかぁ?」

「しがらみが多いって言うのかニャ」

 アナの疑問に、ギャリックから襟首を離さたディエゴがむせながら答える。

「心が満たされているならば、冒険者になんぞならない。レッジョになんざ来ない。自由を渇望なんてしない。チェーザレが言わんとする『大いなる喪失』ってのは、何かを失った自分の姿と偉大な過去を失ってしまったレッジョとを重ね合わせて、冒険をする自分自身の人生を慰めたいから。まぁ、それは私らだって同じだろうがね」

 リーゼがディエゴの言葉を継いで説明する。

「まぁ、分かる気はすんぜ……ソレ」

 アシュリーがビールジョッキをあおりながら、自嘲気味にため息交じりに頷く。

「上手く言えないんニャが……ある意味、オイラが今までレッジョで見てきた中ではルロイが一番冒険者らしいのニャ」

「ええっ!」

 ディエゴの意見に、思わずサシャが声を上げる。

「ああ、分かるよ」

 リーゼが切なげに切れ長の目を細め悲しく微笑んでみせる。

「この中じゃ、オイラがあいつとの付き合いが一番長いからニャ。それで、そう感じるだけかもしんないがニャ」

「あの、どう言う……」

 何故か、サシャは『はるかなるきざはし』に挑む前の父マティスの顔が脳裏に浮かんだ。

「ルロイが昔冒険者だったってことは知ってるニャ?」

「ええ、まぁ……」

「じゃあ、そっから先はオイラとしても皆まで言うまいだニャ」

 舌をぺろりと出して意地悪っぽくディエゴは笑う。

 一瞬サシャは拍子抜けしそうに肩を落としたが、その刹那せつなディエゴの瞳にどこか深い悲しみが宿っているようにも見えた。

 『自由を渇望する空っぽ』。

 サシャは初めてはっとなる。レッジョに来る者とは、冒険者とは、もちろん自分も含め過去は違えども満たされぬ業を背負って生きているということ。好奇心から気安く皆の過去を聞き出そうとした自分の浅はかさを、サシャは恥じた。

「ま、サシャの姉ちゃんさえよければ、これからもあいつを支えてやってくれだニャ」

 サシャの内面の変化を知ってか知らずか、ディエゴはもとの陽気な食い意地の汚い顔に戻って肉の串焼きを頬張ろうとしていた。

「ヒャッポルルガーァ!なにぃ人生語るようにしんみりしてやがぁる!!飲もぉうぜ、今宵人生肴こよいじんせいさかなにしてぇ!!」

 そこに、更に顔を赤くしたへべれけのギャリックが呂律ろれつの回らない口調で酒瓶を抱えながら、サシャとディエゴに絡んでくる。

「ニャギャー!酒臭いニャ。離せってこのニンジン頭!!」

「ヒャア!この、毛むくじゃらぁ!そぉの名でぇ呼ぶんじゃあねぇ!!」

「うふふ」

 宴もたけなわなのだった。

 人の一生は短く儚く、こうして同じ場所に集い馬鹿をやるのも、つまるところ夢のようであり、奇跡のようでもあった。お互いの過去はそれぞれ、生き様も背負いし業もそれぞれ、究極的に孤独であっていちいち他者に理解など求めない。それでも、今はこうして同じ場、同じ時をもって笑っていられる。きっとそれは、お互い「大いなる喪失」とやらをその実愛しているほどに人が度し難いからなのだろう。

 それを幸福と呼ぶには、人生というやつは少し長く苦しいのかもしれないが……

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