「種付け」を巡る特別の損害

「とにかく、頼むよ!」

「揺らさないで、揺らさないで……」

 座った椅子ごとルロイは襟首えりくびをつかまれ、目の前のダークエルフの依頼人によって揺さぶられ、目を回している。

「ああ、悪い悪い……」

 ダークエルフの依頼人も見事なストロベリーブロンドの頭髪をきむしり、ルロイの襟首えりくびから手を放す。焦って気が動転すると頭より体が本能的に動くタイプらしい。

 彼女はアシュリー・レイド。種族はダークエルフで、ピンと張りあがった長耳と健康的な褐色の肌、燃え立つようなストロベリーブロンドの髪を短く切ったいで立ちは若いが、これでも墓守の一族の末裔まつえいであり、レッジョの領域内で小さなダンジョンを所有するダンジョン主でもある。

「ええと、何の話だっけ。ああ、そうそう……種付けだよ!種付け!」

 興奮気味にうら若き乙女がそんな言葉を物欲しげに連呼すると、嫌に卑猥ひわいな響きに聞こえる。

「あんにゃろ、土壇場どたんばでアタシとの種付け契約を反故ほごにしやがったんだ!」

 もちろん、アシュリーはただれた痴情ちじょうのもつれをぶちまけている訳ではない。

 事の発端は半年ほど前にさかのぼる。

 墓守の一族であるアシュリーはレッジョの霊園から外れた一角に「朽木くちきその」というダンジョンを所有している。ダンジョンといっても、一般的に冒険者がイメージする大掛かりなものではなく。いくつかの枯れて朽ち果てた古木が絡まり合った林に過ぎない。冒険者の食指しょくしをそそるアイテムやモンスターも特にこれと言ってある訳でもなく。文字通り枯れて朽ちたダンジョンであった。しかし、一つだけ「朽木くちきその」がユニークな点があった。

 それが――――


「なかなかいい果実がなるんだ。うちのダンジョン」


朽木くちきその」は土壌が肥沃なため、作物の苗や種を植えるとよく育ち味も良いのである。

 これに目を付けたアシュリーはモンスターやらアイテムやらではなくここでしか手に入らない、『ダンジョンに生る珍しい果実』を栽培することでレアアイテム目当ての冒険者を引き込もうと考えた訳だった。

 そんな中、このレッジョでどんな作物の種付けも成功させてきたある男の噂を耳にする。それが今回、アシュリーの言うところの種付け契約を結んだ男なのだが。

「まぁ、手切れ金……じゃなくて違約金として、それなりの金は貰ったけどぉ……」

 未練がましくバツが悪そうにアシュリーは目を伏せる。

 詳しい理由を述べず、男は一方的に種の販売契約を反故ほごにしたのだった。

 契約違反とは言え、一応はその男は誠意を見せたということで、その時はアシュリーもしぶしぶ引き下がった訳だったのだが、それから半年後、レッジョが秋の実りを迎える頃になってある異変を目にするのだった。

「まさか、あそこがあんなことになってるなんて!」

 例の男から種を買い受けた別のダンジョン主が、その所有するダンジョン「仄暗ほのぐら鉱床こうしょう」において、「フンゴジャッロ(黄茸)」なる黄色い松茸に似たキノコ型の植物を大量に栽培し、そのフンゴジャッロの香しき珍味が大いに話題を呼び、キノコ狩りを目的とした冒険者たちが大挙して押し寄せた。結果、「仄暗ほのぐら鉱床こうしょう」はダンジョン入場料と冒険者ギルドから還元されるアイテム税によりその収益はうなぎ上りであった。

 おかげで、フンゴジャッロもその種子の値段も高騰。当初、種をアシュリーに売るつもりだったその男もまた、「仄暗ほのぐら鉱床こうしょう」のダンジョン主と共にウハウハ。

 アシュリーはというと、気が早いや大々的にダンジョンリニューアルのためにダンジョンの改修やら設備投資やら公示鳥を使った宣伝やらで多額の借金までしており青色吐息。 

 「朽木くちきその」は文字通り廃ダンジョンになりかかって閑古鳥かんこどりさえ寄り付かない始末。「仄暗ほのぐら鉱床こうしょう」とは近場のダンジョン同士だというのにこの体たらく。

 何か自分の預かり知らないところで、儲け話があらぬ方向に転がり本来自分が享受できたであろう利益を横取りされてしまった。そんな納得のいかない負の感情をアシュリーが抱いたとしても、それがやっかみであると無下にすることはできないだろう。

「つまり、種付けさえ済んでいれば今頃。かなりの収益が見込めたはずだと」

「ああ、借金だって返せたはずさ。まぁ、アタシのダンジョン見てくれれば分かるよ」

 そういうと、アシュリー半ば投げやりに座りながら伸びをすると、うざったそうにあくびをした。豪放なのかずぼらなのかおそらくその両方だろう。

「あうー……もうこのままじゃ、ダンジョンの経費どころか、『朽木くちきその』を売り払っても借金返せるかわかんねぇ……つーか、墓地の管理に回す金までなくなっちまぅ」

 ダンジョンの所有者である以前にレッジョの霊園の管理人であるアシュリーとしては、ここで金を工面できなければ多額の債務不履行で破産ということらしい。そこから先は、アシュリーも考えたくないとばかり忌々いまいましくストロベリーブロンドの頭髪をきむしる。

 ルロイもまた熟考を巡らし今回の事案の解決の糸口を見出そうと、目をつむり眉間にしわを寄せる。

「ふ~む」

「なぁ、なんとかなるよな?」

 アシュリーが期待を込めて机越しに身を乗り出し、ルロイの顔に肉薄する。ルロイもまた天啓を得たとばかりに目を見開く。

「ええ、そのケースですと……レッジョ都市法の条文に心当たりがないではないですよ」

「ホントか!」

「ええ、たしかここに」

 ルロイは、背後の本棚から分厚い法典を机上に置きページをぱらぱらとめくり、条文の中の一つを指さす。


 契約履行時に特別の損害の予期。

 債務不履行時に請求できる損害賠償の範囲は、

 通常生ずべき損害のみだが、

 当事者が特別の事情等によって生じた損害を

 債務不履行時に予見していたか、

 予見できた場合債権者はその損害も賠償請求できる。


 アシュリーは目を細めて、難渋なんじゅうそうにうめく。

「えーと、わりぃけどそーゆー法律用語とかナシな。頭ワリィんだアタシ」

「その『仄暗ほのぐら鉱床こうしょう』の今現在の繁盛はんじょうが、特別の事情として種売りの男が予想しており、そのダンジョンの繁盛によってあなたが被った損害が違約金の金額の金額を上回る場合。その損害の賠償請求ができるかもしれない。ということでしょうかね……」

 少しばかり自信がなかったが、ルロイは説明してみせた。

「う~ん。つまりこうなると知ってて、アンニャロがわざとアタシとの契約反故ほごにしやがったってことが判ればいいんだな?」

 ルロイは静かにうなずく。

 まだ詳しく調べて見なければわからないが、アシュリーの話を聞く限り確かに臭い。『仄暗ほのぐら鉱床こうしょう』の繁盛はんじょうとその種子の販売人との間にどれほどの因果関係があるかまだまだ不明だが、「特別の事情」と言える何かを知っての契約反故ほごであると見て良いだろう。

「あの、ちなみになんですがその種付けの売買契約書とか残ってます?」

「あっ、そうそう見せんの忘れてた。……ああこれだ」

 ルロイに言われるや、アシュリーは持ってきた背嚢はいのうの中をガサゴソとぞんざいにかき回し失念していた証拠を机上に突き出した。劣化のためか茶色く変色した紙に手書きで書かれた文章をルロイは読み上げる。

「――――ええ、ダンジョンに植える種子の売買契約で、種子の買い手がアシュリー・レイドさんで、ダンジョンに植える種子の売り主が『種付けおじさん』!?」

「いやぁ、酒の席で上手い儲け話があるって……しこたま酒飲み始めてから勢いサインしちまった。なぁ、頼むよ。ウェルスの使徒のアンタの力であの変態を裁いてくれよ」

「その種子の売り主にあたる『種付けおじさん』って本名じゃないですよね?」

「まっさかぁ~あだ名に決まってんじゃん。あいつの本名なんて誰も知らねぇんだ」

 快活かいかつに笑うアシュリーを呆然と眺めながらルロイは暗鬱あんうつに顔をしかめた。アシュリーのずぼらさから薄々嫌な予感はしていた。契約書の締結に当たり必ずしも当事者の本名を書く必要はない。その種付けおじさんがレッジョの人々からその名を聞いて特定の人物であると認識されうるのであれば契約書の署名は有効だ。問題はルロイのプロバティオの能力にあった。

「それが……相手の本名が分からなければ、ウェルスの力で公証することができないんですよ」

「え」

 蚊の鳴くようなアシュリーの間の抜けた声が響く。

「ぐぬうぅおぉぉー!!」

 直後、勢いよく机に己が額を何度も打ち付けアシュリーは血の涙を流す。

「ちょっと落ち着いて下さい」

 結局、ルロイは傷心のアシュリーを一先ず励まして、一先ずアシュリーはダンジョン管理や墓守の仕事に戻ると言って一旦引き取ってもらったのだった。

 売買契約時の特別の事情とやらを更に深く掘り下げないといけない。それに、プロバティオを使ってウェルス証書を作成するには『種付けおじさん』とやらの本名についても調べなければならない。今回も今回で前途多難ぜんとたなんだ。

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