エピローグ 明け方にて……

「ほ、本当になんてお礼を言ったらいいか」

「いやぁ、こちらこそ薔薇石ばらいし粉々になっちゃいましたし。申し訳ありません」

 バツが悪そうにルロイは、頭をかきむしる。

「いいんです。死霊使いの癖に悪霊に取り憑かれる私が未熟だったから。ルロイさんがいなければ確実に悪霊にやられてましたし、結局、お父さんがどんな思いでいたのかも分からずじまいです」

「それなんですが、『プロバティオ』を使うまでもなかったようです」

「ほぇ?」

「ほら、見事に公証されちゃってます」

 ルロイが指さした先にまだ真新しい墓石があった。


〈わが人生の最期に最愛なる妻と娘にわが魂を捧げる〉とある孤独な魔法具職人


「今でも、お父様を愛していますか?」

「はい。今度こそ――――」

 人のぬくもりを取り戻した娘は、冷たく固い墓石を抱いた。やがて、その頬から墓石へ温かい雨が伝っていった。




 その後、鑑定士ことアントニオをたたき起こしせめて失った薔薇石ばらいし相当の品で弁償するようルロイがさとすと、どういうわけか「二度と目の前に現れませんから」と命乞いのごとく金目の物をあらかた置いて、そのまま訳のわからないことをわめきながら逃げ出してしまった。どうやらプロバティオの能力で魂を抜かれた後よほどひどい悪夢でも見たに違いない。自業自得なりに可哀想に、とルロイは心の奥底で笑って見せた。

 事件が無事丸く収まってひとまず、生気を吸い取れてぐったりきているルロイは事務所へ、泣きつかれたアナは旅籠へと戻っていた。

 そして、一夜明けた朝。


 ルロイとアナは、再び霊園のメルヴィルの墓前を訪ねていた。アナが祈りを込めて父の墓に鎮魂ちんこん霊咒れいじゅを唱える。それでも、父の霊は現出もアナに感応もしない。 もはやメルヴィルの霊魂は完全に彼岸ひがんへと旅立ったのだろう。

 冷たい朝靄あさもやが肌をなでる中、燦然さんぜんと輝く朝日が周囲を照らし始める。無数の墓石の周りにも、スズメが甲高く鳴きながら元気にたわむれている。太陽に位置からして、そろそろ市の正門が開門する時間だろう。

「大丈夫そうですか……」

 祈りを終えたアナが、見送りに来ていたルロイに振り返り弱弱しくも微笑んで見せる。

「ディエゴさんに後で聞いてみたんですけど、あの薔薇石ばらいしは父が『冥府の泉』で非業ひごうの死を遂げた冒険者の霊を慰めるためのものだったんです。なんであんな発掘され尽くしたダンジョンに薔薇石みたいなレアものがあるか不思議だったんですけど。その話を聞いて、腑に落ちました」

「それを公にしていれば、アナさんも被害にあわずに済んだでしょうに。でも、黙って天寿をまっとうするあたり、メルヴィルさんらしいのでしょう」

「いえ、結局最初から最後まで自業自得だったんです。薔薇石ばらいしで救われていた者からそれを奪ってしまった。死霊使いが死者を怒らせてしまうなんて」

 卑屈さと後悔ではない、自戒を込めたアナの顔をルロイは初めて見た。

「そろそろ、開門のため教会の一時課の鐘がなりますかね。準備はいいですか?」

 問いかけるルロイに、アナは少しだけ寂しげに笑顔を作った。

「あの……一体、いつから気づいてたんですか?」

「まぁ、アナさんの様子から察して最初からおかしいとは思ってたんですけどね。悪霊の正体について、確信できたのはディエゴから情報を得たときです」

 ディエゴはふざけ半分で重要な情報をさりげなく渡すことが得意な情報屋であった。おかげで、あの時悪霊にばれずにあらかじめ証書を書いておくことができたのだった。

「あの時に、証書を書いておいて良かったですよ」

 ルロイは丁寧に、アナに悪霊を退散させた証書を手渡す。純白に証書が輝いているのは、なにも朝日を浴びているだけではない。プロバティオの能力により真実なら白、虚実なら赤とウェルス証書そのものがわずかに光るようになっている。

「本当に助かりました」

 改まって恐縮したようにアナは証書を受け取る。そんなアナを見てルロイは、はにかんでアナから視線を反らせた。

「いえいえ、僕の方こそ昨日のあれ撤回しますよ」

「ほえ?」

「真実を口にすることでプロバティオの力がそれを上回った。か、いや本当のところあの場所にメルヴィル氏の墓石があること知らなかったんです。これは薔薇石ばらいしの力のおかげかなって」

薔薇石ばらいしは、死者の念を増幅する。あっ――――」

「父の愛は死してなおも、薔薇石ばらいしを通して娘を救った。そして、役目を果たした薔薇石ばらいしは砕け散った。そういうことにしときませんか?」

 アナは瞳を潤ませるや、今度は目をきつく閉じていた。

ここでの涙は二度も要らないのだった。なぜなら、これからはそれに相応しい人間へなれるよう突き進むだけだから。

 未熟な死霊使いは目的を果たし、今や新たな出発の時を迎えるだけだった。それは今のアナにとって新たな出発を意味するはずだ。

「お父様……」

 精一杯涙をこらえた双眸を再び見開き、墓石を見守るやアナはきつく目をつむった。決して涙は流さなかった。

 しばらくの間、父とのそしてこの街との別れの余韻よいんを味わった後、アナは足早に霊園の入り口まで走り、ルロイに振り返ってみせる。

「今度こそ、立派な死霊使いになってこの街に戻ってきます!」

 アナは笑っていた。嘆きのアナではない、卑屈さ消し去った屈託のない笑み。

「父メルヴィルの名に恥じないように」

 清冽せいれつな青空に教会の鐘の音が鳴り響く。

 それを合図にマッティ通りの東端に面した市の正門が開かれる。


 それぞれの事情でここを訪ねる者、去る者、それらを利用せんとする者、そして見守る者。

 そこに宿る感情も悲喜こもごもだ。

 多くの者が者は富、名声、野望を求めてこの街の土を踏むが、その多くは挫折と 失敗によりお宝の代わりに失意を抱えこの街を後にする。

 ある者は骸となり二度と故郷の土を踏むことはない。

 それでも今日もまたダンジョン都市レッジョに多くの冒険者がやってくる。

 富、名声、野望それぞれの夢を抱いて――――

 そう、いつも通りの騒がしい日常が――――


「やれやれ、今日も一日騒がしくなりそうだ」


 精一杯正門へと走り去ってゆくアナの背中を見送りながら、ルロイもまた太陽に向かって精一杯背伸びをして見せる。あくびを一つ、脱力しつつルロイは晴れやかに笑う。

 有象無象うぞうむぞうの愛すべき冒険者を助ける魔法公証人の一日が、今日も始まりを告げる。

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