六.過去の残滓


 物資補給のための寄港はつかの間で、風を読み気象を確認したのち海賊船は沖へと戻っていく。

 手下たちが各自の持ち場で精力的に働く中、海賊王は舳先へさきに立って不機嫌な表情かおで水平線を眺めているようだった。


 このたびが船上生活の初体験であるクフォンでは、彼らの作業を手伝うことはできない。加えて、水平線という景色でしか知らなかったというものの只中に今いる、という高揚感は抑えられるはずがなかった。

 海賊たちの邪魔にならない場所で船縁ふなべりに食いつき海洋を眺めていたクフォンの元へ、シエラが近づいてくる。彼が闇に属する竜族だというのは聞いたが、外見だけならば人間とどう違いがあるのかクフォンには判別できない。


「朗報だぜ。おまえの国王の無事が確認できた」


 開口一番にそれを伝えられ、クフォンは思わず振り返って彼をまともに見た。シエラは手紙を携えて機嫌よく笑っている。


「本当か? ……って、こんな海のど真ん中に手紙が届くのかよ」

「手紙を鳥に変えて飛ばすんだよ。人間には難易度の高い魔術だが、竜族にとっては初歩中の初歩だぜ」


 クフォンは黙って目をみはる。

 ごくまれに魔術の力を持って産まれてくる子供がいるという話は、知識として知ってはいた。しかしローヴァンレイ国に天賦てんぷの才に恵まれた魔術師はおらず、怪異な術を操る妖術師の方がむしろ耳に馴染んでいる。


「竜族って、凄ぇんだな」

「在り方が違うってだけだ。強い魔力は人の身には負担が大きい。下手すると命を削って早死しかねねえ」

「そういうものか」


 そう言われて思い返してみれば、歴代の高名な魔術師は短命な者が多いと気づかせられた。それに、ここ風の島ウィザールではそれほどでもないが、剣の大陸ガルエリアスでは魔術師は迫害されるとも聞く。

 伝承の『竜族』に人々が抱く感覚は、大陸間で温度差が激しいらしいのだ。

 やはり魔術というものはもともと人の身には過ぎた能力ちからなのかもしれない、と納得する。それに今は何よりティルシュの安否が気がかりだった。

 シエラはそれを察したように手紙を開き、クフォンに見せてくれた。


「おまえの世間知らずな国王様は、お人好しの時の竜ぼうやに拾われて保護されてるってさ。どうせ目的地は同じなんだ、あっちはアイツに任せてこっちは船旅でも楽しもうぜ」

「海賊船で船旅って……あんた、あの海賊とどんな関係なんだよ」


 怪我の治癒だけでなく、クフォンが回復するまで世話をしてくれたのはこの闇の竜だ。その間の気慰きなぐさみに大まかな事情も聞かされてはいる。

 砂に還った伝説、星の伝承と再会の予言、シエラ自身の目的——……。

 すべてを理解できたわけではないが、クフォンなりに予言の成就おわりに興味を持ったのだ。それを見届けることがティルシュとの再会にもつながるのなら、彼に同行することに異存などあるはずがない。


 しかしそれにしても不可解なのはあの海賊王だ。

 シエラは竜族だが、エフィンは竜ではないらしい。人間にしては長すぎる寿命、傲岸不遜でありながらシエラにだけは頭が上がらないという、不思議な関係性。

 謎だらけの海賊王の生態に興味を覚えただけだったのだが、シエラは予想外にも表情を曇らせ、視線をさまよわせた。


「おれが、あいつを救いあげてしまったのさ」


 低い声音に込められているのは自嘲の感情いろだ。それ以上踏み込まれるのを拒否しているのは明らかだったが、クフォンはあえて聞き返す。


「具体的に」


 シエラは解りやすく嫌そうな顔を向けて言った。


「聞くなよ。おまえ、察しがいいようで鈍い奴だな」

「言いたくないのは分かってんだよ。だから聞いてるんだろ」

「嫌な野郎だな……」


 唸るように呟くと、シエラは黙りこんでしまった。しばらく返事を待ってみたが、彼が口を開く気配がないことを察してクフォンは口角をあげる。


「何も話してくれねーなら、俺は勝手に、奴はあんたが人間の女との間につくった子供だと思っておくぜ」

「違うつってんだろ!」

「なら本当のこと教えろよ」


 思った以上にいい反応が返ってきたので、クフォンは機嫌をよくして遠慮なく畳み掛ける。シエラは眉を寄せ、ため息をついた。


「クフォン、おまえもしかして、首謀者が誰か予想できてるんじゃねえのか?」

「今は何の証拠もねーよ。話そらすんじゃねぇ、質問してるのは俺だろう?」


 素直にそらされてはくれなかったようだ。シエラはもう一度ため息を吐きだして、視線を上向け船縁に寄りかかる。

 遮るもののない蒼天を速い勢いで雲が流れてゆく。白い海鳥たちが鳴き交わしながら横ぎり、小さな影をよぎらせながら飛び去っていった。

 本日は快晴、風向きも良好。

 心浮きたつ船出のはずなのに、気分が重いのはこの男のせいだ。

 なんなんだよ、とぼやきながらもシエラは観念して口を開き、話しだす。


「エフィンは、竜の魂を持った人間だ。産まれつき、強い生命力とあふれる魔法の素質を持っていたはずだった」

「竜の魂?」


 耳慣れない言葉に目を丸くするクフォンにシエラは説明を加える。

 竜族と人間は魂の位置関係において非常に近しく、まるで造りの違う両者が交わり、子を成すこともできるのだと。それだけではない、取り替え子チェンジリング——人間の両親から竜の子が、竜族の両親から人の子が産まれる現象すらあるのだと。

 それは、運命の竜であるシエラでさえも十分には理解できていないことわりだ。その不可思議な現象は時に悲劇を招く。

 迫害や、思い込みによる偏見、さらには殺戮さつりくさえも。

 運命の竜として長く世界ほしを見守りながら、シエラは幾つもの事例を目にしてきた。止められた悲劇もあるが、止められなかったもののほうが多い。そうやって人と竜は、時に運命を重ね、時に互いを傷つけあってもきた。

 おのれに理解できない事象を恐れ、嫌悪するのは、人間も竜族も変わりはない。


「エフィンは恐らく、人間の親から産まれた取り替え子チェンジリングの竜だった、と思う。当時その地方は戦乱が続いていて、あいつは本当に小さい頃に両親を亡くしたらしい」


 シエラはその場に居合わせていたわけでなく、エフィン自身もシエラと会った時にはすでに、幼少時の記憶を失っていた。断片的な記録や周囲の村からの噂を総合して、予測を立てただけだ。

 恐らく彼の両親は、息子が竜族であったとは知らなかったと思われる。

 なぜかというと、エフィン自身が自分が竜であることをまるで認識していなかったからだ。


 当時は伝承の中でしか竜族を知らない人間も多くおり、両親は無知だったのだろう。詳細な事実を知るすべもないが、エフィンが人間からの差別や迫害を経験した形跡は見受けられなかった。

 しかし、人の手による悲劇は別の形で彼のもとを訪れる。

 エフィンが家族と住んでいた小さな村は、戦乱に巻き込まれ壊滅したのだと思われる。その最中さなかでも彼が生き延びられたのは、竜族であったため持ち合わせていた強靱きょうじんな生命力ゆえだろう。


「親を亡くしたあいつを拾いあげたのは、近くの森にんでいた魔獣だった。絹の光沢、闇色の毛並みと長い尾を持った、赤い目の獣の姿をしていた。厳密に何の種族でどんな奴だったか、おれは知らないが……強い妖力を持っていたってのは聞いた。そしてその頃エフィンは、海のような紺青こんじょうの髪色だったらしい」


 それは竜である証だった。竜族とは相反する妖力の具現たるその魔物が、なぜエフィンを助けたのか……今となってはわからない。

 真意がどうであったにせよ、竜族と魔物は相容れない存在だった。森の長たるその魔物を、竜族の者たちは容認できなかった。

 そして訪れたのは、二度目の悲劇。


「竜族によってその魔物が滅ぼされた時、エフィンは人の世界に戻ることになった。おれがあいつを助けたのはその時だ。あいつの魂には育て親だった魔物の闇の妖力が入り込んでいて、髪の色も変わり、竜の魔法も永遠に失った——ま、もともと使えなかったんだし関係ねえけどな」


 魔物の滅びは、竜と人の視点からすれば間違いなく正常な結末おわりであっただろう。しかしエフィンにとっては、どうだったのか。

 今でもシエラは時々わからなくなる。

 ふいに胸を苛むこのとげは、自らおのれの記憶を放棄してしまったエフィンには聞くことのできない、過去の悔恨の残滓ざんしだ。


「そういう経緯いきさつで、あいつは竜から魔物に成り変わった。そのあと、永遠の命を無理やり脅し取って偉くなっちまったってわけだ」

「ふうん。……あんたは助けたことを後悔してんのか」


 クフォンの何気ない、だが鋭い一言に、シエラは胸を抉られたかような気分に陥って彼を睨みつけた。


「おまえ、一々いちいち逆撫でしないと気が済まないのかよ」

「悪ィ、そんなつもりじゃねーんだけど」


 思った以上に図星だったことを察したのだろう、クフォンは素直に謝る。


「でもさ、先のことなんて竜族でもわからねぇんだろ? あんたは助けたかった、それが正しいと思った。それで良かったんじゃね?」


 言葉を加えた彼に対して、シエラは何も答えなかった。慰められているのかも分からなかったし、返す言葉も浮かばなかったのだ。

 船体に打ちつける水音が、騒がしく心をかき乱す。隣に立つ男はそれ以上は何も言わず、船縁にもたれ掛かるようにして泡だつ波間を見つめている。

 彼の主君がどんな人間かをシエラはまだ知らない。だが彼らの置かれている状況を考えれば、新たな戦争の火種を抱えているといっても過言ではないはずだ。

 彼もまた、この先の道を迷っているのかもしれない、と思う。

 正しさなどいつの時代でもつかみ難く、後悔のない道を見定めることなど運命の竜であっても不可能なのだ。

 ただ——。


 もしも時が巻き戻り、同じ場面に再び居合わせることになっても、自分は変わらずエフィンの命を助けるだろうな、と。シエラは漠然と思ってもいたのだった。



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