第二章 奇跡を手繰る星への祈り

五.星の伝承


 闇の天空そらに流れくだる銀の川と、凍りついたように冴えわたる青い月。視界いっぱいに広がる砂丘は星空を映したように煌めいていた。

 夜の砂漠は真黒ではなく、真昼の熱を閉じこめて輝くものなのかもしれない。そう思わせられるほどに幻想的な光景だ。


 頬を撫でる夜風は冷たく、つないだ手からは温もりが伝わってくる。

 足の下で崩れる砂にときどき足を取られつつ、ティルシュはジュラに連れられて慣れない砂漠をゆっくりと進んでいく。歩きながら、なぜ彼が自分と手をつないだのかをなんとなく理解していた。

 渦巻く星辰せいしん、銀河の川。煌々こうこうと輝く月は砂地を明るく照らしだしはするが、砂ばかりが広がる大地に目印を見つけることはできない。

 旅慣れないティルシュは星空の地図を読むすべも分からなかった。ジュラの先導がなければ、あっという間に方向感覚を失い迷ってしまっていただろう。


 それでも一時間も歩けばだいぶコツがつかめてくる。

 よろめかずについていけるようになったのにジュラも気づいたのだろう、少しだけ速度を緩めて、彼は道すがらに昔語りを聞かせてくれた。


 ——長い長い物語だった。





 遠い昔のこと。

 光を統べる金の竜は、人間の娘に恋をした。

 当時、竜族は人間を蔑んでいた。自分たちに魔力も力も及ばない、弱い種族だと。

 竜族の間で人間として産まれた彼女は、疎まれていた。でも彼は娘の中にある優しさや強さに気がついた。だから、世界を変えたいと願ったんだ。

 彼は、親友でもある星の竜に相談をした。

 人と竜、手を携えあいともに生きるために、こんな案はどうだろう。

 天空で光を放つ星々の強大で美しい魔力を人間の魂に宿らせるというのは。

 人が持つ短い時間を終えたのち、それは天空そらへと還り、星の幻をひとつ灯すだろう。それはつながる次世代の命を温かく見守り、灯火となって夜闇を導くだろう。ただしき心で願いを捧げる者に、奇跡を降らせることだろう。

 星が願いを叶えるという話を、君も聞いたことがあるんじゃないかな?




 長い時代ときが流れたのち、人は竜を退けた。

 悲しいすれ違いが大きなうねりを引き起こし、心を恐れと嫌忌にむしばまれた彼らは、自分たちの王であった光の竜の死を望んだ。

 名前すらも忘れ去られた、伝説の光の王。彼の決断は、人々の望みを叶えることだった。

 彼は最期のとき、自分の魔力のありったけを世界を包みこむように散らした。秩序の瓦解がかいがせめて少しでも先延ばしになるように、と祈りをかけて。

 なぜなら、世界の崩壊は必然だった。

 人と竜の訣別けつべつが決定的になる前から、多くの竜族が異界に渡り世界から去ってしまっていた。人と竜の離別はその時よりずっと前から始まっていたんだ。

 存在のかなめとなる力を徐々に失って、世界はいずれ崩壊してゆく定めにあった。けれどそういう形の滅びを、彼は望んでいなかった。

 そのやり方が正しかったのか、当時も今も、本当のところは誰にも分からないんだけどね。

 

 


 人と竜は訣別けつべつし、世界の命運は人間の手に託された。

 それでも、互いの絆が完全に断たれてしまったわけじゃない。

 死に際し彼はひとつの願いを最愛の妻に託した。

 『約束』、それはひとつの『魔法』だよ。

 必ず帰るという約束を残し、それを信じる彼女の祈りが星に届き、奇跡を起こすようにと布石を敷いたんだ。

 それははるかに時を越えた、死すらも超越した奇跡のはじまり。




 空に昇った魂の灯は幻の星になって輝くけれど、長い年月の先でふたたび地上に還り、新たな命を育む力に換わる。

 それは一定周期で訪れて、定められた夜に星の雨を地上に降らす。

 その夜には、月と星と太陽は惑星とともに喜びの歌を言祝ことほぎ、すべての生き物はその歌に耳を澄ます。その夜には、どんな願いごとも叶うのだと言われている。

 『星の日』、『流星雨の夜』と呼ばれる、特別な巡りの日。

 彼はその『星の日』が百巡りを数えた時代に帰ってくる、という約束を告げた。

 こんな、途方もなく成功率の低い賭けみたいなものを……彼女は信じたんだ。信じて、疑わなかった。千七百年以上の長きを、ずっとずっと待ち続けた。

 そしてついに、時は満ちた。

 未来に心を託した姫のため、この奇跡は遂げられねばならない。そして、はじまりを告げた者の血を継ぐ君に、終わりを見届けて欲しいんだ。





 長い長いジュラの話がそういう言葉で締めくくられ、没入して聞いていたティルシュは一気に現実へと引き戻された。


「はじまりを告げた者の血……?」

「そう。君の持ってる王家の証のことだよ」


 つった双眸で彼の視線をとらえ、ジュラは穏やかに笑んだまま言葉を続ける。


「王の死を願ったのは、ジェラーク=クロスラッドという当時十九歳の若者だった。彼はのちにそのことを悔やみ、王の命を奪った短剣を罪の象徴として継承することにしたようだね。それが君の持ってる宝剣で、はじまりを象徴づけるものだ」


 穏やかな声に怒りや憎しみは感じられない。だからといって、無表情に淡々と語るわけでもなく。

 静かに話すジュラの瞳は、どこかつかみがたい遠くに向けられている。


「その人が、私の祖先なんですか?」

「うん、そう。血脈は枝分かれして各地に散ってるだろうけど、宝剣を持ってるからには君が直系で間違いないと思う。今が約束の時代とき、始まりを印づけたのがジェラークなら、終わりを見届けるのはティルシュでなければならない」


 ティルシュは黙って息を飲みこんだ。

 千七百年前の記録など何一つ残ってはおらず、語り部たちの紡ぐ伝承にすらのぼらぬ時代。それほどの過去に先祖が行なったことを、今、返済しなければならない……のだろうか。


 ——なぜ、自分が。

 つい胸中をよぎった思考に自分でも驚き、慌てて頭を振ってそれを払いのけた。


「申し訳、ありません」


 思った以上に震えてしまった声が気まずくて、視線を落とし立ち尽くす。冷えた夜気が外套がいとうを揺らし、遠くで獣かなにかが遠吠えている声が聞こえた。


「世界が滅びに瀕しているのは、私の先祖のせいだったんですね。……それなのに何も知らずに、私は」


 ジュラは黙って向き直り、うつむくティルシュを見つめた。

 彼もまた返す言葉を探していたのだろうか。やがてゆっくり息を吐き、ティルシュの手を握る指に力を込める。


「知らないことを、とがめるつもりはないんだ。ハルについての事実が誤り伝えられるのは、彼の友人にとって耐え難いことだったから。彼はいっそ王の名が忘れられるように——伝説が風化し人の記憶からも記録からも消えるようにしたんだよ」


 遠慮がちに見返すティルシュを見つめるジュラの瞳は、濡れたような輝きを映していた。


「けれど君は今から、見届けるんだ。誰もおぼえていなくたって、僕たちが、彼女が、憶えている、光の王の帰還をね。彼の名はティリアル=ロ=ハル。そして僕らが今から会いに行くのは、ハルの奥さん。ティリーアっていう名前の女性だよ」

「私が会ってもいいんですか?」


 仇ではないのか、という言外の問いを感じとり、ジュラは視線を伏せ気味にさまよわせながら返すべき言葉を思い巡らす。

 遠い過去、確かにそういう考え方をしていた時代もあった。

 だが、今はもうそうではない。

 初代アスラが魂とともに託した記憶を積み重ね、人の歴史を見守りながら、ずっとずっと時の竜じぶんたちは人間とともに生きてきたのだから。


「ティルシュ、……僕は、ジェラークだけが責を負うべきだとは思ってない。彼はたまたまその時代、その場所に居合わせて——、ううん、この言い方も正しくない」


 真摯しんしに見返す琥珀こはくの双眸。どこにも似たところなどないのに、遠い日の面影を重ねてしまったのは月光がいざなう感傷だろうか。

 さまざまな想いを胸に巡らせながら、ジュラは思ったことをそのまま言葉にする。


「竜族を退けたのは人族の意志だったのだと、思う。その旗印としてあの時代に立ったのがジェラークだったというだけで、きっと彼が何もしなかったとしても、遅かれ早かれ断絶は起きただろうと……そう思うよ」



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