第九章 その6 おかえりミュージアム

「ありがとうございました、これお土産です」


 休みが明け、久々に出勤した私は同僚の机に人形焼きを置いて回る。旅行中、浅草の有名店で買った人気銘菓だ。


「ありがとう、どうだった東京は?」


 相変わらず疲れた顔一つ見せない里美さんが、にこりと微笑み返す。


「はい、とってもおもしろかったです。老猿も見られましたし」


 せっかく上野まで来たのだ、私たちは博物館だけでなく同じ公園内の西洋美術館にも立ち寄った。野外に置かれたロダンの地獄門と、世界遺産にも認定された本館、写実と抽象の対比が実に面白い。モネの『睡蓮』やルーベンスの『眠る二人の子供』のような有名な作品にはもちろん期待以上の感慨で鑑賞することができたが、初めて耳にした作者の絵画でも不思議とのめり込めるようになったのは自分にとっても驚きだった。名品には人を惹きつける何かがあるということを、改めて確認することができた。


 あの『老猿』を見て心を揺れ動かされたおかげで、美術品を見る方法がなんとなくわかったのかもしれない。まあ、前衛的な現代芸術を理解できるのはもうしばらく先のこととなりそうだが。


 それ以外にも雷門で有名な浅草寺に参拝したり、東京スカイツリーで大都会のパノラマを楽しんだりと大満足の東京旅行を送ることができた。夏休みのあの混雑でも、行った価値は十分だったろう。


 ちなみに最終日、弟は目黒寄生虫館に行きたいと提案したのだが、日程が厳しかったのと、何よりも私と悠里乃ちゃんの猛反対でしぶしぶ観念した。長さ8.8メートルのサナダムシの実物とか、わざわざ見に行きたがる乙女がいるか!


「やあ、東京国立博物館はどうだった?」


 朝の挨拶もほどほどに、デスクでパソコン作業に当たっていたシュウヤさんが私に話しかける。


「はい、シュウヤさんが話してくれた通り凄いところでした。私ようやく本物ってどんなものか、わかった気がします」


 博物館は収蔵と研究の場であり、教育の場であり、非日常を楽しめるアクティビティでもある。いつだったか教わったそんなことを、国内最高の博物館を鑑賞して私はようやく理解できた。


 しかしそれは同時に、地元に帰った私に博物館ごとの力の差をより如実に実感させた。一級の美術品と昔の民具を比べるがそもそも不可能なのだが、やはり有名博物館と比較するとうちの博物館は展示品から規模まで見劣りしてしまう。


 たしかにこの博物館で展示されている資料も大半が実際に使われていた『本物の』品々だが、東京国立博物館のそれとは意味が違う。民俗資料と美術品は同列には語れない。


 東京で得た経験をそのままうちの博物館に持ち込むことはできない。だがあそこで受けた感銘、それを地元でも多くの人に共有できれば、きっとリピーターは増えるはずだ。


 そんな夏休みの出来事を思い出しながら考えていると、午前の勤務時間はあっという間に過ぎ去ってしまった。お昼休み、私はいつもの通り食堂に向かった。


「日替わり定食、ひとつ」


 カンカン亭の店内でホールスタッフの女の子に注文する。私のいない間にもまた一回り成長したそうで、水を運ぶ手つきも注文の聞き取りも以前に増して洗練されていた。


 それだけではない。少し前ならこの時間でもいくらか席が空いていたのに、今日は完全に埋まっていたのだ。しかも店の前には列ができていて、何組もが順番待ちをしている。


「お客さん、増えていますね」


「そうなんですよ。安くて味が美味しい、おまけに地元の名産を使っているから安心だって誰かがグルメサイトに書き込んだみたいで。もう3日前からこんな感じです」


 そう話すスタッフは忙しくも嬉しそうだった。

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