第九章 その5 ほんものミュージアム

 翌朝、ホテルを発った私たち3人はJR山手線に乗り、上野公園へと向かった。


 夏休み期間ということもあるせいか、電車は既に満員。下車してからは人の波にのまれながらも改札を目指して歩き、外に出てパンダの描かれた看板を目にした時にはようやく安堵の息を吐くことができた。


 それにしてもさすがは上野公園、噴水の設けられた池では子どもたちが足をつけて遊びはしゃいでおり、芝生の上には観光客が腰かけている。路上ライブの準備だろうか、アンプや楽器を運び込むバンドマンの姿も見られ、単に市民の憩いの場という存在以上の役割を果たしているのが感じられた。


 そんな賑やかな公園を抜けた先に、一つの建造物が王様の宮殿のように堂々と待ち構えている。洋風のレンガ造りでありながら、赤茶色の屋根瓦を敷き詰めた和風の意匠。和洋折衷とはまさにこのことか。


「朝一発目なのに、もう行列できてる……」


 そして開館前からチケット売り場に並ぶ人の列に、愕然とする姉弟と悠里乃ちゃん。期間限定の特別展『柿右衛門~古伊万里400年展~』が開催中ということもあって、かなりの盛況っぷりだ。


 ここは東京国立博物館。日本最高の博物館はどこかとアンケートを取れば、間違いなく1位にランクインする博物館だろう。


 設立はなんと1872年(明治5年)。博物館という概念がまだ無かった日本において、最初に作られた博物館だ。現在は歴史資料や考古遺物が主な収蔵品だが、かつては生物標本や鉱石標本も取り扱う総合博物館であり、現在上野公園内に置かれている動物園や科学館はここから独立したものだという。


 寄託品も含めた収蔵品は驚異の約12万件。そこには国宝約150件も含まれる。


 当然ながら来館者数は尋常でなく、年間なんと250万人以上。これは美術館を含めても国内トップクラスの集客である。


 そう言えば以前、里美さんもここに来たことがあると話していた。たしか高村光雲の老猿を見たかったが、残念なことに展示されていなかったとか。シュウヤさんも東京に住んでいた頃は頻繁に通いつめ、博物館実習にも参加したと話していたので何かと私たちにも縁のある施設だ。


 弟の大学見学に付き添うというのは表向きの理由。私が東京に来た本当の目的は、ここを見ることだった。


 この日本を代表する博物館ならば、教育長の話していた「ほんもの」が見られるかもしれない。


 チケットを買い、敷地に入ると改めてその規模の大きさに言葉を失う。正面に見えていた建築物はほんの一部、左右両手それぞれに重厚なレンガ造りの建屋が鎮座し、広場の私たちを見下ろしている。


 ここは規模もすごい。正面に聳える本館だけでなく、アジア各地の文化財を収める東洋館や、奈良の法隆寺から献納された資料を保管する法隆寺宝物館など、敷地内には複数の別館が置かれている。期間限定の展示も含め、一日ですべて見て回ることはとてもできない。


 本館に入った私たちを最初に出迎えたのは、舞踏会場のような大階段。現代建築が気にする開放感など一切気にもかけず、ひたすらに荘厳さと重厚感を追い求めた究極の形だろう。


 テレビドラマにも出てくる大階段で記念撮影をし、私たちは順路に従って館内を見て回ることにした。


 展示品はすべてが一級の資料だ。素人である私でも、どれもこれも値段が付けられないくらい高いんだろうなと察しがつく。


 弟は私よりも展示品の価値を理解しているそうで、仏像や陶器を目にする度に「うわー」だの「すげー」だのと声を漏らしている。


 そんな弟の目の色が変わったのは、考古展示室でのことだった。


「遮光器土偶だ!」


 ガラスに両手をついて食い入るように見つめる弟。置かれていたのは土偶と聞いて最も多くの人が連想するであろう土偶のイメージそのものだった。大きな眼鏡をかけたロボットの、片方だけ足が欠けているあの形。紀元前1000年から紀元前400年頃の縄文時代の逸品だ。


「ああ、教科書に載ってたやつね」


 さすがの私もこれには胸が沸き立つのを感じた。写真とそっくり、あの有名なモノが目の前にあるのかと思うと、ずっと行きたいと焦がれていた観光地にようやく来た時のような気分になる。


 しかし土偶を目にした時から、弟の展示品を見る目は一変した。展示品のひとつひとつを、品定めするかのようにじっくりと細かな点まで観察している。「すげー」なんて言いながらもさらっと流していた最初とは、まるで別人のようだった。


 なかなか考古展示室を離れようとしない弟を半ば無理矢理引っ張り出し、別の展示室へと向かう。そこは刀剣や鎧が展示されているコーナーで、最近人気のゲームの影響か若い女性の来館者で賑わっていた。


 ここで雷に打たれたように豹変したのは、悠里乃ちゃんだった。


「こ、これは童子切安綱! 源頼光が酒呑童子の首を切り落とした時に使われ、その後豊臣家や徳川家に伝えられていったという、あの天下五剣の一振!?」


 妖しく照り返す刀身を前に、ガラスケースにべったりとへばりついて興奮したようにまくしたてる悠里乃ちゃん。普段物静かな彼女の内側に秘める凄まじい情熱を、余すところなく解き放っている。


 その後も弟と悠里乃ちゃんは、周囲のことなどまるで頭からすっぽ抜けたように博物館を堪能していた。


 風人雷神図屏風に見とれ、本阿弥光悦の硯箱を舐めるように観察する。姉として弟については生まれた時から知っているが、ここまでテンションを上げた姿はなかなか見たことが無い。弟にしても悠里乃ちゃんにしても、東京まで出て来た価値は今日一日だけでも十分あっただろう。


 だがふたりの変わり様に、私は苛立ちにも似た感情を抱いていた。いくら名品であっても、写真で見たのと同じじゃないか、なぜここまで興奮できるのか、と。


 雪舟の水墨画や写楽の浮世絵を見ても、私には「これ、教科書で見たやつだ」程度にしか思えないのだ。私を差し置いて博物館を楽しむふたりの傍にいると、まるでこっち側に欠陥があるように思えてくる。


 悶々とした思いを抱えたまま、私は順路をずかずかと進んだ。居心地が悪い。さっさとここを出てアメ横見物にでも行きたい気分だった。


「あ!」


 そしてついに私は出会い、足を止めてしまった。通路の真ん中の台の上に座り込む、ひとつの巨大な作品に。


 疲れ切った貌の一頭の猿がはるか彼方を見つめながら、その左手に今しがた仕留めたばかりの大鷲を捕まえている。木彫りで木目までそのまま残っているにも関わらず、まるで今にも動き出して、息遣いさえも聞こえてくるように思えた。


 これこそが老猿。彫刻家の高村光雲渾身の力作にして、近代彫刻の最高傑作。1893年のシカゴ万博に出品され、地元アメリカ人の度肝を抜いたという。


 高村光雲など名前くらいしか知らないし、縁があるわけでもない。しかしどういうわけか、私は動くはずもないこの大猿に対し、ぞっと恐ろしい肌寒ささえも感じてしまった。こんな経験、20年生きてきて今まで一度も無い。


 そして同時に気付いたのだった。


 そうか、これが『本物』に出会うということなのか、と。心を掴まれるとは、こういう感触だったのか、と。


 いつだったかシュウヤさんの話していた人の心をつかむ何か、一種のオーラのようなもの。私は今ようやく、この老猿を通して感じ取ることができたようだ。


 ふと弟たちに目を向けると、やはり二人とも作品を前に絶句して固まっている。悔しいがどうやら二人には私よりも先に、名品のオーラを見抜く目が養われていたらしい。

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