第八章 その5 譲れぬミュージアム

 夜、私はベッドの上に寝転がり、スマホの画面をじっと眺めながら固まっていた。


 表示されているのは今日撮影した写真だ。平賀源内記念館に丸亀市うちわの港ミュージアムと2か所の博物館を巡り、目にした展示品。写真を見るとそれらが今目の前に存在するかのように思い出される。


「姉ちゃん、早く風呂入れよ」


 ドアの向こうから弟が呼びかける。


「うん、あとであとで」


 私はテキトーに返事をしてやり過ごした。今はお風呂よりも、このもやもやとしてまとまらない思考をどうにかしたかった。


 今日見た博物館はいずれもテーマを絞り、狭く深くを追求した展示を準備している。特定のテーマについて詳しく知りたいという人がまずそこに行こうと考えてくれれば、博物館の思惑通りだろう。


 しかし船出市郷土博物館のテーマは船出市の歴史と民俗。ひとりの偉人やある産業のように、強く限定された括りではない。そもそも既に塩田というテーマで展示室の大半を占めているのだ、これ以上塩田関連のスペースを増やせば名称を船出市塩田博物館とでも改めるレベルになる。


 展示内容を変えてお客さんを呼び込むにしても、どこをどう変えればよいものか……答えが出てこない難問に悩み、私は弟がいつの間にか弟が部屋のドアを開けていることにも気づかなかった。


「おいおい、早く風呂入れよぉ」


「勝手に開けんな」


 ようやくスマホから目を逸らし、寝間着姿の弟を睨みつける。風呂上がりの弟はドライヤーをちゃんとかけていないのか、髪の毛がまだ湿っていた。


「ねえ、今日見た博物館さ、あんたはどう思う?」


 姉からの唐突な質問に、弟は「今日の博物館?」と一瞬間を挟む。


「うーん、テーマを狭く絞るってのは博物館の生き残る方法として結構有効なんじゃないかな。ファンとかマニアはそれだけで呼べるし、うまくいけばリピーターにもなるし」


「でもうちの博物館じゃ真似できないよね」


 考えながら答える弟に、私は間髪入れず口をはさんだ。いくら思考を巡らせても妙案がなかなか浮かばないせいで、やや意地悪に言ってしまう。


 だが弟の返事は意外なものだった。


「そんなの気にしなくていいと思うぞ」


 まったく動じず答える弟。あまりの平然とした態度に私はぽかんと口を開け、「どして?」と返す。


「伝えたいことを伝えるのに展示スペースはあまり関係ない。むしろ大切なのは伝えたい側の熱量と言うか、見る側に何を一番知ってもらいたいかって部分だと思うんだ。今日、職人さんが実際にうちわを作ってるのが俺の中では特に印象に残ってるんだけど、あれはうちわ一つ作るにも凄い工夫と技が必要なんだってメッセージがあったからだと思う。それに博物館は何も観光客を呼べばいいってもんじゃないだろ? 子供が自分の住んでる地域にどんな産業が根付いて、どんな歴史を辿ってきたのか、そこをしっかりと伝えていくのも大切なんじゃないのかな。むしろあっちもこっちも取り入れて、収拾つかなくなるよりはいいんじゃないか?」


 一気にまくしたてる弟に、私は返す言葉が思い浮かばなかった。話の意味がわからなかったというわけではない、むしろその逆だ。


 そうだ、すっかり忘れていた。たしか博物館の目的のひとつにも、郷土愛の醸成というものが掲げられている。地元の名産品を理解してもらうことはそのアプローチのひとつだ。テーマがふんわりしているからと言って、何でもかんでも扱っていてはキリがない。


 ここ最近、外からお客さんを呼ぶことに意識を向け過ぎて、地元の人が集う場所であるという視点をすっかり見落としていた。悔しいが、そんな当たり前のことを思い出させてくれた弟にはぐうの音も出ない。




 翌日、夏休みだと言うのに船出市郷土博物館は静けさに包まれていた。山から聞こえるセミの声のおかげで、お客さんが来ていないことが余計に際立つ。もっと多くのお客さんが来ると想定していたのに、夏休みに入ってから来館者数はどういうわけか低空飛行を続けていた。


 そして問題はもうひとつ。カンカン亭の客が、明らかに減っている。


「あずさちゃん、開店バブルももう終わったよ」


 昼休み、カンカン亭でいつもの定食を頼んだ私に直接料理を運んできた際、料理長の霧島さんは悲しそうにつぶやいた。頻繁に利用していたので顔と名前を覚えられたらしい。


 いくら平日とはいえ、腕利きの職人を迎え入れたカンカン亭のお客さんはまばらだった。これは運営元のふなで食品にとっても大きな誤算だっただろう。


 最初こそ情報に敏感なグルメファンを呼べていたものの、市街地から外れた立地の悪さに加え、霧島さんの腕を発揮するにはコストがあまりにも低く抑えられている。元々霧島さんの得意なのは本格的なフレンチで、多少のお金をかけてでもゆっくりと、時間をかけて味わう料理だ。博物館を来館するメイン層である親子連れや学生の好みとはかなりのズレがある。


 そして定食800円という強気な価格も客足の遠のく一因だった。東京の中心部では定食1000円を超えるのも高いとは感じないが、船出市のような地方都市、しかも300円あればかき揚げうどんが食べられるような土地ではどうしても高く感じてしまう。


 一方で高級ランチを食べ慣れている舌の肥えた層にとって、800円は安すぎる。値段を上げてでも、もっと良い食材を使い入念な調理をして欲しいと思われてしまう。


 つまりはどっちつかずの中途半端な値段設定になってしまい、庶民からもセレブからも敬遠されてしまっているのが現状なのだ。


「まだ終わってないですよ」


 私はそう言って霧島さんを励ますが、霧島さんの顔には既に諦めの色さえもにじみ出ていた。


 この気難しい頑固職人のような人がこんな顔をするなんて。なんだか見ていられなくなった私は、出された料理を口に運んだ。


「あ、美味しい!」


 そして一口、今日の主菜である讃岐牛のコロッケを噛みしめた瞬間、私は反射的に言葉を漏らした。


 ほくほくの中味をパリッパリの衣が包み、食感は最高。ジャガイモと混ぜられているのに、こんなに肉汁が溢れ出てくるひき肉も初めての感覚だ。


「知り合いの食肉業者から良い肉を譲ってもらったからね。高級レストランでしか扱わないような肉なんだけど、特別に安く売ってもらったんだ」


 霧島さんの疲れ切った表情が少しばかり和らいだ。


「霧島さんの人脈、凄いですね。朝早くから魚市場に行ったりして、とても大変なのに」


「お客さんに出す以上はできる限り最高の料理を提供したいからね。それはサービスも食材も同じさ。特にここは博物館だからね。地元の食材を、最高の形でお客さんに提供できることが自分の仕事だと思っている。俺は料理を通してこの町の農業や水産業を来館者に伝えているつもりだよ」


 そう話す料理長は、いつものぶっきらぼうな口調でなかった。穏やかだが、もっと聴いてくれと懇願しているようにさえ感じた。


 そんな彼の静かながらも必死な様子を見て、私はハッと息をのんだ。


 霧島さんにはひとりの料理人として譲れないこだわりがある。それが会社の方針とかみ合わなくとも、お客さんが減ろうとも、易々と変えることはできない。


 うちわ職人が工程において仕事を妥協しないように、料理長も食材の選定には一切の手を抜かないのだ。


 だがそのこだわりを、一体誰が知ることができるだろう? カンカン亭に通い詰めている私でさえ、今日ようやく料理長の真意に触れることができたのだ。料理長のこだわりを感じ取れる来館者は、果たしてどれほどいるものか。

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