第八章 その4 職人ミュージアム

「うどんは香川県内でも西の方が美味い、これ常識な」


 個人経営のプレハブ造りのうどん屋にて、大きなエビ天を乗せたうどんをすすりながらてっちゃんが言い切る。


「そんな常識聞いたこと無いよ」


 隣に座る弟はざるうどんを書き込みながら苦笑した。


「あながち間違っていない。人口あたりのうどん店は琴平町や善通寺町が多くて西高東低の様相だって新聞記事で読んだことがある」


 夏なのにアツアツの素うどんを汗一滴もこさずに口に運びながら、悠里乃ちゃんが淡々と答える。


「よくそんなの覚えてるわねえ」


 私はだしの利いた肉うどんを頬張りながら、窓の外にちらりと目を向ける。


 そこに映えるは瓦屋根やビルを見下ろす巨大な石垣。そして小さくとも美しい佇まいのおかげで奥ゆかしささえも感じさせる漆喰塗りの天守閣。


 ここは総高60メートルという日本一高い石垣の丸亀城、そのお膝元の丸亀市内だ。


 高松市に次い県内2位の人口を抱え、中・西讃地方の中心都市となっている。私たちの船出市もこの丸亀市の文化圏に属しており、実際に弟も丸亀市内の高校に通っている。


 実はこれから向かうもうひとつのマニアックなテーマの博物館は、ここ丸亀市にあるそうだ。ちょうどお昼時ということでてっちゃんもよく知る美味しいうどん屋さんで腹ごしらえをした私たちは、再びてっちゃんの車に乗り込み少しばかりドライブを楽しむ。


「ここ来るの初めてだな」


「俺は小学校の時来たことあるよ。その時から見た目は変わってないけど」


 駐車場に車を停め、ドアを開けたてっちゃんは目の前の建物を眺めながらぼそっと呟くと、すかさず弟が得意げに返した。


 1995年設立と新しいためか、円形の建物やオブジェがお洒落な雰囲気を漂わせ、それがゆえに看板の殴り書いたような「うちわ」の文字が際立つ。


 ここは丸亀市うちわの港ミュージアム。夏の風物詩にして浴衣姿には欠かせないあの「うちわ」をテーマに扱った博物館だ。


「たしかに丸亀といえばうちわだけど、ここまで大きいとはねぇ」


 意外に思われるかもしれないが、丸亀市は全国のうちわの90%を生産している。その本数は年間8000万本以上、江戸時代初期に金刀比羅参りのお土産として定着してから、400年近くの歴史を誇る一大産業だ。つまりここは地元の伝統産業に着目した、丸亀ならではの博物館である。


 しかも入館無料という太っ腹ぶりに、私は心底感心した。……いや、博物館法の上では博物館は本来無料であるべきで、維持費などのやむを得ない事情に限って入館料を徴収することが定められているのだけれども。


 そのおかげかは知らないが、年間の来館者も2万人を超えているという。うーん、ここまでくると丸亀城やボートレース場という強い観光資源も備えていて、羨ましいを通り越して妬ましくさえも思えてきたぞ。


 館内はうちわ一色、さすがはうちわミュージアムといったところ。壁一面を飾るのは伝統的な絵柄に彩られた竹のうちわ、扁平なものから細長いもの、相撲の行司が持っていそうなものまで多種多様な形状を見せつける。正直うちわと一言で表してもこれほどの種類があることに驚いた。


「こんなでっかいうちわ、何に使うのよ?」


 特に目を惹いたのは水族館で泳ぐマンボウのように巨大な、大の男でも両手で抱えるくらいの大きさの巨大なうちわだ。


 実用性よりもアピールのための逸品であろうが、突っ込んだ私の背後からてっちゃんが割り込む。


「この前スーパー銭湯に行った時さ、サウナに入ってたらこれくらいのうちわ担いだ男が入ってきて。で、突然ストーブにお湯をぶちまけたら、その蒸気をこっちに向かって扇いでくるんだぜ。熱くて熱くて、死ぬかと思って水風呂に飛び込んだよ」


 うわあ、裸のてっちゃんとか汚い絵面だなあ……聞かなかったら良かった。


 夏休みだからか、今日は子供の来館が目立つ。小さな規模でそう堅苦しくない雰囲気だからか、涼を求めにやって来る親子も多いようだ。


 特に人気なのはうちわ作り体験のコーナーだ。事前の予約が必要のようだが、小学校に上がる前くらいの子供がスタッフのアドバイスを受けながら竹製の骨に紙を貼り付けている。その真剣な表情を撮り逃すまいと、隣からはお父さんが必死でデジカメを向けていた。


 そして子供だけでなく、大人の目にも敵うのはやはりこれだろう。博物館の一角には一段高くなった座敷が設けられ、そこでは職人さんがうちわ作りの工程の一部を実演している。


 一本の竹を繊維に沿って細かく鉈を入れ、均等な長さと太さに切りそろえる。それをばらけて開くと、単に細かく裂かれた竹のはずなのに、秋のイチョウの葉のような美しさがあった。


 寸分の狂いの無い手つきに、私たち4人は思わず見とれてしまう。何セットかの作業を繰り返し、ようやく私は口を開いた。


「こうやって職人さんの実演を入れるのも効果的なのね」


「身近な製品ができるまでの流れを目で見るっていうのは子供結構好きだよ。工場見学のテレビ番組とか人気あるし」


 弟はなおもじっと職人さんの手さばきを見つめながら呟くように答えた。そう言えばこいつも将来は自動車メーカーに務めたいという夢を持っている。同じ物作りに通じる分野として、こういう伝統産業の職人さんの腕は見逃せないものがあるのだろう。


 切りそろえた竹に紙を貼り合わせるだけの構造。しかしこの機能美に到達するまでには、長い歴史の積み重ねと熟練の技術が必要なのだ。とても一朝一夕で真似できるものではない。

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