第七章 その2 放映ミュージアム

 博物館の展示を入れ替え、来るべき夏休みに向けての準備を終えた私たちだったが、突発的に舞い込んできたのはテレビ中継という難度マックスの緊急クエストだった。私自身はテレビに映らないものの、通常開館時間と撮影の時間が少々かぶるために、その日だけ早めに展示室を閉める告知をしたり、見物したいというボランティアの皆さんに対応したりと思わぬ仕事をこなす必要があった。


 そして週末を目前に控えた金曜日の夕方。博物館の駐車場にはテレビ局の自動車が停まり、肩で抱える大きなテレビカメラや、物干竿みたいな長さのマイクが館内に持ち込まれていた。


「いやぁまあ、テレビなんて初めてだわ」


 ボランティアのお婆ちゃんが困ったように嬉しそうに、何度も何度も手鏡を見ていつも以上厚く塗った化粧を確認する。……あのね、お婆ちゃん、今日映るのはお婆ちゃんじゃなくて、うちの男衆なんだよ。


 自分たちが運営に関わる博物館がテレビ中継されるなど、変わり映えの無い平和な空気が流れる船出市においては人生最大級の大事件だろう。ボランティアの皆さんほぼ全員、テレビ中継に直接関わるわけでもないのにカメラの映らない位置から、準備に追われるテレビクルーを期待と羨望の眼差しで見守っていた。


「皆さん、生中継なのでここにいたらテレビで見れないですけど、いいんですか?」


 スタッフにお茶を準備する傍ら、私はボランティアの皆さんにそっと尋ねる。そんな私の質問に、最高齢86歳のお爺さんがほとんど抜け落ちた歯をにかっと見せつけて答えた。


「ああ、ちゃんとHDに録画予約してきたから大丈夫だよ。あとでブルーレイに焼いて永久保存するんだ」


 最近のご老人は電子機器の操作にも抵抗が無いらしい。お年寄りは機械が苦手、というのは過去の話のようだ。


「それでは、えんでんおじさんのご到着ー!」


 準備に勤しんでいた館長の声が響く。その声に合わせて展示室からのっしのっしと出てきたのは、リアルえんでんおじさんこと法被姿の池田さんだった。


「どわっはっはっはっは!」


「似すぎです、もうご本人じゃないですか!」


 一気に盛り上がるボランティア一同。すかさずスマホやデジタルカメラを取り出して、カシャカシャと連続撮影する猛者もいた。


 私も池田さんのこの姿は何度か見ているはずなのに、皆さんの笑い声につられてお腹がよじれるほど笑ってしまった。ごめんね池田さん、おかしいわけじゃないんだけど……似合い過ぎて、耐えられない。


 そんな観衆の複雑な反応にも、池田さんは嫌な顔ひとつ浮かべずポーズを取って応えていた。聞けば学生時代は演劇部に所属していたらしく、人に注目されるのは慣れているそうだ。


「俺、このまま広報課にヘッドハンティングされたりしないかな?」


 にかっと笑って冗談交じりに言い放つ池田さん。だがここまでしっくりくるのでは、割りと本気であり得る気がする。


 そんな驚異の順応力を見せつける池田さんとは対照的に、同じくテレビに映る予定のシュウヤさんは事務室の椅子に座り込んだまま、ぶつぶつぶつぶつと何度も何度も台本を繰り返し暗唱していた。


「シュウヤさん、大丈夫ですか? 顔、真っ青ですよ」


「が、学会発表に比べたらへーきへーき」


 そう笑って強がるシュウヤさんだが、その顔は乗り物酔いしている時のうちのお母さんにそっくりだった。


「本番まであと5分です!」


 いよいよか。館内に響き渡る撮影スタッフの威勢の良い声に、思わず私もしゃんと背筋を伸ばしてしまう。他のスタッフもそれぞれが配置につき、本番直前最後の確認を行う。


「では私がここでリポートを始めますので、そこまで移動したら学芸員さんはカメラの前に出てきてください」


 シュウヤさんはリポーターの女性アナウンサーに呼ばれ、進行のひとつひとつを確認していた。


「こ、こここ、このえ、塩田ははまいり……じゃなくて入浜式と呼ばれ」


「緊張しなくても大丈夫ですよ。もしもの時には私がフォロー入れますから」


 スマイルでシュウヤさんを宥めるリポーターだが、ここまで重篤では並のフォローどころじゃどうにもならない気がする。いや、押し付けた側の私が言える立場じゃないんだけどさ。


「そして次にここまでカメラが移動したら、えんでんおじさんは大釜を混ぜるポーズをしていてください」


「マネキンだと思わせて、本物の人間でしたーってか。いつから俺は市職員から展示物になったんだ?」


 メイン展示の大きな平釜、その傍に立つのはえんでんおじさんに扮した池田さんだ。テレビ受けを狙った演出らしいが、滑ってしまわないか今の時点から心配だ。


「もうすぐ本番です、各自位置についてください。そちらの方、カメラに映るんでそこには立たないでくださいねー」


 もう猶予は残されていない。スタッフの声にボランティアの皆さんも口をぎゅっと堅く噤み、シュウヤさんも「いよし!」と変な掛け声で気合を入れる。


「では本番いきます。10、9、8、7、6、5……」


 ディレクターが無言でスタートの合図を出す。そしてカメラが切り替わると同時に、リポーターの女性が展示室の入り口を背に満面の笑顔で話し始めたのだった。


「はい、本日はここ、船出市郷土博物館にお邪魔しています。というのも今年に入ってから、この船出市郷土博物館は展示品を大きく入れ替え、既に前年度以上の来館者を呼び込んでいるとのことで、その謎を探りに参りました」


 ものは言いようとはまさにこのこと。博物館閉鎖の議題が出されたために駆け込み需要があっただけだなんて、口が裂けても言えない。


「では、その要因は何でしょうか? 学芸員の松岡シュウヤさんに尋ねてみましょう!」


 リポーターがすっとマイクを向けると、壁際に控えていたシュウヤさんは足音を立てずにその脇に立った。シュウヤさん、地上波デビューの瞬間だ!


「はい、船出市郷土博物館では展示の入れ替えを軸に、大幅なリニューアルを行っています」


 さっきの緊張バクバクはどこへやら、意外と様になっているので安心した。シュウヤさんはスイッチが入ったら、なんだかんだどうにかなるタイプのようだ。


「特に力を入れているのは、見るだけでなく全身を使って楽しむ展示です。このコーナーの物は全て手で触っても良く、塩田でどういった作業が行われていたのかを身体を動かして知ることが可能です」


 そう解説しながらシュウヤさんは、実際に塩を封入したかますを持ち上げて床に置く。リポーターも持ち上げようとするが、女性にとって塩30キロは重すぎたようで、結局一瞬床を離れることも無かった。


 シュウヤさん、細身でも意外と腕力あるんだよな。


「では、もっと奥に……と、大きな釜ですねー」


「これは濃縮した海水を加熱して、蒸発させて塩を取り出していた釜です。実際に使用されていたのですが、長年収蔵庫に保管されていたのをここに展示することにしました」


 いよいよ目玉展示、大きな平釜の登場だ。直径2メートルの大きな釜、そして巨大なスコップのような「十能」を手に釜に向かう、法被を着込んだマネキン。展示場でよくある昔の作業風景を再現したものだろうと、視聴者にはそう映っただろう。


「こちらは船出市マスコットのえんでんおじさんでしょうか? いやいや、イラストそっくりによくできた――」


「マネキンじゃねーよ!」


 ピクリとも動かないえんでんおじさんをしげしげと眺めながら話していたリポーター。だがそのマネキンが突如首を向けて怒鳴りつけてきたので「え、本物!? しゃべった!?」とぎょっと驚き跳び上がる。


 あ、当然これはすべて仕込みです。いわゆるヤラセですが……99%の人が気付くようなおざなり具合なので、ネタとして見過ごしてください。


「はい、こちら博物館職員の池田航さんです」


「えんでんおじさんそっくりだからと、同僚に言われてこの格好をしています」


 シュウヤさんの紹介を受け、池田さんははきはきと答える。おいおい、そんな裏事情まで話すんじゃないよ。うちの職場がただの不真面目集団に思われてしまうじゃないか。


「皆さん、えんでんおじさんに会いたくなったら博物館にぜひ来てくださいね!」


 その後、シュウヤさんと池田さんのふたりで一通りリポーターに他の目玉展示を伝え、これといったトラブルもなく無事中継は終了した。


 放送時間いっぱいを使い切ったふたりにはボランティアの皆さんから拍手喝采が贈られ、疲れ切った表情ながら男二人は大仕事を成し遂げた充足感に包まれていた。


 しかし……今さらながら、何の前触れも無いえんでんおじさんの登場は視聴者の皆さんにどう映ったのだろうか。テレビは舞台と違い、観客の反応が分からない。もしお茶の間がシラケてしまっていたら、船出市郷土博物館は香川県中に恥をさらしてしまったことになる。


「この番組始まって以来のギャグ回のような気がする……」


 アニメでも一山終わったところで挟まれるエピソードみたいなものか。不安をかき消すように、私は無理矢理自分に言い聞かせた。




「ふう、疲れた」


 事務室、元のスーツに着替えた池田さんが買ってきたばかりのコーラを飲みながら漏らす。


 テレビクルーも撤収し、ボランティアの皆さんも帰路に就いている。博物館職員は最後の片付けのために残っていたものの、それもすべて終わったようだ。あとは明日からの土日に備えて、家に帰ってゆっくり休むのみ。


「お疲れまでした! えんでんおじさん姿、様になっていましたよ!」


 すべての仕事を終えて帰宅モードに包まれる事務室で、私は今日のMVPの背中に立つとそっと机にチョコレートを置いた。コンビニで30円くらいで売っているよくあるお菓子だが、池田さんも機嫌を良くしたようで「だろ? 惚れるなよ」と変にカッコつけて返してくるのだった。


「絶対あり得ませんので、ご安心ください」


「うわーん、あずさちゃんがおじさんをいじめるー!」


 私と池田さんのふざけ合いを見て里美さんも失笑する。


 そんな時、事務室の電話が突如けたたましく鳴り響いた。本来は公開電話はすでに受け付ける時間ではないけれども……まあスタッフもいるし、無視することはできないわな。


「はい、船出市郷土博物館です」


 ちょうど一番電話に近かった私が受話器を取って対応する。


「こんな時間にすみません、さっきテレビ見ました。博物館おもしろそうですね!」


 相手は男性だった。声質からしてまだ若い。


 早速テレビを見てくれた人からの反応、それもなかなかの高評価に、私は「視聴してくださったのですか? ありがとうございます!」と自分のことのように嬉しく思えて声を弾ませた。


「あの、その、お訊きしたいのですが……」


 だが、男性は別に尋ねたいことがあるようだ。しかし言葉にするのをためらっているのか、どうもぼそぼそと不明瞭で決まりが悪い。


「はい、どういった内容でしょう」


 こっちだって早く帰りたいのに。少し急かすように言うと、受話器からは男性の「うん」と何かを決心したような声が小さく聞こえた。


「えんでんおじさんって、何時頃行けば会えますか?」


「へ?」


 男性の口から出てきたのは、思いもよらないえんでんおじさんの名。黒いゴマ粒のように、私の目は点になった。

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