第六章 その5 潜入ミュージアム

 数日間にわたる燻蒸作業が完了した。そこからはガスの抜けきった収蔵庫を元の状態に戻すため、職員とボランティアが総出で片付けに当たる。


 これといった問題もなく作業は終わり、ボランティアの皆さんも帰宅して一気に管内は寂しくなったが、その静かな事務室には言い知れぬ緊張が漂っていた。


「なるほどねぇ」


 館長は眼鏡越しにA4サイズの書類を眺めながらぽつりと漏らした。じっくりと紙面の文字を読み込んでいるのは傍から見ていてもわかる。


「博物館の収蔵庫には展示室に収まりきらない多くの資料が眠っています。さらに舞台裏としての収蔵庫そのものが来館者の興味を惹き付けるのではないかと思われます」


 館長の正面に立ったシュウヤさんがはきはきと説明する。彼の話すところでは、学会や論文発表後の質問に比べれば屁でもないらしい。


 先日、あのお洒落なレストランで博物館収蔵庫の見学会を思いついた私は、早速シュウヤさんに相談を持ち掛けた。


 それはナイスなアイデアだ。そう言ってシュウヤさんはとこちらの話もろくに聞かずに、急いで見学会の計画書の草案を完成させた。その後は里美さんにも添削してもらい、本日ようやく館長に提出することができたのだった。


「収蔵庫見学会は多くの市民の参加が期待できます。学芸員や職員を伴い、一回ごとの入場人数を制限できれば収蔵品の保護も両立できるでしょう」


「テレビ番組でも工場の裏側とか人気あるものね」


 里美さんも加勢する。


 これは私たちで作った企画なんだという想いのせいか、見守る私までも、きゅっと心臓を締め付けられているような気がした。


「校外学習の一環にも使えそうだね」


 館長はしきりに頷いていた。これは良い反応だ。


 調べてみると、全国各地の博物館でも同様の取り組みは行われているようだ。例えば福岡県太宰府の九州国立博物館では、毎週ボランティアスタッフによるバックヤードツアーが行われている。


 ここでは博物館の収蔵庫を覗き見るための専用の通路が整備され、室温・湿度を一定に保たれた収蔵庫を窓から窺うことができるのだ。2005年開館と新しい博物館だからこそ、設計段階から意欲的な挑戦に取り組めたのも大きいだろう。


 だが私たち船出郷土博物館の場合は直接収蔵庫にお客さんを入れることになる。当然、資料の保護には細心の注意を払い、見学者の辿るコースはしっかりと規定する必要があるだろう。本当に貴重で壊れやすい収蔵品は、コースから見えない場所に移すなど工夫も凝らさねばならない。


 ちなみに珍しいものでは、文化財の修復作業の現場も公開している博物館もある。例として金沢市の石川県立美術館には文化財保存修復工房が併設されており、表具や漆工芸を修復する学芸員の姿を無料で見学することができる。単に展示だけでなく、文化財の保存と修復も博物館の重要な機能であることをわかりやすく訴えているのだろう。


 最後のページをめくり終え、館長の眼鏡が一瞬怪しく光を反射する。私たちはぎゅっと口を閉じて指先まで変な力がこもるが、次の瞬間にはにっこりと笑った館長の顔にほっと緊張を解かれるのだった。


「おもしろいじゃないか、是非やってみよう! じゃあこれを夏休みまでに実現できるように、コースをちゃんと考えてより具体的なマニュアルも作ろう」


 へなへなと力が抜ける。そして互いに顔を合わせてやったね、と無言でアイコンタクトを送った。


 これで方向は固まった。だがこれはあくまで第一ステップを終えたまで、次は具体的にコースを選定して所要時間や人数、もしもの時のための対策まで練らなくてはならない。いわばここからが本番だ。


「お、おもしろいこと考えついたもんだねぇ」


 そんな私たちの後ろから、今しがた事務室に戻ってきた池田さんが声をかける。


 どんなに真剣でも少し聞いただけで全身から気が抜けてしまいそうな池田さんの声に、私たちは苦笑いを浮かべて振り返ってしまう。そこで見た池田さんの腕には、くるりと巻かれた一枚の大きな紙が携えられていた。


「池田さん、それは?」


「花火大会のポスターだよ。さっき市役所から届いたんだ」


「ああ、毎年8月に船出港でやってる、あの」


 そういえばもう夏か。夏と言えば海に山、そして花火と鉄板だからなぁ。


 観光産業の乏しい船出市だが、この花火大会だけは例外だ。夜空に打ち上げられる1万5000発の花火を眺め、近隣の市町村はもちろん、県外、なんと瀬戸大橋を渡って本州からも延べ4万人が押し寄せる。


 普段は財布の紐が固い船出市だが、経済効果の大きさからこの時ばかりは主催する商工会への協力を惜しまない。補助金の捻出、公営施設の貸し出し、さらには市職員のボランティア派遣など大判振る舞いで花火大会の成功に尽力する。


 そんな地元きっての一大イベントなものだから、若者にとってはクリスマスやバレンタインと並ぶ特別な日として認識されている。かく言う私も学生時代は誰と花火大会に行こうか、なんて友達同士で盛り上がっていたものだ。


 ……え、結局あんたは誰と行ったのかって?


 ふふふ、そんな野暮なこと訊くもんじゃありませんよ。


「今年は何日にやるんですか? ポスター見せてください」


「うん、いいよ」


 興味本位で尋ねた私に向けて、池田さんはポスターを広げる・


 壁にかけるための大きな用紙。そこに描かれているのは夜空に弾け飛び散る何発もの美しい花火。


 だがそれ以上に目が行ってしまうのは、端っこに描かれながらも妙にインパクトを醸し出す市公認マスコットキャラクターのえんでんおじさんだった。


 せっかくのロマンチックな写真なのに、このおじさんがいるだけで一気に田舎くさくなってしまう。まあ、市公認イベントであることを宣伝するのには役立っているのかもしれないけれども。


「そういえば……」


 だが私はポスターを眺めた後、にかっと笑う池田さんを見てふと声に漏らす。ポスターと池田さんを何度も何度も見比べ、そしてずっと何気なく思っていたことをついに口にしたのだった。


「池田さん、えんでんおじさんにそっくり」


 シュウヤさんも里美さんも、館長までもが「え?」と固まる。そしてじっと池田さんを見つめると、「あ、そう言えば」、「確かに似てる」と口々に賛同したのだった。


「マジで!? どこが!?」


 目を点にして訊き返す池田さん。


「体格とか顔とか……あと全体的なオーラが」


「体格ってそれ、デブって意味かよ!?」


 思わずうっと口を噤む私。その通りなんだけども……ただ体つきだけじゃなくて、本当に受ける印象というか、うまく口にはできないんだけれども、滲みだす人柄とかが似すぎているというか……。


「違います、貫禄あるって意味ですよ」


 言葉に詰まる私の隣で、悪戯っぽくにやっと笑いながら里美さんが切り返す。


「物は言いようだな、おい」


 池田さんははあっと深くため息を吐くと、すぐさま広げたままのポスターを持って事務室の外へと出て行った。市民への宣伝のため、受付脇の掲示板にでも貼りに向かったのだろう。

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