第三章 その5 驚嘆ミュージアム

 電灯を点け、ごみを拾い、開館の準備に取り掛かる職員たち。だが昨夜のひと悶着のせいでろくに寝ていないシュウヤさんは足取りもフラフラで、下手すればそのまま展示に突っ込んでいきそうだった。


「シュウヤさん、ちょっと休ませていいんじゃないですか?」


 もう見て居られない。私は受付でチケットの束を準備していた池田さんに小声で伝えた。


「そうだね、昨夜は実際時間外労働みたいなもんだったし」


 池田さんも私と同じことを考えていたのだろう。私にそう言い残すと受付から離れ、展示場を転びそうになりながら歩いていたシュウヤさんの腕をつかみ、そのまま事務室まで引っ張り込む。そしてパソコンを打っていた里美さんに一言二言伝えると、奥の会議室までシュウヤさんを連れ込んでしまったのだった。


 しばらくして、受付に池田さんもだけが戻ってくる。曰く「寝ていいよって言ったら、あっという間に眠っちゃった」だそうだ。




 あんなに鳴いていた閑古鳥はどこへやら、今日も博物館には途切れることなく人が出入りしている。


 展示を入れ替えたことで「博物館が本気を出している!」と口コミが広がったのだろう、平日でも徐々に徐々に来館人数は増加しており、休日になるとその数倍がどっと押し寄せる。


 しかし、これでもまだ来館者は1週間で1000人にも届いていない。年間5万人を達成するには、まだまだ足りないのだ。


 だが人手は足りない。ボランティアの皆さんの協力があっても、彼らも無償で手助けしてくれている以上無理強いはできない。


 そしてお腹の空いてきた昼前になると、決まってこんな質問をされる。


「姉ちゃん、この辺に昼飯の食える店あるかいな?」


 車で来たのだろう、色眼鏡をかけたワイルドな感じの60過ぎくらいのおじさんが、ひとり受付に立っていた私に尋ねてきたのだった。


 この博物館は市街地からやや離れた山の斜面に建てられており、裏は山林に囲まれている。またそれまでの道のりも広大な田んぼと畑に囲まれており、朝出勤する時には必ずトラクターとすれ違うような場所だ。少なくとも徒歩圏に、これといったお店は無い。


「坂道を下って1キロほどまっすぐ進んだら、美味しいうどん屋さんがありますよ」


「おおきにな」


 ニッコリ笑顔を作って答えると、おじさんは機嫌良さそう自動ドアをくぐって出て行った。関西から来たのかな?


「昼ご飯、かあ」


 そしてすぐさま私は普段の顔に戻る。こんなこと考えては余計にお腹が空くというのに、私はちらっとロビーの隅に目を向けた。


 まだまだ奥が続いているのだろう薄暗い廊下。だがそこには間仕切りのボードが置かれ、関係者以外立ち入り禁止となっていた。


 開館当初、ここには食堂があったらしい。らしい、と言うのは私の物心ついた頃には今のように立ち入り禁止になっていたからだ。委託していた業者は博物館の人の入りの少なさに痺れを切らし、2階を閉鎖するよりも先にさっさと撤退してしまったらしい。


 コンビニも無いので、職員は毎日お弁当を準備しなくてはならない。あそこに食堂があったら、お客にとっても職員にとってもすごく便利なのになぁ。


 その時、入り口の自動ドアが開き、私は慌てて目をそちらに向け直した。


 入ってきたのは若い男女の二人組だった。遠くから観光にでも来たのだろうか、ふたりとも動きやすそうなジーンズを履いている。街歩きというよりはハイキングに行くような格好だ。


「ここが先輩の言ってた博物館か」


「早く見に行こうよ、文箱がおススメらしいよ」


 楽しそうに話す男女を見て、私は思わず頬が緩む。そんな顔を見せたのを気付かれたか、ふたりはまっすぐ私に尋ねてきたのだった。


「すみません、学芸員の松岡さんはいらっしゃいますか?」


「松岡?」


 松岡? そんな名前の人って……。


「あ、シュウヤさんのこと!」


 思わず開いてしまった口を慌てて塞ぐ。


 そういえばシュウヤさんの苗字をすっかり失念していた。というのも職員もボランティアもみんながみんなシュウヤシュウヤと下の名前で呼んでいる上に、シュウヤさん自身苗字を名乗るシーンは見たことが無い。


 スタッフの名簿や名札に書かれているくらいで、苗字と本人がリンクするのに時間がかかってしまった。


 しかし松岡って、よくあるけどどうも引っかかる苗字だな。最近どこかで聞いたことがあるような……。


「シュウヤさん――松岡は出払っております」


「あら、仕方ないですね」


 取り繕った嘘にすぐ諦めてくれるふたり。そりゃ会議室でグースカ寝てます、なんて言えないわな。


 だがシュウヤさんのことを知っている人が訪ねてくるなんて滅多に無い機会だ。好奇心に負けた私は、「先輩と言うことは、皆さんは東京の大学から?」と尋ねてしまった。


「はい、同じゼミの学生です。先輩が地元で学芸員になったと聞いて、どんな場所か気になって見に来たんです」


 聞けば彼らはシュウヤさんの通う上明大学大学院の歴史学研究科の学生らしい。上明大といえば国内の私立大学でもトップクラスのエリート集団だ。そういえば古代エジプト史を研究していて、よくテレビに出演する教授もここの先生だったかな?


「学芸員なんて非正規でもなかなかなれないのに、先輩凄すぎですよ」


 後輩は見るからに感激していた。学芸員というのは募集人員に対して応募が非常に多く、なかなかなれるものではないらしい。高学歴ワーキングプアが増えている一因に、アカデミックな職業の募集が非常に少ないことも挙げられている。


「シュウヤさんって学校ではどんな学生なのですか?」


「ええ、もう歴史オタクの中の歴史オタクって感じで。知識量に圧倒されて、うんちくに呆れています」


 おもしろおかしく話す後輩学生に、私もつい吹き出してしまった。やっぱ根っからの研究者気質なんだな。


「特にここは先輩にとって、とても大切な場所と聞いていますから」


「ええ、家族から反対されても歴史学の道に進めたのは、この博物館のおかげだったって」


 感慨深げに、後輩はしみじみと話す。一方の私は「え?」と固まってしまった。


 家族の反対? 何のことだ?


「どういうことですか?」


「ご存知ないですか? 先輩の家、昔色々と大変だったみたいで――」


「ちょっと!」


 そのまま話しそうになっていた男子学生の小脇を、女子学生がつつく・


 男子学生ははっと我に返ると、これ以上話すのは良くないと思ったのか慌てて話を打ち切った。


「そ、そうですね。じゃあ、ありがとうございました!」


 そしてふたりは早足で展示室に向かう。


 思わぬところでシュウヤさんの過去に触れたが、どうも私は悶々としていた。


 そういえばシュウヤさんの家族のこと、何も知らなかったな。実家が本屋さんてことくらいしか知らない。


 他人の事情を詮索するのはお行儀が良いとは言えないけれども……気になり過ぎて仕事どころではなくなってしまいそうだ。




 帰り道、自転車を漕いでいた私は少し遠回りをしていた。


 錆びついたシャッターも目立つ商店街には、今でも肉屋や八百屋など昔ながらの個人商店が威勢よくお客を呼び込んでいる。そんな昔の面影を今に残す町並みの一角に佇む、シュウヤさんの実家の書店だ。


 以前来た時は夜も遅かったのでわからなかったが、今日はまだ看板に照明が灯っている。


 まつおか書店。これが商店主の苗字なのだとしたら、たしかにシュウヤさんの苗字は松岡のようだ。


 漫画雑誌や話題のベストセラー、大手出版社の文庫本を取りそろえた、なんの変哲の無い街の本屋さんだ。この家でシュウヤさんは、どのようにして育ったのだろう?


「あ!」


 そして大変なことに気付いた私は、驚きに固まってしまった。


 店のガラス戸に貼られた一枚のポスター。そこにでかでかと描かれていたのは、見覚えのある初老の男性の顔。


『松岡才蔵市長講演会 いま、船出市に必要な産業を』


 博物館閉鎖を訴えた張本人、船出市長の松岡才蔵だ。


 そう言えば市長の苗字も松岡だ!


 どうして今まで気づかなかったのだろう。珍しい苗字でもないが、この狭い町でおまけに店先にポスターまで貼ってあるとしたら、親族と考えて概ね正解だろう。


 ふと思い出されるのは、市長と直接対面した時のシュウヤさんの、あの威嚇するような顔。博物館閉鎖反対という意図以上に、あの裏には何か複雑な思いが込められていたのかもしれない。

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