『ストウレン・ハーツ・オブ・ピープル〜前編〜』

【ハート・オブ・ケイスケ】


 待合室に設置されたテレビ画面に、成人男性が警察に連行されていく姿が映っている。ニュース・テロップに『5000万円のダイヤ 窃盗未遂容疑で男を逮捕』と表示されていた。続けて、事件の瞬間を捕らえた監視カメラの映像が流れる。

 昼間の某宝飾品店の店内に、特に変装などしていない一般的な身なりの男性が入ってくる。店内を一通り回った後、男は大きなガラスケースの前で立ち止まる。カバンからハンマーか何かを取り出し、思い切り振り上げると、そのまま一気に振り下ろした。ガラスが割れて警報が鳴り、周囲がパニック状態になって騒ぎ出す様子が映っている。そんな中、男は冷静にダイヤモンドを掴み取ると、店の出入り口へ向かって走って行った。あまりに大胆な犯行だった。画質は良くなかったが、映像には犯人の顔が写っていた。

 それを見て、僕は思わず「リョウヤ」と小さな声で溢していた。あまりにも予想外の事に驚きを隠せなかった。

 人違いだろうと思ったが、画面にしっかりと容疑者の名前と年齢が表示された。見間違いではなかった。

 テレビでは、コメンテーターが呆れ顔で「逃げられる訳ないのに、どうしてこんな事をしたんでしょうねぇ。衝動的な犯行だったんでしょうか」と話していた。

 確かに、そうだ。宝飾品店で5000万円もするダイヤを盗もうとするなんて、怪盗ではあるまいし、セキュリティの高い今の時代に成し遂げられる訳がない。

 僕は喫いかけのタバコの事をすっかり忘れて、テレビの画面に釘付けになっていた。父親からの着信がなければ、そのままずっと自分を見失ってしまっていたかもしれない。ズボンのポケットに入れていたスマホが振動している。タバコを一旦灰皿に乗せ、スマホを取り出し電話に応じた。

「ニュースを見たか」

 父親の声だった。スマホの画面を見ると親父の名前が表示されている。

「ああ、今見たよ」

「逮捕された男って、お前の同級生じゃなかったか」父親の声はやや緊張を含んでいる。

「そうだよ」僕は出来る限り平静を装って答えた。

「大丈夫なのか」

「何が?」

「だから、警察の目がユキに行かないか、だよ」

 僕はゆっくりと息を吸った。「前に話した通り、ケイスケは僕の同級生で、ユキの恋人だった奴だよ。でも、ニュースを見る限り、ケイスケが今回起こした事件は窃盗未遂だ。すでに逮捕もされている。警察の捜査が恋人の方に行く事は無いんじゃないかな」

 僕はたった今押し寄せてきた情報を、冷静にそう分析した。幼い頃から筋道立てて考えるのは得意だった。しかし、この予想には希望的観測が含まれている。そもそも、ニュースの情報ではケイスケが何故ダイヤモンドを盗もうとしたのか、その目的や動機が分からない。金目当てではなさそうだというのは分かる。金銭が目的であれば、もっと上手いやり方を考えたはずだ。あんな、捕まる事を承知でやるような犯行をやる訳がない。彼は一体何の目的をもって事件を起こしたのか。あるいはコメンテーターの言うように、衝動的な犯行だったのだろうか。

「ユキと近い人物にはよく注意しておけよ」と親父は言った。

「分かってる」僕は答える。「そうだ、さっきの話だけど」

「お前の彼女の事か」

「どうして彼女が石を持っていたのか、なんだけど」

 電話の向こうで親父の唸り声がする。「分からないな。もしかすると、どこかで石が流出してしまった可能性がある」

 流出? そんな事があり得るのだろうか。極秘で行われているこの研究に、僕と親父以外で携わっている者はいない。そうだとすると、一体どこで石が流出する可能性があるというのだろう。

「とにかく」と親父が言う。「まずはそのカナミというお嬢さんの記憶を取り戻す事だ。その記憶の中にヒントがあるはずだ。あまり時間は掛けられない、いいな」

「分かった」

 そう言うと電話は切れた。

 喫いかけのタバコを二度程吸い、灰皿へと捨てると、そこから紫煙が立ち昇っていく。僕はその煙をしばらくぼんやりと見つめた後、カナミの病室へと向かった。



【ハート・オブ・ユキ】


 思えば、私の軽はずみな言動がこんな事態を招いてしまったのだ。

 あの時、ああしていれば、ああしなければという後悔は、人生において何度か訪れるものだけれど、これ程までに悔やむ事になる出来事は二度とないだろうと思う。

 私は自らの手足を縛る拘束具を見た。少し動かしてみるが、頑丈に固定されていて身動きが取れない。

 辺りを見回す。研究室らしい白く殺風景な四角い部屋の真ん中に、手術台のようなベッドが置かれていて、私はその上に拘束されていた。

 これから何が起こるのだろう。

 考えたくはないが、嫌な予感は次々に脳裏に浮かび上がってくる。

 もう一度あの日に戻れたら、と私は思う。あの男、ケイスケという名の男に近付いたりせず、話をする事もなく、きっと今もリョウヤと仲良く過ごす事が出来たのに。



【ハート・オブ・ケイスケ】


 病室に戻った僕は、しばらく茫然と立ち尽くしてしまった。目の前の光景が信じられず、一度廊下へと出て表札を確認する。間違いない。ここはカナミの病室だ。

 ベットにカナミの姿は無かった。点滴のチューブは外され、布団は乱れた状態となっている。検査などで別室へ移動した様には見えない。

 慌てて洋服ダンスを開けてみると、思った通り彼女の服は無くなっていて、さっきまで着ていたパジャマが乱暴に放り込まれていた。

――逃げられた?

 カバンや財布も無くなっている所を見ると、彼女が病院の外へ出て行った可能性が高い。いつ? という疑問が浮かぶ。いつ、彼女は勘付いてしまったのだろう。

 そこで、さっき病室で親父からの電話に出てしまっていた事に気付く。まさかあの電話での受け答えを聞いて、僕らの企んでいる事に気付いてしまったのだろうか。カナミは目を覚ましたばかりだし記憶を失っているようだったから、室内で電話に出てしまっていた。

 僕は病室での父親との電話のやりとりを思い出す。

「ユキの件は計画通りになっているのか」

「ああ、そうだよ。父さんの言う通りにした」

 僕はそう答えた。

「そうか。今、彼女はどうしているんだ?」

「彼女は、研究室に閉じ込めてある」

 別荘の研究室の様子が脳裏に浮かぶ。四肢をしっかりと研究台に縛りつけられた彼女は、決して自力ではあの場所から逃げられないだろう。

「そうか、計画通りだな。拘束している事は誰にもバレていないだろうな。自ら姿を消した形になっているな」

「ああ、そうだよ。部屋は片付けてあるし、大丈夫だと思う」

 ケイスケとの関係を引き離すのには苦労したが、結果的には何とか彼女を騙す事が出来て、彼女から別れを切り出しているはずだ。多少強引ではあったけれど、彼女は何らかの事情があって、突然別の地へと姿を消した様になっている。部屋は綺麗に片付け、賃貸借契約も解除してある。

「問題ないな。ところで、意識を失っている彼女の方はどうなっているんだ?」

「こっちの方は、まだこれからだよ。彼女もヘンゼルを持っていた」

「彼女もヘンゼルを? その彼女には石を渡していないはずだろ」

 僕はしばらく沈黙した。考えられる可能性を頭の中に思い浮べようとしたが、カナミが何故石を持っていたのかは謎だった。ユキには確かにヘンゼルの石を渡したが、それは一つだけで、すでにそれは彼女の体内にあるはずだった。

「こっちも確認してみるが、とりあえず、また時間が出来たら連絡をくれ」

「分かった、また連絡する」

 そこで電話は終わった。

 その後、カナミに例の石を見せ、何か思い出せないかを聞いたが、彼女は何も思い出せないように見えた。特別、不自然な仕草も無かった様に見えたが、もし彼女があの時点で何かに気付いていたとしたら、あえて僕には何も言わなかった可能性がある。そうだとすると、彼女に石を渡してしまったのは間違いだったかもしれない。

 もしも、と僕は考える。もしも彼女が記憶を取り戻していたのだとしたら、石に関して何らかの重要な事実を知ってしまったのだとしたら。

 怒りと危機感とがないまぜとなって、腹の底から燃え上がってくるようだった。僕は舌打ちをしてベッドを思い切り蹴飛ばした。

――大変な事になるかもしれない。早く彼女を捕まえなければ。



【ハート・オブ・カナミ】


 明けない夜はないと分かっていても、世界に次の朝が訪れる事を私はまだ信じられなかった。いっそのこと、ずっと夜が続いてくれたらいいのにと思う。静かなアコースティック・ギターの演奏と共に星空にエンドロールを流して欲しい。例えそれがハッピー・エンドでなかったとしても。

 言うまでもないが、そんな願望は時間の経過により幻想となる。

 目を覚ました私は、目を覚ます前の私と本当に同じ人物なのだろうか。瞼を擦り、重い腰を上げて立ち上がる。辺りを見回し、ここがビジネスホテルの一室だと認識する。今日の私は、今日初めてこの世界に生まれてきた人間であるかのような心地だった。

 洗面所に行き、冷たい水で顔を何度も洗い、備え付けの歯ブラシで歯を磨く。そうして、じっくりと鏡に映る自分の顔を点検する。

「大丈夫、落ち着きなさい。カナミはもうこの世界に存在しない。今日から私は新たな人生を送るの」

 鏡の中の自分に言い聞かせる様に、そう声に出した。決意表明の様なものだった。これまで住んできた地を離れ、職場を捨て、人間関係を一新していく。私はそうやって生きていく事を選んだのだ。選択した以上はここから先もしっかりとやっていかなければならない。私の人生にまだエンドロールは流れていないのだから。



【ハート・オブ・ケイスケ】


 カナミが病室から姿を消した。

 心当たりのある所をいくつか当たってみたが、彼女の姿を見つける事は出来なかった。

 ただ一つ気になったのは、アルバイト先のハンバーガー・ショップに電話した時の事だ。カナミに急ぎで伝えたい事があるのだが、彼女はそこに居ないかと聞くと、電話に出た店員は「カナミさんなら、少し前にお店に来ましたよ」と答えたのだ。

「何をしに来たんですか?」と聞くと、「店長に会いに来たみたいですけど、ちょうどその時店長は外出していて居なかったんです。それで、私に伝言を頼まれたんですが」と言うと、そこで少し言い淀んだ。

「どんな伝言ですか?」

「急な引っ越しをする事になったので、正社員にはなれないって伝えて欲しいって言われました。ケイスケさんって、カナミさんの彼氏さんですよね。彼女から何か聞いていませんか。何か、カナミさん、すごく思い詰めている様子だったので」

「そうだったんですか。実は、僕も彼女と連絡が取れなくなってしまって、心配してる所なんです。あの、もしまたカナミがお店に来たり電話をしてきたりしたら、僕に連絡をくれませんか」

 わかりました、と返答があって電話は終わった。

 恐らく、カナミはどこか遠くへ行き、身を隠そうとしているのだろうと思われた。引っ越しと偽ってアルバイト先にしっかりと辞める連絡をするあたりは彼女らしかった。しかし行き先は伝えていなかったらしく、結局の所、彼女がどこへ行ったのかは分からないままだった。

 親父にこの状況を報告すべきか悩んだ。いや、すぐにすべきなんだろう。しかし、報告をすれば親父は間違いなく癇癪を起こし、計画が狂ってしまった事について僕の失態を責めるはずだ。

 僕は首を横に振る。報告は、まだだ。早くカナミを捕らえて辻褄を合わせればいい。僕らの計画はまだ破綻していない。

 ちょうどその時、スマホが振動して電話の着信を知らせた。見ると、父親からだった。そのタイミングに僕はどきりとして胸中が騒ついた。

「もしもし」

 極力落ち着いて電話に出る。

 少し間があって、「ケイスケ。今、電話良いか」と親父の不自然に震える声がした。予想に反して、親父の方が何かに動揺しているような話し方だった。

「どうしたんだよ」と僕が聞くと、「幽霊を見たんだ」と親父が言った。

「えっ」

 僕は思わず声を漏らす。

」と彼は暗号の様に同じ言葉を繰り返した。「ベランダの向こうに、居るはずのない女が立っていて」

「ちょっと待ってくれよ」

 どういう事か把握出来ず、僕は狼狽えた。親父は幽霊や都市伝説の類いを全く信用しない人間だった。そんな彼が幽霊を見たなんて本気で言っているとは思えなかった。

「嘘じゃないんだ。本当に見たんだ。俺の目は間違っていない」



【ハート・オブ・ユキ】


 ケイスケという男が最初に私の前に現れたのは、三ヶ月ほど前だった。

「あっ、ユキさんですよね」

 最寄り駅の改札付近ですれ違った男性に声を掛けられる。見覚えのある顔だとは思ったものの、すぐには誰か分からなかった。

 一方、相手の方はすぐに私に気付いた様子で、どこか親しげな笑顔を見せている。

「この間、レストランで一緒だったの、覚えてませんか?  二週間くらい前に」

 そう言われて振り返ると、ふと、以前リョウヤとレストランでディナーをしていた時の事を思い出した。あの時、リョウヤの大学の同級生が偶然同じレストランに入ってきたのだ。私たちが食事をしている最中、「久しぶり」とリョウヤに声をかけて来た男性がいた。

 あの時の男性か、と私は思った。しかし、かすかに残る記憶を辿ったが朧げな男性像が浮かんでくるだけで、それが目の前の男性と一緒の人物だったか確信は持てなかった。

「リョウヤとお付き合いされている方ですよね?」

「ええ、まあ。あなたはリョウヤの同級生の」と私が言うと、「ケイスケって言います。そう、リョウヤとは同じ大学に通っていました。卒業して彼は就職し、僕はそのまま大学院に進んでいますけどね」と彼は言う。

「そうだったんですか。でも、よく私の事わかりましたね。会ったのなんてほんの僅かな時間なのに」

「そりゃあ、大学院で生物学の研究をしてますからね。生き物の判別は得意ですよ」

 と、冗談を言って彼は笑った。

「いや、嘘ですよ。あなたがお綺麗でしたので、印象に残っていたんです。それはそうとして、ちょっとお願いがあるんですが」

 そう言うと、唐突に両手を合わせて懇願する仕草をした。

 いきなり殆ど見ず知らずの男性に何かをお願いされると、いくらリョウヤの同級生とはいえ私は警戒心を抱いてしまう。

 それが伝わったのか、彼は手を振って誤解を解こうとする。

「いやいや、お願いとは言っても、無理を言うつもりはありません。あなたにこれを受け取ってもらいたいだけなんです」

 彼はそう言うと、持っていたカバンから手のひらサイズの正方形の箱を取り出して私に見せた。白く何も書かれていない箱は、一見して何が入っているのか予測できなかった。

「何ですか、これ」

 私が訝しげにそう問うと、

「美しい石が入っています」

 と彼は言った。

 美しい石? 何の事だろうと思ったけれど、差し出された箱を一応受け取ってみた。中を開けてみると、見たことも無いような綺麗な石が一つ入っていた。まるで世界の光と色とをすべて吸い込んでいるかのような、不思議な色彩をした石だった。

「どういう事ですか」

「実は僕、石について研究しているんです。その石は特別な石です。普通の石とはちょっと違います」

「何が違うんですか?」

 私は彼の話の大枠を全く掴めないでいた。訳が分からず、質問してもまた次の疑問が浮かんでくる。その繰り返しだった。

「それは、持ってみてのお楽しみです。あなたには特別に一つ差し上げます。あっ、でもリョウヤには絶対に何も言わないでください。特別な物なので」

 私は何だか怪しくてその石を返そうとしたけれど、彼はそれを拒んで受け取ろうとしなかった。まだよく知らない方から物を頂くのは申し訳ないと言うと、それじゃあ、せめて一週間持ってみてくださいと彼は言った。

「気に入らなければ、お返し頂いて結構です。一週間後、例のレストランで会いませんか。僕の研究についてお話ししたい事があるんです。面白いお話ですよ。きっと興味を持ってもらえる筈です。もちろん、食事はご馳走しますから」

 一週間持ってみてください、という提案は奇妙だとは思ったものの、結局、私は断りきれずにその箱を受け取ってしまった。リョウヤの同級生という事で多少信用していた事もあったし、一週間後になったら返せば良い、そんな軽い気持ちもあった。しかし、今思えばあの時しっかりと断っておくべきだった。あの石を家に持ち帰るべきではなかったのだ。私の後悔はそこから始まったのだった。

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