17.炎上上等! ステマ戦略 in 吉原

 江戸で朝を迎えたのは初めてだった。

 旅行先で早く目が覚めるのと同じで、明け方付近で目を覚ました。

 

「こういうのを#黎明__れいめい__#というのかねぇ……」


 源内宅の濡れ縁に出て呟く俺。

 頭の上の濃藍の空にまだ星がチラチラ見える。

 東の方の空が少し明るくなっているかという感じ。


 現地時間では「明け六つ」くらいか。

 ちょっと前に鐘が鳴った。確か、上野寛永寺の鐘が起点となって次々に鐘がなるらしいのだが。


「五時前かよ……」


 ガラゲーの時計を確認する俺。一日の時間はリンクしているのだろう。いかにも、もっともらしい時間だ。


 薄っすら明るくなっていく江戸の街は、なんというか緑が多い。

 一八世紀では世界最大級の都市なのだが、流れる朝の空気はまるで森の中のようだった。

 俺はその空気を想いきり吸いこんで伸びをした。


「よく寝られたかい?」


 後から声。当然のことながら、この家の主である平賀源内だ。

 彼は妻帯しておらず、使用人やらと暮らしているようだった。


 男色家という説が現代にも残っているが、俺が襲われることはなかった。

 まあ、相手にも選ぶ権利があるだろうし。


「ワタル殿の格好は、あれだな。ちと、違ってるよな」


 不意に源内が言った。

 今、俺が着ているのは「作務衣」だ。

 江戸時代で活動するには、一番違和感ないかと思ったからだ。

 これダメなのか?


「二三〇年後の先では、もっと素っ頓狂な格好してたじゃねぇか。アレは着ないのかい?」


 意味が違っていた。源内は「二三〇年後の日本」と比べ変わっていると言ったのだった。

 

 平賀源内は、ノートパソコンを勝手にいじくり、なぜか動画を起動。

 現代の日本というか東京の様子を映した動画だった。

 

「あんなの着てたら目立つでしょう」

「まあ、そうだがよ。あれはあれで面白れぇけどな」


 濡れ縁で俺の隣に立った平賀源内。

 この時代の人間とすれば、かなりの長身だろう。

 さほど俺と背が変わらない。


「なあ、ワタル殿」

「なんですか?」

「あっちにオレを連れていってもらうってこたぁ出来るのかい?」


 不意に平賀源内が訊いてきた。

「あっち」とは俺の住む時代、二一世紀の日本のことだ。

 だが、それは無理だ。


「源内さん、それは無理だ。悪いけど、行けるのは俺と田沼意次殿だけだ」

「そうかい。ま、しゃぁねぇか」


 やけにあっさりと平賀源内は納得した。


 大元帥明王からもらった「時渡りのスキル」では、連れて行けるのは田沼意次だけになっている。

 ただ、彼も政務が忙しいようで、今は行く暇がない。


 七年後の失脚回避。三年後の飢饉対策。

 幕閣内部の敵味方の洗い出しとその対策もしているのだろう。 


 確かに、ゆっくりしている時間が無いのは確かだった。


「で、今日は#蔦屋重三郎__つたやじゅうざぶろう__#さんのところに?」

「おうよ、そうさなぁ―― 『らいたぁ』と『時計』を五〇個ほど持って行くかぁ」


 五〇個というと、丁度ひと箱だった。

 リヤカーで持って行くほどの数ではない。


「どうするんです? 持って行って」

 

 俺の問いに平賀源内は「ニィィ」と笑った。

 なんだかこう「未来人でも分からないのかい?」と言っている感じがした。

 しかし、未来人とはいっても江戸のことなどほぼ分からない。


「ま、行けば分かるさ。未来の物を売るにゃ、多分一番手っ取り早いぜ」


「まあ、そうですか」


 俺としては平賀源内の言うことに従うしかない。

 ボテ振り(日銭稼ぎの行商人)になって「一〇〇円ライター」と「腕時計」を売るわけにはいかんだろう。


 大店の旦那のところを訪問販売?

 それも効率が悪すぎる。

 そもそも、いきなり行って相手してくれるかどうか分からない。


 しかし、これから会いに行くと言っている蔦屋重三郎についても大学受験生程度の知識。

 つーか、大学受験の「日本史」では蔦屋重三郎が思想弾圧の対象になったというレベルで覚えておけばいいくらいだ。

 つまり、俺の知識もその程度。史学科卒業と言っても専門じゃない。

 塾講師をやっていたが、高校受験ではまず出てこない人物だ。


 当時の江戸を代表する版元、つまり出版社の社長。

 でもって、色々な絵師をプロデュースしたこと。確か正体不明の写楽もそうだったか……

 で、エロ本――

 江戸時代でいうとこの「春画」の出版が原因で、手鎖、財産没収という罰を受けた。

 手鎖とは手錠を着けたままで、自宅謹慎という罰だ。

 

 俺の知っている知識はこんなもんだ。

 彼に関して言えばノーマーク。ほぼ調べてない。


 京子と話したときも、田沼周辺の派閥やら幕府内の人間関係中心だった。

 もうそれだけで、頭パンパン。松平定信以外に、一橋やら水野やら……

 まあ、一応概略は頭に入ったが。

 ただ、本当に後世の史料による評価が、正しいのかどうかはわからん部分もある。


「ま、飯食ったら行こうじゃないか。ゆっくり江戸見物も兼ねてよ。な、ワタル殿」


 俺は頷く。今は、平賀源内の言うがままで行くしかないのだ。


        ◇◇◇◇◇◇


 陽が高くなり、俺と源内は出かける。

 風呂敷に包んだ「一〇〇円ライター」と「腕時計」を持ってだ。


 ふわりと風が吹く。

 現代のようにヌルッとした感じはない。

 夏にしては、妙に涼しいような気がした。


 旧暦の六月は現代ならば夏真っ盛りだ。

  

(現代が暑すぎるのか?)


 江戸の町は確かに、大都会だろうと思わせるだけの人がいる。

 しかし、街全体の緑の量が多い。盛んに蝉が鳴いている。


 寺社、武家屋敷などは木が多いし、そのせいで風が涼しいのかもしれんと俺は思った。

 光合成は熱を奪うのだ。


「蔦屋さんって、どこに――」

「吉原の大門」

「吉原…… ってあの」

「なにが『あの』だか知らねぇが、二三〇年後もあるのかい? 吉原は」

「あるといえば、まあ…… ありますね」

「ほう――」


 源内は「そうかい」と感心したような声を上げた。


「二三〇年後はどうなんだい? 吉原は――」

「ん~ん、まあ、行ったことないんですけどね。遊郭であることは変わらないですね」

「へぇ、時代が変わっても『吉原』は遊郭かい。しぶといねェ」


 江戸時代における「吉原」は幕府公認の「遊郭」だ。

 それ以外にも宿場町には多くの「私娼街」があり、巨大売春都市だったはずだ。

 これも独身の男が異常に多いという江戸の特異性のためだ。


 参勤交代により、全国の藩が江戸に屋敷を持ち、当然そこに勤務する武士もいるわけだ。

 また、旗本なんかの長男以外の男は部屋住みで、長男が何かあったときのスペア扱い。

 ほぼ、引きこもりニートのような存在。それも強制的にさせられるわけだ。


 そういった、独身男も男の本能を持っている。

 で、そういったモノを解消する場所というのは、必要だったということだ。

 時代が変わろうが、場所が変わろうが、男が多くなればそうなるだろう。


「あすこだぜぇ、蔦屋の見世(みせ)だ」


「耕書堂……」


「おうよ。ここだぜ」

#__i_13e42c68__#

 江戸時代の本屋。

 間口は小さいが、本が棚にずらりと積み重なっている。

 現代と比べれば、本当に小さい町の本屋という感じだ。

 ただ、店先には人が多い。


 新刊本の看板だろうか――

 

「東都名所一覧か…… ガイドブックか」


 楷書文字が多いので普通に読める。

 崩し字も全く読めないというわけではないが、完ぺきではない。


「これが、江戸の本屋か……」

 

 俺は口の中で小さくつぶやいた。


 他にも、小説らしき題名の本やら実用書らしきものまで、色々あるようだった。

 こういった古書も、二一世紀に持って帰れば換金できるのではないかとふと思った。

 新刊同然の江戸時代の古書というのは、どうなのかという思いもあるが。


 しかし、一八世紀でここまでの出版文化のある国というのは、そうは無かろうとは思う。


「よう、#蔦重__つたじゅう__#はいるかい?」


「先生! お久しぶりじゃないですか!」


 店員(?)の男が声を上げた。

 平賀源内は、作家としても超一流だった。

 江戸随一の版元である蔦屋重三郎とも懇意なのだろう。

 まあ、その辺りは別に不思議はない。


「蔦重にとりついでくれねぇかい? 源内が儲け話をもって来たってよ――」


 平賀源内は自信たっぷりな様子でそう言った。


「は、はい」


 男は店の奥に入っていく。

 ほどなく、店の奥からやってきた男――

 彼が「蔦重」こと「蔦屋重三郎」だろう。


「よう、相変わらず繁盛してるじゃねぇか」


「源内先生も、お変わりなく。さ、さ、奥へおあがり下さい」


「おう」


 蔦屋重三郎がすっと俺に目を向けた。


「あ、このお方は?」


「ああ、長崎#帰__けぇ__#りのオレの仲間さ。えれぇ、蘭学者だぜ」


「ほぉぉ――」


 感心した声を上げる蔦重。

 確かに、俺はこの時代では「学者」という身分になることになっている。

 現代と江戸を行ったり来たりするのに、頭をチョンマゲにするのはさすがに面倒くさい。

 医者や学者は「総髪」が一般的だ。


 俺の今の髪型も、江戸時代の人から見てまあ、許容範囲の中だろうとは思う。

 実際に、蔦重も特に怪しむ感じはない。

  

 というか「この人、未来人」と思う方があり得ないのだ。

 変な髪型だなとは思うかもしれないが。


「土岐航と申します」


「蔦屋にござります」


 軽く挨拶をし、そして俺と平賀源内は中に招かれたのだった。

 江戸随一の出版社、社長である蔦屋重三郎。


 彼を巻き込んで、なにをする気なのか?


 俺は前を行く一八世紀のオーパーツのような男の背中を見てちと思ったのだった。


        ◇◇◇◇◇◇


「こ、これは…… なんと……」


「すげぇだろ? 簡単に火が付くぜ。消すのも簡単さぁ」


 源内は、一〇〇円ライターを取り出し、自分の煙管に火をつけたのだ。

 そして「ぷはぁ~」と煙を吐いた。


「あの…… それは――」


「いいぜ、いじってみな」


 ほいっと源内は、蔦重に一〇〇円ライターを渡した。

 彼は、火を付けたり、消したりして「うーん」を唸るのだった。


「いったいこれは?」


「長崎でよぉ、オランダ舶来の火付け器だ『らいたぁ』ってんだがな」

「らいたぁ…… とは―― 珍妙な名ですが、しかしこれは、凄い」


 蔦重は、感心して何度も火を付けたり消したりしている。


「でよ、そいつを吉原に配ってくんねぇか? 伝手はあるんだろ?」

「配る?」

「おうよ―― 吉原の遊女に、配るんだよ」


 そう言うと源内は風呂敷の中にあった、一〇〇円ライターひとケースを「トン」と蔦重の前に置いた。


「ま、五〇はある。それくらいでいいだろ?」


「御代は?」


「いらねぇよぉ。まずはよぉ、売れっ子の花魁に配ってくれ。その辺りはオメェさんが一等(いっとぉ)詳しいだろう?」


「まあ、確かに――」


 俺はこのやりとりを聞いて。分かったよ。

 源内のやろうとしている事。

 それがおぼろげに分かった。

 しかし――


「蔦重殿は、吉原に詳しいのですか」


 俺の言葉に「えッ」って感じで蔦重がこっちを見る。

 源内は「あ、説明忘れた」って感じでこっちを見る。


「学問一筋で、女遊びしねぇからなぁ。ワタル殿はよぉ」


 すかさずフォローをいれる平賀源内。


「まあ、私どもでは『吉原細見』を出せていただいておりますからな」


「よしわらさいけん?」


「いやぁ、蔦重さん。教えてやってくださいよ。この学者バカに――」


 馴れ馴れしく俺の肩をトントン叩いて源内が言った。

 俺が「当たり前のこと」を知らないのが凄く自然な感じになる。

 蔦重も「ああ、そういう人なのか」と納得した感じなる。


 役者の才能まで有りそうだよ。平賀源内。つーか詐欺師か?


「こちらにございます。これにございますよ」


 そう言って、脇に置いてあった本を取りだし俺に渡した。


#__i_46c68d66__#


「吉原細見――」


「私どもでは、吉原を訪れるお客のための、遊郭の詳細を書いた書(ふみ)を商っておりますゆえ」


 分かった。これ「風俗ガイドブック」だよ。

 そんなもんが江戸時代にあったのかよ……


「でまあ、売れっ子の遊女に撒いてよぉ、絵師いるだろ?」


「まあ、おりますが」


「そいつに描かせるんだよ。この『らいたぁ』を使っている遊女をよぉ」


「おおッ! なるほどぉぉ――」


 蔦屋が感心した声を上げる。

 俺も、この時点で、源内の描いていた絵図が分かった。


 ステルスマーケティングじゃねぇか……

 ステマだよ。ステマ……


「まッ「こりゃなんだ?」って話題になるだろうさ」


「であれば『吉原細見』に「らいたぁ」を紹介して――」

「ああ、それもありだな」


 ステマの次は、雑誌通販かよ。

 しかし、出来るだろ。

 この「吉原細見」に広告を載せれば確かに……


「ま、最初は、遊女に撒いてだ。でもって旦那衆の前でこれ見よがしに使ってもらえばいい」


「まあ、言われなくとも、このような物をもらえば、使うでしょうなぁ」


「欲しがる旦那衆でるわな」


「続出でしょうな――」


「で、絵師にも書かせる。吉原の花魁が持っているコイツはなんだ? ってことになるだろ?」


「なりますな、こんどは旦那衆だけではなく――」


「そうさ、女だ。女が欲しがるぜ」


 俺もおぼろげながら思い出す。

 吉原の遊女というのは、ただの「売春婦」ではない。

 江戸時代のファッションリーダーともいえる存在だ。

 ただ身体を売るだけの存在じゃない。


 だから、絵師も競って売れっ子の花魁の画を描いたのだ。


 役者画と花魁の画は現代でも多く残っている。


「ま、その後だな―― 「どうすれば手に入るのか?」「どうしても欲しい」これを散々煽ってからだよ」


「それで、この蔦重に『らいたぁ』を――」


「おうよ、商ってくれ。おめぇさんのとこでよぉ、卸してやるよぉ。一個一〇両でどうだい?」


「一〇両!!」


 源内さん。それボリすぎだって。

 元々は四文もしないよ。

 それを一〇両とか…… 江戸時代の物価的には一〇〇万円くらいだろ。

 現代に持ち帰って換金してもそれくらいになるんですけど――


「安い!! え? いいんですか! 一〇両で! 旦那衆相手なら、一〇〇両でも売れますよ! 金を使いたくてしょうがない奴らなんですから!」


 え?

 なに言ってんの。マジなの。

 蔦重さん。


「ああ、売値は、そっちで自由につけてくんな。いくらでも構わねェよ」


 後で知ることになるのだが、吉原の高級店で遊ぶ場合、一回一両二分。

 それで三回通わないと、床を一緒にできない。

 しかもそれ以外の付け届けとか、諸費用諸々もかかるのだ。

 中には一晩五〇〇両とかいうトンデモない遊女がいたらしい。


「でだ―― こんどは、これだ」


 そう言って源内は「腕時計」出した。

 そいつも一〇〇円ショップのだ。


 そして、蔦屋は歓喜の声を上げたのであった。


 吉原を発信源とした「ステルスマーケティング」の火の手が上がろうとしていた。

 炎上上等である。


■参考画像

国立国会図書館デジタルコレクション

画本東都遊 3巻(浅草庵 作[他])

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2533327


国立国会図書館デジタルコレクション

吉原細見五葉枩(蔦谷重三郎) 天明三年(1783年)

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2537563


平賀源内のファンアートです。

#__i_6a57a7fb__#

喜利彦山人さまよりいただきました!

https://twitter.com/kirikiri_jyukai

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