Bellum Jovis  ――木星戦記――

淡嶺雲

第1部

第1章

 ギボン氏に大英帝国衰亡史を書く素材を提供しよう。

    (アメリカ独立戦争に際して ベンジャミン・フランクリン)




 第一部


     可能ならば私は諸惑星をも併合したい。

                    (セシル・ローズ)


 第一章


 曹凜華ツァオ リンファは春朝・征和八年、キリスト紀元二二一七年、江蘇省の大貴族の長女として生まれた。彼女は才女の誉れ高く、幼い頃より戦略的思考に長けていた。幼年学校を出た後、士官学校を飛び級で卒業、禁軍に配属された後、その指揮能力の卓越さを評価され、准将の階級を以て新しく設立された春帝国第二宇宙艦隊の司令長官に就任する。これが一九歳の時のことである。

この人事は彼女の幼なじみでもあった筆頭国務大臣・第二皇子劉明道の推薦によるものであると伝えられている。当時保守的な階層からは反発もあった。確かに若くしての将軍職は東ローマのベリサリウス、ソ連邦のトハチェフスキー、そして中華の張学良など歴史を見れば前例が多く見つかるが、どの人物も平時に将軍職を得たものではなかった。様々な憶測がなされたが、それが声高なる政治的主張となることはなかった。皇帝の裁可した人事であったし、一六歳で挙兵しその二年後に即位した太祖劉寿を有する春王朝帝室の正統性に対する非難と取られる恐れもあったからである。

 彼女が司令官となった翌年の二月、春帝国と日本との間で上海条約が結ばれた。これは二〇年来の両国の同盟関係を再確認するものであり、両国の士官の交換留学の制度についての協定が含まれていた。この士官の一人が第二艦隊に配属されることが決まり、それが自らより一つ年上の大尉であることを知ると、曹准将は若いなあと思ったが、自ら自身の事を思うと、苦笑せざるを得なかった。

 征和二十七年十月十二日、士官の着任予定とされた日、彼女は艦隊旗艦・戦艦白虎の司令官室にいてその到着を待っていると、扉が開いて孫天祥艦長が入ってきた。士官を乗せた連絡艇が接舷したという知らせであった。



 宇宙を仕事の場にする人間にとっても、やはり重力は心地よいものである。日本国航空宇宙軍大尉榊光一郎は戦艦白虎の船内を移動しながら人工重力区画にさしかかり、重力が戻りはじめると、そう思うのであった。彼はシャトルから降りた後、まず手洗いを借り、快適な重力下での排尿の後、鏡に移った白い立襟の軍服を着た自分を見て、深呼吸した。

彼は廊下の突き当たりに当たる部屋まで案内されると、ここが長官室であると告げられた。緊張は、重力のおかげで少しは緩和されていた。襟を正すと、彼は扉をノックし、中に入る。

「失礼します」

 部屋は一般的な宇宙船内の個室よりも大きく、二〇畳ほどであると見えた。奥にデスクが置かれていて、その前に接客用と思われるテーブルとソファーが置かれている。四つあるソファーの一つには四十代から五十代とみられる軍人が座っていた。肩の階級章から大佐だと分かった。そして奥のデスクには長い黒髪を弁髪のように編んだ少女が、薄桃色の軍服を着て、後ろ向きに窓の方を向いて座っていた。

「榊光一郎大尉、着任いたしました」と敬礼する。デスクに座っていた少女はデスクの回転いすを回し青年の方に向き直ると、彼女はにこりと微笑し、返礼し、立ちあがった。その時彼女の全身が見えた。中山服をベースとした帝国軍女性将官の軍服を着て、ベレー帽を被っていた。彼女は微笑を浮かべながら、光一郎に着席を勧めた。 

光一郎は頭を下げると、大佐と向かいの席に着座した。彼の胸に何かしらの勲章の略綬があった。少女も、彼と差し向かうようにして、大佐の隣の席に腰を下ろした。

「初次見面、艦隊司令の曹凜華です」と笑顔のまま彼女は北京官話で話しながら、テーブル越しに手を伸ばして、彼と握手した。大佐の方も無言で手をのばした。「艦長の孫天祥」と曹准将が代わりに紹介する。「喉に戦傷があって、喋れないの」光一郎は頷くと手を伸ばして彼と握手した。

「まず、はるばる来てもらったお礼から言わなくちゃ」曹准将はうち解けたような口調で話した。光一郎が緊張していると思ったのだろう。「大尉が来るのをずっと楽しみにしていたよ。船旅はどうだった? くつろげた?」

「ええ、おかげさまで」と微笑を浮かべながら答える。

「同盟国とはいえ、他国の軍隊まで来るなんて。志願した理由とかはあるの?」

「いえ、派遣は志願したのではなくて、命令でした」

「命令?」おそらく何かの才能を買われ、それが将来的に両国の関係のためになるだろうと思って派遣されたのだろう、後で調べてみようか、と凛華は思った。「ふうん、じゃあ嫌だったりした?」と腕を組んで少しにやけながら聞いてみた。

「いえ、そんなことはありませんでした」と慌てたように即答。彼女はそれが少しおかしかったのか笑っていた。

 この後十分以上にわたり会話や質疑応答がなされた。彼が彼女の副官待遇の職を与えられることも告げられた。凛華は光一郎が緊張しないように打ち解けた様子で、しかし貴族の風格を保った口調で話し続けた。艦長は時々相づちがわりに頷いていた。

一通り話が終わると、凛華は立ち上がり、デスクに戻ろうとしたところで、何かを思いついたらしい。彼女は指を鳴らすと、光一郎の方を向いて言った。

「正規の予定には含まれてないんだけど、大尉の着任式をやりたいと思う」艦長の方を向いて「可能かな」と訪ねた。艦長は頷いた。(大丈夫かと)との意である。

「それじゃあ食堂で一八〇〇時からにしよう」と彼女はいうと手帳を取り出してメモをした。「一番食堂はこの船の乗員が全部入るぐらいの広さがあるから、何か式をやるときにも使うのよ。大尉、一八〇〇時に食堂までお願いね」

「わかりました」

「じゃあ待ってるよ」と笑顔で送り出してくれた。

 扉の外には先ほどと同じ士官が待っており、彼の荷物がすでに部屋に運び込まれたことが告げられ、その部屋へと彼は案内された。個室であり、彼は部屋の鍵を渡してもらうと、中に入り荷物をチェックした。そして時計をみて予定までまだ三時間ほどあることを確認すると、鞄から春軍や戦艦に関した書類を取り出して、目を通すことにした。館内放送で自分の着任式の件が流されていた。上官が思ったよりも優しそうであったことには、安堵感を覚えていた。


一七五五時頃、榊光一郎は言われていた通りに食堂へやってきた。この船の居住区画は遠心力を用いて重力を発生させており、食堂はそこにある。彼が食堂に入ろうとすると、先にガラス戸越しに気づいたらしい曹准将が入り口まで駆けてきた。彼の手を取ると、そのまま中へ引き連れて入った。乗組員は総勢三十名前後、それらが食卓に着席しており、壁の一面には両国の国旗が飾られていた。そのそばに電子ピアノが一台おかれてあった。

「みなさん、注目! 予告の通り大尉の着任式を始めます。非公式なので実質ただの食事会だけど。この人が日本から派遣されて今日付で本艦に着任した榊光一郎大尉。私の副官をすることになるから、皆もよろしくお願いね」

 そういうと彼女は光一郎の背中を押して前に出した。彼は「ご紹介に与りました榊光一郎と申します、皆さんよろしくお願いします」と言うと頭を下げた。拍手があった。彼はこの後スピーチを要求されるかと思ったが、それは違った。彼女は微笑しながら彼を席に着くように薦めた。

 彼が席に着くと左肩を叩かれ、その人物に話しかけられた。彼は名を伊世均(イ セギュン)といい、二六歳、砲術長を務め、釜山出身だという。光一郎は出身地や歳を聞かれた。ふと思い出して、艦長の勲章について訪ねてみた。

「ああ、あれだよ、十年前の、月軌道事変ってあったじゃん、あの時だよ」

 月軌道事変とは二二二六年、『月世界解放連盟(LFA)』と名乗る組織が月植民地ティコ市を二月に渡り占拠、更にジャックした月軌道連絡船をコペルニクス市に墜落させようとした事件である。その際連絡船に乗っていた民間人救出に功があったとして与えられたものであるという。こうして二人が話している間に、手元にあった杯にマオタイが注がれる。途端、凛華の声がした。

「では全員、起立! 乾杯です! 公式の場では『皇帝陛下のご健康を祈って』とするところだけれど、今日は文句を変えます。榊大尉の無事の到着を祝って、乾杯!」

「乾杯!」と三十名余りの声が唱和した。

 彼は杯の中身を一気に飲み干した。すると凛華はピアノに歩み寄り、その椅子に座った。

「ピアノは貴族のたしなみとばかり心得があるそうだ」伊少佐が言った。

 彼女がはじめに弾いたのは日本の国歌であり、続いて中国国歌が演奏された。全員起立したままであった。日本国歌演奏の際に歌うものがいなかったのは中国軍人にそれを歌えるものがおらず、独唱の気恥ずかしさに耐えられなかったためだった。それに対し中国国歌演奏の際には全員が歌っていた。長調を基調とする、優雅な歌だった。


  天地満光

  冬去春栄

  永受天佑

  仰讃皇徳


 演奏終了後、着席してよいと指示があり、座ると、食事が運ばれてきた。普段の夕食よりも豪華に作っているらしかった。食事を始めようとすると凛華が歩み寄ってきた。

「さっきさ、なんで君の国の国歌歌わなかったの?」

 理由を説明する「ひとりで歌うのは恥ずかしいですよ」

彼女は驚いて目を丸くした。「ひとりじゃ歌わない?」

「ええ、そうです」

「ふうん」と少し考え込む風である。「そんなの関係ないと思う。君は愛国者でしょ」

「もちろん」かぶりを縦に振る「そうでなければこんな仕事はしていないと思いますよ」

「我が国では誰もが愛国者だ」彼女は断言した。その瞬間、世均の動作が一瞬止まった。凛華はそれに気づかず、光一郎に向けて口元に笑みを浮かべ立ち去った。光一郎は気づいており、彼の方をちらりと見た。

「気にしないでくれ」は呟いた。「さあ、食べようじゃないか」

 誰かがスイッチを入れたのだろう、音楽が流れ始めた。流行のラブソングであった。

「恋人とか本国にいるのか?」世均が不意に尋ねた。先ほどの動作について触れられまいとする気持ちが働いたのかもしれなかった。

「今はいません」

「と言うと?」

「昔、相思の仲になった人はいましたが」

「軍に入る段になって別れたとか?」

「そういうわけではなくて」少しまごついて答える「軍に入ってからの仲だったので」

「へえ」と少し冷やかしたような笑みを浮かべて世均は言う。「これはまた意外な一面を。具体的にはどうだったんだ?」

 光一郎は沈黙した。世均は、あまり触れられたくなさそうな空気を相手が送っていることを察し、それ以上詮索しないことにした。「ま、嫌なら話さなくてもいいけど」

食事が終わると、食堂を辞し、二一〇〇時にシャワーを浴び、二三三〇時に床についた。


翌日、朝食後、研修が始まった。艦内の構造は一応は把握していたが、副長によってもう一度案内された。

青龍型戦艦の二番艦として建造された「白虎」は全長三百メートル。その全体像はいわゆる地球の〈戦艦〉とはほど遠く、「宇宙ステーションにエンジンを取り付けた」という形容が似合う。

前五十メートルを占める、艦首部が半球形をした円筒からなる〈艦橋部〉は、側面にレーザー砲と中性子砲、ミサイルの発射口を有し、その内部に司令室がある。艦橋部の後方にあるのが人工重力を有する〈居住区〉、そこから七十メートルほど細長い構造物が続き、巨大な四基の燃料タンク、そして船尾には二基の核融合エンジンが取り付けられている。燃料タンクとエンジンの結合部付近には上下一対の放熱板が張り出しており、核融合炉の余剰熱を宇宙へと排出していた。複雑なシステムによる艦の運用はほとんど自動化されており、乗組員は総勢三十名余りで足りていた。そのほぼすべてが士官であった。

機関室を含めた案内が終わると、次いで仕事についての説明があった。事務仕事が主なものであった。一応戦略科で教育を受けていたが、この平時ではその能力を役立てることはあまりなさそうに思えた。

コンピューターと向き合いながら乗組員の名簿に目を通していると、一一三〇時頃、彼に長官室まで来るよう連絡が入った。何かと思い出向いてみると、昼食を一緒にどうかということであった。もちろん快諾する。食事は長官室でとった。用意されたのはサンドウィッチとコーヒーであった。

「ところで、今後の予定だけど」サンドウィッチを頬張りながら凛華は言う「今日は大尉にはこのまま研修を受けてもらうけど、明後日に艦隊は月へ向かうことになるから」

「はい」

 パンを咀嚼すると、彼女はコーヒーを一口啜る。一息あって言った。

「それまでに私のそばで働けるようにしといて頂戴」

「分かりました」と言い彼もコーヒーを口に運んだ。すると彼女はトレイの上を指さし

「ところで、コーヒーに砂糖は入れないの?」と尋ねる。

「ええ、ブラックで飲むのが好きなんです。紅茶もストレートで飲みます」

「へえ」と彼女は自分のコーヒーカップの茶色をした液体を一瞥してまた尋ねた「それじゃあどこか性格にも一途な所はあるのかな」

「いえ、それはどうでしょうかね」と少しはにかみながら答えた。

「少なくとも軍人である以上は祖国には一途なんじゃないの?」彼女はいつもの微笑を浮かべている。

「それは間違いありません」

「自らの使命感に対しても?」

「たぶんそうでしょう」

「私に対しては?」

「はい?」一瞬当惑した顔を示す。

「上官に対してはどうか、と言う意味よ」

「それは…一途であらねばならないでしょう」

「ごめん、ちょっと妙なこと聞いちゃったかもね」

 彼女はフッと笑って時計に目をやった

「もうそろそろ時間かな」と言って立ち上がった「午後の研修もがんばってね」

 光一郎は立ち上がり、「失礼しました」と言って敬礼をし、退室した。そのまま彼は先ほどまでいた電算室に戻った。しかし午後の研修の間も、彼女の最後の質問が気がかりであった。


 


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