第14話 keep yourself alive②

 冬の空はかすれているような薄い色をしている。彼女と店の外に出ると、まっさきに風が吹いてきた。乾いた風だ。春はまだ遠い。それでもその風から僕は息吹きのようなものを感じた。それはつまり萌芽する直前の土のにおいだ。鼓動だ。今か今かとその時をうかがっている。

 においは五感の中でも記憶を掘り起こすトリガーになりやすい。そういえば、と僕は思い出す。地元にいたときはこんなにおいがあちこちからしていたような気がする。本当に? 気のせいかもしれなかった。

 思えば――思えばずいぶん、遠くまで来た。下を見ればアスファルト、顔を上げればビルが林立している。昔見ていた景色とはまるで違う。でもどうだ、このにおいは。

「流れに逆らって留まってみたけど、そしてそれは私にとって必要なことだったけど、今はまた身を任せてもいいと思っているの」

 へたくそのダンスで散々彼女に笑われたあと、ギターを教えてと言ってきた。僕がいくつかのコードとフレーズを教えると、彼女はその細く長い指で丁寧に音を鳴らした。お礼にと、僕はいくつかのステップを教えてもらった。披露する機会があるのだろうか。

 彼女はガラス窓に手をつけ、ディスプレイのサックスを見ていた。しばらくそうしていたのち、「ねえ、これ、買ってもいいかしら」と言った。それは独り言のように聞こえて、けれどどこか決意を感じられる言い方だった。

「ええ、もちろん」

 会計を済ませて、彼女にサックスを渡した。彼女はケースにはいったそれをとても大切そうに抱えた。

「どうしてそれを?」僕が尋ねても、彼女は微笑むばかりだった。

 僕たちは並んで歩いた。行き先は決めていなかったけど足並みはそろっていた。

 僕は楽器をやるべきなのだろうか。わからない。そんなこと、もうとっくに考えるのをやめていた。でも、考えてみてもいいのかもしれない。

 色んな通りを気の向くまま歩いた。一方通行の細い道に出くわしたとき、彼女はここでいいわと言った。

「僕たちはまた会えるんでしょうか」

「さてね、でも私は明日もどこかにいるしあなたもどこかにいる。それで十分だと思わない?」

 サックスありがとう、大事にするわねと僕の頬に軽い口づけをして、彼女は去っていった。こつこつと靴の音を立て、やがて道を右に曲がった。音も聞こえなくなった。

 風が吹いている。彼女はサックスをやるだろうか。僕は来た道を戻り始めた。

 わからないことがあまりにも多すぎる。スペイン語で書かれた本を広げているような気分だ。

 口笛を吹く。がさついた唇でうまくふけない。構わず吹いた。それは僕が以前バンドでつくったときの曲だった。

 なるほどなと思った。

 風が吹いていた。

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anyway the wind blows 進藤翼 @shin-D-ou

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