巫女の運命

「クソッ、何しやがる!」

 悪態をついたハルフレズは、背中に大きな袋を背負っていた。その中に、オーラヴ王から贈られた立派な剣が入っていた。賢者ソールレイヴの蹴りは、その剣に当たったのだ。そのため、ハルフレズは倒れたけれども、体にはほとんど痛みを感じていなかった。

 最初の不意打ちが失敗した時点で、もう事実上勝負は決していた。

 不意打ちではなく、まともに戦い合えば、体格といい戦闘経験といい、詩人ハルフレズの方が完全に優位であった。ハルフレズの繰り出す拳が、右、左、と連続でソールレイヴの頬を直撃した。たまらず、賢者は仰向けに地面に倒れた。地面から多少盛り上がった岩に貼り付いていた苔が衝撃で少し剥がれた。

「!」

 ゲルドが大声で何か喚いたが、猿轡を噛まされているため、どういう言葉なのかは誰も分からない。その時、ハルフレズの持つ事前知識と現況が一本の糸で繋がった。

「そうか! 分かったぞ! お前が先見の賢者とかいうソールレイヴだな? へっへっへ、こりゃ探す手間が省けて好都合というもんだ」

 同時に、賢者ソールレイヴもまた、ゲルドを襲っていた男が誰であるかを悟った。口の端から細い血の筋を滴らせながら、言葉を発する。

「そ、そういうお前は、オーラヴ王の懐刀、やっかい詩人のハルフレズか。本当にキリスト教に改宗したのか、まだアースの神々に未練の心を残しているのか、どっちなんだ?」

 言いながら賢者ソールレイヴは立ち上がろうとしたが、詩人ハルフレズはそれを許さなかった。先ほどの仕返しとばかりに、ソールレイヴの顔に向かって跳び蹴りを見舞った。ハルフレズの靴の踵が、丁度ソールレイヴの右目に当たった。

 夏であるにもかかわらず詩人ハルフレズは冬用の靴を履いていた。靴底の踵部分には、刃物のように鋭い滑り止めの突起が付いていた。

 賢者ソールレイヴの絶叫が早朝の空に響き渡った。靴底の突起で片眼を突き刺されては、さすがにその痛みには耐えられなかった。地面に倒れたまま、ソールレイヴは両手で右目を押さえて叫びながら、のたうちまわった。既に顔全体が血塗れになっていた。

「へっ、さすがオレ。とりあえずこれで片眼を潰してやった。あとはもう一つの目玉をぶっ潰して光を奪ってやるぜ」

 その様子を目の当たりにしたゲルドが、涙ながらに何かを叫ぶ。しかし猿轡のせいで言葉にはならない。必死で暴れているが、縄が解ける気配はなかった。

 地面に転がって苦悶しているソールレイヴとゲルドとを交互に見比べて、ハルフレズは再び閃いた。

「そうか。先見の賢者ソールレイヴと結託している巫女、というのがお前なのか。邪悪な異教の儀式の時に着けるような装身具類が何も無いから気付かなかったぞ」

 オーラヴ王の刺客ハルフレズは、なめ回すような目つきで、縛られて寝転がるゲルドを凝視した。

「ゲルドをどうする気だ!」

 右手で潰れた右目を押さえながらも、ソールレイヴは辛うじて身を起こした。

「どうするか? か……。オーラヴ王からは、賢者は殺さずに両目から光を奪えとは言われているが、巫女についてはどういう指示だったかな? 忘れたな」

 ハルフレズは腕組みをした。戦闘の最中に余裕の態度であるが、巫女と賢者の二人が相手ならば実力差は圧倒的だ。早朝で他に人通りも無いので助けに来る人もいないだろう。

「そもそも、賢者は生かしておけとは言われたが、巫女の処遇については最初から聞いていなかったな。こりゃ失敗だったぜ。どうしようか?」

 キリスト教に改宗しながらも異教に未練を残した態度をするハルフレズだが、異教徒を弾圧して処刑する任務に対してはある意味真面目だった。真剣な表情で熟考する。

「殺せと命令されていないのだから、殺す必要は無いか。一度ニダロスに帰ってオーラヴ王の指示を改めて受ける、というのが一番確実だな」

 ハルフレズの独り言を聞いて、隻眼となったソールレイヴの心には僅かな希望が芽生えた。雲間から光が細く差し込むようなものだ。この場から危険な詩人が早く去ってくれれば……。

 しかし。

「いやいや、異教徒であるならばいずれは殺されるのだから、どうせなら今ここで、殺そう」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る