詩人の奮闘

 考えるよりも先にゲルドの体が動いていた。この男を丘の上には行かせてはならない。即座に立ち上がり、男に飛びかかった。

 不意をうたれたものの、大柄な男、詩人ハルフレズは慌てなかった。ゲルドとは明らかに体格の差がある。それにゲルドは武器も持っていないし、特に戦いの心得があるわけでもない。ゲルドは闇雲にハルフレズの腰に組み付くだけだった。

 そんなゲルドを押し潰すように、ハルフレズは上からのし掛かって体重をかけた。丘の急斜面の道から少し外れた所なので、足場が悪かった。ゲルドが倒れるのと同時に、ハルフレズも均衡を崩して、ゲルドと抱き合うようにして倒れた。二人はそのまま、横向きに丘の急斜面を転がり落ちた。

 丘の下まで到達して勢いが止まった時、ハルフレズが下でゲルドが上の体勢だった。ゲルドがハルフレズに馬乗りになる形だった。

 だがゲルドは、転がっている途中で強かに背中を打ち付けていた。息が詰まってしまい、ハルフレズに馬乗りになったまま、涙目で激しく咳き込んだ。

 詩人であると同時に優れた戦士でもあるハルフレズが、その隙を逃すはずがなかった。あっという間に体勢の優劣は入れ替わった。

「くっ、女であっても容赦しないぜ! キリストの名にかけて、オレはなんとしてもオーラヴ王の命を遂行する。賢者ソールレイヴの目を潰してやる!」

 上から叫ぶハルフレズに、ゲルドは下から叫び返した。

「賢者ソールレイヴは、この村で一番の有力者ソールレイヴ・ハルザ・カールソンの孫なのよ! 余所者なんかに手出しはさせないわ!」

「その生意気な口をきけなくしてやる!」

 ハルフレズは、腰に提げていた麻縄の束を解いて、ゲルドの口の中から後頭部にかけてぐるぐると数回巻いた。猿轡を噛まされたことにより、ゲルドは言葉を発することができなくなり、喉の奥から絞り出す声でうなるだけになってしまった。

「女、まだ暴れやがるのか!」

 ゲルドは左手でハルフレズの横腹を幾度も殴りつけた。ただ、不利な体勢からの拳なので、ほとんど効果が無かった。

 慣れた手つきで縄を操り、ハルフレズはゲルドの体を後ろ手に縛って動けなくした。胸の下で縄を巻いたため、ゲルドの大きな乳房の膨らみが強調される格好になった。足首も念入りに縛ったため、ゲルドは地面に横たわったまま、蛇のように体を捩らせる以外にできなかった。

 動くことも喋ることもままならなくなったゲルドを見下しながら、ハルフレズは衣服についた土埃を払った。

「おっと。物乞いに変装しているんだから、汚れを落とさなくてもいいんだった」

 ハルフレズの衣服だけでなく、目の回りに塗った黒い汚れもゲルドと格闘になった時の拍子に少し擦れて落ちてしまっていた。ゲルドが遠目に見て、ハルフレズの眼窩が落ち窪んでいると見えていたのは、黒く塗った変装だったのだ。

 自分に襲いかかってきたゲルドを逆に撃退し、動けないようにしたことで、ハルフレズの心には安堵感が宿って、周囲に対する警戒を怠ってしまっていた。戦士として本来あってはいけない失態だった。詩人ハルフレズは、背後から接近してくる人の気配に気付くのが遅れた。

「ゲルドに何をするんだ!」

 ハルフレズの背中に跳び蹴りを食らわせたのは、お館様の孫、賢者ソールレイヴだった。完全な不意打ちだったため、ハルフレズは前のめりに倒れて、地面に片膝と両手をついた。賢者ソールレイヴにとっては渾身の一撃だったのだが、蹴られたハルフレズはすぐに立ち上がって反撃に転じた。

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