第5章 リ・チャレンジ ③災難

 朱音は美羽と目を合わせることなく、吐き捨てるように言って部屋を出て行った。

 ――え、何それ。私が使えない人間的な態度だったけど、私、事前に何も聞いてないんですけど? それに、話も合わせてあげたんだけど? 急に押しかけてきて、何それ。

 美羽は段々腹が立ってきた。

 ――そういえば、お義母さんは初めて会った時から、私を名前で呼んだことはなかった。この子とか、お嬢さんとかって呼んで、私の名前を覚えようとしなかったから、流が怒ったんだよね。流のお兄さんのお嫁さんも、相当ひどい目に遭ってるって聞いてるけど。息子の嫁はみんな他人なの? 

 空はいつの間にか寝息を立てていた。そっとベビーベッドに下ろす。

 ――せっかくの休みに嫌な気分になっちゃった。空と一緒にいて幸せな気分に浸ってたのに。

 空の寝顔を見つめていると、慌ただしい足音が聞こえて、朱音が寝室のドアを乱暴に開けた。

「部下が着いたみたいだから、出てくれる?」

「ハイ?」

「だからね、部下が服を持ってきたから、チャイムが鳴ったら、宅配便を受け取るフリして出てくれる? それで、その子に服を着せて、こっちに連れてきて」

「……」

 いきなり命令口調で言われたので、美羽は何も返さなかった。

「後、お客様が来たらお茶を出すもんじゃないの? それが終わったらお茶を出して」

 美羽が何も言い返せないうちに、朱音はドアを閉めてリビングに戻ってしまった。チャイムが鳴る。朱音の部下だろう。

 ――どうしよう。流は何もしなくていいって言ってたけど。

 美羽が迷っていると、再びチャイムが鳴った。

「ねえ、誰か来たみたいよお?」

 朱音が大声で呼びかけたので、仕方なく廊下に出て、インターフォンから下のエントランスのロックを解除した。しばらくして、再びチャイムが鳴る。ドアを開けると、汗だくになった男性が、「あの、これ、先生に渡してくださいっ」と紙袋を差し出した。息が切れているので、駅から走ってきたのだろう。

 ――この人には何の罪もないよね。

 美羽は「ご苦労様でした」とねぎらって荷物を受けとった。

 紙袋には男の子用と女の子用のベビー服が何着か入っている。朱音のブランド「black and white」、通称「ブラホワ」はその名の通り黒と白の服しか作っていない。シンプルでスタイリッシュなデザインなので、海外でも人気のあるブランドだ。

 七緒は美羽の結婚式を羨んでいるようだが、黒いウエディングドレスを着せられそうになり、大変だったのだ。

「ウエディングドレスは白という常識を壊して、革命を起こしたいの」と朱音に力説されたが、萌から「お葬式じゃあるまいし」と猛反対され、教会にも「うちの教派では受け入れられない」と拒絶された。美羽が自分で白いドレスを調達しようとしたので、朱音は渋々自分の意見を引っ込めた。そのうえで、「私の息子の嫁が変なデザインのドレスを着ていたら困る」と、サンプルのウエディングドレスを調節してくれたのだ。

 確かにデザインは素敵だったが、事務所にずっと飾ってあったドレスをちょこちょこいじっただけなので、美羽はオーダーメイドのドレスを着たかったと心底悔やんでいた。式でみんなから「素敵ね」「さすがブラホワのドレス」と褒められても、少しも嬉しくなかった。式が終わったら、そのドレスは朱音に即行で返した。

「あら、あなた用に仕立て直したのに」

「いりませんから」

 その会話以来、朱音とは会っていなかった。

 美羽は苦い経験を思い出し、気乗りしないまま、背中側に黒い羽としっぽがついている黒いロンパースを選んだ。どうやら悪魔をモチーフにしているらしい。フードには小さな角が2本生え、胸元には白い三叉槍の刺繍が入っている。羽は金の糸で縁どられて、しっぽの先は赤いハートになっているので、細部のデザインにこだわっているのが分かる。

 眠っている空を抱き起こし、「ごめんね、眠ってるのにごめんね」と囁きながら着替えをさせた。空はむずがったが、ハイハイで走り回って疲れたのか、着替えさせてもウツラウツラと眠っていた。ロンパースは大きめなので、ブカブカだった。だが、そんなことは気にしていられない。

 空を起こさないよう、静かにリビングにつれていく。

「お待たせしました。見つかりました」

 空の姿を見るなり、女性は「ウソ~、カワイイ~」と甲高い声を上げた。

「あ、空が寝ているので」

 美羽が声を潜めても、「これはね、天使と悪魔のシリーズで、うちでは発売した時から人気があるの」「え~、天使も見てみた~い」「確かに、これはいいっすね。コンペに勝てるんじゃないですか」と三人は構わずに大きな声で話す。

「この生地の手触りもい~い」「この羽としっぽは取り外しできるの」と空の体に触るので、とうとう空は目覚めて泣き出してしまった。

「あ~、泣いちゃった」

「よくできたロボットよね」

 朱音の一言に、美羽はカチンときた。これ以上協力する必要はないだろうと、空をあやしながらリビングを出た。

「美羽さん、お茶」と朱音は呼びかけたが、美羽は無視して寝室にこもった。

「ごめんね、驚いたよね、ごめんね」

 何度も謝りながら空をあやす。

 やがて、廊下を人が通る気配がして、「すみません、お邪魔しました~」「失礼します」と玄関から声がした。3人は諦めて帰るらしい。

 カギをかけようと立ち上がった時、朱音がノックもせずに寝室のドアを開けた。

「私達、帰るから」

「はあ」

 美羽はぶっきらぼうに返した。

「それで、来週一週間、その子貸してくんない? 寸法測らなくちゃいけないから。プレゼンの時も貸してくれる?」

「はあ? 貸せるわけないでしょ?」と、美羽は思わず声を荒げた。

「だって、ロボットなんでしょ? 一週間ぐらい借りてもいいじゃない。壊さないようにするから」

 美羽は絶句した。朱音はレンタルベイビーの仕組みをまったく分かっていないのだ。説明するのも面倒になって、「空は私が育てているので、借りたかったら支援機構に聞いてみたらいいんじゃないですか?」と返した。

「育ててるって……まるで人間を育ててる気になってるみたいだけど、ロボットでしょ?」

 朱音が「フン」と鼻で笑ったので、美羽のなかで何かがプツンと音を立てて切れた。

「帰れーっ」

 美羽が怒鳴ったので、いったん泣き止んだ空が、驚いて泣き出した。

「帰れっ、帰れっ。二度とうちに来んな!」

 ベビー服を朱音に向かって投げつけると、朱音はさすがに顔色を変えて、慌てて服を拾い集めた。

「二度と来んなー!」

 小走りで家から出ていく背中に向かって、もう一度罵声を浴びせかける。すぐにドアのカギをかけた。

 大泣きしている空をあやしながら、美羽も悔しくて泣いた。

「ごめんね、空、ごめんね」

 何度も何度も空に謝る。

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