第4章 ペアレンティング・ペンディング ③離れ離れ

「私、しばらく実家に帰る」

 翌朝、泣きはらした目で、美羽は流に告げた。

 流は「分かった」とだけ言い、仕事に行ってしまった。

 その日のうちに、美羽は実家のある高崎に帰った。

 萌に「しばらく、そっちに帰りたい」と連絡すると、「そう」としか返さなかった。荷物をまとめて、キャリーバッグを転がしながら出勤すると、水野と香奈は「どうしたの? どっかに泊まりに行くの?」と目を丸くした。

 別居のことを話すと、香奈は「うちに泊まれば?」と言ってくれた。だが、香奈は一緒に暮らしている謙太がいる。邪魔するわけにはいかないので遠慮した。

 水野も「しばらく一人で考えてみるのもいいかもね」と、それ以上詮索しないでくれた。

 美羽の実家は1階が美容院で、2階と3階が住居になっている。弟の朝陽は結婚して家を出ているので、今は実家には萌しかいない。

 9時過ぎに家に着いた。外階段から2階に上がり、チャイムを鳴らす。ややあって、鍵が開いた。

「ただいまー」

 リビングに入ると、萌が「お帰り」と実家で暮らしていた時と変わらない調子で返した。

「ご飯は? 一応、あんたの分も作っといたけど」

「うん、食べる」

 夕飯はハンバーグとコーンポタージュ、ニンジンのグラッセとほうれん草のソテーにご飯という、懐かしいメニューだった。美羽が大好きだったメニューだ。萌と一緒にテーブルに着く。

「仕事は忙しいの?」

 萌に聞かれて、「うん、それなりに。指名してくれるお客さんが増えたから、一応、毎日ずっと予約客で埋まってる」と答えた。

「ふうん、頑張ってるじゃない」

「まあね。お母さんは?」

「うちは相変わらずよ。昔からのお客さんがずっと通ってくれてるから、減ることも増えることもないって感じね。たまに、お客さんのお子さんやお孫さんが来たりするけど、うちは流行のヘアスタイルができるわけじゃないからねえ」

「みどりさんは?」

「みどりちゃんも、ずっと続けてくれてるわよ。うちで長く続いたのは、みどりちゃんだけね。そうそう、みどりちゃんのところにお孫さんが産まれたのよ。娘さん、レンタルベイビーで相当苦労したみたいよ。『もう子供は産まない』って言ってたらしいけど、産まれたら産まれたで、すっごくかわいがってるんだって」

 レンタルベイビーの話題になったので、美羽は黙り込んだ。萌にどう話したらいいのか分からない。萌も何かを察したのか、そのまま何も話さず、二人で黙々と食べた。

 夕飯を食べ終わって、お茶を飲んでいた時に、美羽はやっと「流とケンカしちゃった」と切り出した。

「レンタルベイビーのことで、もめちゃって……。2回目までは終わったんだけど、子供が本当に欲しいのか分からないって言われた」

「そう」

 萌は驚きもせず、ショックを受けている様子もなかった。

「まあ、あちらのご両親は、結婚した時から孫はどっちでもいいっていう感じだったからねえ。あちらのご両親はファッション関係の仕事をしてるんでしょ? 自分の仕事が大切だから孫の面倒は見られない、自分たちで何とかしなさいって、結納の時に向こうのお母さんは言ってたじゃない」

「そんなこと言ってたっけ」

「言ってたわよ。結納の場でそんなことを言うから、常識がないんだなってお母さん、驚いたんだから」

 互いの親が初めて揃う場だったので、美羽は緊張していて、どんな会話を交わしたのかあまり覚えていなかった。

 流の両親はファッションブランドを立ち上げ、父親はデザイナーとして、母親は経営者として采配を振るっている。流の母は60代だがボブの髪をグリーンに染め、いつもノースリーブや胸元が大きく開いた服を着ている。どう見ても性格がキツそうなので、何回か会ったが美羽は苦手だった。

 父親は長身で外国人のように顔の彫りが深く、ロマンスグレーの髪はよく手入れされていて、いかにも若い女性にモテそうな容貌だ。普段はイタリアに住んでいて、日本にはほとんど帰って来ない。結納の時も姿を見せず、結婚式だけ出席した。その時もほとんど会話を交わさなかったので、どういうタイプなのかまったく分からない。ただ、式の間もずっと中折れ帽をかぶっていたので、神父に注意されていたのだけは覚えている。

「結納の時は、海外のファッションショーの話を延々としていて、流君が怒ってたじゃない。結婚式の時も、二人とも、自分のブランドのウエディングドレスとタキシードのことしか考えてないみたいだったし。着付けにはやたらとうるさくて、でも式の最中はスマフォを見てるし。あちらのお父さんは、電話をするために途中で席を外してたじゃない。子供のことに何の興味もないんだなって感じだったわよ。そんな親に育てられたら、子育てに関心を持てなくても無理はないかもねえ」

 萌の発言を、美羽は内心驚きながら聞いていた。萌がそんな風に流の両親を分析しているとは思ってもみなかった。

「それに、あのお母さんは、うちの美容院のことをやたらと聞いてくるのよ。高崎でやってる、自宅を改造した小さな店だって言ったら、なんだかすごくつまらなそうな顔してた。『青山や代官山でお店開いてたら、うちのショーで仕事をお願いできたのに。群馬じゃ無理ね』って言われて。そんなのこっちから願い下げだって思ったんだから」

「そんなこと言われてたんだ……どうして言ってくれなかったの?」

「そんな話をしたら、これから流君と一緒に暮らすあんたが不安に思うでしょ? あっちの親とも家族になるんだから」

 美羽は萌の顔を、思わずまじまじと見つめてしまった。今の今まで、萌がそういう気遣いをできるタイプだとは思っていなかった。萌なりに、娘のことを気にかけていたのだ。

「気遣ってくれて、ありがと」

 思わず言うと、萌は「何よいきなり。マジメに言われたら照れるじゃない」と視線をそらし、お茶を飲み干した。

「ほとぼりが冷めるまで、家にいていいわよ。あんたの部屋もそのままだから」

 そう言うと、萌はお風呂に入りに行ってしまった。

 3階に上がると、結婚するまで美羽がずっと使っていた部屋に入った。ベッドも本棚も机も鏡台も、すべて昔のままだ。布団もちゃんと出してある。

 美羽はベッドに寝転んだ。見上げる天井の木目も懐かしく、「帰って来たんだな」と実感がひしひしと沸く。

 帰りの電車の中で、コミュニティサイトの掲示板に「レンタルベイビー、3回目はムリそう。夫にもっと先でいいんじゃないかって言われた。今さら言われても・・・って感じ。しばらく実家に戻ることにした」と書きこんだ。すると、多くの人から「お疲れ様。少し旦那と距離を置くのもいいかも」「一人でよく頑張ったね」と励ましの言葉をもらえた。なかには、「そんな旦那、別れちゃえば?」というストレートな意見を言う人もいた。

 流と、離婚する。

 そう考えると、胸が締めつけられる。こんなことで流と別れるとは、思ってもみなかった。

 ――流は今、何を考えてるんだろう。私のこと、少しは心配してくれてるのかな。

 今日は流からは電話もなければ、LINEでメッセージも届いていない。かといって、美羽の方から連絡をするつもりはない。

 ――今日は流と離れて眠るのか……。

 そんな夜は久しぶりだと、美羽はぼんやりと天井の木目のうねりを目で追っていた。

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