第3章 ペアレンティング・クライシス ⑥誰も分かってくれない。

 翌日、仕事から帰って空をあやしながら夕飯を作っていると、スカイプのベルが鳴った。表示を見ると、実家からだった。

 カレーを鍋にかけてから折り返すと、すぐに母の萌が出た。

「最近、連絡ないけど、元気にしてるの?」

 萌は50代の中年女性らしいふくよかな体型をしている。明るく染めた髪にはパーマがかかり、いつもメイクが少し濃い。

 実家は美容院を経営しているが、父親は美羽が高校生の時に亡くなったので、萌が切り盛りしていた。

「今レンタルベイビーを借りてるから、子育てで大変なんだ」

 スマフォの画面を空に向けた。

「ほーら、おばあちゃんだよ」

 空は不思議そうに画面を見ている。

「レンタルベイビー? ああ、ロボットね。いとこの望愛ちゃんところも、去年やったって言ってたわよ。合格するまで時間がかかったって。望愛ちゃん、昔からガサツでしょ? 部屋中にゴミが散乱してるから、ロボットを届けに来た人が絶句しちゃって、『こんな家庭には子育てさせられない』って、ロボットを持って帰っちゃったんだって。だから、ハウスキーパーを雇って家の中をキレイにするところから始めたって言ってたわよ。それに」

「んで、用件は何? 今、夕飯作ってるところだから」

 萌は話し出すと止まらないタイプなので、強引に話を遮らないといけない。

「ああ、今度の火曜、帰ってこられない? 朝陽(あさひ)が七緒ちゃんを連れて来るから、久しぶりにみんなで集まれないかって思って」

 朝陽は萌の3歳下の弟で、七緒は朝陽の妻である。二人は実家の隣の県に住んでいるが、あまり実家には来ないらしい。

「ごめん、ムリだわ。空の面倒を見ないといけないから」

「空? ――ああ、レンタルベイビーね。だってロボットでしょ? 一日ぐらい放っておいても大丈夫でしょ」

「イヤイヤ、大丈夫じゃないから。そんなことしたら、不合格になるし。丸一日構わなかったら、支援機構が回収しに来るんだって」

「スイッチ切っておいたらいいじゃない」

「スイッチはこっちでは切れないの」

「じゃあ、連れてくればいいじゃないの」

「こんな小さな赤ちゃんを連れて2時間も電車に乗るなんて、できないよ。電車の中で大泣きするだろうし」

「だから、赤ちゃんっていったって、ロボットでしょ? 本物の赤ちゃんならともかく、ロボットなんだから、何も困ることはないじゃないの。泣いたら音を下げれば?」

 萌は呆れた口調で言う。

 美羽はイライラしてきた。萌と話すときは、たいていそうだ。こちらの事情を何も分かっていないのに決めつけてくるし、美羽が懸命に説明しても理解しようとしてくれない。だから、美羽は随分前から、萌に対して何かを理解してもらおうとはしなくなっていた。

「もし不合格になったら、本物の赤ちゃんを産めないんだけど。それでもいいの?」

「それは困るけれど……」

「じゃあ、レンタルベイビーが終わるまでは、そっちには帰れないから。朝陽と七緒ちゃんにはよろしく言っといて」

「そう……分かった」

「それじゃ、夕飯作ってるところだから。またね」

 強引にスカイプを切ってしまった。

 家庭によっては、両親も一緒にレンタルベイビーの面倒を見てくれるところもあると聞く。そういう家庭は実際の子育てもうまくいく確率が高いと、ネットニュースで読んだことがある。

 萌にはとてもそれを望めないので、レンタルベイビーを始める時も伝えなかった。実際の子育てに入る時も、できれば萌には伝えたくないぐらいだ。萌はおそらくいろいろと口出ししてくるだろう。きっとケンカになるので、里帰り出産だけはしないでおこうと美羽は真剣に考えている。


 その夜、美羽がお風呂から上がると、空が大泣きしている声が響き渡っていた。流があやしている気配はない。

 ――疲れて寝落ちしてるとか?

 バスローブを羽織ってリビングに入ると、ベビーベッドで空は手足をバタバタさせながら泣いている。流はそれを放って、スマフォでゲームに熱中していた。

「空が泣いてるのに、何してるの!?」

 ついキツイ言い方になってしまう。

 流は画面から目を離すこともなく、「あんまり過保護に育てないほうがいいって、先輩から言われたんだ。しばらく泣かせてた方が疲れて眠っちゃうみたいだよ」と悪びれずに言った。

「それは本物の赤ちゃんのことだよね? 空は泣き疲れて眠ることはないと思うけど」

 抱き上げると、プーンと鼻を突くニオイがした。

「ウンチしてるじゃん。流、おむつを替えてよ」

「美羽がやってよ」

「え、なんで?」

「なんでって……」

 流はこちらを見ようともしない。

「私、髪を乾かしてくるから、流が替えてよ」

 流は何も答えない。空は泣き続ける。

「流、講習会で習ってきたんでしょ? できるでしょ?」

「そんなの、1回やってみただけで、できるようになるわけないじゃん」

「だったら、私が教えてあげるから」

「いいよ。美羽がやるほうが早いでしょ。空を早く泣き止ませたほうがいいんじゃない?」

 美羽は久しぶりに流の態度に苛立った。

「なんでやろうとしないの? もしD判定になったらどうするの? 協力しないと、AかB判定にはなれないよ」

「今回は、結構遊んであげてるじゃん。充分、協力してると思うけど」

「それだけじゃダメだって、講習会で言われなかった? おむつを替えたり、ミルクをあげたりしないとカウントしないって」

 そこまで言って、流は追い込まれないと行動に移さないのだと思い出した。空が泣いても美羽が起きなかった時は、自主的にミルクをあげていた。

 流が何も答えないのを見て、美羽は空をベビーベッドに下ろすと、リビングを出た。

「ちょっ、何だよ、おむつを替えてってよ」

 流が喚いても気にしない。洗面所に戻ると、ドライヤーで髪を乾かした。乾かし終えるころには、さすがに根負けしておむつを替えているだろう。

 だが、ドライヤーのスイッチを切ると、大音量の空の泣き声が聞こえてきた。

「ウソ……信じらんない!」

 美羽がリビングに飛び込むと、流は変わらずソファに寝転んでゲームをしていた。空は真っ赤な顔をして泣き続けている。

「ひどい、なんで替えてくれないの?」

「自分の方がひどいじゃん。空をほっぽって髪を乾かしに行ったんだから」

 流はそっけなく答える。

 美羽は、「ごめんね、ごめんね」と空に謝りながらおむつを替えた。おむつを替えても泣き止まなかったので、しばらく抱っこしながらあやす。

「ごめんね、パパが何にもしてくれないから、ずっと泣きっぱなしだったね」

 空に言い聞かせると、流は「そういうの、勘弁してよ」とうんざりした様子で言った。

「そういうのって、何のこと?」

「オレのせいにしてるけど、美羽がやればよかっただけじゃん」

「私がここに来るまでに、おむつを替えといてくれればよかっただけじゃない。流が最初にやっといてくれれば、こんなことにならなかったでしょ?」

 流は大げさにため息をつく。

「オレ、そうやってカリカリしてるのって嫌いなんだよ。追い込まれる感じになるのって、ホント、嫌」

「私だって、怒りたくて怒ってるんじゃないんだけど」

 空がウツラウツラしはじめたので、そっとベビーベッドに下ろした。

「今ので不合格になっちゃったら、どうするのよ。今までやってたことが、すべてムダになるじゃない」

「あ~、もう、すぐに合格とか不合格とか、ウザいんだよね」

 流は耳をしきりにいじる。

「オレ、そういうの、興味ないから」

「今さら何なの? そこまで興味ないなら、最初からやりたくないってハッキリ言えばよかったじゃん」

「だから、忙しいから協力できないって言ったでしょ?」

「忙しいからあんまりできないって言ってたけど、興味ないからやりたくないって言ってたっけ? そんな話、聞いた覚えないけど」

 流は言葉に詰まった。

「それに、最近は空と一緒に遊んであげてたじゃない。どうして急にそんなことを言うの?」

「遊ぶぐらいならいいけどさ……」

「何、もしかして、おむつは替えたくないとか? レンタルベイビーのおむつさえ替えるのを嫌がってるのに、本物のウンチがついたおむつ、替えられるの? 全部私にやらせる気?」

「いや、そうまでして子供は欲しくないって言うか……」

「はあ? おむつを替えるぐらいなら子供は欲しくないってこと? おむつをしてるのなんてほんの1、2年の話なのに、それが耐えられないから子供は欲しくないっていうの? それだけの理由で?」

「……」

 流は黙り込み、険しい表情で部屋を出ていった。ややあって寝室のドアを乱暴に閉める音が響いた。

「すぐに逃げるんだから」 

 ――私、どうして、流と結婚したんだろ。

 ふと、そんな思いが胸をよぎる。

 ――私、今まで本当の流のことを見てなかったのかもしれない。

 美羽の心はざわついた。レンタルベイビーを始めてから離婚したという話は、コミュニティの掲示板でもしょっちゅう報告されている。それをみんなで励ますのだ。

 ――もしかして、うちらもそうなっちゃうとか……?

 その夜、最近は一緒にベッドで眠っていたのに、流は寝室には来なかった。美羽は怒りと不安がないまぜになり、ほとんど眠れなかった。

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