第24話 アホ淫魔、初めての労働!#2

 土曜日。

 昼前。俺とルフィーナは玲緒奈の家に来ていた。

「広いなー……」

 彼女の自室に通された俺は、室内を見渡し感想を漏らす。

 学校の教室くらいの広さの部屋にはテーブルとイスが2つ、天蓋付きのベッドとソファ、そして暖炉と、どこのお姫様だとツッコみたくなるような家具が配置されている。

「お2人とも、どうぞくつろいでくださいまし。今、お飲み物をお持ちしますわ」

 玲緒奈は俺とルフィーナを残し、部屋を出ていった。


 とりあえず椅子に座った俺だが、部屋が広すぎてどうも落ち着かない。一方ルフィーナは我が家のようにくつろいでいる。少しは遠慮しろ。

「実家に戻ってきた気分だわ」

 ソファに身体を沈めたルフィーナが、面白くなさそうに呟いた。


 とりあえず、勉強の準備だけでもしておこう。

「おっと」

 消しゴムがテーブルから落ち、高そうな赤い絨毯を転がってベッドの下に潜り込んだ。屈んで手を突っ込む。

「どうしたの?」

 ルフィーナの声が飛んでくる。

「消しゴム落としたんだよ。――あん?」

 俺の右手に箱のような感触が伝わってきた。ティッシュ箱みたいな形をしているようだ。

 何でベッドの下にティッシュ箱なんかあるんだ? 気になるが、他人の部屋を漁るような真似はよくないよな。

「おっ、あった」

 消しゴムを拾い椅子に座り直したタイミングで、玲緒奈が3人分の紅茶を持って入ってきた。

「お待たせしました。ではさっそく始めましょう」


 そこからは勉強会が始まった。俺は懸念事項である英語と日本史を、玲緒奈は全教科を一通り復習しているようだった。

「苦手教科とかないのか?」

「数学ですわ」

 とか言いながら、彼女の手元では方程式がさらさらと出来上がっていく。俺とは苦手のレベルが違うようだ。

「ほら、キョーヤも早く始めるわよ」

 ルフィーナが教科書を手に俺を急かす。テストへの不安がある日本史を、こいつに教えてもらおうと事前に頼んでおいたのだ。

「全問正解できたら、おっぱい揉ませてあげる」

「遠慮するから普通にやってくれ」

 人様の家で何させる気だ。

 やはりルフィーナの教え方は分かりやすく、暗記できずにいた部分を一通り押さえることができた。マジで何で教師にならなかったんだ。


 俺が英語に移ると、ルフィーナはソファで大人しくしていた。この部屋にはマンガやゲーム、テレビといった暇潰しが存在しないからだろう。あまりに大人しいので見てみたら、丸くなって寝ていたほどだ。

 それからしばらく勉強を続け、集中力が切れてきた頃には正午を回っていた。

「では、お昼にいたしましょう」

 玲緒奈が立ち上がる。何か俺たちまでごちそうになる流れになってないか?

「いえ、ぜひ召し上がって。これはルフィーナさんにも関わることですもの」

 俺の遠慮に、玲緒奈はそう言って目を光らせた。


 ぐうたら淫魔を起こし、部屋を出た玲緒奈の後をついていく。途中すれ違うメイドさんが頭を下げてくるたびに、恐縮して俺も頭を下げてしまう。

「そういえば私、何で呼ばれたのかしら?」

 ルフィーナは今更のように疑問を口にする。

「その答えはすぐに分かりますわ」

 首をかしげるルフィーナを尻目に、玲緒奈はキッチンで立ち止まった。キッチンといっても一般家庭のそれとは異なり、レストランの厨房を思わせる広さで、調理器具も充実している。

「ルフィーナさん、お昼を作ってくださらない?」

「え?」

「貴女のお料理をもう一度いただきたいのです」

 玲緒奈の言葉に気をよくしたのか、ルフィーナは途端に上機嫌になり、自分の胸をぽんと叩いた。

「任せなさい!」


 数分後。

 俺と玲緒奈は食堂にいた。

 家の中に食堂というのも変な話だが、食堂なのだ。教室の2倍はありそうな広い部屋の中央に、長いテーブルが置かれ、両側にイスが並んでいる。20人くらいは座れそうだ。

 おまけに部屋の出入口にはメイドさんが待機しており、何とも落ち着かない。正面の玲緒奈は慣れた様子で黙ってルフィーナの料理を待っていた。


 どこに視線を向けていればいいのかすら分からなくなった俺が、テーブルクロスの縫い目を凝視しはじめた頃、ルフィーナが自分を含め3人分のカレーを目の前に置いた。

「玲緒奈がもう一度食べたいって言ったから、カレーにしたわ」

 あの日と変わらないカレー。もちろん味も変わっていない。


 食べていると、ルフィーナが何故か、もう1人分のカレーを持ってきた。自分の分かと思ったが、それにしては量が少ない。

「玲緒奈が持ってきてって言ったの」

 ルフィーナ自身、理由は分からないらしい。隣に3杯目のカレーが置かれた玲緒奈は、後ろに控えていた1人を呼んだ。

「これを食べてみなさい」

「……お嬢様」

 呼ばれて進み出てきたのは、玲緒奈を迎えに俺の家に来た執事のおっさんだ。彼は困惑した様子で、カレーと玲緒奈を交互に見た。

「気にしないで。いいから食べなさい」

「では、失礼します」

 玲緒奈の隣に座ったおっさんは、見定めるような目つきでルフィーナのカレーを見つめて、スプーンですくう。俺の隣に立つルフィーナは状況が呑み込めていない様子でおっさんを見ている。

 ぱくり。おっさんの口にカレーが入った直後、彼はカレーをもう1度見つめ、もう1杯を口に運んだ。

「どう? 美味しいでしょう?」

 玲緒奈の問いかけに、おっさんはこくこくと頷く。

「お嬢様の仰る通りでございます。こんなカレーは今まで食べたことがございません。ルフィーナ様、いったいどのようなアレンジを?」

「企業秘密よ」

 ルフィーナに一言で断られたことに気を悪くした様子もなく、執事のおっさんは玲緒奈に耳打ちした。

「ではお二方、リビングへどうぞ」


 食べ終えた俺たちは、玲緒奈に続いてリビングに入る。ここも例によって規格外で、デカい暖炉にデカいテレビが置いてあって、テーブルを囲むように、三方に金で縁取られた赤いソファが配置されている。

 そこには玲緒奈に似た美人が座っており、名前を神山さんというらしい執事のおっさんがその後ろに立った。

「玲緒奈、お二人があなたが言っていた京也さんとルフィーナさん?」

「はい、お母様。どうぞ、お二人ともおかけになって」

 お袋さんかよ! めっちゃ若いな! お姉さんって言われても信じるレベルだぞ。

「母の沙紀です。娘がいつも、お世話になっております」

「い、いえ! こちらこそお世話になってます」

 慌てて立ち上がり、そっと差し出された手を握る。

「毎日、玲緒奈が貴方がたのことをあまりにも嬉しそうに話すものだから、ついつい気になってしまって……。では私は失礼します。玲緒奈、これからも仲良くするのよ」

「わ、分かっていますわ!」

 恥ずかしそうに頬を赤らめる玲緒奈。俺の反応を気にしているようだが、今は緊張しまくりでそれどころじゃない。

「さ、さて! 本題に入りましょう!」

 玲緒奈は仕切り直すように咳払いをして。


「単刀直入に申し上げます。ルフィーナさん、この家でシェフとして働いてくださらない?」


「嫌よ」

「おい!」

 いきなりの申し出にも動じず、ニート根性を貫き即答したルフィーナに、俺はここがどこかも忘れ、普段のようにツッコミを入れた。

「お前、少しは考えろよ!」

「考えるまでもないわ! 私が働くわけないでしょう!」

 さっきのあれは試食――シェフとして相応しいかのテストだったのか。

「腕は申し分ありません。今は代理ですが、本来勤めている彼が戻ってきてからも、ぜひここで働いて頂きたい」

 そう言って神山さんは、深く頭を下げた。

「嫌よ。働いたら負けだもの」

 しかしルフィーナもめげない。俺は神山さんに一言断り、彼女を引き寄せる。


「お前、金がなくて帰れないの忘れたか?」

「覚えてるわ」

「だったら何で断るんだよ!」

「働きたくないからに決まってるでしょう!」

 なんて堂々としたニートなんだ。ぶん殴ろう。

「いいのかお前? これを逃したら、一生帰れねぇかもしれねぇぞ」

「うぅ……キョーヤの鬼畜! 悪魔! あなた悪魔より悪魔よ!」

 悪魔より悪魔ってなんだ。

「で、どうすんだ?」

 ルフィーナはしばし葛藤するような表情を見せ。

「もう分かったわよ、働くわ! 働けばいいんでしょう! でも条件があるわ!」

「何なりとお申しつけを」

 給料を倍にしろとか、そんなだろう。まったくこれだから――


「キョーヤもここで働かせて!」


 ニート、は……。

「はぁ!?」

「構いません。川崎様、いかがなさいますか?」

「いや、そう言われても。俺、家事も料理も人並みにしかできませんよ?」

 というか細かい礼儀作法とか全く知らんし、言葉遣いもこれだ。スキル以前の問題だろう。

 それらを見透かしたように、神山さんは微笑む。

「その点はご心配ありません。川崎様には森の管理をなさって頂こうと考えております。力仕事にはなりますが」

「まぁ……それなら」

 金があって困ることはないし、今はバイトもしてないし、ちょうどいいだろう。


「決まりねキョーヤ! 頑張るのよ!」

「お前が頑張るんだよ!」

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