【第三部】第二章「インターンシップ研修」



 俺は、大学に在籍していたわけではなかったが、「就職活動の一環」として、学校に書類を取り寄せて「(株)クロイシ・ペットビジネス」にインターンシップ研修を申し込むことにした。簡単に説明すると、インターンシップ研修とは、企業が「青田買い」の意味合いも兼ね、無報酬から一定賃金の労働料金で学生を一企業の会社員扱いで働かせるものだ。先方に気にいられると、そのまま就職が優位に進んだり、個人的にも社会経験の実績が詰めるなどの大きなメリットがあるのだ。


 俺は、そんな本来の目的から逸脱(いつだつ)して、黒石に一歩でも近づこうと思った。カヤさんは、俺に現在本社勤務している役員のメーリングリストを回してくれた。俺はネクタイを閉めつつ、髪の毛を抑えた。


 「……よし」




 身なりに疎い俺だったが、スーツだけは株で稼いでいた為、何着かは持っていた。無論セール品ではなく、一級品のものを。ネクタイもしっかりとしたブランドものだった。俺の姿を見た師匠が驚いていた。


 「おったまげたなぁ、のそ!どこのおぼっちゃまだよ!びっくりしたぜ」


 「……それがねらい……なんっすよ」


 「はぁ?」


 どこかの御曹司(おんぞうし)のおぼっちゃまとして会社に入り込む。それが俺の第一手段だった。師匠は汚れた手で、俺の新品のスーツを叩きながら言った。


 「頑張れよ。これ。お前の金。結局かなり使っちまったが、俺には役に立たなかったぜ。一年間……楽しかったぜ」


 師匠は俺のスーツのポケットに小切手をねじ込んだ。額面を見ると「三千万円」になっていた。結局七千万円は師匠の私腹を肥やしたのか。まぁ、いいや。勉強になったし。


 「……上手く行くか分からないけど……骨は、ひ、拾ってください」


 「おっめぇ!今度そんな口叩いたらはったおすぞ!?俺が見込んだ、弟子じゃないかほら、さっさと行け!儲けたら、俺にいい酒でも送れ!!しっし」


 師匠は草履で俺の尻を何度も蹴った。そして、スーツがまた汚れる……と。別れが少し惜しかったが、俺はそのまま、森城町の廃校舎を出て、振り向かずに車で鏑木市まで走って行った。


 「ったく、どこまでも青いんだから……二度と『こっちの業界に』帰ってくんな」




**


 車を運転して一時間。休憩をとっている間に俺はスマートフォンの企業からのメールを再確認した。




==


近江 辰雄(おうみ たつお)様


株式会社 クロイシ・ペットビジネスの塚本と申します。




先日は、インターンシップ研修の申し込みをして頂き、


誠にありがとうございました。




選考の結果、近江様を当社にて研修社員として、○月○日から○月○日付けで


一ヶ月間採用することに決定いたしましたのでご連絡いたします。




つきましては、ご提出いただく書類を本日郵送いたしますので、


期限までにご返送くださいますようお願いいたします。




何かご不明な点等ございましたら、当社経理課 塚本


(○○-○○○○-○○○○)までお問い合わせください。




新たな人材を迎えられることを、社員一同


大変嬉しく思っております。




それでは、まずはメールにて恐縮ですが、ご連絡申し上げます。


どうぞよろしくお願いいたします。


==




 既に書類は作成してあり、余裕をもって送らせて頂いた。近江 辰雄(おうみ たつお)という名前は、俺が大学から取り寄せた書類を師匠に細工をしてもらったものであり、「真っ赤な偽の人物」である。どこかで足が付いたら、俺も大変なことになるから慎重に動いているのだ。




**


 俺は頬を叩き、リクルートカバンに一式の書類を詰めると、「(株)クロイシ・ペットビジネス」の近くのコインパーキングに車を停め、にこやかに会社に入って行った。


 「(株)クロイシ・ペットビジネス」は、すっかりと大きな企業になっていた。広い受付にカフェラウンジなどを備え、吹き抜けのある高い天井。大理石の柱と床は光り輝いていた。この利益の背景にどれだけの犠牲が伴っていたかと思うと、俺は少し腹が立ったが、今は抑えつつ、平静を装った。鈍い口調を一割増しくらいに回しつつ、会社では「良いおぼっちゃま」を演じることにしたのだ。




 「ようこそ、いらっしゃいませ。どういたしましたか?」


 魅力的な受付嬢が二人、立ち上がって俺に頭を下げた。俺はスマートフォンのメールを見せ、そのまま取り次いでもらった。


 「ああ、インターンシップ研修の方ですね。少々お待ちください」


右側の嬢がパソコンを調べ、電話応対し、俺に言った。


 「今ご案内いたします。こちらの突き当たりのエレベーター、五階に行きまして、その後、経理課の塚田にお会いください。詳しいお話はそちらでして頂けると思いますので」


 「……ありがとうございます」


 「ごゆっくりどうぞ」




**


 企業自体は決して悪い印象ではない。しかし、やはり経営者が悪いのだろうか?俺は正直思った。すれ違う人の挨拶も決して悪い印象を受けなかったからだ。


 「おお、よく来たね!ささ、どうぞどうぞ」


 経理課の塚田さんは、中年太りの男性だった。中間管理職をされている感じがした。そして、少し企業内のブースを案内され、俺は書類を書いた。




 「この会社の本社には『経理課』『秘書課』『医務課』他、たくさんの課があるのですが、中心に動いているのは経理課です。私たちの経理課は、企画開発や、店舗運営を担っているですよ。その他の部署は社長である黒石 彰と、それから幹部補佐の役員が運営しているのが、この会社なんですよ」


 「は、はぁ」


 社内経理の権限をどれくらい黒石が握っているかは知らないが、少なくとも会社の執権を握っているのは、黒石であることは間違いないだろう。医務課は動物病院の傘下に枝分かれし、秘書課に専属秘書がいることが分かった。いずれも息の入った人間であることは間違いないと思った。




 「さて、一通り見まわったところで、近江さんには『商品企画課』に行ってもらいましょうか」


 「分かりました」




**


 机上で少し、事務処理をしたり、マーケティング戦略や市場を調べ、効果的な商品を考える。また、俺がパソコンを使えると言うことで、社員の皆さんは、俺にホームページの製作をさせてくれた。居心地が良く感じかけた……が、危ない危ない。本来の目的を忘れてはいけない。




 お昼過ぎ、休憩を挟んでうとうととパソコンを打っていると、俺の隣の席の男性社員が、俺に言った。


 「おい、新人!これから社長が来るぞ」


 「へ……へ?!」


 あまりの突然の出来事に俺は目が覚めた。五分ほどパソコンに向かっていると、黒石がオフィスの中にニコニコしながら入ってきた。


 「やあやあ!頑張ってるかい?うんうん。良いことだね!今日はなんか、聞いたのだけれど、インターンシップ研修の大学生がこの課に来てるんだって?」


 「あ、社長、こいつです」


 男性社員は立ち上がって、俺に指を指した。俺はけしかけられるままに、黒石のところに行き、ぺこぺこと挨拶をした。


 「あ、初めまして。お世話になっております。……お、おうみと申します。け、経済学部出身です」


 俺は少し緊張していたのか、口調は詰まり気味だった。そして、そんな姿を黒石は滑稽(こっけい)に思ったのだろうか?俺を食事に誘ってくれた。


 「あははは、君、面白いねぇ!分かった!ちょっと一週間くらい働いたら週末、一緒に食事に行こうか」


 「え?ほ、ホントですか?」


 「うん。とーっても気に入ったのよ。俺は若いエネルギーのある子大好きだからねっ。しかし……いいスーツ着てるねぇ。相当お金持ちじゃないか?」


 「あ、いえ。安物です。……あ、これ」


 俺は座っていた机に走って戻ると、高級店の菓子折りを黒石に手渡した。


 「これ、いいのかい?ありがとう!!いやぁ、是非、卒業後は就職して欲しいなぁ。頑張ってね」


 黒石は満面の笑みで、俺を激励すると、そのままオフィスを出て行った。周囲の社員が少し俺のことを羨ましそうに見ていた。




**


 さて、週末に入り、一週間の勤務が終わった。俺は伸びをすると、パソコンの電源を落とした。「喋ること」は、事務作業に要らないから本当に楽だ。俺の売り払った株式用のパソコンは、結構高性能で、二台使いながらトレーダー業務をこなしていた為、とても楽に思えた。仕事の出来の良い有能な学生が入ったと、みんな喜んでくれたようだ。


 そして、夜になり、黒石が会社の前にリムジンを横付けして、俺を迎えに来てくれた。


 「さ、遠慮はしないで乗ってくれ」


 「……お願いします」

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