【外伝部】

外伝章「にゃ、にゃめんなよ!?」




 「カンフーパンダと・ねこぱんち」と言うタイトルのコマンド入力式の格闘ゲーム。ちょうど今から十年前に流行っていたゲームである。霧前市にあるアーケード街。古びた片隅のゲームセンターで、二十代前半の和装を着た、いかつい男がコインを積みながらその格闘ゲームを楽しんでいた。彼のお気に入りは「ニャオ・ニャオス」と言う迷彩の軍服を着た猫のコマンドサンボ使い。四等身の猫が動物たちとコマンドで闘うゲームだ。


 「くっ、最近勝ててると思ったら、俺も腕も落ちたなぁ。ゲージを溜めて大技を狙っているうちに倒されちまう。このパンダが強敵なんだよなぁ。高校時代にはもっとバシバシ倒せてたのだけれど」


 いかつい男は頭を抱えながら「You LOST」と書かれた文字を見ている。そして、三時間近くゲームセンターに籠城していることに気が付き、やってしまったとばかりに、コインをかき集めて無造作に小銭入れに入れると、急いで出てきた。このゲームは因みに下火になっているそうだ。


 「あいつも妊娠してもうすぐ生まれるけど、俺はちょっと会いたい奴がいるからな。ちょっと森城町まで行ってくるかな」


 秋晴れの青い空を見上げながら言う。そして煙草に火をつけて大きく吸い込んで吐き出した。白い煙がまっすぐに空に昇って行った――。




**


 「そんなこともあったねぇ」


 「そうね。洋介くんはあれから中学から野球特進校に進学してジュニアユースの野球学校に通うって言って、人が変わったように去って行ったの」


 犬司が森城町を去る前のクリスマスからほのか、洋介、太一たちとよく遊ぶようになったらしいのだが、犬司はこの町の中学時代を経験していない。その空白期間を埋めるように、美咲と犬司は盛り上がっていた。そして、犬司は思い出したように言った。


 「あ、そうだ。ミサキチに見せたいものがあってね。この近くに『猫又の記念碑』があるんだけど、その場所に『クロ』が捨ててあったんだよ。ちょっと見に行かない?」


 「へ?そんなのあるの?見たい見たい!」


 美咲ははしゃいで跳ねていた。犬司は美咲の話を聞いてクロと出会った肌寒い雨の日を思い出していた。




**


 少し歩くと、「森城町・本丁」のバス停が見えてきた。地域は過疎化して、ここらのバスの本数は二時間に一本だ。犬司はうっそうと茂る森の緑の匂いを胸に吸い込みながら、美咲に言った。


 「そうそう。うちがこの近くにあったんだ。で、このバス停のベンチの下にクロが居たんだ。雨に濡れてたよ。ちょうど秋口で、ミサキチの病院のお見舞いの後かな」


 犬司は手探りで過去を追って話す。美咲は黙って聞いて共感していた。


 「……思い出した!クロの写真、犬司が病室で見せてくれたよね。クロって名前なのに、毛並みがまだら模様ってどういうことって聞いたっけ。そしたら犬司、しっぽが黒いからって言ってて笑ったよね」


 「あれ、そうだっけ?」


 「そうだよ!お前の記憶違いじゃないか?」


 「失礼なっ!都合のいいことは忘れるようにできてるのかしら?」


 美咲は嬉しそうに言う。そして犬司はバス停の足元にある小さな石碑を指さす。それは猫の形をしていた。


 「クロを見つけて、数日してこの場所に来たらね、この石碑があったんだよ。いろいろ聞くとね、昔から曰(いわ)くつきの猫がこの場所に集まっているんだって」


 「へー、なんか面白いね。なんで小学校にいたとき話してくれなかったの?」


 「そ、それは、間違ってたら恥ずかしいじゃん?」


 犬司は男子としてのプライドを誇示していたようだ。美咲はやや冷ややかな目で見ていた。




 二人で談笑していると小銭の音が響く。そして、横を向くとその方向から長身で和装のいかつい男が小銭入れを投げては掴んで投げては掴んでをしながら歩いていた。小銭入れの中には大量の小銭が入っているようで、ちゃらっ、ちゃらっと大きな音を出している。


 「……おっかしいなぁ。確か十年前、この近くで何度かシゴフミと会ってたんだけどなぁ」


 男は小銭入れを袴の中に入れると、彼は頬を掻きながら周囲を見渡した。その様子を見ながら二人は警戒しつつ、様子を伺う。


 「なんか凄い格好した人が来たね。腰の方にはドスを隠し持ってそう」


 「ちょっと近づかない方がいいかもね」


ひそひそと小声になって背を向ける犬司と美咲。するとその男は去ろうとした二人に話しかけてきた。


 「なぁ、あんちゃんたち。ちょっと聞きたいんだけど、ここら辺に『猫又の伝説がある石碑』って存在しないかな?」


 男の質問に犬司は答えようとした。


 「あ、そこなら……むぐっ」


 「し、知りませんわぁ!ちょっと用事があるので行きますね!」


 「そうか、残念だ。ありがとう気を付けてな」


 美咲は犬司の口を押さえそのまま物陰に逃げ込んでいった。




 近くにあった家の物陰に入り、犬司と美咲は男の様子を見つつ話していた。


 「おいおい、あまりにも塩対応過ぎないか?あの人、見た目はアレだけど、絶対悪い人じゃないだろ」


 「言ったじゃん、ここら辺は怪しい人が徘徊してるって。それにもしかしたらクロイシの人たちがいるかも知れないでしょ。私たちはこれから大切な戦いを控えてるって!」


 美咲は興奮気味に話していたので、犬司は少し冷静に対応しつつ言った。


 「悪い。それと美咲、あまり興奮しすぎると咳き込むぞ。あと、どっちに転んでも情報は掴めると思うし、もう少し様子見てみようか」


 しばらくして猫が男の足元に擦り寄ってきた。甘えているようだ。彼は猫を抱き上げ、ベンチに座り撫でながら恍惚の表情でまったりしている。


 「……悪い人ではなさそうだな」


 「そうだね」


 動物好きの二人は、二人で頷いた。彼の様子を見たのか安心し、物陰から出てきた。自由気ままな性格の男は時間を気にせず、時間が許す限り、猫を撫でていそうな雰囲気を醸していたのだった。




 「すみません!嘘ついてました!」


 真っ先に犬司が謝る。そして美咲も謝る。びっくりしたように男は二人を窘めた。


 「え?悪い?何のことか、俺にはさっぱり」


 「猫の記念碑はここなんですよ。あなたの足元にあるんです」


 男は足をあげてみると、その足元に小さな記念碑があった。そして笑う。


 「これは誰も気づかないよ!!俺も今、言われるまで気が付かなかったもの」


 「小学生は色んなもの見てるし、身長が低いからねぇ」


 美咲は頷きながら言った。そして、彼に何故、「猫又の記念碑を探しているのか」を犬司は尋ねた。すると、彼は笑いながら教えてくれた。


 「俺の名前は『浅葱 京介(あさぎ きょうすけ)』単なる猫好きなんだけど、あんちゃんたちも知ってるかもしれない。この町には浅川 文生(あさかわ ふみお)って伝説の作家が居たんだ。ちょうど俺が高校生の時に今の嫁さんと一緒に、この町に『猫又の導き』によって訪れたのよ。『五代目の飼い主探しをしたい』って猫又の熱い想い。それから、飼い主の死を看取る役割がその猫又にあったわけだ」


 「そうなんですね……で、今その猫又は?」


 「それが分からんのよ。失踪してから十年。『猫は死に際を飼い主に見せない』って言うじゃん?死期が近くなったから、そっともう一匹の猫又と姿を消したのだと思うのだけれど」


饒舌気味に語る京介。犬司は猫好きの本分が疼くのを感じていた。そして自分の飼い猫の写真を見せる。


 「すっげぇ、壮大な話なんですね!!あ、俺『鷹山 犬司(たかやま けんじ)』って言います。こいつは『小鳥遊 美咲(たかなし みさき)』って言います」


ぺこりと頭を下げる美咲。そして、犬司は仕切り直して京介にスマホの画像を見せた。


 「うちにも猫居るんですよ!こいつ。クロって言います」


可愛らしく写っている猫の写真を京介に見せた。京介はたまらんとばかりに、額に手を当てて悶えた。そして、何かに気が付いたのか、もう一度画像を注視している。


 「なぁ、犬司くん。この写真ちゃんと見たか?キミんとこの猫、多分『猫又』だぞ」


 「えっ、まじっすか」


 「え、ええええ?!嘘でしょっ!!ケホッケホッ」


 犬司は美咲の背中を擦り、話を続ける。美咲が落ち着いたころ口を開いた。


 「この子、ずっと見てたけど猫又って様子は無かったですよ?」


 「そうだよなぁ!ミサキチもそう思うだろ?」


 「ちっちっち。甘いよあんちゃんたち。猫又は猫又っぽく過ごさないのさ。因みに犬司くん。その『くろにゃん』と過ごしてて、何年経つんだ?」


 「ええっと……小三の時にこの場所で拾ってきて、それから今に至るから、……八年は経つなぁ」


 「そうか、じゃあ人間換算で四八歳から五〇歳ってとこだな。でも体力とか衰えてないだろ?」


 「言われてみれば」


 「風邪とか病気にかかったことは?」


 「言われてみれば、無いっすね」


 「極めつけは、ほら、この画像。尻尾のとこ見てみ?一見、一本に見えるようで、先っぽが分かれて二本になってるじゃん」


 「あ、全然気が付かなかった!」


 「ホントだ!すっごい発見!」


 俺も伊達に観察してないからな。と京介は鼻を鳴らしながら言った。広く浅く知識を網羅している美咲も、この手の猫の知識には敵わずお手上げだったようだ。そして、犬司に忠告するように言った。


 「大体の奴は、自分が猫又って知られると、人前から姿を消す場合が多い。開き直ってる奴もいるけどな。ただ、俺もこうして二十五年生きてきたが、猫又の道は深いぜ」


頷く京介。そして、犬司は京介に『高校時代の猫又の話』を聞くことにした。


 「その、つかぬ質問なのですが、京介さんがお会いした猫又ってどんな猫なんですか?」


 「んー、そうだなぁ。真っ黒で百五年生きてて、でもって語尾に『○○デシ』って付けるひょうきんな奴だったよ。つがいの白い猫又と一緒に去ってったけどな」


 「ひゃ、ひゃくごねん?!」


 「ってことは大正時代でしょ?!めっちゃ長生きじゃん!!」


 「そーなんだよ。今生きてたら八年経ってるから百十三歳になるかな。流石に会えないよな」


 京介は笑った。そして、犬司たちに一言言った。


 「まぁ、今度会ったら酒でも飲もうや。うちは『楼雀組(ろうざくぐみ)』って組だが、カタギだからいつでも遊びに来いな。連絡先、念のため控えさせてくれや」


 そう言って二人と京介は連絡先を交換し、肩を揺らしながら去って行った。


 「なんだか気持ちの良い人だったね」


 「そうだね。なんか、ああいう人が世界を救うのかなぁ。なんて」


 犬司と美咲は二人で考えていた。




**


 一週間ほど経った日。犬司たちは森城町での一軒を終えて、霧前市に戻っていた。


 鏑木市(かぶらぎし)。近代化した港町では、コンテナの裏側で抗争が起きていた。チーム狂犬「RED」とチーム野猿「Yellow」。二大化するカラーギャングは人数を増やし、手腕を広げて夜な夜な警察に抑えられる。彼らは社会に対する抑圧された不満感情を抑えきれずに爆発し、暴徒は学校に行かずに、弱いものをいたぶったり、強いものに巻かれたりしていたのだった。そして、彼らはその矛先をある組に向ける。それは「楼雀組」だった。




 「俺らの力は絶対に強い。この力は無敵だ。その矛先でヤクザの資金源を狙おうと思う。数で攻めれば怖くないぜ!」


 「RED」の首領アザミは「Yellow」を倒して、すっかり驕っていた。アザミは大声で叫ぶと、そのままバイクの群れを率いて高速に乗り、霧前市まで爆走していった。そして、楼雀組に奇襲をかけた。




**


 夜の十時を過ぎるころ、京介の妻であるひのは縁側で月を見ながら苦しそうにお腹を擦っていた。


 「ふぅふぅ。もうじき生まれるからねー、ちょっと安静にしていないと」


そして、その時、何台かのバイクの群れが、轟音を立てて楼雀組の門前に押し寄せた。


 「首領(ドン)、出てこい!!俺と決闘しやがれ!!さもないと夜な夜な押し掛けてやる」


 大きな声で騒ぎ立てるアザミ。そして近隣の住民は何が起こったのかと、窓から様子を見ていた。




 そして、楼雀組の組員が門を出て文句を言おうとした。


 「おい、お前ら、何時だと思ってんだ!!はったおすぞ!」


 「やれ!」


 そう言って、その組員の男を捉えて、バットでいたぶって、そのまま縄で柱に縛りつけた。


 「これは見せしめだ。お前ら、俺が誰だと思ってる!こいつらなんかに負けない」


 ひのは門の隙間から見ていて、その様子を見て震えていた。「ったく、何やってんのよ、アイツは」と心の中で思うのだが、しかし声が出なかった。


 「お嬢、久し振りに大変なことになりましたね!」


 「そうね、ほんっと私はついてない。旦那はなんか知らんけど、森城町のシゴフミのとこに行ってるし。しかも生まれる時になって救急車も呼べないとか、ふざけてんのかって感じ。ちょっと電話持ってきて。あいつに一言言うから」


 「うす、わかりやした」


 そして、組員が電話を持ってくると、電話口に出た京介にひのは大声で怒鳴った。


 「お、俺だがどうした?」


 「あんた!!どこで油売ってんのよ!!さっさと帰ってきなさい!!今、親父もお袋も不在でその中にカラーギャングが襲撃してんのよ。分かんないの?」


 「……え、まじで?!」


 「しかも、生まれそうなのに、旦那がいないって父親失格もいいですこと」


 ひのは皮肉を言うだけ言うと電話を切った。受話器をそのまま投げたくなったが、組員の男の手にそっと置き、そのまま具合が悪くなったのか、奥の部屋で横になった。


 「もう、誰か助けてよ……」




**


 「やばい、まずった。俺も見方が甘かった」


京介は思う以上に切迫して、頭を抱える。どうするどうすると考え、第六感に頼っていた。


 「今からバイクで戻っても一時間。高速があるわけじゃない。『奴が生まれたら任せればいい』と思ってた俺が馬鹿だった。盃交わして五年。まだまだ新米さに呆れちまう。そんなこと言ってる場合じゃない」


 ふとよぎったのは犬司の顔だった。


 「あ、そう言えばアイツ、霧前市だったよな。でも、こう言う抗争にカタギを巻き込むわけにもいかないし……ええい、腹は背に変えられん。掛けちまえ」


 スマホの電話に手をかざすとコールが鳴る。そして、犬司が出た。




 「はい、もしもし」


 「悪い、犬司くん。君の力を借りたい。ちょっと、今まだ森城町にいるんだが、嫁が妊娠してる中、カラーギャングが霧前市に押し寄せて、うちの組を襲撃したんだよ」


 「はい、なんで俺なんすか?……会って唐突過ぎません?」


 「無理を承知でお願いなんだが、つい最近、ここらで犬司くんがずっと武道を習ってたって聞いてな。うちの組の連中も闘ってるんだが、加勢してほしいんだ。最近、新聞で功労賞を受賞して取り上げられたばっかだろ」


 「は、はぁ。でも、俺が出来ることなんてありませんよ。せいぜい習ってたのは、コマンドサンボくらいで」


 「俺が行くまで、何とか繋いでてくれ。頼む」


 「……分かりました」


 犬司はしぶしぶと返事をすると電話を切る。そして、部屋で柔軟をして全身に防護用のサポーターとヘルメットを巻いた。


 「一回こういうことに首突っ込むと、後に引けない運命なのかなぁ。猫好きの宿命なのかも。あはは」


 乾いた笑い。そして、そのまま自転車を漕いで、楼雀組の敷地に向かった。




 「頼んだよ、犬司くん。俺も間に合わせるから」


祈り、そのままスマホを切る。そして京介はライダースーツに着替えるとバイクを飛ばした。




**


 夜十一時。組員総出で闘っているが、なかなかしぶとい。REDのギャングたちは音を上げるどころか、士気が高まっていた。一時間ほど敷地の中に一歩も踏み入れないように籠城をしていた。


 「いいか?相手はガキだ。絶対にドスや日本刀で殺すな。不殺生がうちのモットーだ」


 「オス!俺ら、長兄が来るまで戦います!」


 士気が高まる楼雀組の組員。そしてREDのアザミは叫んだ。


「お前ら、やれ!!お前ら、殴れ、蹴れ、千切れ!!」


 「うおおおおお!!」


 バッドを持って殴っている。そして、プロテクターをしている組員たちは、息をあげながら必死に戦っていた。その時、犬司が到着し、大きな声で言った。


「お前ら、俺らが相手だ!」


 犬司は何人かの師範の門下生に連絡を取り、挟み撃ちにする形でカラーギャングを攻めていく。門側には、楼雀組の組員。組員は突如の応戦に目が輝く。そして、彼らの勢力は徐々に衰退していった。




**


 深夜十二時。REDの抗争部隊も徐々に勢いが衰え始める。その時京介はバイクで到着した。そして、そのまま門の前で叫んだ。


 「お前ら、うちの組をなんだと思ってんだ!!うちの家族をなんだと思ってんだ!!さっさと巣に帰りやがれ!!」




 「うう、長兄……」


 何人かは感極まって涙を流した。そして、アザミが叫んだ。


 「ヤクザなんて、ただの社会のまがいもんだろうが。迷惑かけてる俺らと変わんねーよ!この税金ドロボー!」


 「なんだとぅ!?」


 京介がカッとなった時、犬司は制するように言った。


 「あの、話を折って悪い。あんたら、なんでそんなにぐれてんの?『クロイシ』と言い、社会に非生産的なことをして、意味のない暴力繰り広げて。俺には全く理解できない。力(ちから)って誰かを守るためにあるんじゃないの?」


 「……」


 「俺にはヤクザとかギャングとか分かんない。正直、京介さんともこの前会ったばっかだった。でもね、俺には痛いほど誰かを愛している気持ちが伝わってくるんだ。それをあんたたちの暴力で踏みにじってもいいものなのか?」


 「おい、うるさいアイツを黙らせろ」


 アザミがそう言いかけた。そして、犬司はその言葉を制するように言った。


 「そうやっていつも手下に汚い所を処理させようとする。嫌だね。俺はそんな生き方。来いよ、相手してやるよ。タイマン張ろうぜ」


 犬司は挑発した。アザミは、怒りを静かに燃やしながら、犬司の前に歩いて行った。


 「分かった。俺がお前と勝負して、もしお前が負けたら、この組のカネや財産を渡してもらおう。もし勝ったら何も言わずに帰ってやる」


 「ちょっと俺は無関係者で、そこまでは関与……」


 「やれ、犬司。俺の盟友としての命令だ」


 京介は言った。それだけ全幅的に彼に信頼していたからだ。




 「分かりました」


 そう言って、犬司はプロテクターとヘルメットを脱ぎ捨てて、メリケンサックを嵌める。アザミもヘルメットと金属バットを捨て、そのまま犬司の胸元まで近づいて襟を掴み、睨み付けた。


 「男だろうが、大人だろうが、言った言葉は撤回出来ないからな。覚悟しやがれ」




**


 犬司はその後、大勢の男たちの前で闘った。アザミは威嚇するように大振りの蹴りをかましてきて、パンチも何度も叩き込んだ。しかし、力任せにバッドで殴ったり、大声で虚勢を張っている彼にとって、喧嘩と武術は全く別物だった。犬司は小さく身を構え、最小限に被ダメージを留める。長期戦で疲弊した肉体も、呼吸を整えて。


 顔の近くに来た回し蹴りを犬司は腕で小さくガードし、そのまま、振り返って鳩尾(みぞおち)にひじ打ちを入れた。


 「ぐっ……」


 「まだやんのか?」


 うずくまっているアザミに犬司は聞いた。しかし、まだ立ち上がる様子だったので、犬司は応戦。犬司は普段から鍛えているので全くと言って良いほど、打突が利かなかった。しかし、優勢に進んでいる勝負に驕り、余裕をかましてしまう。アザミはその隙を狙ってストレートを打ち、犬司は左頬に貰ってしまう。そのまま右頬に連打されて、顎を打たれ、うずくまっている所に頭を踏みつけられる。そして犬司は地面を舐めた。


 「甘いんだよ。このまま勝てると思ったのか?」


 「くっ、油断した」


 犬司は自分の慢心を嘆いた。そして、立ち上がって呼吸を整える。そして、殴りかかってきたアザミの腕を掴んで「スライディングアームロック」をし、腕を固定、その後左ひじで顎へのひじ打ち。そのままふらついている隙を狙って、わき腹から胴体を掴んで「裏投げ」で身体を捻って地面に投げ落とした。「カニばさみ」で関節を決めようとしたが、既にアザミは気絶していた。犬司は肩で息を上げながら、呟いた。


 「勝った……技名を付けるなら『アメリカンボブテイル・スロウ』って感じだろうか。とても疲れた」


 そのまま犬司は膝をつき、肩で息をしていた。京介はそばに駆け寄って犬司の肩から着ていた着物を羽織らせる。




 「嘘だろ……REDの狂犬がやられちまった!」


 「俺らの負けかよ!」


 そして、しぶしぶと逃げようとしたとき、パトカーが数台、騒ぎを聞いて集まってきた。京介は犬司にそっとつぶやいた「今すぐ逃げろ。そして、数日後また来てくれ」


厚い札束の入った封筒を犬司の上着のポケットにねじ込むと、そのまま犬司の背中を強く裏の方へ押した。戸惑っている犬司だったが、京介はアイコンタクトで「行け」と言うっきりで、何も答えなかった。




 その後、事情聴取が入った。REDの現場で抗争を繰り広げた数人は逮捕され、少年院に。楼雀組の数人と京介は事情聴取のために署に連れられて行った。




**


 一週間ほどたち、また静かな一日が戻ってきた。京介は何事もなく、楼雀組には最小限のお咎めで済んだようだ。京介は近隣の住民に挨拶回りをしていた。


 その間、ひのの子どもが生まれたようだ。男の子だったようだ。名前は「いおり」と名付けられた。それから、京介は組員を連れ、近所で挨拶回りをしていた。




 「その節は迷惑を掛けました。ホントにお騒がせしてしまい、すみません」


 「いえいえ、とんでもない。京介さんに代わってから、ホントにここんとこ空き巣もないし。噂によれば、男の子生まれたんでしたって?」


 「いやー、俺も鉄砲玉みたいなもんで。でも、これで家に縛られますわ。あはははは」


 京介は笑う。近所の奥様も嬉しそうに話していた。




 「では、また何かあったらなんなりと仰ってくださいな」


 そして、玄関を出てほっと溜息をついた。


 「長兄、良かったっすね。何事もなかったようで」


 「ほんっとな。うちの組の信頼がそれだけ厚いってことだ」


 嬉しそうに組員と話す京介。そこに、犬司が恐る恐る話しかけた。


 「あ、あの、京介さん?ありがとうございました」


 「あ、犬司?お疲れー。学校終わったのか?」


 「……あ、はい。あと、こんなに受け取れません」


 封筒を丁寧に突き返す犬司。額面はおおよそ三十万円ほど入っていたようだ。しかし、京介は決して受け取ることはしなかった。


 「こんな金、すぐに稼げるよ。うちの組をなんだと思ってんだよ。勝負師の兄貴もいるから安心しろ」


 「そうじゃなくって、なんかお金受け取ったらこれっきりになっちゃいそうで……」


 犬司は恥ずかしそうに答えた。京介は一旦お金を受け取った。そして、その言葉を聞いて組員と顔を見合わせ、頷いた。そして、犬司の頭を撫でながら嬉しそうに言った。


 「分かった。その金の代わりにもっといいものをやろうか」


 「へ?」




**


 楼雀組の大広間。組員たちが総出で正座する中、ひのの父、浅葱 大吾(あさぎ だいご)が取り仕切る。


 「大儀であった、鷹山 犬司。今から、組員総出で兄弟杯を交わそうと思う。お前は未成年であるが、酒を交わすことを赦して欲しい。ここに労を果たし、組を守ってくれたのだ。何かあったときはいつでも呼びなさい」


 「はっ、ははぁ」


 犬司は畏まって畳を舐めるように頭を下げた。和装に着替えた犬司だったが、組員に囲まれて震えていた。


 そう言って、大吾は徳利を振って、人数分ある盃に酒を注ぎ分けた。そして、清めの塩を菜箸を使って盃に分ける。一通り終わった後、白装束を着た京介がお神酒台を持つと、そのまま中央に行った。そして、一人一人に回りながら、注ぎ分けた酒を正座する組員の手元に置いた。


 そして、静かな声で大吾が言った。


 「出廷ぶっている方々に申し上げます。その盃は兄、舎弟の契りを結ぶ、意義深い盃です。その盃を飲み干すと同時に、義兄弟としての強い絆が結ばれます。心してその盃、三口半に飲み干しまして、懐中しっかりとお納めと願います。……ご一緒にどうぞ」


 組員は頭を下げ、静かに盃に口を付けた。犬司もむせかえるような酒の強い匂いに堪えながら、三口半の酒を一気に飲み干した。そして、組員が盃を伏せ、懐紙で包む。それを見よう見まねで犬司も行った。そして、装束の懐に収める。


 大吾は中央に行って静かな声で言った。


 「只今、盃を受けられました方々に申し上げます。ここで大義分に挨拶をいたします。大義分の方へお動き願います」


 そして、大吾を先頭にして、組員たちが前を向き、掛け軸の前を前に大吾は言った。


 「力強くなりきり、正しくお願いしますと、ご一緒にお願いします……大儀、よろしくお願いいたします」


 「よろしくお願いします」


 組員全員が言って、頭を下げ、そして拍手が沸き上がった。そして、大吾の妻、咲(さき)が場を締めた。


 「これを持ちまして、兄弟(あにおとうと)血縁盃を終わりにさせて頂きます」


 また拍手が沸き上がった。




**


 一通りの盃の儀が交わされたのち、犬司はどっと疲れて門の前にいた。


 「犬司兄、今日からよろしゅうお願いします!」


 「これに懲りず、いつでも遊びに着て下せえ」


 犬司は、「これはこれは面倒ごとに巻き込まれてしまった」とは言えなかった。京介は苦笑いしながら門を後ろ手に犬司の肩を叩いた。


 「この装束は記念にやるよ。『組を抜けたら命が狙われる』とか、そんな重いもんじゃない。むしろ、俺らの『猫好きの儀』を交わしたと思ってくれ」


そして、犬司は笑った。




 数日後、犬司は気づく。装束の中には突き返した三十万円がそっくりそのまま入っていた。封筒の中に、一つ手紙が入っていた。


 「喘息持ちの彼女のために使ってやってくれ。 By京介」




 「ここまで見抜かれていたとは。もう何も言えないよ」


 そう言って、犬司はそのお金をそっと引き出しの奥にしまったのだった――。

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