喫茶 放送室

新成 成之

パンケーキとミルクティー

「いらっしゃい」


 重たい木製の扉を開けると、ドアベルがカランコロンと鳴り、僕の入店をマスターに知らせてくれた。


 僕が訪れたのは、学校近くの喫茶店。その目的は、珈琲を飲むためではない。僕はあの苦い黒色の液体がどうも苦手なのだ。つまり、珈琲ではない他の物。


「御注文は何に致しますか?」


 カウンターと少しのテーブル席しかない店内で、僕は迷わずカウンターに腰掛ける。何故なら、そこなら“見える”からだ。


「パンケーキと、ミルクティーのアイス下さい」


 マスターは小さく「ありがとうございます」と言うと、早速鉄板に油をひいた。


 そう、僕がこの喫茶店に来たのは珈琲を飲むためではなく、パンケーキを食べる為だったのだ。


 自分でこんなことを言うのもあれだが、僕は無類のパンケーキ好きだ。これまでに訪れた店は数しれず。そのどれもに一人で訪れては、一人で食べては満足している。そう、僕はパンケーキ巡りが趣味なのだ。


 男子高校生という肩書きの僕には、一つ800円〜1000円以上するパンケーキは、とても高価なものである。その為、少ないお小遣いをやりくりしながら、月に数回だけこうしてパンケーキを食べに行っているのだ。


 そして、この店には先月から通っていて、ちょっとした常連になりつつある。と自分ではそう思っている。


 マスターは濁りのないミルクティーをカウンターに置くと、パンケーキ作りに取り掛かった。店内に流れる知らないバンドの音楽と共に、カウンターの向こう側、一際目立つ鉄板に流された小麦色の生地が心地の良い音を奏でる。僕はミルクティーを濁さないように、ゆっくりとストローで啜ると、じっとマスターの作るパンケーキを眺めていた。


「君は、本当にパンケーキが好きなんだね」


 すると、いつも無口なマスターが話し掛けてきた。あまりにも突然の出来事に、一瞬何処からの声かと辺りを見渡してしまった。


「あ、はい!好きです!」


 自分でも、ちょっと頭が悪いなと思える挙動に、思わず顔が熱くなってしまった。


「来る度に注文してくれてるもんね。欲を言えば、珈琲も飲んでもらいたいんだけどね」


 どうやら、マスターとしては珈琲を推したいらしい。しかし、マスターには申し訳ないが僕の子供舌には、あれは厳しい。

 

 それにしても、いつも珈琲カップを無言で磨いてるマスターがこうして僕に話し掛けてくれるなんて。これで、僕もこの店の常連って事なのかな。


「君みたいな学生さんがこうしてこんな小さな店に来てくれるのは、店をやってる側からすると凄く嬉しい事なんだ。

 実はね、こんな仕事をしていながら、極度の人見知りなんだよ」


 マスターはパンケーキを器用にひっくり返すと、話を続けた。


「だから、顔を覚えて、どうにか話しかける勇気が出た人にしかこうして話し掛けられないんだ」


 マスターは黒のエプロンに、眼鏡が良く似合う大人の男性だ。いつも無口なのは、クールな人だからだと思っていた。けれど、僕と話しながら一切目を合わせないところを見れば本当に人見知りなんだろう。個人経営の店主にしては、変わった人だ。


「はい。パンケーキお待たせ」


 そう言って、マスターはいつもの様に生クリームが添えられた黄金色のパンケーキを出してくれた。


「ありがとうございます!いつ見ても美味しそうだ!」


 僕は早速手を合わせると、ナイフとフォークでパンケーキを頂く。


「う〜ん!美味しいぃ!」


 僕がこの店に通っている理由は、このパンケーキの味である。色んな店を食べてきたからこそ分かる、ここの美味しさ。これの虜になってから僕はこの店にしか来ていない。


 マスターとの距離が少しは縮まった嬉しさと、パンケーキの美味しさにホッコリしていると、カランコロンとドアベルが店内に響いた。


「どうも、いらっしゃい」


 マスターが入口の方を見てそう言った。そう、人見知りのマスターがだ。俺の時は小さく呟くだけのマスターが、しっかりとお客さんの方を見たのだ。僕はその正体が気になり、パンケーキを頬張りながら入口の方に振り向いた。


「マスター、珈琲とこの間の曲流してくれる?」


 そこに居たのは、他校の制服を着た女の子だった。身長は僕より少し小さいくらいだろう。首には真っ赤なヘッドフォンが掛けられていた。いかにも、音楽好きといった雰囲気のする女の子だった。


 すると彼女は迷わず店の一番奥にあるテーブル席に着くと、背負っていたリュックから一冊のノートを取り出した。それから何やらそのノートに書き込み始めた。


 一連の出来事に咀嚼もさずに呆気に取られていると、マスターが少し笑って珈琲を入れ始めた。


「フォークに付いた生クリームが落ちるよ」


「うぉっ!」


 後少しでズボンに落下しそうだった生クリームを既のところで頬張る。


 マスターは慣れた手つきで珈琲を入れると、さっきの女の子が座る席までそれを運んだ。


「この間のって、この前持ってきてくれたやつでいいのかな?」


「そうそう」


「かしこまりました」


 何やら彼女から確認を取ると、マスターはカウンターに戻り、後ろの棚からCDを取り出した。そして、それを機械に入れると、おもむろにボタンを押した。すると、さっきまで店内に流れていた知らないバンドの曲が消え、もっと知らない―海外のバンドだろうか―ロックチューンが流れ始めた。


「マスター?何したの?」


 僕はパンケーキを半分食べたところで、口元を拭いてミルクティーを一口飲んだところで尋ねた。


「ああ、今ねあの子のリクエストをかけたんだよ」


「リクエスト・・・?」


 記憶を必死に辿るが、メニュー表にはそんなもの何処にも書かれていなかったはずだ。


「うちの店の名前って『喫茶 放送室』でしょ?それでね、うちの店では、お客様が流したい曲のリクエストがあればCDを預けてくれれば、いつでも流しますよっいうサービスをやってるんだ。あれ、知らなかった?」


 この店を初めて見た時、何故店名が『放送室』なのかと不思議に思っていたが、まさかそういう意味があったとは。


 つまりは、学校の放送室みたく、客からリクエストがあればCDさえあればかけますよっていう事なのだろう。だとしても、喫茶店で洋楽のロックは如何なものだろうか。


「初めて知りましたよ。それで、あの子がリクエストしたこの曲、何て曲なんですか?」


 そう言って僕は天井を指さした。すると、マスターから思わぬ答えが返ってきた。


「さあ?海外のアーティストは全く分からないから、分からないや。それに、読めないし」


 マスターが見せてくれたCDには、アーティスト名と曲目らしきものが書かれていた。だが、確かに読めない。


「気になるなら彼女に聞いてみたら?」


「あ、いやそこまでじゃないんで、大丈夫です・・・」


 流石に、見ず知らずの人から「この曲何?」って聞かれても、あっちも答えにくいだろう。それに、僕とは違う高校の子だ。一層聞にくい。


 それから僕は残り半分のパンケーキを食べ終えると、慣れない洋ロックに耐えられなくなり足早に店を後にした。帰り際、あの子の方を見てみたが、流れるロックにリズムを取りながら、ノートに何かを書いていた。



*****



 その一週間後、僕はまた『喫茶 放送室』に来ていた。しかも、今回は僕の好きなバンドのCDを持ってだ。


「いらっしゃい」


 ドアベルの音に反応して、マスターが挨拶をしてくれた。しかし、珈琲カップを磨きながらだった。先週来た時に少しは仲良くなれたかと思っていたが、マスターの人見知りは一筋縄ではいかないようだ。


 それでもめげずに僕はいつものカウンター席に着くと、持ってきたCDをマスターに渡した。


「あの、マスター。CDを持ってきたので、良かったらかけてくれませんか?」


 そのCDは、僕が中学生の頃から好きなバンドのアルバムだ。まだパンケーキに目覚めていない頃、僕のお小遣いの使い道は、このバンドのCDだった。


「いいよ。それにしても、懐かしいCDだね」


 誰もが知っているバンドだ。マスターが懐かしいと思うのも当然だろう。


「一番好きなやつなんですよ」


「分かるよ。見れば直ぐに分かるね」


 そう言われ、何故か照れくさくって急ぐ様に注文をしていた。いつも通りの、パンケーキとミルクティー。マスターも何故か嬉しそうに、「ありがとうございます」と言っていた。


 聞き慣れた音楽が流れる店内で、僕はミルクティーを一口。店には、僕とマスターしかいない。とても落ち着けるはずの空間なのに、どこかそわそわしている自分がいた。


「あの子なら、もうすぐ来るんじゃないかな?」


「へっ?!」


 パンケーキの生地を鉄板に流し込んだところで、突然マスターはそんなことを言ってきた。僕は一言も、あの子のことなんか言っていないのに、まるで心を見透かしているみたいにマスターはそう言ったのだ。


「CD持ってきてくれたのも、あの子の為なんでしょ?」


 マスターはただパンケーキを焼いている。そのはずなのに、とても見られているような気がしてならなかった。


「この店にCD持ってきてくれる人の殆どがそういう人だからね。別に、変なことじゃないよ」


「いや、あの・・・、そんなこと考えてなかったんですけど・・・」


「そうなの?でも、少しは考えたんじゃない?『僕の知ってるこの曲を、あの子にも聞いてもらいたいな』って」


 マスターにそう言われて思わずはっとした。僕は最初、『喫茶 放送室』の変わったサービスを使ってみたい、そう思っているだけだった。だけど、あのCDを選んでいる時、誰かに聞いて欲しい、そんなことを確かに考えていた。それが、あの子だとは考えていなかったと思うが。


───カランコロン


 するとドアベルがお客様の入店を知らせてくれた。僕はまさかと思い振り返ると、そこには先週も来ていた赤いヘッドフォンの女の子がいた。


「マスター珈琲お願い───あれ、この曲知ってる。マスターの選曲?」


 店に入る時にはちゃんとヘッドフォンを首に掛ける彼女は、僕のリクエストに気付いてくれたのだ。


「いや、違うよ。ここにいる彼のだよ」


「ちょ、マスター?!」


 マスターは仕上げの生クリームを丁寧に絞りながら、僕を二人の会話に登場させてしまったのだ。


「へぇ、君いい趣味してるね」


 学校も違う、学年も知らない、何なら名前も知らない、ただ同じ喫茶店に通うだけの女の子に笑い掛けられ、思わず可愛いと思ってしまった。


「───ありがとう」


 僕がそう言うと、彼女はもう一度にっこり笑い、先週のテーブル席に座ってしまった。


「はい、お待たせ致しました。パンケーキです」


 頭がぼーっとして、何も考えられなくなっていた。それでも、マスターがパンケーキを出してくれたことだけは分かった。


「早く食べないと、冷めちゃうよ?」


 マスターの言葉に、焦点がパンケーキに合う。目の前にこんなにも美味しそうなパンケーキがありながら、何を惚けていたのだろうか。僕はミルクティーを一口飲むと、パンケーキを頂いた。


「パンケーキってさ、出来立て、作り立てが一番美味しんだよね」


 マスターは当たり前のことを、清々しい表情で呟いていた。 

 

「だから、パンケーキってテイクアウトとか、店で買って帰るって事無いでしょ?お客さんの前で、お客さんに出す為に作らないと、パンケーキの良さが無くなっちゃうから」


 確かに言われてみれば、パンケーキの専門店なるものはあっても、そのどれもがお店で注文して、お店で食べるというスタイルだ。だからこそ、ふわふわの美味しいパンケーキが食べられるのだろう。


「その人の為に作るから、美味しいのかもね」


 喫茶店のマスターでありながら、さながらパンケーキ職人のような貫禄を感じた。それはきっと、誰かの為を思っている人だからこそ言える台詞なのだろう。


「はい、珈琲お待ちどうさま」


「ありがとうマスター」


 珈琲を入れると、テーブル席に座る彼女の元にそれを出しに行った。あの子の珈琲だって、僕のパンケーキと同じで、その人のためにマスターが作ってくれたものなんだ。きっと、美味しいんだろう。


「今日は曲のリクエストはいいのかい?」


「うん。今日は今流れてる曲が聞きたい気分なんだ」


 彼女が聞きたいというその曲は、僕が持ってきたお気に入りだ。何故だろう。僕が作った訳でも、歌っている訳でもないのに、こんなにも嬉しいのは。


「そっか」


 マスターも嬉しそうにそう言うと、カウンターに戻って来た。


「何か、嬉しいです」


「そう思ってくれてることが、自分としても嬉しいよ。ここに来るお客さんには、そんな幸せを感じて欲しいと思って始めた店だからね」


 『放送室』はきっと、学校の放送室から来ているのだろう。小学生の頃、給食の時間になるとよく最近の流行りの曲が流れていた。それは、放送委員会の人がお昼の放送に寄せられたリクエストから選んで流していた曲だった。当時、僕もリクエストをした覚えがある。その曲が流れた時、「この曲知ってる!」「あ!これ好きなやつ!」とクラスの子が言ってくれたことがとても嬉しかった。僕が好きなものを知ってる人、好きな人がいるのが嬉しかったのを覚えている。きっと、今もその時と同じ気持ちなのだろう。


「何か不思議ですね」


「何がだい?」


「CDの曲って、出来立てじゃないし、誰か一人を思って作られた物でもないじゃないですか。それなのに、こうしていつ聞いても誰かの心に響かせられるなんて」


「確かにそうだね。今出来たものを目の前の人に伝える物や、いつでも誰にでも伝えられる物 、それぞれにちゃんとそれぞれの価値があるからね」


「その両方がここにはあるんですね」


 マスターがどんな思いで、この『喫茶 放送室』を始めたのかは分からない。でも、僕がこの店が好きな理由が何だか分かってきた気がする。


「ところで、君の持ってるその気持ちはいつ伝えるんだい?」


「へっ?なんのことですか??」


 僕の返答がそんなにも可笑しかったのか、マスターは初めて僕の前で笑顔を見せてくれた。


「いや、気付いてないんだったらいいんだ。でも、その手の気持ちは言うならパンケーキみたいなものだから、気を付けなね」


「マスター・・・?それって、どういうこと?」


 店の奥のテーブル席、あの子が座っている方から笑い声が聞こえてきた。テーブルには前と同じくノートが広げられていた。


「いつか、気付いた時に分かるよ」




 その後、マスターの言葉の意味と、彼女のノートに書かれていたものを知ることになるが、それはまた別のお話。


 


 


 



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