三十五羽 赤いベルと静かなるキス

 手荷物の中に、いくらかのお金が入っていた。服を買った時のお釣りかも知れない。真血流堕さんとのことも色々とあったが、今は急く、彼女との家に向かった。千葉県からもそう遠くない東京とうきょう葛飾かつしか区だ。


 車窓を眺めていると、段々と景色が都会になって行く。葛飾区は、決して都市部ではないが、最近は、無機質な高層マンションも増えて来た。一戸建てに影がさす程に。


 ガンガン。


 無駄にうるさい階段を登り、懐かしきリバーサイドなかがわ二〇一号室の前に立つ。部屋の鍵を海に流してしまった。どうする? ドアノブを試しに回したら、開いたので驚いたよ。


 うさぎさん達を段ボールから出した。立ち上がってあたりを見回している。微笑ましくなった。


「窮屈だったろう……。ほうら、フローリングは痛いかな?」


 あれ? 俺ってうさぎさんと暮らしていた気がするな。何かうさぎさん用品もある。


 俺は、部屋にあったうさぎペレットをお皿にあけた。皆、きょとんとしている。ならば、おやつにと、乾燥リンゴも別の器に入れてみた。こちらは、食べたいらしい。


「パラダイスは、果物が豊富だったものな」


 そう言って、おでこを撫でた。


 俺達の部屋は、2DKだ。もしかして、彼女はダイニングの方にいるのかな?


「ひーな……。藤雛菊ふじ ひなぎくさん。俺、帰って来たよ」


 もう一つの部屋でも彼女を探す。


「雛菊さーん」


 ここにはいないのか。では、俺の曖昧な記憶に従ってみよう。


 ◇◇◇


 俺は、バスで亀有かめありより少し南にある彼女の部屋を訪ねた。


 一〇三号室は、二人部屋だ。


 部屋の入り口を確認すると、彼女の名前がある。藤雛菊様のプレートが俺の胸をとくんと緊張させる。生きていてくれたからだ。


 部屋の中は、もうお一方は今はお留守のようだ。中庭に面して窓際のベッドに、淡いピンクのカーテンが揺れる。


 俺は、会いに行ってもいいのだろうか。手には、花束もない。もし、寝ていたら起こしてしまわないだろうか。


 何より、ガラパパパ諸島での日々をどう処理したらいいのか分からない。美少女うさぎさん達や真血流堕さんとは、浮気をしたのだろうか。


 今は、そんなことを考えている場合か?


 彼女、雛菊さんの命のある限り、俺は見舞わなければならないのだろう。


 俺は、『緩和かんわケアハウス東京とうきょうみなみのそら病院』へお見舞いに来ていた。


 いわゆる、ホスピス――。


 ……雛菊さんがむしばまれていた癌から、生きる喜びを取り戻した。


 パラダイスで命の水を飲むがごとく。


「雛菊さん、藤雛菊さん」


 静かに声を掛けたが、彼女は、深い眠りについていた。俺は、椅子に腰掛け、破かれた真血流堕さんからの手紙を読み始めた。


 ◇◇◇


 しゃしゅけ先輩へ。


 まちりゅだです。


 尋ねたら、あっさりと、春原が『真血流堕』と命名したと話しました。これで、もうすっきりしました。まちりゅだで生きて行きます。


 しゃしゅけ先輩、本当は、まちりゅだは嘘つきでした。


 もっともっとぎゅっと抱きしめられたい。私からでも、キスをしたい。本当は、いやらしい女の子なのです。ひっつき虫とか呼ばれたいですね。離れろなんて言われてもきゅんきゅんです。


 一番好きなしゃしゅけ先輩は、一所懸命にがんばってくれて、苦労はなかったとにっこり笑うと、まちりゅだは、うさぎさんみたいになりたいです。構って星人来たぞー。


 そんな女の子もいたのかなと、覚えていてくれたら、最高の贈り物です。しゃしゅけ先輩、幸せになあれ。今まで、ありがとうございました。

 

 おちゅかれーしょん!


 まちりゅだより。


 ◇◇◇


 俺が手紙の件で不思議に思っていると、看護師さんが部屋に来た。俺は、手紙を紙袋にしまう。


「藤雛菊様とご交際中の方ですね」


「はい。本城佐助です」


 院長先生と看護師さんとで、特別な部屋に呼ばれた。


「もう、見守ること、お祈り申し上げることしか、我々にはできません」


「彼女、雛菊さんがか!」


 俺は、一旦、椅子から立ち上がり、呆然自失としていた。そのまま、がたりと椅子に身を任せた。


 看護師さんに支えられて、やっとその部屋を出た。何を話していたのか、よくは覚えていない。


 ◇◇◇


「弘前へ連れて行くんだ。母上様達に紹介したい。津軽塗つがるぬりし模様の大人な箸にブローチ、こぎんしの巾着をプレゼントしたいな。いつでもおいで……」


 彼女は、管に繋がれて、お人形のように眠っている。


「帽子がずれちゃったね。直してもいいかい?」


 ニット帽はピンクベージュとおとなしめの色合いで、彼女、雛菊さんに可愛らしさを添えている。


 二人部屋の隣室の人が、いないのではなくお亡くなりになったのだと、待っている間に気が付いた。ぞっとした。無機質なベッド。カーテンだけがやわらかい。


 人を愛するということは、いつまで続けられるのだろか? 死んでも愛しているとは、あり得るのか。そうなってみないと分からない。彼女との想い出は少ないが、一度でも愛した人だ。お金を支度するのも愛情だと思っていた。だが、バカなことに、俺が浦島太郎みたいにパラダイスへ行っている間に、彼女の病状は深刻なものとなっていた。


「く……。はは……」


 手も握らないでも、心が繋がっていたらそれで十分幸せだった。でも、ここまで来たら、もう、純愛を貫かなくてもいいよね……。


「本城です……。本城佐助です。遅くなったね……」


 両手で蛍をつかまえるように彼女の手を包み込む。やわらかいね。軽いね。でも、野上動物公園で遊んだり、苦手なそうめんを食べる姿も楽しく、まぶたに焼き付いている。


 脈があった。体温もあった。だが――。


 ――ピ。ピ。ピー。


 腕が重くのしかかった。




「うおおおおおおお! あああああ!」



「雛菊さん! 雛菊さ……! 雛菊……!」






 ◇◇◇


 それから、いつの間にか、俺は、斎場にいた。


「おい、雨だ。中に入った方がいい」


 外で待っている時、傘もいる程、降って来た。


 彼女とのパスワードは、『サヨウナラは赤いベルの向こう』だった。赤いベルってなんだ? ホスピスの中庭に何かあったな。


 皆、帰る頃、俺はホスピスへ寄った。


「この度は、大変お世話になりました。気になることがありまして、中庭を見せてくださいませんか」


「分かりました。どうぞ」


 中庭に出ると、大きな木があり、赤いベルがついていた。その赤いベルに赤いリボンが何本もぶら下がっている。


「藤雛菊様とのお別れをなさりにいらしたのですね。どうぞ、このリボンをお使いください」


 俺は、踏み台を借りて、ベルにリボンをかけた。降りると赤いリボンが俺の手にあったので、振ってみた。赤いベルが、シャーンと鳴る。


「これが、別れなのか……」


 シャーン。シャーン。


「いつか、再び会えるなど……」


 シャーン。


「もう、彼女は。大好きだった可愛いうさぎさんとなって、南の空にいるのだろうか?」


 シャーン。シャーン。


 俺は、思い出した。ホスピスから斎場へ行く時に、ご遺体にくちづけをした。それが、最初で最後の彼女とのキスとなった。いつもの、CHU・CHU・CHUの音楽は、流れず、パラダイスの賑わいから離れたのを実感した。


 さようなら。藤雛菊さん。初めての彼女。


 シャーン……。


 俺は。二人の愛する人とパラダイスの美少女うさぎさん達から、心が遠ざかって行った。


 ◇◇◇


 ギイイー、バタン。


 うちに帰ると、うさぎさんがいた。


 ただし、一羽だけ。他の四羽はどうしたのだろか?


 この子は、ヒナギクちゃんって、ホーランドロップイヤーラビットだった。我が家にいたヒナギクちゃんは、薄い茶の毛並みが、サンサンと輝くパラダイスでの健康美人女神ヒナギクの生まれ変わりなのだろうか?


 寡黙なヒナギクちゃんが、ご飯をねだった。


「可愛いな、ヒナギクちゃん」


 今になって、涙が、あつい涙がにじんで来た。


「大事にするからな」


 垂れた耳を撫でてやると、俺にぴとっと身を寄せて来た。


 真血流堕さんが俺にくれたおつかれーしょんハンカチ、これだけでは、心が寒いよ。


 やみくもに働かずにいたら、お金は、借りればいい。傍にいることだけが、彼女に幸せを届けられただろうから。俺も研究職でなければ本職にしたくないなどと意地にならなければよかった。



 傍にいて欲しいと、雛菊さんの言った意味を分かった。


 俺も同じ思いだから。

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