月の人

宮守 遥綺

月は泣き、星は添う

 夜空を模した高い天井から、ザワザワという話し声が降ってくる。

 在校生九学年分の話し声は、その一つ一つは小さくとも、集まれば大きな塊となって天井に上り、その人工の空によって増幅されては大広間中に降り注いだ。

 あまりにも大きなそれに痛む耳をやんわりと押さえながら、私は広間の前方、教師たちが並んでいる方向に目を向けた。


「静かに!」

 

 白く長い髭を揺らしながら、大柄な男性が、その年齢に見合わない張りを持った声を上げた。

 ピタリ、と音の雨が止む。

 しん、という静寂の音に満足したように彼は笑みを深くして、一つ大きく頷いた。


「また今年も、このめでたい日がやって来た。君たち一人一人は、一つ学年が上がり、何よりも全員無事に此処に戻ってきた。よかった。本当に良かった。そして先程、新しい一年生たちがこのグラン魔法学園にやって来た。今、『水晶の間』で寮分けの儀式を行っている。君たちが入学して来た時にやったのと同じ儀式だな。それが終われば、彼らも此処にやって来る。太陽、海、大地、星……それぞれの寮は、今日からまた新しい家族を迎えることになる。彼らが、新しい風を連れて来てくれることだろう。諸君らが、この一年でまた大きく成長することを、心から祈っておるぞ。お、一年生が来たようだな」

 

 真っ直ぐに入口のドアを見て彼が言った一言に、私は頬が引き攣るのを感じた。

 パチン、と一つ、大きく手を鳴らす音。

 同時に、ギギギ、と重い音を立てて、深い茶の、木でできた扉が開く。

 向こう側に見える、沢山の小さな頭。

 ザワザワという、声の雨。

  「さぁ、一年生の皆さんは、私について来てください」という、凛とした声が聞こえる。

 小さな彼らは、きょろりきょろりとその大きな目を、目一杯に動かして周囲を観察しながら、この大広間に足を踏み入れた。

 私の座る、海の寮の長机と、隣の大地の寮の長机の間を、彼らはきゃあきゃあ言いながら歩いて来る。

 段々と彼らが近付いて来るのを感じながら、私は俯いて黒いローブを握り締めた。

 本当は、ローブに付いているフードを被ってしまいたかった。それを被って、俯いて。誰にも私の姿が見えないようにしてしまいたかった。

 しかし正式な式典である入学式の場で、フードを被ることは禁止されている。だから私は、せめてこちらを向く好奇の視線から逃れようと、ただただ俯いて目を強く瞑った。


「ねぇ、あれ……」

「え、何で『月の人』が……」

「白い人は魔法が使えない、ってパパとママが言ってたけど、何で此処にいるんだろう……」

 

 声の雨の間から、細かい氷の礫が降りて来る。

 それは大広間中を照らす柔らかい蝋燭の明かりを受けて、キラキラと透明に、冷たく光りながら、容赦なく私に打ち付ける。そして柔らかい部分にぶつかっては、そこを少しずつ傷つけていった。

 毎年のことだ。このような言葉を隠れて投げられるのは。

 彼らも、見飽きればやがて何も言わなくなる。

 わかっている。

 わかっているけれど、この全身を突き刺す好奇の視線と、投げられる無意識の礫が、痛い。どうしようもなく痛い。

 脚が、手が、背中が、震える。

 だから、入学式は嫌いなのだ。


 

 『月の人』というのは、魔法族の中に時々生まれる、魔法を使うことができない人々のことだ。

 白銀の髪に、紅玉の目を持つのが特徴で、魔法族の血を引いているにも関わらず、魔法族が潜在的に持つ魔力を持たない。故に、魔法を使うことができないのだ。

 魔法族の者たちは昔から、魔法を使うことができない『普通の人間』を自分たちよりも劣った存在と考え、忌み嫌ってきた。彼らは、『普通の人間』は過去に大罪を犯し、それ故に魔力を奪われた、『咎の人』である、という認識を持っている。

 当然、そのような魔法族の中にあって魔法を使うことができない『月の人』たちは、他の者たちから忌み嫌われ、差別、迫害を受けた。

 『月の人』という名は、それはそれは美しく、気高いもののように聞こえる。

 だがその真実は、『月に魔力を奪われた、哀れな人々』『月の呪いを受けた者』という意味の、蔑称だ。

 私は、その『月の人』の外見を持って生まれた。

 魔法族の中でも古く、力を持つ家系である雲居くもい家。

 そこに生まれた、穢れた存在。呪われた子ども。それが私だった。

 父も母も、兄たちも。使用人でさえも、必要以上に私に近寄ろうとはしなかった。

 そして、「出来損ない」、「雲居家の恥」だと、言われ続けてきた。

 私自身、成長する中で自分が『月の人』と呼ばれる者であることを理解し、同時に自分には魔力がないのだということもまた、悟っていた。そのような者たちがこの魔法族の住まう世界において、差別を受け、迫害されることも。

 しかしその時、私は一人ではなかった。

 七歳になった魔法族の子どもたちが皆受ける、適性試験。そこでは、魔力の強さや量などから適性や、才能を測り、次の年に入学する学校が決められる。

 魔力が無く、魔法の適性が無いと分かれば、そのような人々が集められた学校に行くことができるのだ。そこには、自分と同じような子どももいるはずだ。『月の人』と呼ばれ、魔力を持たない子どもが、きっと。

 私は、そう思っていた。

 だからこそ、魔法界に五つある学校のうち、一番歴史が古く、一番の名門だと言われるこの、グラン魔法学園から入学許可証が届いたとき。

 私は驚き、そして、どうしようもなく泣きたくなったのだ。

 それから、七年。

 そろりと、目を開ける。

 視界の端に、キラリキラリと細く光る、白銀の髪の先が映る。

 私は、この髪を見る度に思うのだ。

 どうして、私は他の人たちと違うのだろう、と。

 純粋な魔法族にもなり切れず、かといって『月の人』にもなり切れない。

 中途半端な、はみ出した存在。

 一体、私は何者なのだろう。

 どうして、魔法が使えるのだろう。

 何処に行けば、私は受け入れられるのだろう。

 ずっと考えてきた。

 答えはまだ、出ていない。

 


 大広間で今年の寮監に各寮のブローチを渡す儀式が終わった後は、各々寮に戻っての歓迎会だ。

 ソワソワと忙しなく頭を動かす一年生を、寮監となった長身で眼鏡の先輩が、苦労しながら誘導している。いつもは鋭く、知的な印象を与えている顔が、焦りに歪んで今日は幼く見えた。

 パタパタという幼い足音と、カツリカツリという上級生たちの靴音が、混ざっては話し声を彩りながら、石造りの廊下に柔らかく響く。

 楽しそうに話しながら、あるいはふざけ合いながら歩く黒いローブの後ろ姿を眺めながら、私は一人ゆるゆると寮に向かった。

 途中の窓から見える月は、冷たく、美しく、こちらを見下ろしていた。

 

 十学年分の生徒が入る寮の広間は、建物の最上階に位置している。

 ドーム型の天井は相も変わらず人工の星空で、星が強く、弱く、瞬いている。

 時折、思い出したように星が流れて消えて行く。

 天井を見上げていた一年生が、それを見てきゃあきゃあと声を上げた。

 あの星が落ちる前に願い事を三回言うと、その願いが成就するらしい。

 それを聞いた他の一年生たちも、皿に取った料理を食べながら、偽物の流れ星を探し始めた。

 私は皿に、魔法で作られた味気ない料理を何種類か取り、なるべく目立たないように部屋の隅の大きな柱の陰に座った。小さくなりながら、フォークで皿の中の料理を追う。

 辛くもなく、甘くもない。感覚に対する働きかけがほとんどないそれは、優しい味ではあるものの、表面だけだ。誰かが手で作る料理とは、何がとははっきり言えないが、明らかに違う。とても、寂しい味だった。

 何の感慨も沸かない食事である程度腹を満たして、再びホールに戻る。

 刺さる視線を避けるようにしながら、皿をテーブルに置き、ティーバックの紅茶を煎れる。

 茶色の透き通る水面が、とろりとした蝋燭の明かりを反射してはキラキラと輝く。フワリと香る香りは、柔らかく、深い。

 ローブの袖を引っ張って手を隠し、熱い紙コップを両手で持つ。じんわりと掌が、温かくなる。

 壁に沿って歩き、広間から繋がるバルコニーに出た。

 中から見えない位置に立ち、空を見上げる。

 深く、濃い闇の中に、宝石を砕いたような小さな星屑が、チカリチカリと控えめにその存在を主張する。

 月は冴え冴えと冷たい光を撒き散らし、地上の空気を冷やしていく。

 太陽の香りは果ての見えない暗闇に呑まれて、跡形も無く消えて行った。

 温かい紅茶を啜りながら、ほぅ、と一つ大きく息を吐く。

 その熱でさえも、月光は忽ちに冷やしてしまった。

 目を閉じると、ガラス一枚隔てた先から、沢山の音が聞こえて来る。

 食器の鳴く音、話し声、笑い声に、歩く音。

 音と音が混ざっては溶け合い、ぶつかり合っては、新しい音を生む。

 たったガラス一枚隔てただけで、その熱を持った空間が、遠いもののように感じられるのだから不思議だ。

 そして、音が、視線が無いこのひっそりとした空間は、ひどく居心地が良い。

 世界の片隅に設けられた、忘れ去られた空間。此処では、誰の目も、言葉も、気にする必要はないのだ。

 目を開き、隅に置かれている小さなテーブルに紙コップを置く。ポケットから小さな水晶と、渾天儀こんてんぎ六壬式盤りくじんしきばんを取り出し、その隣に並べた。

 杖を出して、小さく一つ、振るう。

「ステルラ・スピリペータ」

 机に並べた道具たちが、一斉に息衝いた。

 曇り一つなかった水晶の中には白い靄が渦巻き、うねるように形を変える。

 渾天儀と六壬式盤に彫られた紋様は青白い光を淡く放ち、やがてひとりでにクルクルと回り始めた。

 それをじっと、見つめる。

 暫くそうしていると、光に吸い寄せられるかのように小さな光の玉たちが寄ってきて、私の目の前で形を変えた。

「ユキ、また占い?」

 小さな少女の姿で薄い羽を羽ばたかせる妖精が、歌うように言った。

 彼女は水晶の上に腰を下ろし、太陽の色をした柔らかそうな長い髪を後ろに緩く結ぶ。そうして回り続ける渾天儀と六壬式盤を興味深そうな目で見つめた。

「うん。……何かが、変わっているかなって」

 小さく笑って答えると、彼女もやんわりと笑ってこちらを見る。

 他の妖精たちも次々に姿を変えては周囲に集まり、興味津々という様子で水晶や渾天儀を眺めていた。

 魔法族において、妖精や霊の類が見えることは珍しいことではない。寧ろ、見えない方が珍しいくらいだ。それが魔力を持つからなのか何なのかはわからないが、とにかく彼らの姿を見、言葉を交わすことは、魔法界ではごく普通のことだった。

 私も例外ではなく、幼い頃から彼らの姿が見え、声が聞こえていた。

 彼らは私を差別しなかった。

 それどころか、「ユキの髪は、月の光の色で、とても綺麗ね」などと言っては私の周りを飛び回り、笑いかけてくれた。

 家族からも、同じ年頃の子どもたちからも厭われていた私にとって、妖精や霊、妖といった類の者たちは、徐々に心の拠り所となっていった。

 彼らは、温かさを知らなかった私の心に温度を与え、柔らかな場所に優しく触れては、自分たちの同じ部分を私に晒した。

 時にその小さな手で髪を撫で。

 時に叱責し。

 時に涙を拭ってくれた。

 有体に言えば、彼らは私にとって初めてであり、唯一無二の『友達』だった。

「そう簡単に星も変わる訳じゃないわ。毎日占ったって、結果は変わらな……あら?」

渾天儀が止まる。

 同じように六壬式盤も止まり、やがて水晶の中の靄が、星を映した。

 彼女の大きな、深い青色の目が、見開かれる。

 月の傍で小さく瞬く、青白い、今にも消えてしまいそうな星。

 その星に少しずつ近づく、光の強い星がある。

「この星は……」

 わぁ、と傍にいた妖精たちが、喜びの声を上げる。

 その理由を、彼らに問おうと私が口を開いた時だった。

「こんな所にいたのか。何してるんだ?」

 ふわりと甘やかなコーヒーの香りがした。

 硬質で、何処か強気な声が、後ろから私を刺す。

 驚いて声が出ない私を放って、カツカツと靴を鳴らした声の主は、テーブルの上を覗き込んだ。

 妖精たちも驚いたように光の粒に戻って、逃げるように空へと還って行く。

 節張った白く細い指が、小さな渾天儀をつまみ上げ、月明りにかざした。

「なんだこれ」

「……返してください。レーゲン=メーア」

 振り向くと、予想通りの長身が私を見下ろしていた。彼の茶の瞳の奥で、月が笑っているような気がした。

「いや、返すけど、その前に教えてくれたっていいだろう? これは……東洋の魔術に使う道具か?」

 渾天儀を元の位置に戻したレーゲンが、今度は六壬式盤を手に取る。それもじっくりと興味深そうに眺めた後、何も言わない私の方を見る。

「……占いの為に使用する道具です」

「名前は?」

「渾天儀と、六壬式盤」

「ふーん……」

 もう一度テーブルに乗っている道具を一瞥し、彼は六壬式盤を置く。

 そして片手に持った紙コップを傾けて、コーヒーを啜った。

 私は、このレーゲン=メーアという男がとても苦手だった。

 断っておくが、彼自身に、殊更に何かをされたわけではない。

 彼の生まれであるメーア家自体は、雲居家と同じように、名門であるが故に魔法族純血主義を掲げ、私のような『月の人』への目線も厳しい。

 しかしそのような家系で育ったにも関わらず、彼、レーゲンは殊更に私を差別することはなかった。

 その点に関して、私は彼に思うことはない。

 それでも苦手意識を感じるのは、彼の纏う雰囲気そのものに対して、といった方がいいだろう。

 彼は、眩しいのだ。

 名門、メーア家に長男として生まれ、魔法界一の名門、グラン魔法学園に入学し。その中でも、必ず学年で十位には入る実力を持っている。

羨ましい程に何もかもを与えられた彼は、いつも背筋をピンと伸ばし、その姿は自信に満ち溢れている。

 幼い頃から周囲の顔色を伺い、自信など持ったことのない私には、彼の姿は眩しすぎるのだ。

 それはまるで、土の中で暮らすはずの者が、誤って地上に顔を出し、太陽を見てしまったかのようで。

 彼を見ていると、自分の存在そのものが彼の放つ光に呑まれ、消えてしまう錯覚さえ覚えるのだ。

 私は、それが怖かった。

 だから、彼にはなるべく近寄らないようにしていたのに。

「なぁ」

「は、はい……」

 目を逸らし、テーブルに広げた道具をポケットにしまっていると、再び彼が声を掛けてきた。

 何か、鋭い感情を押し殺しているかのような声に、私の肩が知らず、跳ねる。

 その反応に、彼の纏う鋭さが一層増したのを、私は背中で感じていた。

「お前、いつまでそうやって、小さく縮こまっている気だ」

 低く、責めるような、声。

「もう七年だ。入学してから、七年。お前は変わらずに学年トップで、俺はお前に勝てたことが無い。一度たりともな。だからこそ、俺はお前をライバルだと思って、自分にできることは何でもしてきた。それでもお前は、軽々と俺の上を行く。それを見て、俺がどれだけ悔しかったか。持っている才能の差に、嫉妬したか。それなのに、」

 彼の手が、右肩に掛かった。

 熱い。

 思い切り引かれて、体を反転させられる。

 彼の姿を、その鋭い目を、見せつけられる。

「お前は自分を卑下して、いつまでも隅っこで震えている。むかつくんだよ。お前が自分を『大したことない』って思うことは、俺たち学年全員を『大したことない』って思うことと同じだ。いい加減、理解しろよ」

 見せつけられた茶の瞳の奥に、青と赤が混ざった、魔力の炎が燃えている。

 真っ直ぐに見つめられていて、言葉も出ないが、目も逸らせない。

 体が冷えて行く。

 彼の手が掴んでいる肩だけが、熱い。

「見た目が『月』だから、何だっていうんだ。言いたい奴には言わせておけばいい。その内そいつらだって、お前の実力を見れば黙らざるを得なくなる。お前は、すごいんだよ」

 彼の鋭い目が、瞼に隠れる。

 その瞬間、彼を恐れて冷たく竦んでいた私の中の何かが、急激に熱を持った。小さくなっていた体を震わせて、それは立ち上がる。

 突き上げるような、純粋な、怒り。

 言いたいこと、言いたかったことが、次々にせり上がってくる。今まで誰にも言うことができなかった、ぶつけられなかったものが、暴走しては私の中でぶつかって、火花を散らす。それが他のものにまで燃え移るものだから、忽ち、怒りと言う激しい炎が身の内の全てを焼き尽くす。

 肩が、大きく震えた。

 体の中心が、とてつもなく熱い。

 堪え切れなかったものが、流れ出す。

 目を開いた彼の顔が、驚きを映す。

「俺、そんなにきつい言い方したか?」

 背を摩ろうと肩を離した彼を、私は衝動のままに突き飛ばしていた。

 自分で自分が、制御できなくなっていた。

「わからないくせに……わからないくせに……! この見た目で、私は……この見た目だったから……、お父さんも、お母さんも……! なのに、魔法、使えるから……だから、だから……!!」

 混ざったものから断片的に拾い上げた言葉は、最早まともな言葉にはなっていなかった。

 自分でも何を言っているのかわからない。

 それでも彼は、私の衝動が収まるまで、燃え上がったものが消えるまで、何も言わずに泣き続ける私を見ていた。

 その瞳には、いつもの鋭さも、自信も無かった。

 私の知らない温かい何かだけがそこに在ったのは、何故だろう。


「落ち着いたか?」

 やっと涙が止まった頃には、ホールから聞こえる喧騒が小さくなり始めていた。まだ騒いでいるのは、恐らく五学年以上の上級生たちだろう。陽気な、何処か調子の外れた歌声が、こちらにまで届いている。

「……ごめんなさい」

「何が?」

「いや、あの……」

「別にいいよ。無神経なこと、言ったのは俺だし。ごめん」

 バツが悪そうに、彼が目を伏せる。

 彼がテーブルに置いたコーヒーは、立ち上っていた湯気を何処かに散らしてしまっていた。

「……俺にはさ、確かにお前の気持ちはわからないよ」

 そう言ったレーゲンの声は、深く、この上なく穏やかだった。

 その声は私の中に入り込んで、地面に吸い込まれる水のように優しく、静かに、溶けていく。

「だから、無神経なことを言ったことには、謝る。だけど、お前をライバルだと思っているっていうのは、本当だ。俺は、お前に勝ちたい。手加減されて、じゃあなくて、本気のお前に。……一生かかっても」

「え?」

 聞き返した私に、彼が薄い唇を持ち上げる。

 眩しく、苛烈で、何処か柔らかな温かさを含んだ顔だった。

「覚えておけ。俺は、一生かかっても、お前を追い越す」

「一生って……私は、卒業したら、」

「知ってる。人間界に戻って、神社でまた修行を積んで、東洋魔術を極めて……最終的に、陰陽師になるんだろう? 雲居の人間の運命(さだめ)だ」

「じゃあ、」

「俺は、卒業したら家を出る。メーア家は、弟に任せる」

 はっきりと、彼はそう言った。

 笑ったままで。

 そして、こう言って、得意そうな顔を貼り付けたまま、バルコニーから出て行った。


「もしも、いつか俺がお前を追い越したら。そうしたら、俺がお前を守ってやるよ。お前、誰かに守ってもらったことが無いんだろう? 俺が守ってやる。お前を馬鹿にする奴らから。お前を傷つけるものから。だから……もう少し待ってろ」


「訳が分からない……」

 置きっぱなしで冷え切った紅茶を飲み干す。

 そして私は、再び空を見上げた。

 月が、随分と高い所まで昇って来ていた。

 その傍らに、小さく、今にも消えそうに青く光る星があった。

 隣には、寄り添うように強く、青く光る星が、瞬いている。










                                    了

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月の人 宮守 遥綺 @Haruki_Miyamori

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