第5話 人は骨と心臓で船を作った

 コサックはセブンが窓から飛び出してきた瞬間、自分も船から飛び降りた。凍ったバイカル湖に着地するとヤナを連れ去るセブンの後ろ姿が追いつかない速度で遠ざかっていく。よしんば追いつけても、その後は結晶がつきて動けなくなる。

とうとう船が氷を割りながら倒れ込んでくる。コサックは歯ぎしりする口をこじ開け、腹から声を出した。


「総員、左舷集合ぅぅぅぅ!」


 カイバが憲兵長が、甲板や窓から飛び出して、その後に続く憲兵たちと共にコサックの両脇に並び始める。コサックが両手を船につける。


「船を押し戻せ」

『はっ!』


 巨大なブーツが踏ん張られ、氷の上を滑っていく。船の外壁から突き出すワイバーンの翼骨とその革で出来た翼が湖面と接触し、軋む音を立てながら歪み出す。カイバが足元に手をつき、手の真横の氷に針が突き刺さった。


「誰が氷で支えろと命令を下した」


 カイバは電光石火で船へと手をつけ、再び踏ん張り始めた。だが、このままではいずれという疑念は憲兵たちの胸に渦巻き、コサックが頭上に向けて光る針を放ち、それは不信となった。

 ほぼ垂直になっている甲板に未だいるホームレスはそんなカイバの様子を目に収め、手すりを移動しようとし、震える手足とどこに何があるか分からず失敗しているホープを見やった。


「そんなに無理してまで何がしたいわけ?」

「今忙しいんです!あなたの質問に答えてる暇ないです!ヤナさんを助けに行かなきゃなんですから!」

「なんでだ?自分が特別だと思ってるからか。現実見ろよ。どうあがこうが、お前は目の見えねえガキだ」

「そんなこと…分かってますよ」


 芯のねえガキだなとホームレスは心の内で毒づいた。彼が魔術師の卵としてもてはやされ、似合わないタバコやサングラスを身につけたホープへ抱く印象は甘やかされ増長した子供だった。

 

「けど、ヘタレでビビリの根性なしでも、格好いい人間なろうとするのは罪じゃないはずです」

「はぁ」

「分かってます、格好つけるためには最低限の才能が必要だって。だけど、格好良くないと告白しても玉砕するだけじゃないですか!僕は彼女に好きになってもらえる、いい男になりたいんです!」

 

 ただ言葉を放つだけで、ホープは力を使い切って息切れしていた。なんだこいつ、やってることと中身も器も全くつり合ってない。痛い、痛すぎて、見捨てると夢見が悪くなりそうだとホームレスはため息をついた。


「仕方ねえ、一肌脱いでやる」

「…はい?すいません、心臓がうるさくって」

「コサックが助けに行く瞬間だ。その瞬間を見逃さず、便乗しろ。それまで耐えてみせろ。余裕だろ?」


 言うだけ言うとホームレスは手すりに手をかけ、翼の上へと飛び降りた。斜面のように斜める翼にぶら下がり、内側から閉じられた鉄窓に手を当てる。


「アンロック」


 鍵が開き、窓へ滑り込むと血だまりの中に船員たちが転がっていた。ワイバーンの心臓炉に繋がるパイプがねじ切れていて、操舵輪は真っ二つになっていた。


「こいつはひでえ、滅茶苦茶だな」


コサックは床が傾き転がってきた船長から三角帽子を取り、自分の頭にはめると鉄の塊の中にワイバーンの心臓が入っている炉へと手を乗せた。


「こんな船、動かすの簡単さ。サモンゴーレム!」


 木の床から2本の手が生えてきて、のっぺらぼうの頭が乗る。胸には心臓炉を入れ、パイプやコードが胴体へと飛び出す形となった。命を持たせることは出来ないし、腰から下は床に埋まっているが、このゴーレムは戦闘用ではない。


「面舵一杯!」


 ゴーレムに起動を命じると、心臓炉に火が入った。中を満たす、数々の種を配合した血液を吸収させた人工スライムの粘性がまるでない液体が熱され、ワイバーンの心臓を駆け巡って飛行状態を発動させた。液体はゴーレムの腰から船底へと伸びるパイプを通り、シーサーペントの背骨を使用した竜骨の骨髄へと入った。次いで肋骨へ、そして、それぞれの骨から放射状に魔術回路へと風の力を解放した。

 操舵室へと魔力が帰還し、破壊された魔力回路で行き詰まりを起こす。両翼からは風が吹き出さず、行き場のない魔力が操舵室に吹き荒れた。


「ちょ、待てこれヤバい!」


 破裂したパイプから熱風が噴き出し、ゴーレムに壁にならせるが身体が焦げだす。吸収しきれなかったコードから魔力が放射され、安定を求めてホームレスへと侵入しようとする。


「スターダスト」


 空気中の水分が氷となって輝き、パイプの束が凍りついた。老人が先石の光る杖を突いて操舵室に足を踏み入れ、ズタズタになったコードの束をホームレスへと放った。


「時間を稼ぐ。なんとかしろ」

「おい、足場は氷だぞ!」


 老人は振り向かず親指を立て、窓から飛び降りた。着地すると片足が氷を踏み割り、杖を支えに足を引っこ抜く。船体に背中をつけると、老人を凝視している憲兵たちと目が合った。


「離れろ。巻き添えを喰らうぞ」


 足を折り曲げ、そして伸ばした。ただそれだけで船が勢いをつけて角度を戻し、老人の足元の氷が砕けた。手を伸ばす間もなく、氷の下へと落ちていく。杖が氷を転がり、先石が光を弱める。


「だーもー、くっそが。こうすりゃいいんだろ!」


 パイプの氷が溶け出し、老人の捨て身の時間稼ぎを悟ったホームレスは、切れた2つのコード束をゴーレムの腹部へと刺し込んだ。ゴーレムを通して魔力がホームレスに逆流し、視界が点滅する。断裂した魔力回路が補われ、何体ものワイバーンの翼骨を使った機構は巨体が大空を飛ぶために生み出す風を疑似的に再現した。凍った湖面に接触している左翼から上昇気流が、右翼から下降気流が生まれる。

 アインたちから咆哮が上がった。風に乗るように力を振り絞る。船が垂直に戻り、今度は沈み始める。


「本官の氷結魔術で穴を塞ぐことを具申します!」

「まだだ!」

「時間を稼ぐことならできます!しかし、このままではそれも!」


 コサックはカイバでなく、向こう岸を見ていた。東西に40キロから80キロに、南北には680キロになる広さを持つバイカル湖の向こう岸など、まして星もない闇夜に見えるはずもないが、その上空に光の球が打ち上げられた。


「今だ!」


 カイバが氷に手をつき、背後から流れ込む巨大な波動に触れた。カイバはただそれに形となれと命令を下すだけで良かった。氷の柱が幾つも立ち上がり、先端を船体に凍りつかせた。

 沈没が止まり、歓声が上がる。カイバは呆然としながらも背を叩かれ、肩を抱かれてもみくちゃにされた。


『裏切り者』


 この言葉があの波動に乗って伝えられたのかは分からない。ただ頭の中で繰り返し響いていた。だとすればあの力は雪男たちのもので、何らかの形で力を分け与える方法が見つかったというのか。だが、そんなもの聞いたこともない。何よりもあれが攻撃だったら、カイバはどうなっていたのだろうか。


「ちょっと退け!踏み潰すぞ!」


 上から降ってきた身体が燃えているゴーレムが氷を転がり、老人が消えた穴へと手を入れた。ゴーレムが後ろへ歩き出すと、何十メートルと伸びた腕が延々と後に続き、ツルに巻かれた老人が引き上げられた。胸を何度か押すと老人が水を吐き出し、ホームレスは息を吐き出し、氷の上に転がった。

 氷の冷たさに心地よく頬を緩めているホームレスに、カイバは強烈な哀愁を覚え、今助けられたのが自分だったら良かったのにとすら思った。昔に、何も不安などなかったあの頃に戻りたくなった。


「お前が羨しいよ」

「…そりゃどうも?」


 全ての人間が秘めている破滅とスリルを求める馬鹿さを解放し、冒険という破滅と隣り合わせの人生を駆け抜ける。それは短くも、燃え尽きる消えることない鮮烈な光の一生。定職者で家を、銀行口座に高額の残高を、廃止された通貨の代わりにカードを持ち、そして己の伴侶を得ることが、成功した人間だと尊ばれる新たなる社会とは、国家を愛し、そこで一生を終えることしか頭にない人間たちにとっては、あまりにも異質で飛び込むことすらできぬ世界。

 隣の芝生は青く見える、サムライの言葉だったな。彼らは有言実行して見せた。西洋を模倣することなく己の剣と鎧を昇華させ、何1つ自らを否定することなく進化して見せた。そんな国ならイヴァン帝国が戦争に負けたのも悔しくない。

 カイバは後ろに広がる闇を見つめ、未練と一緒にきっぱり視線を切った。礼を失いし者は斬り殺す敵国すら羨む、そんな自分と共に。


「だからこそお前とは違う俺は新世界を、化け物だろうが豚以下のゴミだろうが誰もが1つの旗の下に力を貸し合える世界を作る。いつか、お前がそこに来てくれるように」


 そして、己と違う人間を羨むのでなく、どんなに嫌いな自分でも誇れる人間になる。そう誓ったカイバをホームレスは見上げ、コサックの銃撃に飛び起きた。


「ブリキ野郎、てめえ覚えてろよー」


 足を生やしたゴーレムに乗り、老人と共に逃げ出したホームレスを、カイバは心で笑って見送った。コサックは銃撃を止め、義手の肘関節を真っ直ぐの状態で固定した。


「どこでもいいから港の安全な場所へ乗客を連れて行け。巻き込まれぬようにな」

「どちらへ?」

「私が作られた存在意義を果たすだけだ」


 コサックはシリンダーに並ぶ最後のレバー下した。血結晶が義手への供給をカットし、背中へと回す。背中から数メートルもある帆が広がり、限界まで軽量化して設計された身が跳躍した。帆から風が吹き出し、漁船の左翼目がけて舞い上がる。


「飛んだ…」

 

 カイバが呆然と見上げていると、コサックが姿勢制御のために副帆を張った。義手は動かないが肩についたアームを動かして、上下に副帆の動作を確認し、左足も動かすと主帆から風が消えたり吹いたりした。

 そして、甲板を駆け出す影があった。宙に身を躍らせるとコサックの上に飛び乗り、バランスが崩れ空中で回転し始めた。


「降ります!僕、降ります!」

「大歓迎だ、さっさと降りろ!」

「何言ってんですか!こんな高さじゃ死んじゃいます!」


 飛び乗って来たホープにコサックは舌打ちした。ホームレスに言われた通りにずっと待ち構えていたホープは、今その選択を後悔していた。高度が落ちていき、速度もまたそうだった。つまり落下し始めていた。

 コサックが左足のアームを動かして帆を全て畳んだ。落下に近い急降下に、ホープが絶叫を上げる。漁船の左翼に激突する直前に、帆を広げた。翼から上がる上昇気流へと帆が乗り、一気に高度が上がる。気流の力が届かなくなると、帆を水平にして滑空をする。


「…僕、鳥になってる」

「貴様、本当に呑気だな。今から貴様を殺そうとした奴の所へ行くんだぞ」

「…」


 コサックはシリンダーを回転させ、3つ目の血結晶へと変えた。まだ2つ目に魔力がこもっていたが、空でのゼロオフは死を意味する。これで残りは1つ。しかも、2人乗りのせいで減りが早い。


「列車が出るまで後10分ないですよ。あの男がヤナさんを連れて乗っていたらどうします?」

「はぁ、背中に盾があるはずだ。寄越せ」


 ホープはびくびくしながら片手を放すと、自分の腹にある盾を渡した。コードが繋った盾で、持ち手にはレバーがつけられていた。

 湖に走る線路に沿って2人は飛んだ。線路は港を突っ切り、列車が並べられた駅の中へと続いていた。帆から風を吹き出し、旋回しているとホープが地上を指差した。


「あそこにヤナさんがいます!降りて下さい!」

「…確かか?」

「僕たちがどうやって憲兵たちから逃げ回ってたと思います?」


 ホープが示した場所は鐘を鳴らすためのやぐらや他の列車が多く、罠をしかけるならコサックもここを選んだ。しかし、ヤナがいるなら喰い破るまで。言われた通りに近づくと、確かにヤナが装甲列車の手すりに手錠で繋がれていた。


「おーぃっ?」

「位置を知らせてどうする」

「…はい」


 ホープが後ろに頭突きれた顎と噛んだ舌を労わっていると、手錠を外そうとガチャつかせていたヤナは2人に気づき、さっと顔色を変えた。


「アイン、逃げて!」

「しまった、後ろです!」


 ホープも気づいたが遅かった。コサックが通り過ぎたやぐらから、鐘の影に隠れていたセブンが銛を投じた。銛はワイヤーを伸ばしながら副帆を貫き、セブンはワイヤーが繋がる先の鐘を抱え、やぐらから飛び降りた。

 人間3人分に加え鐘の重さ、単独飛行用の帆は抗いようもなかった。錐もみしながら落下していき、ホープの悲鳴とワイヤーが身体に絡まるおまけもついて、石が敷き詰められた地面を滑って軟着陸をした。盾が石と擦れて火花を上げ、装甲列車の後部ライトに照らされてようやく止まった。


「2人共、寝てる暇ないわよ!あいつが来てる!」


 2人の上に影が指した。絡まったワイヤーが切られ、ホープがコサックの上から持ち上げられた。

 コサックが顔を上げると、セブンが操縦室のドアを開け、ぐったりとしたホープを引き上げていた。


「くっ、止まれ!」


 ガスの抜ける音と共に電撃の針が発射されるが、セブンは背中へと針を受けながら歩みを止めず、ホープを操縦室の中に手錠で繋いだ。弾倉の針がなくなると、セブンがゆっくりと振り向いた。コートから落ちていく針が動き出した。


「車掌さん、まだ5分あるのに列車が出てますよ…。ダメですよ、まだアインさんが来るんですから…」

「…逃げて、お願い」


 普通ならば聞こえるはずもない距離。だが、コサックの耳は特別製だった。全てのレバーを下し、盾を構える。義手から背中、左足まで繋がるアームに魔力が駆け巡り、コサックの体内の魔力回路と一体化する。を踏み込むと、アーム自らが動いて筋力を何倍にも増加させ、砂利の下の地面までが抉れた。1歩1歩の歩幅が大きく、跳躍すると装甲列車に飛び乗る。


「そいつもサイボーグなのよ」


 セブンが赤い包みを取り出した。布を解くと濃厚な血の匂いが解放され、黒いかぎ爪が露になった。それが何十、何百にも塗り固まった血の色だとコサックは気づいた。

 右の手袋に隠れていた精巧な義手がかぎ爪に通され、一層一層の装甲が中へと縮んで装着された。その指が上へと折り曲げられた。


 装甲列車が動き出した。加速を始め、遅くなることはない。

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狼男はサイボーグ 7Ⅶ7 @SE7EN

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