第3話 盗賊は正義の味方でも悪人でも非ず

「人斬りの武器を持つならば己も斬られる覚悟をしておけ。子供ならば、特にな」


 痛みからただの盲目の少年に戻ったホープに、意味の分からぬ外国語が至近距離で呟かれた。闇の中で剣を持つ人間が近くにいるという恐怖から身体を硬直させていると、ホープのナイフがジャケットの裾に深々と突き立てられ、床に縫い留めた。


「プロイセンのスパイだ!」

「おい、あれって懸賞金出てた少年じゃないか?」


 セブンは自分よりはるかに巨体の何百という乗客たちが状況を理解し、ホープの正体に気づきながらも、ただ1人小太刀を持つだけの自分に悲鳴を上げ、少しでも離れようと押し合い始めた姿を無感動に見て、ドリルで梯子のボルトを外した。

 そのボルトは船底に落ちていき、呆然としているヤナの目に入った。梯子にはヤナすら気づいた、もっと言えば目が見えない人間くらいしか引っかからない罠があった。しかもそれを、ホープの感知から外れる大勢の人に紛れられる場所に仕掛け待ち構えていた。

 助けには行きたい。だが、狩人が獲物を追い詰めるように、動きを全て予測されていた恐怖。今から助けに行ってもそれすら掌の上なのではという疑惑がヤナの足を凍りつかせていた。


「レピュテート」


 ホームレスが既に外れた梯子へと、次々と宙に浮かぶ積荷でタワーを作っていた。


「助けてよ!」

「奴の挑戦を受けろって?ごめんこうむる」


 ヤナはカイバと彼の着る憲兵服とに縋るような目を向けた。だが、既にボルトが外され始めている梯子に己の巨体からカイバは迷い、ホームレスに矛先を向けた。


「さっきから知ったふうな口だな。翼背負う男とは何者だ?」

「奴は誘ってんだよ。ただ帝国に保護しろと言われてるだけのガキを助けようとする奴はいないかって。あいつは事なかれ主義者には興味を持たない」


 無理だろういうと目を向けられ、カイバは違うと言えなかった。雪男と貴族、いや雪男と巨人の間に生まれたと1目で分かる外見のカイバには、永遠に消えない偏見と下世話な連中を実力で黙らせるという野望がある。そのために使えるものは何でも使う。かつての友と顔を付き合せるパイプ役になったことすら、その1つに過ぎない。なら、ここで苦い思いをするくらいなんだというのだ。


「ふう、女性相手だから手加減しちまったぜ。おーい、少年、俺の手柄になる準備は出来たかー」


 この場に不似合いな脳天気な声が聞こえた。キッド床からが起き上がり、天井にぶら下がるワイヤーと、座り込むヤナに、その場で固まる。


「まずい…まずいまずい!俺の手柄が!」


 キッドが梯子へと飛びつき、その弾みで梯子が天井から外れる。構わず駆け上がりながら腕に鉄板を巻き、髑髏の仮面を被った。上に飛び出し、宙返りしてからセブンとホープの間に着地した。


「コサックのモノマネ…?」

 

 髑髏の仮面に誰かが呟いくと、セブンの背後から影が忍び寄った。セブンの腰にある革袋をかすめ盗り、腰から伸びるチェーンにつんめった。手が5本指な以外は黒猫そのもの姿が露になる。


「お宝いただきっ?」


 セブンがチェーンを引きながら突進し、黒猫はその背を馬飛びしてかわした。チェーンがどんどん巻き取られ、黒猫の逃げる距離も短くなる。


「いいぞ、ミランダ、その調子で囮になれ!」

「え、え、え?」

「セン、手柄はやらないけど手伝え!」


 キッドがナイフを床から抜いてホープを解放し、襟首を持ってセブンたちの方とは逆方向に引きずり出した。


「セン、あたしはZ2はあげるよ。こっち手伝って!」

「言ったな、コサックの目を誤魔化して換金するまで込みだよ」


 ターバンを巻いた少年、センが天井の梁に立ち、背中のタンクと繋がるホースから更新料を混ぜた水を高水圧で飛び出す。セブンがいた場所が赤くなり、本人は宙へ飛び上がり、巨大な紳士の肩を足場にしてセンの隣へと着地した。小太刀が閃いてセン自身が催涙水をかぶる。

 セブンが梁を滑車代わりにチェーンを引っかけて飛び降りると、黒猫ことミランダが引き上げられた。


「「あー!」」

「わり、少しだけマスかいててくれ」

「え、痛!」


 ミランダが尻尾を掴まれ、キッドはホープを放り出して人混みに消えた。


「行くぜ。バックスタッブ」


 身体が風のように軽くなり、足音が立たなくなる。無音でセブンの背中に回り込み、拳銃の銃口を押しつけた。引き金が引かれ、旧式の火薬式だがゼロ距離射撃の連射にセブンが倒れる。歓声が上がり、キッドが手を上げて答えた。


「やーどーもどーも。勉強になったか?こういう奴らがいるんだ、研究所が厳重になるは仕方ないだろ」

「後ろ!」


 キッドの背後で、セブンが立ち上がっていた。キッドの手から拳銃が奪われ、銃口がホープへ向けられた。


「あれ、切れた」


 ミランダが切れた革袋のチェーンを見ると、そこにはヤスリを持ったセンが目を押さえていた。センの手が開かれると閃光が起き、周囲の目を焼いた。

 キッドが盗み返した拳銃を指で回しながら、悠々とセブンの周りを一周した。


「唐辛子に眼を焼かれた恨みを思い知ったか」

「あの、あなたたちは結局、誰ですか?」


 閃光に眼を焼かれた様子もないホープに3人は顔を見合わせ、キッドがホープのサングラスを取った。ホープの両眼がある場所には金属の眼帯がつけられていた。


「それ銀?僕も眼が痛いから1つちょうだい」

「取り外しできるようには出来ていません」


 キッドはサングラスを自分でかけると、センのターバンを解いた。髪の上から覗く、2つ目の黒い猫耳が露になった。


「よし、代わりにこのターバンをお前にやろう。そして、俺に銀をくれ」

「なら、その時計と引き換えでいいですよ。くれる?ありがとう」


 ターバンを首にかけられ、懐中時計がベルトから外されたホープは、キッドが手当てした腕の包帯に触れた。


「…あげてもいいですけど、あなたたちが誰か教えて下さいよ」

「あたし?あたしは黒猫盗賊のミランダ。三度の飯より盗みが好き」


 そう言ってミランダが掲げた革袋の口が開き、赤い色の包みとカードが見えない手に引かれるように飛び出した。ミランダの手が閃いてカードが掴み取られる。赤い包みはセブンの手に収まり、持ち主と共に暗い通路へと消えていった。


「「「ドロボー!!」」」

「それはお前たちの方だ」


 機械の関節が動く規則的な音がした。ゆっくりと人垣が割れていき、イヴァン人だらけの乗客の中では小人のように見えるコサックが、更に身長の低いホープを見下ろした。


「家出は終わりだ。2人共、死体になる前で幸いだった」

「俺らがいなければそうなってたぜ。そう、あんたらがいない間、俺たち3人が身体を張って」

「それだけじゃない、あいつが回収しようとしたカードも盗んだよ。これがZ2?」


 コサックは黙って掌を向けた。キッドとセンが渋々懐中時計とサングラスをホープに返す。


「大尉、奴はいません。この船から出たのでは?」

「だが調べろ。乗客を他の船に動かす以上、船内の安全確保は第一。違うか?」

「…了解しました」


 憲兵長が僅かな沈黙の後に頷くと、憲兵たちはセブンの消えたセブンの消えた通路へライフルを向け、後を追っていった。


「はー、これはZ2じゃないのか。しかも外国語で読めないし」

「セン、お前の出番だ」

「残高はゼロだね。持ち主はフランス語の名前でアン…プール、ボネ…」


 キッドがセンの口を封じた。アンプルール・ボナパルト、そう書いてあった。キッドはフランス語など読めはしないが、この名前だけは見覚えがあった。その僅かな記憶が、ここで口にすることを躊躇させた。キッドはミランダから革袋をひったくり、中身のガラクタを床にぶちまけた。地の文字の書かれていない手紙に、工具を巻いた布切れ。

 キッドが顔を上げると、猫人と半猫人が期待に顔を輝かせていて、ただの人間のキッドは拳を突き上げた。


「よしお前ら、新聞屋に忍び込むぞ!」


 3人が猫のように四肢を使って梯子を駆け上がり、興奮した声が遠くなっていった。


「不法侵入で捕らえますか?」

「放っておけ」

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