第2話 サングラスをかけたヘタレ

 その少年、ホープはガタガタと震えながら、自分を探す憲兵の背後に張り付いていた。


 憲兵が後ろを振り向くという予感に、目があれば泣きそうになりながら、同行者の男装した少女、ヤナの手を引き、もう片手にあるお守りのタバコの箱を強く握った。憲兵が振り向くタイミングそっくりに回り込み、前方へと抜けて曲がり角に飛び込んだ。


「…気のせいか?」


 そう呟く声に汗が吹き出し、荒い息を押し殺しているとヤナに背中を擦られた。自分より年上で高身長かつ、男装しても隠せない女性の手の感触に、ホープの耳が赤くなる。


「よっ、嫁入り前の女性が危険な男の僕に触れないで下さい」


 ヘタレめと自分の手を見つめ、ヤナは左の薬指に光る指輪を思い出した。ネクタイを締め、ホープと揃いの紳士服に身を包んだヤナだが、婚約指輪だけは女もので、白手袋をはめて隠した。


「ごめん。大人になる自分に実感が湧かなくてさ」


 こういう危険ばかりは、のホープは感じ取れないだから自分がしっかりしなくてはと己を叱ると、ホープが顔を青くして、更に大汗をかいていた。


「多分ですけど、さっきのと向かい側から来るもう1人で挟まれます。逃げるルートを探して下さい」


 ヤナは全身が絶望に浸ったが、周囲を見渡し、船底へ続く梯子に目を留めた。その梯子はホープの言う新手が曲がってくる角の更に向こう側。つまり、さっきやり過ごした憲兵が来たら真っ直ぐ見える場所にあった。しかし、選択肢はないとヤナはホープの手を引いた。

 ホープは握らせられたのが梯子だと分かると、下に待つ化け物たちに顔を情けなく歪めたが、無理矢理に押され手探りで降りた。ヤナはゆっくりと床の下へと降りるホープを怒鳴りつけたいのを必死に堪えた。今見られたらバレちゃんだよ。


「どうだ、家出少年はいたか?」

「怪物がうろついてるってのに、馬鹿ガキを探せって言われて真面目にやれるかよ」


やっとホープの顔が下に消えたばかりの梯子の反対側を超特急で降り、驚いて放しかけたホープの手ごと梯子を掴んだ。


「遅い。それとごめん」

「いっ、いえ…」


 本当は死ぬかと思ったが、梯子を降りきってから絵文字使用の懐中時計を見るとそれは焦りに変わった。


「もう列車が出るまで30分ないのに、むしろ船底にいるって何…!」

「落ち着きな。行きづまった時は、一番根っこの問題に戻るの。研究所を飛び出そうと思った時、どう思ってた」


 どう思っていたか。貨物室に忍び込んだシベリア鉄道でモスクワからバイカル湖まで1日かけてやって来て、湖の氷が割れて溺れそうになり、憲兵たちから隠れようと乗客と一緒に船に逃げ込んだ。その原点はなんだ。


「あの人に、イブかクリスマスでの最高の告白をする…」

「クソヘタレの人生初の告白だ。そして、あたしは太平洋まで行って日雷戦争の真実をこの目で確かめる。だから、案内して。暗くて何も見えないし、ここには化け物がいるけど、そんなこと問題じゃないんだから」


 貶されたのか、励まされたのか良く分からなかったが、緊張だけは解れたホープは手袋越しでも赤くなり、袖をつまんだ。こんなんで本当に告白なんて出来るのかこいつとヤナは思ったが、今度は震え出したホープに恐れていた化け物たちとの遭遇を悟った。


「それで、Z1を見た奴がいたのか?」

「そりゃな。怪物が出たら姿をおがむ。スライムでも知ってる常識だ」

「本当にサイボーグだったか?」


 そこまで広くないのに積荷ばかりの船底で、毛皮が手足にある雪男と革鎧をつけ、身長が2メートルほどしかない一目でホームレスと分かる男が会していた。


「牢屋に閉じ込めてるって聞きましたけど…」

「しっ、黙って。見な、マジックスペルだ」

「肝心の目がないですよ」


 ホームレスがロウソク代わりの人差し指で葉巻に火をつけ、紫煙を吐き出した。マッチも何も使わず、それどころか何も唱えず火をつけたことに、ヤナはもし彼が服装を替えて街中に紛れ込んでいたらと想像し、その恐ろしさに考えるのを止めた。


「ああ、奴はサイボーグだった。ゼロオフも起こしてた」

「なら、そいつをコサックに…いや憲兵長の前に連れてくる事は出来るか?」

「無理だ」


 だからこそ、雪男が貴族との混血種なのを示す体躯を憲兵服で包みながら、ホームレスと口論をするだけで手錠もライフルも持ってきてすらいないことを許せなかった。

 杖をついているのに両足だけ金属鎧で覆った奇妙な老人が進み出て、無言で2人を諌めた。それでヤナはもう全て分かった。老人は取引の立会い人だ。


「ここで待ってな」


 ヤナはジャケットを脱ぎ、それを布代わりに顔の化粧を落として、赤い肌を露にした。シャツ姿になっても寒さをまるで感じない。手の中に氷の槍が生まれ、床を音を立てて突いて皆を気づかせた。


「どこの部族だ?」

「部族などない。ただの雪女の末裔のヤナよ。言いたいことはそれだけ?」


 ヤナの全ての力をつぎ込んだ槍が投じられ、雪男の手に掴み取られた。槍が自壊し、雪男に氷の破片を浴びせた。


「恥を知りな!裏切るなら裏切る、憲兵と戦うなら戦う!どっちつかなどと、都合のいい立場に甘えやがって!」

「この嬢ちゃんの言う通りだな。二重スパイのお前は忘れたかもしれないが、仲間を売る奴は自分も売られんだぞ」

「お前こそ、そんな鎧を着てもサムライにはなれんぞ。あれはエクスカリが余計な技術を教えたせいだ」


 3つ巴の言い争いとなり、本に読んだ喧嘩が始まってホープはいけないと思いつつも耳をそば立てた。そんな空気を梯子から落ちてきた箱が変えた。セブンが捨てた透明化機で、降りてきたのはキッドだった。


「おいおい、明日はイブだぞ取引は仲良くやろうぜ。さもなきゃ、本命に関してホームレスたちに聞けない」

「本命?」

「それを持ってた。それにZ2も。なんとかそれだけは盗んで来た。噓じゃないぜ、俺に嘘をつかせたら大したもんだ」


 ホームレスは煙を上げている箱をおざなりに調べ、キッドの足元へと蹴り飛ばした。


「壊れてんじゃねえか。しかも、機械式透明化マントなんざ珍しくもなんともない」

「とんでもない、奴はコサックの銃撃にかすり傷1つつかなかったんだぞ。生き物みたいな変態革コートが全部防いでた。そして、サムライが使うコダチを持ってた」


 サムライという言葉に空気が張り詰めた。雪男とヤナは恐怖に、ホームレスは彼らにしか作れない、欲しいなら奪うしかない武器を持つ者がいることへの驚愕を。


「そいつは外国の者だったが?サムライではなく」

「何か知ってんのか、爺さん。確かに外国語を話してた。何語かは知らないが日本語じゃない」


 今まで沈黙を守っていた奇妙な格好の老人が深い声を出した。萎びていようとも、この場の誰よりも、ひょっとすれば憲兵たちにも勝る巨体から出る声は決して大きくないが、どこまでも響き渡った。


「なら間違いない、翼背負いし男だ」

 

上に続く梯子が切り離された。一瞬バランスを保ってから、派手な音と共に倒れる梯子に皆が凍りついた。どさりという音がして、ヤナはぎょっとした。ホープが腰を抜かし、物影から丸見えとなっていた。


「家出少年?マジか、ラッキー!」

「ああもう、世話の焼ける!」


 キッドが誰よりも素早く近づき、ヤナの肘鉄でノックアウトされた。ヤナはホープの手を無理矢理引っ張り、今来た道を引き返した。


「待て!」

「はいそうですかと止まる奴がいるか!」


 混血種のカイバはため息をつき、指の間にそれぞれ氷の槍を作り出した。槍が一斉に投じられ、ヤナとホープを氷の檻がぐるりと囲んだ。


「大人しくしてろ。次は当てる」

「これだから混血の一代目は嫌いよ!」

「いいえ、まだです。上に気をつけて避けて!」


 ホープはさっき降りてきた梯子を指差していた。上からボルトが落ちてきて、2人の足元まで転がる。ヤナがホープを引っ張り、間一髪で氷の檻ごと倒れてきた梯子を避けた。今度はホープがヤナの手を引いて、攻撃をもらわない道へと暗闇の中を道案内する。


「梯子を全部落として、閉じ込めるつもりか!」

「待て、カイバ。悪いこと言わないから逃げるぞ」


 2人が梯子に辿り着くと、上からは一日早いクリスマスキャロルの合唱が聞こえていて、中に紛れ込めるとホープは梯子に足をかけた。


「待って!梯子に何か」

「え?」


 梯子を踏むとホープの足にワイヤーが絡まり、天井近くにある積荷が落ち重量差で逆さ吊りにされた。ワイヤーが切られ、人の手によって足から上に引き上げられる。


 合唱が止んだ。


 パニックなってホープがナイフをでたらめに振り回すと、小太刀が閃き、気づくと仰向けに転がされていた。袖を濡らしていく生温かい液体に、ホープは斬られたことに気づいた。


「人斬りの武器を持つならば己も斬られる覚悟をしておけ。子供ならば、特にな」


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