第17話 さくらの帰京と萩の月

 紅白歌合戦も終わり、いよいよ令和元年も終わろうとしていた。遠くで除夜の鐘が聞こえる。渋谷駅前のスクランブル交差点は新年のカウントダウンの盛り上がりで、108の煩悩を払う鐘を突く音なんて聞こえないんだろうな。広海はふと思った。


 カラン、コロ~ン

喫茶『じゃまあいいか』のドアのカウベルが鳴る。厚手のひざ丈のダウンに毛糸のマフラーをぐるぐる巻きにした髪の長い女性が立っていた。手袋をした右手に月の図柄が入った紙袋を提げている。

「いらっしゃいませ」

「いらっしゃいませ」

広海と幹太が声を揃える。


「さすがにこの時期になると、東京も寒いわねぇ~」

店に入ってきた彼女はバイトの店員を確認すると、マフラーを外しながら気安げに声を掛けた。

「さくら~」

「久しぶり~、ヒ・ロ・ミ」


 来店したのは、剣橋高校時代の同級生、吉野さくらだ。進学先の仙台から年末年始で里帰りしたのだ、東京に。

「元気だった~? 髪の毛伸びたんじゃない? 相変わらず薄化粧のまんま?」

カウンターの奥から勢いよく出て来た広海がさくらに飛びついてハグ。

「ん、もう。広海ったら。質問ばっかでどれから答えたらいいのよ」

広海の背中をなだめるように叩きながら、さくらが笑っている。

「まるで、ウチのお袋みたいだな、広海」

「何ですとぉ!」

一瞬、広海が幹太を睨むと店内にさくらと広海、二人の笑い声が響いた。

「お帰り」

コーヒーカップを拭いていた恭一が、優しく笑顔で声を掛ける。

「ただいま。マスターもお元気そうで。何か帰って来たなぁ、って感じ。早速なんですが、キョーイチのコーヒーお願いしてもいいですか」

「令和元年、オーラスのコーヒーでよろしいですか」

恭一がよそいきな言葉で丁寧に答えると、クラッシックな掛け時計の針は11時50分を指していた。

「何か、すっごくいい感じなんですけどぉ~」

さくらがいつもの雰囲気に溶け込むと、笑い声は幹太も含め三人分になった。



 「どう、仙台は?」

「うん、12月はやっぱり光のページェント。ちょうど大晦日の今晩まで。メインストリートの中央分離帯に並んだケヤキの木に無数のLED電球が灯るんだけど、遊歩道になっていて、ちょっとしたデートスポットなの。カップルのイメージとしては千穂と“課長”かな」

“課長”というのは耕作のニックネームだ。ご存じない方に補足すると、彼のフルネームは志摩耕作。人気漫画の『島耕作』と読みが同じなので、中学時代からそう呼ばれている。さくらとは普段からメールでのやり取りはしているが、声が聞こえる面と向かっての会話は別モノだ。広海は思った。

「どうせね。私とカンちゃんに『光のページェント』は似合わないわね?」

「そういうこともないんだけど、どっちかって言うと、お二人さんは何かアクティブなイメージじゃない? 何たってあんたは、イルカと泳ぐ人だから」

実際、広海はたまに実家のある父島に帰ると、ボートで沖に出てイルカと遊ぶこともある。さくらは直接見ていないが、高2の夏休み、千穂と幹太はボートの上から羨望と嫉妬の混じった眼差しで撮った“証拠写真”をスマホに残していた。

「ものは言いようね。チーちゃんたちはロマンティックで、私たちはアクティブかぁ。ロマンティックに憧れるなぁ」

「誤解があるよなぁ。俺たちだって、東京タワーとか恵比寿ガーデン・プレイスとか、イルミネーションぐらい行くんだぜ」

「ハイハイ。どうも、ごちそうさま。ほら、あんた達がどこへ行こうと自由だけど、人の想像も自由でしょ」

「確かに…」

さくらが両手を合わせて軽くお辞儀をすると、幹太が大げさにズッコケた。

「『ごちそうさま』で思い出したわ。これ、お土産。みんなで食べよ! 千穂たちも来るんでしょ」

そう言うと、さくらは紙袋をカウンターに載せた。

「うわぁ、萩の月。本場もんだ」

「相変わらず、大げさなんだから。やっぱ、カンちゃんね。そんなに喜んでもらえると、買って来た甲斐があったわ。でも、東京で買うのと同じよ」

「いや、いや。ほら気持ち冷えてる」

そう言って、幹太は紙袋に手を当てた。

「バカねぇ。だって私、仙台から帰って来たのおとといよ」

さくらと幹太のやりとりは、どうやら、笑いの“沸点”の高い恭一にもウケたらしい。笑い声は四人分になった。

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