ソレイユの森 14 光の中


 やってきたマルの手の甲を、カナはそっと、人差し指で優しく撫でた。


 葉の間から、細い糸のような、何本もの朝の光が降り注ぎ、森の中に陰影をつける。


 ソレイユは陽に、眼を向けて立っていた。


 眩し過ぎて、人間には真似できない。マルはその姿を見て、少し笑った。


「懐かしいな……服はパンク・ロックだけど。昔の俺を知っているのは、もうお前だけだ」


 ビリビリに破れたスーツ姿のソレイユに、持参した黒いスーツを渡し、着させる。


 マルは自分の服のポケットから、色褪せた紙切れを取り出して、ソレイユと見比べた。


 同じように黒いスーツを着た、ソレイユの写真が、薄く印刷されている。


 マルがずっと持っていた、ソレイユの説明書の表紙だった。


「お前を完成させてやりたかったと、何度も……、何度も、夢に見てきた。だが、この永い年月を経て、解かったよ。お前は、言うことはない、完璧だ。肩の傷なんて、気にすることじゃない。お前は俺の、完璧なロボットなんだ」


 目から涙がこぼれそうになる。カナが寄り添うように傍らに立った。


「さあ……それじゃ、始めようか。お前は、何を守っている?」


 マルは質問を開始した。ソレイユは、手の内の、切り札を匂わせるような喋り方をした。


「その質問には答えられません。これは秘密の約束です。シューに命じられました。このそばを動きません。僕は、守っています。誰にも渡しません。この命令は、絶対です」


 マルは、探り方を変える必要があると思った。そこで、ソレイユのそばの、古過ぎて何なのか分からない、墓石のように見えた石ころの前に、歩み寄った。


 ソレイユが石ころとマルの間に割って入った。ここだ、とマルは感づいていた。


 確かに、ここにある……いや、あった、か? 今もまだ、それは存在しているのだろうか。


 カナが、共通語で「強行突破?」と言ったが、マルは頷かなかった。


「ソレイユ」


 そして、マルは落ち着いた声で促した。


「対象はもうないかもしれない。確認してみろ」


 驚くほどに、ソレイユはすんなりとその指示に従った。


 無言で片膝を立てて座り、石ころの割れた隙間から、何かの小瓶を取り出した。


 陽の光を受けて、一瞬、強く反射する。


 それは遥か昔、暖炉と壁のわずかな隙間に、周一が見つからないよう、隠したものだった。


 目で小瓶をとらえた瞬間、マルは過去の記憶が蘇った。


「寿命を延ばすことのできる薬……」


 病気の上に、薬に害されていた自分にとって、それが毒であろうが、飲んでも飲まなくても、死ぬ運命は同じだった。


 マルは一気に飲み干した。そのすぐあとで、体中から疲れが抜けた。体が軽くなり、細胞の一つひとつに、栄養がじんわりと染みわたってゆくような感覚がした。


 その感覚が治まっても、受けた効果は変わらなかった。そう、今でもまだ……。


「不思議ね、空の小瓶を守っているなんて」


 カナの言葉で、マルは意識を引き戻された。


 ソレイユの持つ瓶に目を凝らすと、剥がれ落ちそうなラベルには、「不老」、「抗老」という字が、かすかに見えただけで、中身はなく、空っぽだった。


「もし、俺が飲んだあの薬で、スペアなのだとしたら……中に、液体の薬が入っていたんだ。無色透明で、何の味もしない、液体が」


 動揺するマルと、手の中の瓶、交互に、ソレイユは視線を動かした。


「長い時間、受け続けた日差しの中で……いつの間にか、蒸発してしまったのよ。きっと、ずっと前から……ソレイユは守るものなんて、もうなかったんだわ」


 カナの小さな呟きで、ソレイユは自分の状況を、新しい情報として理解したように見えた。


 ソレイユの下ろした手の中から、小瓶が滑り落ち、石ころに当たって四方に弾けた。


 マルは、張り詰めていた糸がほどけたように、その場に膝をついて座り込んだ。


 ……よかった、薬が消えていてくれて、よかった。本当に……。


 自分と同じ、永遠に生き続ける苦しみや恐怖を、マルは誰にも味合わせたくなかった。


 暖かい手で、カナが背中を撫でてくれる。


 そんな彼女が、マルは心の中心に、大きく存在していることに気がついた。


 彼女はこの先、自分の死が、二人を離れ離れにさせることを、もう解かっているはずだ。


 しかし、そんな想いを飛び越えて、そばにいようとしてくれる。


 生きていることだけが、重要なことなんかじゃない、とマルは自分に説いて聞かせた。


 その過程で、どれだけ相手のために尽くせるか。どれだけ役に立つことができるか。


 それが、自分にとっての、最も大事な存在理由だ、と。


 支えられる幸せ、必要とされる喜び。


 自分にしかできないことが、この世界にはまだあるはずだ。


 周一さん。


 マルは心の奥で、周一に向けて語りかけた。


 あなたはそれを、教えてくれた。それだけでもう、薬の価値はあったんだ。


 不意に、ソレイユがいないことに、マルは気づいた。


 落ち葉を踏みしめる音がした方向に目を向け、カナと静かについて行くと、ソレイユが大きな木の根元に、その身をもたせかけ、座り込んでいる姿があった。


 マルは少し首をひねった。


 ソレイユの顔に、木漏れ日が当たっている。柔らかい光の中で、充電しているのだろうか。


 しかし顔をよく見てみると、まぶたがしっかりと閉じられていた。


 ソレイユは、自分を充電することを、放棄していた。


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