第16回 司馬穎の最期

 漢文大系本、第3巻、84ページ。

 西暦304~306年。


 穎奉帝還洛。顒将張方在洛。遷帝於長安。顒廃太弟穎、更立予章王熾、為太弟。東海王越、発兵西入長安。奉帝還洛。以越輔政。成都王穎、先拠洛陽、已而奔長安。又自武関奔新野。遂北済河、収故将士。為頓丘太守所執。時范陽王虓拠鄴。送穎於虓、未幾被殺。


 えい、帝を奉じてらくかへる。ぐうの将 張方、らくに在り、帝を長安にうつす。ぐう、太弟えいを廃し、更めて予章王を立てて、太弟と為す。東海王越、兵を発して西のかた長安に入り、帝を奉じてらくに還る。越を以てまつりごとたすけしむ。成都王えいらくやうり、すでにして長安にはしり、又た武関より新野にはしる。遂に北のかた河をわたり、もとの将士を収む。頓丘太守のとらふる所と為る。時に范陽王かうげふる。えいかうに送るに、未だいくばくならずして殺さる。


 えいは、恵帝を擁してらくように帰った。ぐう側の将軍の張方はらくようにおり、帝を長安に移送した。ぐうは太弟のえいを廃し、改めて予章王のを立てて、太弟とした(304年)。東海王の司馬越は、兵を出して西に進み長安に入り、帝を抱え出してらくように帰った(305年)。帝は、司馬越に政事を補佐させた。成都王のえいは、先にらくようを根拠地としていたが、そののち長安に逃げ、さらに武関から新野へと逃れた。そのまま北に進み黄河を渡り、もとの部下であった将士たちを取りこんだが、頓丘太守に捕らえられた。そのころ、范陽王のこうが、ぎようを拠点としていた。えいこうのもとに送ると、ほどなくしてえいは殺された(306年。ただしこうえいを殺したわけではなく、えいこうの死の直後に殺されたのであるが、『十八史略』では略されている)。

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