5

「よお。」


 スタジオ階の廊下。

 俺が一人でタバコ吸ってる所に現れたのは…神さん。


「おはようございます。」


 …俺は、この人にも勢い余って告白した。

 気持ち悪がられても仕方のない俺に、神さんは…人間として、ますます尊敬に値する対応をした。


 …一瞬でも近付けたと思った自分を恥じたが、それも今となっては思い出に出来る。



「元気そうだな。」


「…はい?」


 俺の顔を見てニヤニヤする神さんに、首を傾げる。

 …ああ、ニヤニヤする顔までもがカッコいいとか…

 反則だな。

 そんな事を思ってると…とんでもない物が投下された。


「女と暮らしてんのか?」


「………は?」


 思わず、くわえてたタバコが落ちる。


「どっどどうして、そんなこと…っ…」


「あはは、おまえでも慌てる事あるんだな。コーヒー飲むか?」


「……いただきます。」


 神さんは自動販売機でコーヒーを買うと、一つを俺にくれた。


「…どうも。」


 隣に座った神さんに、少なからずともテンションが上がる。

 今や失恋の相手でしかないが…それでも憧れの人である事にも違いない。

 だが、今はそれよりも…


「いい女だったな。随分若そうだったけど。」


 あああああ…

 なぜ神さんに…!!


「…いつ?」


「夕べ。楽しそうに買物してた。」


 さ…最悪だ…


「神さん…あの辺りに用が?」


「俺?知花が花屋で長いこと待たせるから、パチンコ行こうと思って。そしたら、駅前でおまえが女と腕組んで歩いてた。」


「……」


 俺は頭を抱える。


「どこでつかまえたんだよ。」


「あ…あれは、実は…」


「妹とか言うなよ?」


 う。


 カシッ。

 神さんがコーヒーを開ける。


「実は…」


 神さんだぞ?

 今となっては…アレだけど…

 それでも、恋敵でも想い人でもあった人だぞ…?

 話すのか?



「…酔った勢いで、連れて帰ったらしくて…」


「あはははは!!」


「……」


「あ、わりぃわりぃ。」


「…それだけじゃないんですよ…」


「何。」


「婚姻届まで、書いてたんです。」


「…おまえ、酔い方に問題ありだな。」


 相変わらず、神さんは笑いながら言った。


「自分でも驚きましたよ…」


「で、そのまま結婚したって事か?」


「いえ…とりあえず婚姻届は保留してます。でも身内のいない子なんで、とりあえず…住まわせてるって言うか…」


 別に悪い事をしてるわけじゃないのに、つい…口ごもってしまう。


「いくつ?」


「…18です。」


「おー、はじけてるな。くったか?」


「…くってませんよ…」


「案外紳士だな。」


「そうでもないんですけどね…」


「まだ、知花が好きか?」


「…え?」


 咄嗟にそう言われて、驚いて顔をあげる。

 俺は、神さんを好きだって告白はしたけど…


「知ってるさ。とっくに、俺なんかより知花を好きだっただろ?」


「……」


 かなわない。

 本当に、そう思ってしまった。


「…親友として。」


 俺が小さくそう言うと。


「そっか。」


 神さんは、優しい声。


「ま、今そんな状態じゃ、その女以外のことなんて考えらんねえもんな。」


 図星。

 道行くいい女も、最近は視界に入らない。


「でも、神さんだったら怒鳴りたくなるような奴なんですよ。」


「どんな?」


「言葉使い最悪、料理ができない、セックス拒否。」


「俺なら追い出す。」


 思い通りの言葉に、俺は笑う。


「追い出せればいいんでしょうけどね…」


「何、情が移ったか。」


「そんなに、イヤな奴じゃないし。」


「無理矢理やっちまえ。」


「できませんよ。」


「おれは、最初無理矢理だったぜ?」


「え。」


 口を開けて神さんを見る。


「言葉遣いや料理が良くなるより、一番てっとり早いもんをどうにかするだろ。」


 お…恐ろしい。

 俺は平和主義だ。

 争いも揉め事も嫌いだ。

 全てに置いて、平和であって欲しい。


 …でもまあ、神さんなら頷けてしまったりして…


 無理矢理とは言っても、神さんは気持ちがなきゃ、そんな事しないだろうし。



「ま、早くものにしろよ。」


 神さんが、コーヒーを飲み干して立ち上がった。


 そして。


「その女、ちょっと怪しいぜ。調べてみな。」


 って…俺がずっと見ていたいような、不敵な笑みで言った。




 * * *



「おう、いらっしゃい。」


 神さんに言われたから…じゃないんだけど。

 実際、婚姻届のことも聞きたくて。

 俺は、ダリアにやって来た。


「一人か?」


「…二人じゃないとおかしいですか?」


「ん?陸とケンカでもしたのか?」


「……」


 誠司さんにそう言われて、俺は首をすくめる。

 どうも俺は誠司さんまで疑ってしまってるらしい。



「聞きたいことが。」


「婚姻届のことか。」


 意外と真顔の誠司さんが、俺の問いかけに間髪入れず即答したもんだから…

 冗談まじりに話を聞き出そうとしてた俺は、少し視線を泳がせて…カウンターに座った。



「…どうして?」


「おまえが結婚するって言ったんだぞ?」


「俺が?」


「今すぐこの女と結婚するから、婚姻届をくれって。」


「…誠司さん、婚姻届けなんて…どうして持ってたんですか?」


「離婚届も婚姻届もたくさん持ってる。」


「……」


 なるほど。

 ダリアでは、酔っ払った勢いで結婚する奴もいれば、離婚する奴もいる…と。


 目の前に出された水割りを、軽く一口。


「いい子だろ?」


「…いやな奴なら、とっくに追い出してますよ。」


「夫婦生活はどうだ?」


「冗談でしょ。妹みたいなもんです。」


 俺が呆れたように首を振りながら言うと。


「幸せにするって言ったんだから、絶対幸せにしろよ。」


 今日の誠司さんは…いつになく声も真剣。


「……」


 そんなこと言われても。

 そう言いたいんだけど。

 誠司さんの真面目な顔に、何も言えなくなってしまった。



「誠司さんは、あいつのこと知ってるんですか?」


「あいつ?」


「ルカですよ。」


 俺の問いかけに誠司さんは一瞬黙って。


「そういえば、陸がさ。」


 話を…変えた。


「陸?」


「あいつ、絶対好きな女ができたんだぜ?」


「陸に?」


「ああ。昨日一人で来て、盛大に溜息吐いて考え事してた。」


「……」


 陸に好きな女…


 まあ…別におかしくはないけど…

 少し気になった。

 織以外の女を好きになったなんて…初めてじゃないか?


「ま、おまえも陸も、そろそろ女に真面目になってもいい頃だよな。」


 誠司さんの言葉に、思わず首をすくめながら。

 この人からは何も収穫できそうにないな…と感じた。



 二杯ほど飲んで『新妻が待ってるので』なんて言いながらダリアを後にする。

 何か調べる手段はないかと考えたが、それには自分の良心を捨てて…まずは荷物を調べる事にした。


 …それぐらいの事は、してもいいはず。

 うん。



「…何してんだ?」


 家に帰ると、ルカはベッドにうつぶせになって…何かを必死で読んでた。


「やっ!!あっ、ああ…おっおおおかえり。あーびっくりした…」


 …何だ?

 この動揺ぶり。

 しかも今…何か隠したな。



「遅かったね。」


「誠司さんとこ行ってた。」


「ふうん…あ、あたしお風呂入ろっと。あー、疲れたー。」


「この様子だと料理もしてないクセに…何に疲れんだよ。」


「もうっ、いいじゃない。色々あるの、あたしにもっ。」


「……」


 ベッドからそそくさと逃げてくルカを、黙って見送る。

 慌てると…言葉遣いが普通になる事、気付いてないのか?


 ルカが風呂に入ったのを確認して。

 俺は、ベッドのマットの下に手を入れる。

 何か隠してたよな。

 探ってる内に、何かが手に触れた。


「…手帳?」


 引っ張りだすと、それは小さな手帳。


「……」


 荷物を探る。と決めていたものの、やはり少し気が咎める。

 …いやいや、素性のわからない女と暮らしてるんだ。

 これくらい…

 思い切って、その手帳を開くと…


「…何だ、こりゃ…」


 うちの、家族構成。

 親父の名前から、妹の鈴亜りあ、弟のわたるの名前まで。

 そして、そのあとには、誠司さんの名前に、臼井さん、浅井さん…


「…早乙女涼?」


 センと何か関係があるのかな。

 こいつ、最初から俺のことを知ってたってことか?

 それに、誠司さんとも何かつながりが?


 俺は手帳をもとに戻すと、テレビをつけて座る。

 何事もなかったかのようにコーヒーを入れて、ルカが風呂からあがるのを待った。



「あー、気持ちいい。」


 風呂からあがったルカは、頭を拭きながら。


「あたし、今日カレー作ったんだぜ。」


 そう言って笑った。


 カレーの匂いはおろか…料理をした形跡もない。

 どうしてこいつは、バレる嘘を平気でつくんだ?



「一人で全部食ったのか?」


「あんまり美味かったからさ。」


「……」


 ふいに、神さんの言葉がよみがえる。


『無理矢理、やっちまえ。』


 目の前のルカは、Tシャツに短パン。

 俺たちは、婚姻届(保留中だが)まで書いてる。



「ルカ。」


「ん?」


「ダリアのマスターの名前、なんで知ってる?」


「え?」


「マスターの名前。婚姻届を渡してくれた人だよ。」


「どうして。あたし、知らないよ。」


「さっき、俺が誠司さんの店に寄ってたって言ったら、ふうんって言ったろ?」


「…そうだっけ?」


 ルカは目を泳がせて。


「いちいち聞くのも面倒じゃない。」


 俺に背を向けた。

 それを見て…俺は意を決して立ち上がる。


「……え?」


 肩を掴んで振り向かせると、ルカは目を丸くして俺を見た。


「な…何?」


「正直に言え。」


「…何。」


「俺のこと、前から知ってたな?」


「ど…」


「知ってて、近付いたんだな?」


「どうして?あたしは…あたしは、光史のことなんて…きゃ!!」


 俺は、ルカを抱き上げてベッドに放り投げると、手首を掴んで覆い被さった。


「言えよ。何が目的だ?」


「何のことよ!!放して!!」


「放せないな。」


「いやっ!!」



 婚姻届けは保留中。

 相手は未成年。

 神さんは罪悪感は湧かなかったのだろうか。

 なんて考えながら…



 俺は……。

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