「今年は三日の土曜か」


 隣でスマートフォンを見ていた颯が呟いた。

 独り言にしては大きいので、祈は本から目を離さずに訊いた。

「何がだ?」

「毎年してるなこのやり取り。夏祭りだよ夏祭り」

「ああ」

 今年もすっかり忘れていた。覚えた記憶も無いが。

 颯はこういうイベントも欠かさない。

 マメな男だ。女子からモテるのも頷ける。

「来年も忘れる予定だから頼む」

 祈は大欠伸した。

 やはり夏の午後は空調の効いた部屋で過ごすに限る。図書館万歳。

「夜枯も行くだろ?」

「はっ?」

 思わず頓狂な声が出た。質問の意味が分からない。

「イヴちゃんと」

 もう一度頓狂な声が出かかったが辛うじて飲み込んだ。

 颯にはユーフォリアの事を話してはいるが連れて行った事はない。

 ……いや、連れて行かないようにしていると言った方が正しい。

 颯はユーフォリアに特段興味を示した訳でも無かったが、イヴに関しては会ってみたいとの旨を述べた。

 確かその時は「場所がややこしいから」とか「忙しそうだから」とか言い繕って断った。

 なんとなく、あの場所は自分だけの秘密にしておきたかった。

「悪いがそういう予定は無い」

 祈がイベント事に顔を出さないのは連れがいないからだと思っているのだろう。

「じゃあ作る事も出来るわけだ」

 目線をやると颯はニヤッとした。

 それ以上言ってこないのは言うと祈がかたくなになるのを知っているからだ。

 それも面白くない。行かない理由が無いのも確かだ。

「……土曜と言ったな」

「イエス」

 まあ、場所がユーフォリアから夏祭り会場に変わるだけか。

「声くらいは掛けてみる」



 夕方、ユーフォリアを訪れるとイヴと月乃がカウンターに紙のようなものを広げて話し込んでいた。

「何やってんだ?」

「謎解きです。透明人間の」

 鞄を椅子に掛けて定位置に座る。

「こないだ話してたでしょ。気になるから解決したいってシノちゃんに頼まれてね」

「先生は?」

「バドミントン部の副顧問サボってたのがバレて当分来られないの」

 忙しい御仁だな。

「で、これは……地図?」

 紙には手書きで線や四角形がいくつも書き込まれていた。

 どうやら月乃の高校の間取りらしい。

 校舎は大きく二つに分かれており、その中に部屋や廊下がある。

 正面から見て左側が美術科、右側が普通科校舎でそれぞれ教室棟が向かい合い、間に中庭がある。

 そして渡り廊下が真ん中に一つあり、H字形に二つの科を繋いでいる。

「最初の騒ぎが起きたのがここで、次に起きたのがここです」

 月乃は美術科校舎一階の中庭に①、普通科校舎一階の廊下に②と書いた。

「透明人間が同一犯だと考えると両方の現場が見える位置に居てもおかしくない人物、という事になるわね」

「最初に飛んで来たのは確か靴だったよな。なら、場所は下駄箱じゃないか?」

 祈は第一の現場のすぐ近くにある下駄箱を指差した。

「普通に考えるとそうね。でも、先生方も同じ事を考えたと思うわ」

「確かにこの距離ならすぐに見つかってしまいますね」

「騒ぎが起きたのは何時頃だったか分かるか?」

「昼休みです。ほとんど終わる頃だったかと」

「昼休みの次は何なの?」

「清掃時間です」

「走って逃げるにはリスクが高いか……」

 逃走先が短距離の位置にあるとして、現場から近い清掃場所に疑いが掛かる事は犯人も分かっている筈だ。

「……この二つに共通するのは、教室ではないという事と一階であるという事ね」

「そうか二階だ!二階からなら見晴らしがいいし、逃げるのに困らない」

 イヴを見ると「それで間違いない」と言うように軽く頷いた。

 二階で尚且つ下駄箱と近い場所――

「……あれ?」

 祈は紙の上を辿っていた指を止めた。

「ありませんね、そのような場所……」

 月乃が困惑の表情を浮かべる。

 渡り廊下があるのは一階で、両端の階段を登った二階には職員室があるだけだ。

 二階で靴が届く位置は美術科側の階段の上の方しかない。

「ここからなら届くけど普通科の生徒は使えないよな?」

「はい。科を行き来する際、生徒は基本的に一階の渡り廊下を使う事になっています」

 普通科側の階段を使わなければ、第二の現場である普通科の中庭にヘアゴムを飛ばすのは不可能だ。

 二つの犯行はどうしても分断されてしまう。

「清掃場所も科で分かれているので第一の騒ぎの後、逃げたとしても行き先は美術科の清掃場所のどこかという事になります」

「つまり最初の透明人間は美術科の生徒の仕業で、二回目の透明人間は普通科の生徒の仕業って事か」

 同一犯じゃなかったのか。

「変ですね……絶対同じ人だと思ったんですけど」

「美術科の噂を聞いて、普通科の奴が真似したとか」

「じゃあその動機って何なんでしょう」

「動機……」

 祈が唸っているとイヴがきっぱりと宣言した。

「いいえ。透明人間は、一人よ」





 最後の陽が広く横たわっている。

 突き抜けるようなオレンジが青空と混じり合い、次第に境目が分からなくなっていく。

 まるで誰かが夜が来るまでの時間を稼いでいるかのようだ。


 祈は疑いを滲ませてイヴを見た。

「何で一人だと言い切れるんだ?」

「不自然だからよ」

 イヴは表情を崩さない。

「二つの犯行をそれぞれ別の人物が行ったのなら、それは計画的なもの。後者が前者の真似をしたのなら尚更ね。でも計画的にやったにしては不自然な点があるわ」

 魔女は淡然たんぜんと話し始めた。

「まず、内容。靴を投げたりヘアゴムを飛ばしたり、計画的にやったにしてはお粗末過ぎるわ……もっと確実な方法はいくらでもあるのに。状況は偶然騒ぎを見かけて衝動的にその場にあった物でやった感が否めない」

「……確かに」

「何というか、やっている事が少し軽いですね」

 月乃が率直な感想を述べる。

「次にさっき言っていた動機。透明人間は被害者ではなく加害者を狙った。被害者同士に面識は無いから親しい人物による復讐でもない。きっと彼女、そんな大それた事をしたかった訳じゃないわ。ただ、強い正義心を秘めている」

「彼女?透明人間は女なのか?」

「あら、貴方は普段使うの?ヘアゴム」

 イヴの面白がるような笑みを咳払いで躱す。

「でも場所は?まさか職員室から投げたって言うのか?」

「その通りよ」

 そんな馬鹿な、と口にしようとすると月乃がはっと顔を上げた。

「出来ます」

「えっ」

「職員室は美術科も普通科も入る事が出来ますし、清掃時間は先生方もそれぞれの監督場所へ行きます。目撃される可能性は意外と低いかも知れません」

「距離を考えると靴は美術科から職員室へ向かう階段の上から、ヘアゴムは普通科から職員室へ向かう階段の影からが妥当でしょうね」

 イヴは地図の上で二箇所を指した。

「怪我をさせるような事をしなかったのも、女子だったからかも知れませんね」

 月乃が眉を下げて苦笑いした。

「ええ。彼女は教師に知られる事なく起きているその出来事が見過ごせなかった」

「喧嘩は表でやれって事か」

 なんだか武士みたいだ。


 祈は顔も知らない透明人間に思いを馳せた。

 大人の気付かない世界で彼女が発したメッセージ。

 それは周りから見ると冷たく不器用で、けれど彼女の曲げられない強い願いが込められている気がした。




     *




「北代」

 資料室は今日も静かだ。

 静かで、無機質で、暗い。

 まるで陽の光から隠れ棲む為の場所みたいだ。

「前に言ってた事覚えてるか?」

 千世は振り返らずに呟いた。

「あれは……何でもないです。忘れて下さい」

 床に箒を進める彼女の背中にはもう答えることは無いと書かれている。

 それでも追うべきか、陽太は一瞬考える。

 考えて、思い切り口を開いた。

「俺こないださ、言うだけでも楽になるって証明したじゃん?」

「えっ?」

 千世が振り向く。何の話をしているのか分からないという顔。

「ほら、暑い暑いってわーわー言ってたら暑くなくなったじゃん。今俺以外誰も居ないから好きな事言っていいぜ?」

 ほれほれ、とニヤついてみせる。

「……先生は」

 迷った末、千世はぼそりと話し始めた。

「うん?」

「先生はご兄弟と仲良いんですか」

「仲良くはないけど……悪くもねぇかな。北代は仲悪いのか?」

「私は……いない方が良かったって、思うんです」

 千世は恐れるようにこちらをチラリと見た。

「まぁ兄弟いる身からすると一人っ子も憧れるよなぁ。何で何で?」

「もう一人を……不幸にしてしまうから。みんながそうじゃないとは思うけど、少なくともあたしは“幸せをもらえない方のきょうだい”だから……」

 千世は顔を赤くしながら続けた。

「母は優しいです。でも」

 千世の瞳にちらと憎しみが走る。

 憎しみだけではない。表裏一体のように哀しみが覆い被さっている。

 陽太はその先を察した。

 “でも、千世を愛してはいない”――

「……」

 そういえば千世の表情が曇るのは陽太が身内話をしている時だったと思い当たる。

「先生は北代の母さんのことは分からない。でも、北代はこれから大人になる。母親なんかすぐに追い抜く。北代は間違った事が嫌いだからそういうの気になるかもしれねぇけど、無理に尊敬しなくて良いと思う」

 陽太は一気に話した。

「もし今辛いなら他に大事な人、大事にしてくれる人を作れ。彼氏でも友達でもいいから。北代は人を大事にするからすぐ出来るだろ」

 千世は最初怪訝な顔をしたが、陽太の言葉を噛み砕くように俯き、小さく頷いた。

 陽太は今朝イヴに聞かされた事を思い出した。


『――という訳で犯人はこの近くの掃除の担当。誰からも怪しまれていないという事はいつも通る人物だと思うわ』


 千世は千世なりに現実にもがき、そしてある種の反論を行ったのだ。

 それは他人にとっては不可解でも、彼女にしてみれば精一杯あげた声だったのだろう。

 陽太はそんな彼女に最後の一刀を振り落とす。


「お前は、『平等』が欲しかったんだな」




     *




 HOTEL MIKOTOはひるがお商店街からほど近い、街中の一等地に建っている。

 芸術の街を謳う美古都町唯一の宿泊施設とあって装飾は和風の趣深いデザインで固められ、壁には黒と赤と金が枝のように絡み合っている。

 そのエントランスに数人の男の姿があった。

 全員がスーツを着込み、冷房の中でしか活動するつもりが無いかのように談笑している。

 男たちは一人の男を囲んでいた。

 背が高く堂々とした面構えで、身なりは一分の隙もない。

 それもその筈、男のスーツはこの辺りでは到底手に入らない特注物で、腕のずっしりと重たい腕時計や磨く必要の無さそうな革靴をとっても同じだった。

 何より男は独特の雰囲気をまとっていた。

 立派な盆栽や足元に張り巡らされた人工の小川には興味を示さず、ただにこやかに受け答えしている。

 が、その目は強い意志とそれを成し遂げられるだけの深慮遠謀しんりょえんぼうさが秘められていた。


「いやぁ、しかし火鵺ひぬえ先生の手腕には毎度驚かされますな」

「これで次の市議選、阿潟あがたさんの当選は確実です」

「……あの辺りは農業従事者が強い発言力を持っている。まあ五万票は固いでしょう」

「後はひるがおの辺りですね。あそこは活気があるが年齢層が低い。票になりますかね?」

「人はメリットが無ければ動かない。彼等の望みを形にすれば良いだけです」

「確かいくつかの店舗が業務拡大を考えているとか」

「でももう土地が無いぞ。増やすならどこか潰さないと」

 男は柔和な笑みのまま答えた。

「ええ……この町に不要な場所から順に検討しましょう」

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