第三十二譚 そうして《冬》の真実は語られる

 頭巾をかぶり、織物の服を着込んだ老婆がこちらに進んできた。背がまがっている。長年雪の重みにたえ続けてきた者のかたちだ。

 老婆が樹木の真下に至る。


「あなたが旅の季環師きかんしかい」


 老婆が尋ねた。物腰は穏やかだが、敵意が滲んでいた。


「いかにも、僕が季環師ですよぉ」

「ならば、この春はあなたが甦らせたのかい」

「いえ、まだ、春を甦らせたわけではありません」


 セツはすでに散り始めている枝を振りかえる。


「これはノルテ地域の《春》ではありません。他の地域から季節を運んで披露するのは芸季師げいきしの本業であって、季環師の役割ではないのですが、こうするのが皆さまに春をご覧いただくのにはよいかと思いまして」


 現に、この樹木の他には、春の萌しは表れていない。


「これは、根のない春だ。ちいさくて果敢ない、一瞬だけの。長続きはしません」


 薄紅のはなびらが舞い散る。雪にまぎれて、はなびらは石畳に薄く積もった。

 この様子では、散り終えるまでそうはかからない。


「この町には《春》があった。決して《冬》だけの地域ではなかった。七十年前までは確かに、季節は巡っていたはずです。あなたはご存知のはずですよねぇ、町の長さま」


 セツが問いただすが、長たる老婆は黙り込んでいた。

 町の者が騒ぐ。春を知りながら冬に浸り、他の季節を葬ってきた者も、なにひとつ教えられず冬だけがこの地域の季節だと思っていた者も、互いに顔を見まわす。

 セツは蓋のついた羅針盤らしんばんを取りだす。

 正確には季節盤きせつばんだ。彼はこのようなものがなくても季節を読めるが、季節の循環が滞っている地域では、これが確たる証拠になる。もっともこの地域の者は季節盤を知らないだろうが、花の紋章を見ればなにを意味するか、想像はつくはずだ。

 鏡に花の紋章が浮かびあがる。

 それを掲げて、セツは言った。


「いまは《春》だ。《春》であるはずなんだ」


 柔らかいのに強い声が、群衆のこころに訴えかける。


「《春》ならば、《春》であるべきです」


 ここにはまだ、《春》があるのだから。

 季節の循環を望めるだけの大地が、残っているのだからと、彼は訴える。


「いいや、《春》は、こないんだよ」


 長は希望を振りきるように否定する。


「《春》はこない。きてはならない。この町は冬に塞がれることで護られているんだよ」


 屋根の彼方には雪嶺せつれい。難攻不落の《冬》の砦だ。

 町は《春》を殺すことでなにから護られ、なにから逃れたかったのか。そうして、長い時が経ったいまでも、なにを恐れているのか。

 真実をあきらかにはせず、長は否定だけを繰りかえす。


「どうか、この町を立ち去っておくれ」


 長は低く頭をさげた。雑に編んだ白髪が地に垂れる。

 それを静かに見つめて、セツは首を振る。


「僕が立ち去っても、やがては春が訪れます。冬患いの嵐の果てに。実りは減り続けるでしょう。雪は増え、吹雪が続き、寒さもこれまでとは比にならない。この町は、ほんとうに乗り越えられるのですか?」


 あるいは《冬》が息絶えて、急に夏が続くようになるか。土地が朽ちるか。

《冬》は毅然と振る舞っていたが、不眠に侵され、ちからが衰えているのが窺えた。強き精神を持った彼の者でなければ、とうに潰えているはずだ。死の際に、冬が暴走するという最悪の事態も考えられる。


「それに」


 セツは広場に集まった群衆を振りかえる。


「あなたがたは、春を覚えてしまった。美しく、穏やかで、清らかで、暖かな春を」


 かぎられた季節のなかで暮らし続けていたものが、みたこともない季節にあこがれるのは難い。されどほんの一瞬でも、それを見て、聴いて、触れてしまえば、こがれずにはいられなくなるのが人のさがだ。


 まして、美しかった。


 春という季節は、美しかったのだ。

 希望を持たずにはいられないほどに。


「なぜ春がこないのか、なぜ春を迎えてはならないのか、教えていただけますか?」


 町の者が集まっているなかで問い質され、長は逃げ場を絶たれた。


「城の雪原に埋まっていた氷漬けのむくろの数々とも関係があるのですよね? あなたはいったい、なにを隠し続けてきたのですか? なにから、町を護ってきたのですか?」


 薄氷うすらいが張るように沈黙が場を覆った。

 民衆も旅人の言葉に動じながらも、町の長の登場に委縮して、静まりかえっている。

 凍える水に腕をつき込んで沈黙を割ったのは、春にあこがれ続けた娘だった。


「おばあさま、いえ、長さま ! この場で真実をあきらかになさってください!」


 ハルビアが長に懇願する。彼女の発言が火種となり、町の者がそれに声を重ねる。「春があったのならば、なぜいまは、冬が続いているのですか」「真実を」「教えてください」「どうか長さま」「われらが暮らす町のことだ」「春はいったいどこに」「実りが減っているのは事実だ」「骸だって?」「冬が終わらないのは」

 騒然と沸きたった群衆の熱に押されて、長が遂に頷いた。


「……わかった。真実を語ろう」


 頭巾に隠されて、長の表情は見て取れない。

 遠い昔を思いだす為か、長はしばらく黙り、それから語り始めた。


「はじまりはなんだったかね。ああ、そうだ、中央都ちゅうおうとから男爵がやってきたんだ。なんでも戦果を挙げたので、中央都から領地としてノルテ地域をあたえられたとのことだった」


 滅びた城が浮かんだ。雪に埋もれた、墓標のような城。男爵の私兵であろう騎士の骸は城ではなく、野原で氷漬けになっていた。激しい戦の果てに。


「それまでは、この地域は中央部の管理下にあった。中央都が課す税はさほど重くなかった。物納だった。年に三度ほど、季節の収穫物を積んで中央都に納めにいくんだ。けれど新たにやってきた男爵は、あろうことか、それまでの三倍の重税を課したんだ」


 いまは冬の砦に護られていて、税を払い、中央都に保護されずとも、ふたつの大陸の戦争に巻き込まれることはない。税という制度からも長らく切り離されていた。

 だが昔は、そうではなかったのだ。


「あの頃はあたしも、まだ十五歳前後だった。政治なんてわかっちゃいなかった。覚えていることは僅かだ。後に他の者に事情を伺い、経緯を理解できた部分も多い。ただ、そうだねぇ、幼くとも町の者が重すぎる税に貧窮ひんきゅうしていくことはわかった。豊かな実りがあっても食卓にならぶものは段々と減って、働いても働いても、税で搾り取られる。町は数年に渡り、悪政に耐えた。いつかは考えを改めてくれるはずだと。されど、悪政が改善されるきざしはなく、男爵に嘆願したものは処刑されていった。夏には飢えるものもあった。みな、晩秋から冬に掛けての実りに希望を寄せたが、畑を無理に増やしたせいか、土地が痩せて、その年は実りがごく僅かだった。収穫の冬を迎え、さらなる増税があって」


 長は語り続けた。過去の顛末をたどりながら、「思いかえせば、冬に差しかかったばかりとは思えないほどに寒い、息さえ凍てつく時期のことだった」とかみ締めるように言い添えて。


政変せいへんの戦が勃発した」


 それが終わらない冬の発端だったと、長はひとつ、輪郭のある息をついた。

 斯くして時は、七十二年前に遡る――――――。

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