第三十譚 《春》を望んだ罪
日毎に焔は衰えていた。
洞窟のなかは暑いほどだったのに、いまは薄ら寒かった。護り神にも寿命があるのだろうか。
一晩経って、気持ちの整理をつけたハルビアはエンダに連れ添ってもらい、長のもとを訪れていた。長は普段と変わらず、揺り椅子に腰かけて黄金の焔を観測していた。番人とはいえども、衰えていく焔を前にどうすることもできないのだ。
「おばあさま、お尋ね致します」
ハルビアが声をかけた。長はゆっくりと視線をあげる。
「なぜ、旅人を殺させたのですか?」
なにを尋ねられるか、おおかた予想がついていたのか、長はいっさい驚かない。
平静な、普段となにひとつ変わらない態度で、長は言った。
「旅人など町には訪れなかった。冬の砦は破られていない。春の依頼などしてはいない。隊は誰も殺していない。いいかい? あたしの大事な愛娘」
「そんな。なんでそんな、ひどいことができるんですか」
ハルビアは嫌々と首を横に振った。
母だと慕っていた相手の、冷酷な言葉の数々にうちのめされる。
「しかたがないんだよ。すべては町の為だ。旅人はあろうことか、季環師だった。春を甦れば、あのひとが為したことが無駄になる」
「おばあさまはいったい、なにを隠しておられるのですか?」
長は黙り、待っていても、なにかを語りだす素振りはなかった。
ハルビアは項垂れる。
生まれた時から側にいてくれた。実の母親ではなくとも、信頼を寄せていたのだ。なのに、いまは寒々と遠い。ハルビアは辛かった。愛していた義理の母親が、様々な責任や事情はあるとはいえども、幼馴染に旅人を殺させたことが。
「私が、春を望むことはそれほどまでに、許されない罪なんですか?」
「ああ、望んではいけなかった。町に暮らす者が望んではならないことだ。ましておまえは」
またなにかを言いかけて、長は黙る。ハルビアが声を荒げた。
「私が、春殺しの子孫だからですか? 春が甦れば、かならず復讐にやってくるから? それならば、なぜ、私に教えてくださらなかったんですか?」
それらは、彼女が教えられていないはずの事実だった。長が隠していたことの、一部だ。長は一瞬、不意をつかれたようだったが、誰が教えたのかはわかりきっていた。
「エンダ・ディ・ノルテ……おまえは、この娘によわいねぇ」
長は穏やかに声をかけながら、ぎろりとエンダを睨みつける。
エンダはハルビアの隣に寄り添い、
「それとも単に、おまえがよわいのか」
「やめてください、彼を責めないで」
ハルビアが声をあげた。なかば、悲鳴のようだった。
こんなふうに悪意のある母親の瞳をみたことはなかった。
極寒の町を護り抜いてきたのだ。穏やかなばかりではないと理解してはいたが、彼女が知り及ぶかぎりでは町には争いもない。非情な処置を取ることもそうはなかったはずだ。少なくとも彼女は、そんな事態は覚えにない。
いま、諦めて立ち去れば、すべてはなかったことになる。長は、そうするに違いない。
旅人にたいする措置は町の者には知らされていない。一部の選抜隊員は現場にいたが、彼らは他言しないだろう。簡単に、すべてをなかったことにできる。だがハルビアはそれほど器用ではない。旅人の死を、幼馴染の罪を、春を望んだ代償を、無かったものにはできないのだ。
「なんで、こんなことになってしまったのでしょうか……ねえ、おばあさま? おばあさまは昔から、私に隠しごとをなさっていたでしょう? 私はほんとうは気がついていて、けれどお婆さまが話したくないのならばと、最後まで黙っているつもりでした。けれど、こんな事態になるのならば、はじめから尋ねるべきでしたね」
なにがあろうと真相を質す。これまでの平穏な暮らしに戻れなくてもよいと覚悟を決めて、ハルビアは長のもとを訪れたのだ。黙り、
「私の先祖はなぜ、春を殺したのですか? 春を殺すのに至った経緯をどうか教えてください」
ハルビアは毅然と尋ねた。長は戸惑いながら、語りだそうとする。
「しかたがなかったんだよ。あろうことか、春が町を襲ったんだ。おまえの先祖は、悪くはなかった。町を護る為には、他にどうすることもできず」
「嘘ですね」
ハルビアが嘆いた。
「私に嘘はやめてください。いまは、騙されたふりはできないのです」
ハルビアは昔から
長がまた、沈黙を落とす。だがさきほどとは違い、長はなやんでいるようだった。ハルビアは長の意がかたまるまで、待ち続けるつもりだった。
沈黙のあいだに黄金の焔に視線をやる。
燭台は鉄。
それでいて、どこか、なまなましかった。
焔の表に
「おまえには」
長がかすれた声を洩らした。
ハルビアは黄金の焔から長に視線を戻す。
「話さなければならないね。七十二年前の真実を」
遂に重い腰をあげて、老いた長は語り始めようとする。
だがそれをさえぎり、洞窟に息せききって飛び込んできたものがいた。若者は
「隊長! 報告です! 死んだはずの旅人がよみがえり、広場に《春》を連れてきて、町のものを巻き込み、騒動になっていて」
「どういうこと、だ?」
隊員は事態を把握できていないのか、報告にはやってきたものの、要領を得ない。エンダが問いかえすが、隊員は首を横に振る。あきらかなのは場違いに柔らかな言葉ひとつ。
――――《春》
隊員は紛れもなく、その言葉をかたちにした。
ハルビアは戸惑い、背が震えるような予感を覚えながら、冷静になれとみずからにうながす。
事態を把握するには広場にいくのが、最善だ。
「いきましょう」
車輪を転がしてから、彼女は長を振りかえる。
「ご一緒にきて、くださいますね」
長が重く頷いた。
洞窟を抜けるなり、風が吹き渡ってきた。
だがそれは、骨まで凍てつかせる寒風ではなかった。緑の髪を踊らせて、春を望む娘が振りかえる。嗅いだこともないあまやかな香りを乗せて、風はほがらかに、大広場の方角から流れてきた。長すぎた冬を暮らす彼女らは、言い表す言葉を持たない。けれどそれは、他の地域のものならば、春一番と表すに違いなかった。
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