第四章 《冬》はかく語る

第二十三譚 青い雪と《冬》の町の急襲

 そこでは、雪が青かった。

 万年雪の壁を掘り、張りめぐらされた地下道は、青い光に満ちていた。長い時をかけて積もった雪は氷のようにかたまって透きとおる。教えられていなければ、雪ではなく水晶と見違えるほどだった。雪の壁を透って差す真昼の光が拡散され、横坑よここうに満ちていた。水の青き淵から地上をふり仰いでいるようで、実に不思議な心地だ。


「ここが、雪の隧道トンネルなのですねぇ」


 隊に挟まれて歩き続けながら、セツが横坑の壁を見まわす。

 雪の壁の内部ということは正確には地下道ではなく地上なのだが、樹々の影がうっすらと天井部に透けているからか、地下にもぐっているような感覚が強い。

 道は驚くほどに入り組んでいて、幾度道を曲がったのか、数えるのが嫌になるくらいだ。

 加えて、足場が最悪だった。凍結しているだけならば、鋲がついた靴に履き替えているので無問題だが、氷の表が僅かに濡れているのだ。氷がとけているのではない。氷の轍にきざまれた罅から地下水が湧きあがり、氷の表を細く流れていた。湧水が凍らないということは低温の温泉なのだろうか。あるいはここは雪に埋もれているので、外とは違ってまだ暖かいのだろうか。歩きにくいのだが、隊は旅人のことなど構わず、着実に進んでいく。

 隊員はそれぞれ、弓矢や槍を携えて武装していた。旅人だけが無防備だ。


「ここは昔からあるそうですが、手作業で氷を掘り進めるのは骨が折れたでしょうねぇ。いつ頃に開通したんですかぁ? 本坑を通してから地道に分岐させていったんでしょうかねぇ?」


 どれだけ質問を投げかけても、返事はなかった。

 隊員は勿論のこと、隊を先導しているエンダにも無視を通されている。


「ずいぶんと嫌われていますねえ……」


 セツは肩を竦めるが、実を言うと、さして気に障ってもいない。

 嫌われているのはわかりきっている。壁相手に喋り続けるのもそれはそれで構わなかったのだが、クワイヤの機嫌が急激に悪くなってきたのを感じた。これはやばいと気がつき、セツは取りなすように相棒に喋りかけた。


「ええっと、クヤは寒くないですか?」

「さむくなんかないわ」

「それはよかった」

「きぶんはさいあくだけれど!」


 なだめるどころか、刺激してしまった。


「まったくいやなかんじだわっ」


 喋っているあいだに我慢の限界を越えたのか、クワイヤはするりと腕から跳びおりる。セツが捕まえようとするのをかわして、彼女は隊の先頭まで走っていく。追いかけるにも、細い道に隊員がならんでいるので、セツではなかなか進めない。


「あんたねぇ、いいかげんにしなさいよ!」


 後ろから急に少女が跳びだしてきて、エンダが驚き、立ちどまった。


「そのおくちはかざりものなのかしら! さっきから話しかけているんだから、へんじくらいしなさいよ! なにかいうことはないの! ねえ!」


 エンダはたじろぎながら、ぼそりとつぶやいた。


「……気持ちが悪いんだよ」


 一瞬で場が凍りつく。


「おまえは、ばけものみたいだ。得体がしれないんだよ、がきのくせに。怯えてたと思ったら、やたらめったらに騒いで、急にかみついてきたり。旅人だってそうだ。吹雪とか雪崩みたいに奪おうとする、俺の大事なものを」


 勢いに任せてそこまで言ったところで、エンダは言葉を詰まらせる。

 まるみを帯びた頬が、くしゃりとゆがんだからだ。

 クワイヤはあきらかに傷ついていた。泣きだすかと思った。けれど彼女は、受けた傷を怒りに換える。万華鏡のが燃えた。細い腕を振りあげる。体格差がありすぎて相手にもされない。腕を払いのけようとされることもなかった。

 だが、エンダは気がつかない。外套から垂れていたクワイヤの髪が巻きあがり、尋常ではないちからを漲らせていることに――。


「いけない」


 後ろから腕をつかまれ、クワイヤが瞳を見張る。


 列の先頭にやっとたどり着いたセツが、息をきらせて、クワイヤを抱き締めていた。

 ちからが抜けたように髪が静かになる。しゅんと肩を落として、彼女は悔しさをかみ締める。クワイヤの心境を想像すれば、胸が焼けた。けれどセツは、あえて穏やかな笑みを繕った。

 エンダを振りかえり、セツはこまったように眉を垂らす。


「僕が歓迎されていないことは理解しています。よそ者なんて嫌われてあたりまえだ。けれどさすがに言葉がすぎるんじゃないですかねぇ。僕のことはなんて言われても構いませんが、彼女のことはいじめないでくださいよぉ」


「……悪かったよ」


 エンダが謝る。

 言いすぎたとは思っているのだろう。

 あらためて見れば、エンダはひどい顔色だった。碌に睡眠が取れていないのか、目の下には青い隈ができている。相当に神経が擦りきれているのが分かる。張りつめすぎた弓の弦を思わされた。いつ、ぷつんと切れてもおかしくはない。セツは自分のなかで、彼を責める気持ちが急に萎んでいくのを感じる。

 彼は異常に緊張している。哀れなほどだ。

 後は黙って雪の隧道を進んだ。とうんとうんと水脈の脈動する音が隊の靴音をかき消す。

 どれくらい歩き続けただろうか。横坑のなかもそれなりに寒く、靴を履いていてもつまさきが凍え始めていたが、久し振りに外気を吸い込むと外のほうがよほどに寒かった。寒さに震えながら、横坑から地上に抜けだす。


 視界が広がり、青が白銀に染めかえられる。

 雪原を眼下に見渡す。右手に視線を動かせば、崖を登るように坂道が続いていた。坂道には雪が積もっていたが、進めないほどではない。セツは隊の後に続き、黙々と坂を登る。

 息が凍てつく靄になる。あきらかに気温が急下降している。空は晴れているが、山岳地帯の天候は予測できない。腰のあたりまで冷えが浸みてきた。つまさきは痺れている。

 坂を登りきると、高台に出た。


「崖をそちら側におりたところが城だ」


 エンダが振りかえり、口を開いた。


「そこから、城が一望できる」


 そういって、彼は崖の端を指す。

 セツはうながされるままにエンダの前に移動する。


 雪に覆われた平地に城が建っていた。

 城の壁は吹雪にけずられ、崩れていた。まだ距離があって、細部までは見渡せないが、繁栄の影は残されてはいなかった。滅んでから、ずいぶんと長い時が経っているのだ。セツは崩れた城に郷愁じみたものを覚えて、瞳を細める。

 雪の平地に視線を落とせば、他の土地にくらべて、まだ雪が浅い。

 セツは頭のなかに地図を描いた。

 城は町の南西にあたる。北の海側から陸地にあがってきた雪雲は盆地の町に溜まり、崖をひとつ越えて城に至るまでには、勢力を衰えさせるのだろうと考えられた。町の外れから城が眺望できたのは、あの方角からは平地続きになっているからだ。おそらくはそこから城に至る道が続いていたのだろうと推測された。だとすれば、風の角度が偶然にでも変われば、そこから勢いよく雪雲が流れ込み、大雪を降らせることもある。終わらない冬の発端となった大雪とは、そうして積もったのだろうか。


 セツが振りかえろうとしたのが早いか。

 クワイヤの悲鳴が鼓膜を裂いた。


 悲鳴の意味を理解するまでもなく、背中に衝撃を受けて、セツは息を詰まらせる。ぼたぼたと、雪に赤いものが散って「ああ」と理解する。焼けつくような激痛が襲ってきた。無理に身体をひねり、振りかえれば、想像どおりの光景だ。

 自警隊が弓を構えていた。みな、矢を番えている。

 エンダは、第一撃を放ち終わった弓を振りあげた。隊の指揮を執るその表情は、影に覆われて窺えない。低い雄たけびだけが耳を素通りしていく。


 セツは一瞬だけ、頬を持ちあげて。


「そうしますか、やっぱりねぇ」


 嗄れた声が喉を震わせた。

 続けて、矢が一斉に放たれた。

 鉄の吹雪が荒んだ。腰や左脚、右肩に矢が刺さる。

 セツは身体の重心を崩す。雪の地に倒れていきながらも、彼は冷静に事態を捕捉する。予想していた最悪の事態だ。セツは腕のなかで暴れるクワイヤを強く抱き締める。

 最後のちからをふりしぼって、セツは大地を蹴った。

 あえて、崖にむかって倒れる。


 崖から転落していく。奈落のような雪原に落ちる。

 雪をはらんだ旋風が崖の真下から巻きあがる。エンダの影が崖の縁に浮かんだ。隊が最後に矢を放ってきたが、雪に巻かれ、狙いがはずれる。鉄が風を斬りつける空気の震えに曝されながら、落ちる。落ちる。

 狼の声が響きわたった。

 血の臭いに誘われたのか、餌を待ちわびる狼が地に群がってきた。落ちて息があっても、狼の餌だと見きりをつけたのか、崖の端にならんでいた影がひきあげていく。

 

 白銀の地表。狼の荒い息。

 

 

 死が、迫る。

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