四月十三日

 ダートムーアまで連れて来られたわたしは、犬の姿でステイプルトンに引き合わされました。書類上、わたしはロンドンのフラム通りにある、ロス・アンド・マングルズというディーラーから購入したことになっています。モリアーティ教授の方針で、当事者のステイプルトンにも正体を隠しておくことにしたからです。情報を多く握っている者のほうが、より優位に立てるとか何とか教授は言っていましたが、そういう駆け引きはいまいちよくわかりません。伯爵もそうでしたが、なぜ男の人は何でもかんでもややこしくするのが好きなのでしょうね。けれど、わたしとしてもステイプルトンという男は虫が好かなかったので、よけいな会話をせずに済むのはありがたいことでした。棺桶ではさすがに不審なので、トランシルヴァニアの土は箱へ詰め替え、犬の慣れた寝床として納得させました。

 わたしが変身している魔犬は、放棄された古い錫鉱山に隠されました。そこはグリンペンの底なし沼と呼ばれる沼地の真ん中に浮かぶ島で、入り口が目立たないことと沼地によって守られているため、地元の住民にも忘れ去られた場所です。沼地を無事に通り抜ける道は、ただひとりジャック・ステイプルトンだけが知っています。

 沼の水草が発する腐敗ガスはひどい悪臭です。けれど正直、ロンドンに比べれば実にさわやかな空気と言えるでしょう。深呼吸もできます。あと鉱山内部の暗くてジメジメしているところは、どことなくスコロマンスのある洞窟を思い出します。それにしても、トランシルヴァニアを出発してからたった二週間だというのに、もうずいぶん長く帰っていないような気がしています。この四百年はあっという間に過ぎ去ったというのに、不思議なものですね。

 作戦の都合上、わたしは日中もオオカミの姿で過ごしています。これはステイプルトンに正体がバレないためだけではなく、定期的に遠吠えを荒野へ響かせて、サー・チャールズを脅かす意味もあります。スコロマンスの変身魔術はいわゆる幻術のたぐいとは違い、現実におのれの肉体を作り替えているので、もとの姿へ戻るためには、ふたたび変身魔術を使わなければなりません。夜明けで変身が勝手に解けてくれるわけではないのです。ゆえにオオカミのまま朝を迎えれば日が暮れるまでオオカミのまま、コウモリならコウモリのまま、塵なら塵のままで過ごすハメになります。ふだんはともかく、こういうときには不便ですね。

 ステイプルトンはわたしを本物の犬だと思っているので、毎日かかさずエサを運んできます。オオカミに変身していようと、わたしがwampyrであることに変わりはないので、血液以外は消化できません。しかしステイプルトンによけいな不安を与えないよう、わたしは無理して食べるのでした。外の沼にでも捨てて来れればよいのですが、飼い犬らしく鎖でつながれているため、それも叶いません。吐くのは何とかこらえましたが、下痢が出るのはどうしようもありませんでした。不幸中の幸いにも、比較的固形に近い状態でした。

 けれど、問題はそこではありません。たとえオオカミに変身していようと、わたしの精神は人間のままです。衣服を身につけず、トイレでもない場所で排泄をするというのは、辱め以外の何物でもありません。おしりを拭けないのも地味にストレスでした。あと、ステイプルトンが掃除してくれるのは一日に一度なので、タイミングによっては丸一日近く、排泄物のそばで過ごすハメになるのです。

 夜遅くになると、ステイプルトンはわたしを外へ解き放ち、ダートムーアを徘徊させます。地元住民に魔犬の姿を目撃させて噂が立つことで、よりサー・チャールズの恐怖をあおるのが目的です。日課が終わってステイプルトンが帰宅すると、ようやくわたしは気を休めることができます。夜明けまでのわずかな時間のみ、人間の姿へ戻れるのです。もっとも錫鉱山の外を出歩くわけにもいかないので、こうして日記を書くくらいしかできませんが。

 ああ、なぜわたしがこんな目に遭わなければならないのでしょうか? わたしは正直、モリアーティ教授の頼みを安請け合いしてしまったと、すでに後悔し始めています。いえ、もっと言えば、トランシルヴァニアから出るべきではなかったかもしれません。やはり仇討ちなんて気にせず放っておけばよかった。

 とはいえ乗りかかった船です。今さら投げ出すわけにもいきません。願わくば、できるだけ早くこの仕事が終わるよう祈るばかり。

 今日は大胆にも、夕方にバスカヴィル館のそばまで近づいて、玄関先で友人と話していたサー・チャールズに、魔犬の姿を目撃させました。遠目でしたが、彼が非常におびえているのことはハッキリわかりました。この分なら早いうちにカタがつくかもしれません。

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