四月七日

 結局、昨日も隠れ家を見つけられないまま、日が暮れてしまった。

 どうか今夜はおとなしくしていてくれと祈ったが届かず、三人目の犠牲者が出てしまった。また娼婦だ。今回の現場はホワイトチャペルではなくイーストエンドだったが。しかも頸動脈を切り裂かれただけでなく、腹や胸もメッタ刺し。新聞は犯人を切り裂きジャックの再来として、センセーショナルに書き立てている。

 早く隠れ家を見つけなければならないのに。一番やっかいなのは、棺桶をどこか地中深くへ埋められてしまうことだ。当の吸血鬼は姿を変えられる夜中しか出入りできなくなってしまう一方、こちらが場所を割り出すのは絶望的になる。ここまで八方手を尽くして見つからないとなると、どうやらその可能性が高い。

 一日駆けずりまわり、またなすすべなく日が暮れて、私はいよいよ追い詰められた。このままでは確実に四人目――オリエント急行の殺人も含めれば五人目――の犠牲者が出てしまう。

 こうなったら背に腹は代えられない。ここはシャーロック・ホームズにすべてを明かして、協力を頼むべきだ。吸血鬼の存在を信じてもらえるかは未知数だが、何としても信じてもらうよりほかにない。真摯に説明すれば、きっとわかってくれるはずだ。

 けれども、私がベーカー街221Bを七時過ぎに訪れると、運悪くホームズは不在だった。ビリーという名のボーイいわく、急な依頼でどこかへ出かけてしまったそうだ。なんて間が悪い!

 どうやら、とうとう奥の手を使うときがきてしまったようだ。吸血鬼を隠れている昼間に見つけられないのなら、獲物を求めて出歩く夜に見つけるしか方法はない。その分、危険度ははるかに高まるが、新たな犠牲者を防ぐためにはこれしかない。

 私は奥の手を背嚢に詰め込み、それからウィンチェスターライフルを用意した。この銃は四年前に伯爵との決戦で使ったものだ。夜の吸血鬼に物理攻撃は通用しないが、吸血鬼が操るオオカミやネズミを追い払うのに役立つ。それと今さら希望的観測かもしれないが、敵が実際は吸血鬼でなかった場合でも、十分すぎる武装だろう。

 恐怖心をまぎれさせるため、ブランデー一杯をひと息に飲み干してから、私は夜のロンドンへとくり出した。

 犯行を目撃されないよう、現場には霧が出ているはずだ。霧が深まっている方向へ進めば、かならず吸血鬼のもとへたどりつける。警戒中の警官を避けつつ、行動した。真夜中にこんな格好をして出歩いているのを見られたら、たとえ逮捕されても文句は言えない。

 そうして三時間ほどさまよい、ついに私は女吸血鬼と対面した。

 そいつは今まさに殺した娼婦の血を啜っているところだった。私は敵の心臓に狙いをつけて、ウィンチェスターライフルの引き金を躊躇なく引いた。弾丸は女吸血鬼の身体をすり抜けてしまったが、それは事前に想定していたとおりだ。

 女吸血鬼は獲物にはすっかり興味を失った様子で、私のほうへ向き直った。「ヘルシングにしては赤毛でもないし、ゴダルミング卿にしては貴族然ともしていないわね。おまえは誰?」

「そういう貴様こそ何者だ。ひとに名前を尋ねるときは、まずそちらから名乗るのが礼儀だろう」

「野蛮な海賊の末裔ふぜいに礼儀を説かれるとはね。まあいいわ。わが名はイロナ・コルヴァン。トランシルヴァニア公ヤーノシュの娘、ハンガリー王にしてボヘミア王マーチャーシュの妹、そしてトランシルヴァニア公ドラキュラ伯爵の妻とは、わたしのことよ」

 妻! ドラキュラ伯爵の妻! まさか四年前に、そんな大物を取りこぼしていたとは。さすがにこれは誤算だった。

「伯爵夫人よ、これ以上貴様の好きにはさせないぞ。わが名はジョン・セワード、ドラキュラ伯爵を退治した勇者のひとりだ」

 私が名乗ると、イロナ・コルヴァンは愉快そうに高笑いした。

「まぬけな男ね。このわたしが何の考えもなく、むやみに人間を襲っていたとでも? まんまとおびき寄せられたとも知らずに呑気なものね。おまえはわたしがwampyrのしわざとバレないように、切り裂きジャックの犯行に見せかけていたと思っていたのでしょう? けれど本当はそう思い込ませておまえを釣り上げるのが、わたしの作戦だったのよ。さすがにここまで上手くいくとは思わなかったけれど。夜のwampyr相手に勝てると思わないことね」

 十字架も、ニンニクも、野薔薇も、ナナカマドも、炎も、聖水も、聖餅も、聖なる弾丸も、夜の吸血鬼には通用しない。せいぜい近づけさせないのが関の山だ。そしてそれらの道具も、吸血鬼が怪力でもって投擲した物体や、魔術で操る動物たちには意味をなさない。

「どう料理してやりましょうか。女に素手で殺される屈辱を味わってみる? オオカミに食わせるか、それともネズミの大群に少しずつかじられてみたい? それともおまえたちがwampyrを殺してきたのと同じように、心臓に杭を打ち込んで首をはねてやろうかしら」

「いいや、どれも遠慮しよう。あいにく死ぬ気はないのでね」

 私は背負っていた背嚢から、奥の手を取り出した。それを見た女吸血鬼はいぶかしげに首をかしげる。

「……ラッパ? そんなものがどうしたというの」

「伯爵夫人よ、悠久の時を生きる吸血鬼よ、しかして時代に取り残された愚かな老婆よ。トランシルヴァニアの山奥から出て来た貴様は、これを知るまい。もはや幻想の時代は終わりを告げたのだ。迷信の暗闇に生きる貴様は、文明の光を前に敗れ去る」

 私はその最新式蝋管再生機のハンドルを、手でゆっくり回した。

 すると蝋管が回転して、溝として刻み込みこまれ封じられていた音が、次の瞬間に解き放たれた。


『コケコッコー! コケコッコー!』


 伯爵夫人の相貌が、明らかに困惑の色へと染まった。「そんなバカな! だってまだ夜明けじゃないのに!」

 朝を告げる雄鶏の鳴き声が響けば響くほど、周囲を覆いつくしていた霧は、雲散霧消していった。またそれにしたがって、さえぎられていたガス灯の明かりが夜道を照らし出し、ますます霧が薄くなった。思えば、深い霧を出していたのは犯行を目撃されないためだけでなく、街灯を妨げる意味もあったのだろう。ガス灯単体では吸血鬼を抑えるほどの力はなかったが、雄鶏の鳴き声と合わさることで、今ここに疑似的な朝が現出した。加えてこの再生機は改造により、増設された白熱電球をも同時に光らせることができる。

『コケコッコー! コケコッコー!』

「やめて! そんなものは早くしまってよ! 誰か助けて!」

 女吸血鬼はすっかりうろたえ、目をつぶり耳を抑えてのたうちまわった。先ほどまでの尊大な態度は見る影もなかった。まるでオバケにおびえる幼い少女のようだった。淑女とは思えぬ醜態だ。

 とはいえ、こんなものはしょせん子供だましだ。ぶっつけ本番で上手くいったからいいものの、いつまでも効力が続くとはかぎらない。そしてだからこそ、神が与えてくれたこのチャンスを、絶対に逃すわけにはいかなかった。

 エジソン博士が生み出した科学の光と音を武器に、私は伯爵夫人へ一気に距離を詰めると、容赦なく蹴りつけた。学生時代にフットボールで鳴らしたキックは健在だ。期待していたとおり、私の爪先がすり抜けることなく命中し、女吸血鬼は石畳をボールのように転がった。路上の馬糞にまみれ、飲んだ娼婦の血液を嘔吐する姿は、卑しい女吸血鬼にはふさわしいと言えるだろう。

 私はふところから注射器を取り出した。中身はニンニクのしぼり汁だ。それを女吸血鬼の外頸動脈に突き刺して注入した。すると彼女はけいれんして泡を吹き、白目を剥いて気絶した。

 ふと懐中時計を確認してみると、すでに深夜を一分過ぎていた。

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