「空間修理師」

突然、名前を呼ばれたことにスミ子は戸惑うが、

そんなことを意に介さず青年はスマホを取り出す。


「ま、今後呼び合うには

 名前を知っていた方が都合がいいからね。

 いま電話をしている曽根崎さんにも話しておくよ。」


そんなことを言いながらも

スマホのパスワードを開ける青年。


そうして表示された時計は

午前8時42分をさしており、

スミ子はその時刻に困惑する。


「…え、なんで?私、その時間帯には

 バスに乗っていたはずなのに…。」


その時、スミ子は思い出す。


あのバスに乗り込む女性の横顔。

あれは自分ではなかったかと…


青年はそれにしたり顔をして見せた。


「まあ、それが『空間』の持つ性質なんだよ。

 おそらく今の時間軸では二人のスミ子さんがいるはずだ。

 でも、いずれは一つの事象にまとまる。事件や事故が起きても

 なぜだか収拾がつくようになっているのが『空間』の性質だからね。」


すると、そのタイミングで曽根崎が

頭を振りながらスマホの電源を切った。


「ダメだね。まるでこちらの話を聞いてくれない。

 …えっと彼女の名前は、ああ、スミ子さんか。

 崩れたときの詳しい時間はわかるかい?」


ぽしょぽしょと話す青年の助言を受け、

曽根崎はスミ子に質問をする。


スミ子は上司の席から離れた時刻が8時45分を

過ぎた頃だったことを思い出す。


その詳細を曽根崎に伝えようとしたが、

曽根崎のスマホの着信音が駐車場に鳴り響き、

再び通話へと移行する。


「あ、さっき電話を取ってくれた課長さんですね。

 …ああ、崩れましたか。え、なんでわかったかって?

 いや、それより社員の安全確認を先に…」

 

そうして数分ほど話した後、

曽根崎は電話口を押さえてぼやいた。


「まずいね君の会社。

 まともに現場の判断ができる人間がいない。

 上の人間は警察に通報する様子もないし、

 まるで連携も取れていない状況のようだ。

 潰れるのも時間の問題だったんじゃないかい?」


そんな皮肉を言いつつも社員二人が行方不明であり、

それがスミ子と同僚であることを電話口で確認すると、

曽根崎は相手に指示を出した。


「…ええ、そうです。二人の捜索はこちらで行いますから、

 これから『空間委員会』から担当が参りますので、

 指示に従って申請を出していただければ補償金が出ますから。

 はい、それではよろしくお願いします。」


と、そこで曽根崎は電話を切ると、

二人の方に向き直った。


「…ああ、後手ごてになってしまってすまないね。

 私は空間委員会の曽根崎という者だ。」


そう言うと曽根崎は

自分の名札をスミ子に渡そうとしたが、

どうやら持ち合わせがなかったらしく、

スミ子に断りを入れてから話を続ける。


「数分前に、マンションの管理人から

 車の紛失の件で警察を通して連絡がこちらに来てね。

 それで調査に来たのだが…」


曽根崎は、青年の方を見てからスミ子の方を向いた。

 

「えっと、スミ子くんだったか…

 ユウキくんの叔母さんでいいのかな?」


は?スミ子は目が点になる。


すると、ユウキと呼ばれた青年は

大げさにうなずいて見せる。


「そうなんです。師匠の元を出た僕が唯一頼れる親戚でして、

 スミ子おばちゃんも僕が空間修理師になるのを応援してくれて。

 自分から進んで同じマンションに住むことを提案してくれたんですよ。」


そう言って、ユウキは先ほどスミ子が書いた紙を振り回す。


そこには「賃貸借契約書」と書かれていた。


「本当は昨日、保証人の欄を書いてくれる予定だったんですけど、

 仕事の都合で間に合わなくって…その上、事故にまで巻き込まれて、

 でも、無事でヨカッター。」


それは完全な棒読み。

だが、曽根崎はなぜかウンウンと頷く。


「そうか、そうか。ユウキくんも苦労が多いなあ。

 澤口くんの元から巣立ち、叔母さんも危険な目に遭い、

 それでも空間修理師を目指そうとするのか…」


と、その時、駐車場に新たに一台のトラックとワゴン車が停まった。


中から数人の人間がわらわらと降り、

手際よく同僚だったイセエビを水槽に入れ梱包していく。


「私が呼んでおいた修復課の人間だ。

 甲殻類となった彼女に検査をして『18号室』に回す。

 …と言っても、もう戻れる可能性は皆無だろうけどね。」


曽根崎はそう言うと、

スミ子とユウキの方に向き直る。


「それと、スミ子くんには悪いが一緒に本部まで来て欲しい。

 ここに来るまでの経緯を人から聞くことも私の仕事でね。

 えっと、ユウキくんは…」


すると、ユウキは再び大きくうなずいた。


「俺も、叔母さんと一緒に行きます。

 師匠から『空間修理師』は常に人手不足だと聞いていますし、

 バイトでもいいですから俺を雇ってくれないでしょうか?」


その言葉に「うーん、そうだね…」と、

曽根崎は少し考え込むようにしてからうなずいた。


「そうだね、確かに今は人手不足だ。

 君も一緒についてきてくれ。」


ユウキは契約書の書類を握りながら

「よっしゃあ」とガッツポーズをする。


その時、スミ子はユウキの書類の職業欄に

「空間修理師」とちゃっかり書かれているのを見逃さない。


「空間委員会の本部って見たことないんですよねー、

 そこから優秀な修理師が出てくるって聞いたらもうワクワクで、

 早く俺もなりたいなー。」


そんな言葉を流しつつ、

一行はやってきた車の中の一台に乗り込む。


そして修復課の人間の手によって立ち入り禁止の

黄色いテープが貼られていくマンションの駐車場を見送りながら、

スミ子は不安な気持ちを抱えつつ車に揺られていくこととなった。

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