「畳と障子」

エレベーターは落ちていく。

どこまでも、どこまでも、同じ4階をりて行く。


外にはマンションの4階の廊下と、

布がめくれ顔に巨大な穴の空いた老人が立っている。


ユウキはその老人を『虚人うろびと』と呼んだ。


虚人うろびと


空間に長く居続けた結果、精神まで空間に蝕まれ、

その一部となってしまった人間のことを指す言葉。


存在そのものが空間となってしまった人間を指す言葉。


それが目の前にいる老人だとするならば…


「まずいなあ、つまり俺たちはこの死んだ爺さんの精神、

 ついては爺さんの虚の中をさまよっていることになる。

 死者の精神を抜け出すのは相当苦労を要するんだが。」


半ば焦るようなユウキの言葉。


昨日、アパートの中で倒れたスミ子は

運ばれた病院の中で自身の精神の中の

虚をさまよったことを思い出す。


つまり、自分も一歩間違えば、

そうなってしまっていたかもしれないということ。


スミ子はその事実にゾッとする。


「俺たちどうなるんだよ、

 何で同じ階を落ち続けているんだよ!」


降り続けるエレベーターの箱の中、

隅に張り付いた青年が怯えたように声を上げる。


エレベーターの中には、

スミ子とユウキと青年の三人。


ユウキは青年に落ち着くようになだめると、

スミ子に階数ボタンを押すように言った。


「ともかく上でも下でもいいからボタンを押してくれ。

 運が良ければこのループから抜け出せるはずだ。」


そう言いながらもユウキはスマホを取り出し、

上司である曽根崎の指示を仰ぐために電話をかけようとする。


スミ子はユウキに言われた通り、

手当たり次第にボタンを押した。


下の階は全てダメ。

エレベーターは同じ階へと下降するだけだ。


そういえば、スミ子は下へと

降りようとしてこのループにはまった。


ということなら、上へと行けば…


そして、スミ子は自分の階の一つ上、

5階を押してみることにした。


ガクンッ


エレベーターが止まった。

いや、止まっただけではない。


上がっている。

箱は上の階へと引き上げられていく。


「お、上手くいったか。」


ユウキはスマホを耳から離すと

「チッ」と舌打ちする。


「…こっちはダメだ。空間内はやっぱ電話が通じない。

 無事に出れるかは俺たちの行動次第になっちまったな。」


スマホをポケットに戻すユウキ。

隅にいる青年は階数表示を見上げると抗議の声をあげた。


「…5階だって?

 俺たち、下に行こうとしたはずなのに。」


それに対しユウキは首を振る。


「諦めろ。ここはあの爺さん…『虚人うろびと』の空間だ。

 ルールに従って行動するように制限がかけられている。

 正直、脱出できるかは時間と運次第だな。」


そして、エレベーターのドアは開き、

そこには4階と同じような光景が

広がっているはずだったが…


「あ、そんな…」


青年が絶望的な声を上げる。


ドアが開くと、

そこは赤いライトに照らされた廊下だった。


ただ、壁や床の素材がおかしい。

い草の香りがスミ子の鼻をかすめて行く。


…い草は畳の材料になる植物。


鉄筋コンクリートのマンションの廊下に

畳は不釣り合いなはずだ。


なのに、マンションの廊下には畳が敷かれている。


壁も床もまるでたちの悪いイタズラのように

畳が敷き詰められている。


スミ子は、一種この異様な空間に圧倒された。


「…ビビっちゃいけない。時間は10分だ。

 さっさと抜けられるように歩いていくぞ。」


ユウキはこの光景にも物怖じすることなく、

周りを確かめるとスミ子たちに先に行くように促した。


「ここは爺さんの空間でもあるが、

 飲まれた以上は俺たち三人の影響も受けているはずだ。

 もし、自分に何か引っかかりのあるものがあったら、

 すぐに知らせてくれ。突破口になるかもしれない。」


スミ子、青年、ユウキの順で廊下を歩く。


エレベーターから足を踏み出すと、

靴の裏から柔らかい畳の感触が感じられた。


廊下一面が畳貼りになっているようだが、

そのヘリから妙なものが生えている。


ゲーム機に漫画本、ライトノベルの文庫本にCD。


それらは畳の隙間から生えており、

ラインナップは若者向けのように思われた。


よく見れば、壁に敷き詰められた畳は等間隔に空いており、

隙間を埋めるようにして襖や障子がはまっている。


障子にはわずかに明かりも漏れており、

男性と女性の声や祝詞のような言葉も聞こえた。


ちらりと後ろを見ると、

青年はなるべく襖などを見ないようにし、

床ばかりを見つめて歩いている。


確かに、向こうに何があるかなんてわからない。


あの障子の向こうに何がいるかなど、

スミ子たちには知る由も無いのだ。


スミ子はそんな自分の考えにゾッとし、

再び前を向いて歩こうとする。


だが、それらのものに気を取られていたせいだろう、

足元のゲーム機につまづき派手に転倒した。

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