第5日常

 富谷富山東南高校。


 まるで早口言葉に使われそうな変わった名前の高校に入学して、早いもので1年半と経つ。駅の周辺に何もないへんぴな場所から、えっちらおっちらと徒歩で進むこと約20分。地獄坂と呼ばれ、自転車通学者泣かせの坂が見えてくると、そこそこ大きな我が高校が現れる。施設内は特進コースと、普通科コースの主に二つの校舎に分かれており、全生徒数1300人と中々に多い。特進コースの建物は期待されているだけあってか、建物が真新しく綺麗なのだが、頭が普通。または平均より下の人間達が使う校舎は、よく言えば年季が入って趣のある校舎。悪く言ってしまうと、手入れがされておらず、ところどころにヒビが入った、今にも崩れてしまいそうな校舎。僕は無論、特進コースではなく、普通科コースだ。校舎の壁に所々に走り渡るヒビのように、自身が描いていた鮮やかな「青春」の文字に毎日小さなキズを作りながら無意味に過ごしている。


 今日も唯一の悪友である中谷隆聖と、為にならないどうでもいい話をして1日を終える変わらないスケジュールになっていたはずだったのだが、その日はとある理由で、朝から激しく緊張していた。


 挨拶もそうそう、隆聖から軽い冗談を言われて、いつもなら素早く返せるツッコミが決まらない。眠たげに過ごす古典の授業も英語の授業も、その日だけ気持ち悪いぐらいに眠気が来ず、嫌いなはずの授業なのに、永遠とこの時間が続いて欲しいと願ってしまう異常な状態。そして極めつけは、今現状体感していた。


「拓真。お前いつからチョココロネがそんなに好きな男子高校生になってしまったんだ?」

 隆聖の発言を受けて、ふと手元を見ると袋に入った同じチョココロネを四つも両手で握り締めていた。

「いつのまに、なにこれ、こわい」

「怖いのはお前だ!」

 隆聖が居合斬りでもするかのように、手に持っていた箸で、効果音を自分の口で鳴らしながら、僕をバシバシ切っていく。

当然だが痛くもかゆくもない。しかし、隆聖が発した怪盗もので有名なアニメの名台詞と共に、僕は膝から崩れ落ちていた。


「あれ、マジ。もしかしてこの箸、斬鉄剣なの?」

 服を着ていても廊下から、人工物めいた冷たさを感じる。

 普段シューズを履いていて、気づかなかったけど、廊下の床ってこんなにヒンヤリとして気持ちいいんだなぁ。ああ、このまま溶けてなくなってしまいたい。僕は廊下と一体になる為に、体を前後に動かした。


「おぃいいいい!  いくら異性にモテず常日頃から欲求不満だからって廊下に欲情するな拓真ぁあああああ!」

箸を放り投げて駆け寄った隆聖に、頬を数回打たれたことにより、僕の意識は少しだけ戻った。

「それで、一体、何を悩んでいるんだ少年」

 隆聖から我が高校の学生には不評で、いつも売店において売り余ってしまう、まずい缶コーヒーを差し出される。礼を述べて受け取り、プルトップを開けると、躊躇なく渇いた喉に炭酸水を流し込む要領でドバドバと胃の中に入れ込んだ。


 体に悪そうな茶色い液体が口の中で一杯に泳いだ時、むせるような苦さと、不味さで吐きそうになったが、なんとか堪えて飲み込むと、ため息を吐き出し口を開けた。「すまん。悩んではいるんだが、これは隆聖にも、どうにもすることができない問題なんだよ」


「何を言うかと思えば、少年よ。くだらない」言葉を区切り、まずい缶コーヒーを開けて隆聖はごくごくと流し込んでいく「バァアガァア!!」口に含んだ瞬間、スナイパーに狙撃でもされたかのごとく、盛大に汚く吐き出した。


 隆聖の口に含んでいた茶色い液体が、僕の顔に沢山掛かるが、怒りなど湧かない。それほどに今は心が緊張から疲れ果てていた。

「いくらなんでも、不味すぎだろ! びっくりしたわ。世が世なら作った奴打ち首だろこれは」

「隆聖。ありがとう。まずい缶コーヒーと気持ちだけ受け取っとく」

「とにかく、友人だろ? 俺ら。いっぺん話してみてもいいのではないか? 話せば少しは楽になると思うぞ。それに、深く悩んでいたことって、案外他人が聞いたら、しょうもないことかもしれんしな」言い終わると隆聖は学生服のポケットからハンケチを取り出した。多江さんの影響なのか、隆聖は意外にもそこら辺はしっかりしており、ポケットから取り出したハンケチで自分の口を拭き、次いで汚した廊下を拭き、最後にその水分を含んだハンケチで僕の顔をゴシゴシと拭いた。さすがに精神状態が不安定な僕もこれには怒り、一発拳をかましてやった。


「今のはいいパンチだったぜ相棒」

 何が嬉しいのか隆聖は殴られた左頬を抑えながら、笑顔で僕に親指をぐっと立てる。その姿を見て思わず、吹き出してしまった僕は恐る恐る口を動かした。

「佐々木真由香と苦労せず、簡単に付き合うにはどうすればいいと思う?」

 僕の発した言葉を聞き、モアイ像にでもなってしまったかのように、渋い表情を見せいた隆聖は、突如深く頷き、表情を崩すとひと笑いした。そして、鼻から息を吸い込むと言った。


「それで、一体、何を悩んでいるんだ少年」

「いや、だから、佐々木真由香と苦労せず、簡単に付き合うにはどうすればいいと思う?」

「それで、一体、何を悩んでいるんだ少年」

「お前は壊れた機械か。いいかもう一度だけ言うぞ、佐々木真由香――――」

「むりりりりりりりりりりりりりりり!!!」

 開封してから全く口をつけてなかったチョココロネを、口の中にねじ込まれたことにより僕の発言が、強制的に封じ込まれてしまった。チョココロネを突っ込み入れた隆聖を、口をもしゃもしゃと動かしながら、隆聖を睨みつけるが、肝心のエネルギーである怒りが半分も湧いてこない。

 チョコレートの甘さで反撃の手を緩めさすとはコイツ、やるな。


「何をトチ狂ったことを抜かしているんだ拓真! あのお方は我々下民とは、住む世界が違う住人であるんだ!! 目を覚まさんか!! いいか。頭の中でする恋愛妄想は、皆に与えられた自由な権利だが、それを口に出して許される人間は、ごく僅かの限られた人間だけであると、しかと肝に命じておけ!」

 隆聖は勝手に僕のチョココロネを開封し勢いよくかじると、指を真っ直ぐに僕に向けて突き刺した。そこまで言われて黙っている僕ではない。不安定な精神は一時的に消え去り、怒りに変わっていた。


「相談してくれると言ったから正直に言ったのに、なんだその言い草は! あんまりじゃないか! だいたい分からないだろ。0ではないだろ。もしかしたら奇跡が起こるかもしれないじゃないか!」


「奇跡が起こるだと、断じて否、否である! 考えてもみろ、拓真が言っている話はRPGで例える所のレベル1の状態でいきなり、ラスボスに向かうようなものだぞ! しかもタチが悪いことにゲームと違い現実はセーブができない。通常ラスボス前の扉に置いてあるセーブポイントがない状態だ。そんな不安定な状態で佐々木に挑んでみろ、瞬殺でやられ心がぐちゃぐちゃになり、セーブポイントもないから結果、屋上からアイキャンフライだ」


 隆聖のぐうの音も出ない論破に、悔し紛れにチョココロネを貪り食べる。ちくしょう。なんでムカつくほどにこう、甘ったるいんだ。

「いいか、拓真。気持ちは痛いほど分かるが、我々の現状を今一度把握してみろ。何故、皆が教室で美味しそうに昼飯を食べる中、俺たちは人里離れた、現在使われてなく、普段から人のいない、古い校舎でひっそりと飯を食べているんだ?」

「それは、あれだろ。人がいなく落ち着くからだろ」


「ノンノンノン。違う、違う、違うだろぁああああ! リア充どもが俺たちの席を、無断で断りもなく占拠しているからだろ! 連れションから戻ったらいつのまにか、愛しの机が金髪イケメン野郎に寝取られていたからだろうが!」

 日頃どれだけ鬱憤が溜まっていたんだお前は。

 あまりにも隆聖の顔が赤く染まり、心配になった為、血圧を少しでも下げようと隆聖の口にチョココロネを千切って放り込んだ。しばらくガムのように品がなく噛んでいたが、チョコの甘さで冷静さを取り戻したのか、「いやになる甘さだなちくしょう」と呟き、その場にあぐらをかいた。


「隆聖の言いたいことは分かったよ。俺のレベルでチャレンジするのは無謀だと言いたいんだろ」立っているとバランス的におかしいので、隆聖の隣に腰を下ろした。

「別に、拓真のレベルが足りないんじゃなくて、佐々木のレベルが以上に高すぎるんだよ。おそらく、この学校でアイツに釣り合う男はいないだろうな」

 隆聖から少しばかりの慰めを貰う。


 佐々木真由香。学年一の美少女と噂が飛び交う程の、完璧な容姿をしている。

常に艶出しスプレーでも振りかけているのかというほどに、サラサラの黒髪ロング。全体的に健康的な体のだが、遺伝による恵か本人の努力による賜物か、出る所はしっかりと出ている、丸い胸と丸いお尻。

すらりと伸びた脚は、男だけでなく女も目を引かれる。


 人間のパーツの中で一番大切な顔に至っては文句のつけようがない。特徴的な切れ長の目で見られた日には、夢に出るぐらい好きになってしまいかねないだろう。更に左目の隣にはマニアにはたまらない泣きぼくろが付いている。

 

容姿の数え役満を地で行く最強の女だ。


 僕はできもしない多江さんとの約束から、佐々木真由香と仲良くならなければならない。いや、仲良くなりたい。ライクではなくラブで。無論結果など初めから分かりきっているが、熱心に取り組んでくれた多江さんの為にも、いける所まではいきたい。

「でも、なんで急に佐々木と付き合いたいと思ったんだ?」

「……それは、魅力的で、好きだからかな」


 昨日、頬を掴まれながら、多江さんにクラスに好きな子はいないかと問われた時、咄嗟に頭に浮かんだのが佐々木真由香だった。『拓真君、顔は悪くないんだから大丈夫だよ。私と一緒に何とか付き合える方法を考えよ』なんとなく、ポロリとこぼした僕の言葉を、真剣な眼差しで受け止めた多江さんは、僕の手を握りながら熱く告げた……。


「ニヤニヤしながら、何を気味の悪いことを言っているんだ 全く。それでも貴様は日本男児か!」呆れたように隆聖は立ち上がると、腰に手を当て口を大きく開けた。


「はぁああああ、佐々木真由香かと俺も付き合いてー。つきあいたいではなく、つきあいたぃいいい!!」

 上体を逸らし応援団の団員さながら、声を張り上げる。ここが、普段使う校舎なら隆聖は明日からめでたく不登校児だ。

「やめんか、バカ」

 隆聖の頭を軽くはたき、奇行を辞めさせる。


「わかるぞ、拓真。佐々木は我々男子高校生に魅力的すぎる。人生で一番性欲がバグってサルに先祖返りする時期に、アイツはヤバイ。目に毒だ。服を着ていてあのエロさは反則的すぎる。俺はアイツのせいでテスト中、集中できず、いらぬ赤点を三教科も教師からもらった」

 テストはお前のせいだと言ってやりたいが、隆聖の発言は多少なりとも同意できた為、頷き握手をしておく。

「拓真。お前や俺だけでなく、全校生徒の男が同じような思考回路をしていると思って間違いない。それでも、お前は佐々木にアタックするのか? 傷つけることを言うが、正直言ってお前より、魅力的な男子は腐る程いるぞ、しかもその男子がむざむざと、佐々木の前に沈没していっているのは知っているか? それでも、貴様は挑むと言うのか? あの摩天楼に」


 佐々木真由香に告白して、死んでいった戦士は数知れない。風の噂で佐々木真由香、百合説が出るぐらいに、全く男の誘いになびいた素振りを見せたことがないらしい。それでも、昨日多江さんと指切りをしてしまった手前、逃げ出す訳にはいかない……。


「やるんだな、その瞳は。……分かったよ親友。貴様はいつも俺より一歩先を進んでいっちまうな。安心しろ、何があっても貴様の居場所は俺が暖めて待っていてやる」


 僕が女だったら隆聖に少しは惚れてしまいそいな台詞を恥ずかしげもなく、言ってのける。本当に、つくづく馬鹿だがいい奴だな。白い歯を見せる悪友に向けて、僕は照れ隠しから笑顔で一言「キモいぞ、隆聖」と言ってしまった。


 僕の不用意な一言のせいで、その後、チョココロネを使った、壮絶な殴り合いが繰り広げられたのは言うまでもない。

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