第3話あかねさん

 物事が変な方向に向かって進んで行った時、早めに何かしら対策しておかないと、事態がややこしくなり、もう後に引けなくなってしまう。

店内に流れるラテン調の洋楽を聞きながら、少し苦いカプチーノに口を付けた時、そんな話を思い出した。


 本当に、どうしてこうなってしまったのだろうか……。

「お待たせいたしました。こちらクリーミーキャラメルラテになりまーす」

 見ているだけで思わず胸焼けしてしまいそうな、甘々とした飲み物がテーブルの上に運ばれて来た。

「ありがとう」

 店員さんの営業スマイルにも、引けを取らない程の笑顔を多江さんは作ると、飲み物を受け取る。


「なんかイメージよりも凄いの来ちゃった」

 飲み物を受け取った多江は、手に持ったまま、円筒形のグラスを軽く回し、感嘆の思いを呟く。「食べれなかったら、たっくん応援してね」嫌がらせのように見事、大量に乗った生クリームを、観賞し終えた多江さんは、およそ飲み物に使うことがない言葉を、僕に投げかけた。


 それは無理だよ多江さん。


 見ているだけでお腹を壊しそうなクリームの大群を、とても手伝えそうにない。それ以前に変に意識しているのは分かっているが、人の、いや、異性が食べ掛けた、または飲みかけた物を口にするなどできるはずがない。多江さんと付き合いが長く親しいからと言ってそれは無理だ。今現在の僕の経験値ではとても、とても、できっこない。


「すみませんが協力はできそうにないです。あとさっきも言いましたが、たっくんって呼ぶのいい加減辞めませんか?」

 付属のプラスチック製の長いスプーンで、生クリームをすくい取っていた多江さんに向けて、思ったことと、気にしていた点を告げながら、やんわり否定した。


「うそ。たっくん手伝ってくれないの。残念」言葉ほど残念がった様子は見られない多江さんは、すくい取った生クリームを上品に食べた。それから少しもしない内に額に眉を寄せると口を開く。「想像を超える甘さだわ。私の歳じゃ胃もたれしちゃう」

 

 あの、聞いてましたかね僕の要望を


 たっくん禁止令を出したのに、多江さんにはイマイチ伝わっていなかったのか。たっくん。たっくんとうるさいぐらいに連呼する。たっくんと言われるたびに、気恥ずかしくなるので辞めていただきたいのだが、多江さんは辞めない。うん、断言しよう。多江姐さんはこの状態を楽しんでいらっしゃる。なんならノリノリではないのかこの人。多江さんの勤め先の規定でデートした場所ごとの二人の写真がないといけないらしく、それなら致し方ないと付き合ったのだが、事務的な流れで進行させようとしていた僕を他所に、トイレで化粧直しを終えた多江さんは、スイッチが入ったように人が変わると、「それじゃたっくん行こっかといい」僕の手を掴んでにこやかに歩き出した。

 

 切り替わったのもそうだが、手を掴まれたことにびっくり仰天する僕に一言「ごめんなさいね。なんだか切り替えないと恥ずかしくて」と僕に謝罪した。そんな多江さんの言葉になんとなく察するものがあった僕は、緊張しながら手を握り返したのだったが……いくらなんでも距離感が近すぎやしないですか!

 

 そりゃ、一応レンタル彼女なんだから、当たり前と言えば当たり前だが、一応息子の友達とそのお母さんだよ!


 あれ、僕、間違ってないよね。そうだよね! と言うわけでとりあえず、たっくんは辞めませんか!

 開始早々真っ白く絶望的な山の頂を前に、苦戦している多江さんに向けて、懇願を込めた視線を飛ばす。しかし、当たり前だが、僕の願いは届かなかった。

「ねぇ、たっくん。たっくんもそろそろ多江さんって呼ぶの辞めてほしいんだけど……」

「何を言ってるんですか? 多江さんは多江さんでしょ」

 一線距離を引こうといった流れの最中、何を急に言い出したんですか? why!


「ごめんなさいね、拓真くん。多江さんって言われると、どうしても頭の中に息子の顔が浮かんでくるの。自意識過剰なのは分かっているんだけれども、いけないこと、背徳的なことをしている気分になって来てしまうのよ。そんな状態で、笑顔の楽しそうな写真は取れる気がしないのよ私」

「それって何か問題が?」

 笑顔でなくても、真顔でも、悲しそうな顔でも怒りでも、写真が残せれば問題ない気がするのだが。何か違うのだろうか?


「拓真君の言いたいことは分かるわ。たかだか写真ごときに何故って思っているんでしょ? でも違うのよ。たかだか写真ではないのよ。――私の働いてる会社の社長さんなんだけど、物凄く観察力のある人でね。大袈裟ではなくて、まるでFBIさながらに写真一枚から、その人の、その時の気持ちを読み取ってしまう人なの。信じられないと思うけどこの話し、本当なのよ」

「何ですかそれ? 人間なんですかその方?」

 多江さんが小さく笑い、頷いた。「拓真君の言う通り、もしからしたら、人間ではないのかもしれないわね。この前も会社のとある女の子が社長から厳しく指摘されていたわ。(この時の貴女。心から楽しんでないでしょ)って」

「それは、社長の当てずっぽうではなくて」


「ええ。当てずっぽうではなかったのよ。写真を見る限りその子、笑っていたから、もしかしたらと思って後で聞いたんだけれども、写真を撮る間際、物凄く退屈で帰りたかったって言っていたわ。これかなり恐ろしく怖い話だと思わない?」

 多江さんは目を細め楽しそうに言い終わると、前座の生クリームは諦めて、メインのキャラメルをストローで飲んだ。飲んだ時、眉を寄せていたのでキャラメルも生クリーム同様甘々なのだろう。


「つまり、そんな社長に小細工は通用しないと踏んだ多江さんは全力であかねさんを演じようとしたわけですね」

「さすが拓真――たっくんね。飲み込みが早くて助かるわ。えらい、えらい」

 多江さんは笑顔で僕を見つめながら、頭を数回撫でてくれる。何だろうかこの言いようのない心地よさは。もしかしたら、世の中の飼われているペットも、強日頃からこんな気持ちを抱いているのかもしれないな。

 恥ずかしくも多江さんの目的が判明した僕は、その思いに応えることにした。

「今日は楽しいデートにしましょうね、あかねさん」

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