第14話 溝

 翌日、俺が登校して教室に入ると、また丸と岡谷が一緒にいた。

 俺が教室に入ってきたことなんて当然気付きもしないで、楽しそうに話している。

 二人の間に割って入るのも気が引けたので、俺は声をかけずに自分の席に着いた。


「珍しいな、お前が一人で登校するなんて」


 俺が台本を読んでいると、伊藤が俺の肩を叩いて話しかけてくる。


「別にいつも一緒ってわけじゃない。たまたま登校中に会ったときだけ、一緒に来てるだけだ」


 基本的に寝坊でもしない限り学校に行く時間なんて殆ど決まっている。

 だから、俺と丸は頻繁に登校中に会っていただけで、少し時間がずれれば会わないこともある。


「いいのかよ」

「何が?」


 普通に返事をしたつもりだったが、俺の声は思った以上にとげとげしかった。


「お前、何怒ってんだよ」

「怒ってない」

「怒ってる奴ほど怒ってないって言うんだぞ」

「怒ってないって言ってんだろ」

「おーこわ」


 伊藤は両手で身体を抱きしめるようにして、自分の席に戻っていった。

 再び台本に目を落とすが、どうしても内容が頭に入ってこなかったので、すぐに読むのをやめた。

 自分でもなんでこんなに心が荒んでいるのか分からない。もしかしてこれが、俗に言う娘を嫁に出す父親の気持ちなのだろうか。


「たいちゃん、おはよう」


 岡谷との話が終わったのか、丸が挨拶してきた。


「おはよう」


 俺は丸の顔を見ずに、そう返した。


「どうしたの?」


 何がだよ、と言おうと思ったがすぐに思い直した。

 伊藤ですら分かったくらいなんだから、丸も同じような反応をしてくるだろう

 それにここでそんなことを言うと、またどつぼにはまりそうな気がしたからだ。

 読む気なんてとっくになくなったはずの台本をもう一度開いて読んでいるふりをする。


「ねえねえ」


 返事をしない俺を訝しんだのか、丸が俺の肩を両手でゆさゆさと揺すってくる。


「やめろって」


 丸の手を軽く振り払う。


「痛っ」


 軽く振り払ったつもりだったんだけど、思いの外力が強かったようで丸は怯えたように俺を見ている。


「悪い、そんな強くしたつもりはなかった」

「ごめんなさい……本読むの邪魔したから、怒ってる? 怒ってるよね?」


 丸の態度に思わず舌打ちをする。

 よく分からない感情に振り回されて、丸に当たる自分に嫌気がさした。

 そして、俺が悪いにも関わらず謝る丸の態度が更に俺を逆なでする。

 俺のその舌打ちが自分に向けられたものだと勘違いした丸はびくっと身体を縮こませた。


「怒ってない」

「うー……たいちゃん、絶対怒ってる。なんで怒ってるの?」


 いつもならば何とも思ないはずの言葉が、酷く俺を苛つかせる。


「しつこい!」


 思わず声を荒げる。痛いほどの静寂がおとずれるのと同時にクラス中の視線が俺と丸に集まる。

 丸はその丸い瞳に涙を一杯にためている。


「そんな言い方はないんじゃないか?」


 よりによって岡谷が俺と丸の間に割り込んできた。

 岡谷が泣きそうな丸を庇うように立っている。

 なんで、岡谷が俺と丸の喧嘩に立ち入ってくるんだ。

 喧嘩ですらないただの軽い言い合いなのに、こうして乱入されたらそれこそ俺が丸を虐めているようじゃないか。


「お前に何の――」


 そこまで言って、ぎりぎり踏みとどまった。これ以上言ったら、収拾がつかなくなる。俺の頭の中もこの場も。

 血が上った頭を落ち着けるように深呼吸をすると、何も言わないで教室を出た。



 昼休み。俺は誰もいない屋上で、一人で昼ご飯を食べていた。双日先輩は何か用事があるらしく、丸もいないので今日は俺一人だ。最近教室で食べていなかったので、友達と一緒に食べるという選択肢もあったのだけれどそういう気分じゃなかった。

 脚本用のノートを開く。

 丸が主役の練習をするようになって、脚本は大きく変わった。

 紅さんを想定して書いていたときよりも、丸を想定したときの方が筆がのり、大半を変えてしまった。

 もともと紅さんが演じるはずだった役柄も、引っ込み思案でちょっと気弱な女の子だった。それが、今では丸そのものというくらい役を丸に寄せている。

 役に演者が寄せるのではなく、演者に役を寄せることは双日先輩も紅さんもいい顔はしなかったが、なんとか認めてもらった。

 主人公の幼馴染とその親友との三角関係。丸が幼馴染みの役で、双日先輩はその親友。

 主人公は幼馴染の親友の好きな人が自分だと気付かずに応援する。

 そして、彼女は主人公に相談に乗ってもらい、自分の恋心が誰へのものなのかに気付かれたら告白することを決意する。

 最後の最後で主人公は幼馴染の親友が自分のことを好きだと勘づくが、気付かないふりをして幼馴染と結ばれる。大筋ではそういう話になっている。


 果たしてこの終わり方でいいんだろうか。

 俺はシャーペンの先をノートにつけて、頭に浮かんだ案を書き留めようとする。

 が、数文字書いたところでその手を止めて、ノートを閉じた。

 今の判断がいい方向に転ぶことはないことくらいは分かっていたから。

 今はぎくしゃくしてしまったけど、俺と丸の付き合いはもう十年近いんだ。時間が解決してくれる。俺は楽観的にそう思っていた。


 

 俺の丸のわだかまりは予想に反して、すぐになくならなかった。

 いつもなら丸が泣きそうになると、俺の熱が冷めてすぐに謝って終わっていた。

 今回は岡谷のせいで、中途半端に喧嘩別れしたみたいになってしまっていた。

 丸はまた謝っても俺を怒らせると思っているのか、話しかけてこない。

 俺から声をかけようとはしたが、岡谷が丸を守るかのようにそばにいるせいで話しかけづらく、中々会話の糸口を見つけられていなかった。

 部活中は当然として、部活が終わった後も長々と丸と話し込んでいる。

 岡谷と話していようが無視して声をかけることはできるはずだったが、彼と話しているときに時折見せる丸の笑顔が俺を躊躇させた。

 放課後、部活動の休憩中。

 俺の隣には誰もいない。丸はやはり岡谷の横にいる。

 このまま待っていても何も変わらない、俺は意を決して丸と岡谷の方へと向かおうとする。


「三井くん、ちょっといいかな」

「何か用ですか?」

「ここじゃ話しにくいから、外で話そう」


 俺は双日先輩に連れられるようにして講堂の外に出る。

 そして、裏手の人気のないところまで移動した。

 怒られるのかと思ったけれど、怒るなら別にこんな人気のないところに連れ出す必要はない。


「わざわざここに呼び出したんだから、大体の用件は分かると思うが、そろそろ脚本の最終稿を出してくれないか。君が大幅に変更を入れてくれたおかげで、今もらっている脚本の最後がおかしなことになっている。

変更するのは構わないけど、それなら最後まできちんと変えてくれ。そろそろ本番が近い、練習する時間がとれない危険性がある」


 双日先輩はスマホを取り出して、画面を弄っている。

 多分、今後のスケジュールを確認しているんだろう。

 俺の出した脚本は紅さんに校閲してもらった後で双日先輩に渡る。

 校閲して更にそこから修正が入る可能性を考慮すると、かなり危うい時期になっている。


「分かりました。大まかな流れ自体は変えないつもりなので、演出はそのままでいいです。台詞に関しては今週中までに仕上げます」

「その言葉信じるからな」


 信じさせてくれという祈りが込められているような響きだった。


「ただでさえ迷惑をかけているのでこれ以上はかけないようにします」

「それと最近露骨に覇気がないけど、どうした?」


 おそらく双日先輩は俺と丸の間に何かあったことくらい分かっている。それでもこういう聞き方をしてくるということは、俺が言い出すまでは深く干渉しすぎないようにしているんだろうと思う。


「気にしないでください」

「私には相談できないことか?」

「はい」


 間髪入れない俺の返答に、双日先輩は残念さと呆れを混ぜ合わせたような表情でため息をついた。


「即答か……。まあいい、とにかく君がやると言った以上私は君を当てにする。できないなら、できないでいいから早く伝えてくれよ」

「了解です」

「ん、肩に何かついてるぞ」


 俺が肩を見るより早く、双日先輩はぐっと俺との距離を詰めてくる。

そして俺の背中の方を覗き込むようにして、肩を二、三回手で払った。

 抱きしめられているかのような距離感に、俺は一瞬身体を強張らせた。

 先輩が身体を離す。彼女の残した仄かな柑橘系の香りに、俺の心臓が微かに高鳴った。


「戻ろう」


 練習に戻った後、俺は今日こそ丸と和解しようと決意した。そんなに大きな溝ができていたわけじゃない、一言ですぐに元に戻れる。このままじゃ、俺だけじゃなくて演劇部にとっても良くない。

 俺は練習が終わった後、講堂の入り口で丸を待っていた。

 例のごとく、岡谷と話しているので終わるまで待とうと思ったのだ。

 しかし、いつまで待っても二人は出てくる気配がない。

 他の部員はもう全員帰っているのにいつまでやってるんだ。

 俺はしびれを切らし、中の様子を見に行くことにした。講堂の扉の前、微かにあいている隙間から俺は中の様子を窺った。舞台の上で丸と岡谷が向かい合っている。


「私も好き」


 丸の口から発せされた言葉は、そこそこ離れているはずの俺の耳に寸分の狂いもなく届いた。呼吸がとまるほどの衝撃。一体目の前では何が起きているのか、理解できない。


「大好きだよ」


 続いて丸の口から紡がれた言葉を聞いた瞬間、俺はその場から逃げ出すように走り去った。

 最初の言葉だけなら、好きの対象が岡谷とまでは分からなかった。

 だけど、その後の言葉を聞けばそれが岡谷に向けて放たれたものだということは容易に想像がつく。

 それに、あれほど熱っぽく岡谷を見つめていて、お菓子が好きとかそんな世間話をしているはずがない。

 そして何より、その言葉に嘘偽りがないことが俺には分かる――その言葉は紛れもなく透きとおっていた。

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