第5話 丸の挑戦

「あ、たいちゃん」

「待ってたのか?」

「うん、一緒に帰ろうと思って……」


 都築先輩との話し合いを終え、俺が帰ろうとすると学校の正門で丸が待っていた。


「それで?」

「それでって?」


 俺が聞くと、丸がオウム返ししてくる。


「話があるんだろ? そうじゃなきゃわざわざ俺を待ってるわけがない」


 朝はたまに一緒に登校することあるけれど、一緒に帰ることはあまりない。

 しかもわざわざ待っているなんて、直接話したいことがある以外に考えられない。

 丸はしばらくの間黙って俺の横を歩いていたが、ようやく決心したのか自分を奮い立たせるように小さく頷いた。


「あのね、私が、その……演劇をやるとしたらどう思う?」

「は?」

「もしも! もしもの話!」

「……はっきり言って難しいと思う」


 一度無理だと言ったのにここでまた話題に出すことの意味。それは丸が演劇をやりたいと思っているからなのは間違いないだろう。

 背中を押して欲しがっていることは分かっていたが、俺は本音を話した。


「う……そうだよね」

「お前はそもそも人前に出るのが苦手だろ? それなのに大勢の人の前に出て演技ができるのか? 文化祭とは違って見ている方のハードルが桁違いだ」


 丸は俯いて俺の言葉を聞いている。

 俺に否定されるくらいでやめようと思うなら、やるべきじゃない。

 そう思ったからこそ、あえて正直な意見を伝える。お前ならできると励ますことは簡単だ。だけど、それに伴うであろう苦労を味わわない俺が背中を押すのは無責任だ。


「ただ、お前がやりたいならやってみてもいいんじゃないか?

先輩だって本気でお前を大会に出そうとは思ってないはずだ。演劇部の後輩への発破って意図が大きくて、お前が奇跡的にいい演技をしたらあわよくばって感じなんだろ」


 でも、丸が人前に出ることに挑戦するなんて滅多にない。

 その気持ちはちょっとくらい応援してあげたいとも思ってた。俺だったらやろうとも思わないことだから。


「私にできるかな?」

「俺は演技に関しては素人同然だから、何とも言えない。一つ言えるのはやるなら相当な覚悟が必要ってだけ。俺より紅さんに相談してみたらどうだ?」

「そうだね、そうしてみる」


 ここ最近の丸は都築先輩に立ち向かったり、演劇をやりたいと言い出したり様子がおかしい。

 好ましい変化なんだろうけれど、どこか釈然としない。



「私、演劇やってみます」


 翌日の昼休み。

 都築先輩による微妙な出来の弁当を食べている時、丸が宣言した。


「どういう心変わりだ?」


 俺は前回より少し焦げが減った唐揚げを頬張りつつ、そう聞いた。

 同じ失敗はしないというだけはあってか、今回の弁当は前回と全く同じ品目で前回より少しましになっていた。


「昨日お姉ちゃんと話してみて、やってみようかなって」

「丸が決めたことに俺が口を出すべきじゃないのは分かってる。でも、お前がやる役は元々紅さんがやるはずの役だった。お前がどんな演技をしても、それは紅さんと比較されることになる」


 お前はそれが嫌だから演劇部に入らなかったんじゃないのか?

 言葉にはしないが伝わったと思う。

 仮に丸が良い演技をしたとしても、紅さんに比べて劣っている部分があれば、周りは間違いなくその部分を比べるだろう。

 姉はこうなのに、妹は――と。


「それは……分かってるよ。でも、お姉ちゃんが手術しない理由って私だと思うんだよね」

「どういうことだ?」

「私がいつまでも頼りないから、お姉ちゃんは心残りがあると思うの。演劇をすることが独り立ちって意味になるわけじゃないことは分かる。それでも、私が挑戦する姿というか、一人でもちゃんとやっていけるってところを見せれば、お姉ちゃんも安心して手術を受けられるんじゃないかって」


 丸が訥々とした口調で言うと、都築先輩はさも嬉しそうに顔を綻ばせた。


「よく言った、椿本妹。それじゃあ、今日の放課後、講堂に来ると良い。これが台本だ、今日はここをやるから台詞だけでも覚えておいてくれ」



 放課後、演劇部の講堂である講堂で都築先輩から丸が練習に加わるという話が他の部員にされた。

 そして、丸が練習する役がメインヒロインだと聞かされたとき、江守さんの表情が一変した。


「どういうことですか! 私の代わりに、私の代わりにこんな……」


 当然江守さんは都築先輩に詰め寄った。

 いくら主演女優の妹とはいえ、部外者をいきなり主演にしようというのだ。あまりにも無茶苦茶すぎる。しかも、その主演の役は本来江守さんのもの。つまり、江守さんは主演に相応しくないと告げられたのと同じことだ。


「別に今すぐ君を降ろすわけじゃない。最後にどちらかを選ぶと言うだけだ。それとも、君は素人に役を奪われるのが恐いのか?」

「それは……」


 都築先輩の鋭い眼光に射貫かれ、江守さんの勢いは完全に殺される。

 可哀相に。そんな言い方をされたら何も言い返せないに決まっている。


「文句があるなら今のうちに言ってくれ」


 結局、それ以上都築先輩に刃向かう人は誰もいなかった。


「じゃあ早速椿本妹に舞台に上がってもらおう」


 都築先輩に促されて、丸が舞台に上がる。その足取りはたどたどしい。


「シーンは五頁、屋上でのシーン。できるだけ大きな声で滑舌よくやってもらいたいが、演技に重点をおいてくれ。声量と滑舌は一ヶ月あれば最低限の体裁は整えられるから、今のところは気にしなくていい」


 都築先輩の合図で練習が始める。練習は始まってすぐに終わった。

 なぜなら丸の演技があまりにも酷かったから。

 上手い下手という以前の問題で、声すらろくに出せていない。

 声を出そうとはしている様子は見受けられるものの、台詞どころか意味のある言葉を発せられていない。

 そして、そんな丸を冷ややかに見つめる演劇部の面々。発端の都築先輩は頭を抱えている。江守さんは言わんこっちゃないというように得意げな顔をしている。

 今にも泣きそうな丸の小さな身体が、殊更小さく見える。

 俺はいたたまれなくなり、舞台の上に上がり、丸を引き取る。

 このまま続けていても良い方向に進むとはとても思えなかったからだ。

 都築先輩は何も言わずに、俺達を見送った。



 俺と丸は講堂を出て、近くのベンチに座った。

 丸の身体が小刻みに震えている。

 俺は今日の失敗についてよりも、今後の丸が心配だった。自分がやろうと決意したことで、ここまでの失敗をした。それは丸のトラウマになりかねない。

 今後今まで以上に人前に立つことが苦手になってしまったらと思うと、なんで昨日止めなかったんだと後悔の念が沸き上がってきた。


「やっぱり私には無理……」


 かける言葉がない。もう少しできると思っていた。

 中学二年生の時の演技は素人目ではあるものの、良い演技だった。

 江守さんの役を奪えるとは思わなかったけれど、もう少しまともな演技を見られると思っていただけに衝撃だった。


「私、もしかしたら……できるかもって、思ったの。お姉ちゃんの、妹なんだから、何か一つくらい、まともにできることが……あるかもって」


 丸はなんでもしゃくりあげながらも、涙を零さない。

 折角姉の大きな背中を追うことを決めた丸が一歩踏み出した途端にこんなことになるなんて、痛々しくて見てられない。


「それは違う。丸は演劇ができなくてもできることは沢山ある」

「例えば?」

「例えば……」

「せめて、何か出してよ……」


 丸の丸い瞳が更に潤いを増す。このままだと本気で泣きそうだったので、俺は慌ててフォローをする。


「冗談だって、勉強だってできるし、料理だってできるだろ」

「できるっていっても普通にだよ」

「普通って言っても、この学校はそこそこ偏差値高いんだぞ?

それで普通より上ってことは全体で見ればかなり上位ってことだ、それでも十分すごい」

「じゃあ、この学校でトップのたいちゃんはどうなの?」


 丸が上目遣いで聞いてくる。


「そりゃあれだよ、もっとすごい」

「……都築先輩は?」


 俺の答えに、呆れたような半目をした丸が更に聞いてきた。


「もっともっとすごい。けどな、すごい人のすごいところと比べて劣るのは当然だ」

「私と都築先輩を比べて私が勝ってるところなんてある?」

「料理」

「今日のお弁当見たけど、前回のより上手くできてた。あの人がちょっと本気でやれば、多分私なんかすぐに抜かされる……」


 丸の言うとおり都築先輩は料理も下手じゃない。

 現時点でだってレシピを見れば、大抵の料理は作れそうだ。


「可愛さ……とか」

「可愛――な、何言ってるの? そんな私より都築先輩の方が、全然綺麗だし! 美人だよ!」


 丸はカアッと音が出るほどに顔を真っ赤にして慌てふためく。


「確かにあの人は美人だ。でも、丸だって十分、その、可愛いと思うし、あの人の美しさとはベクトルが違う。それは丸だから持っている強みだ」


 言い終えた後に、俺は途轍もない気恥ずかしさを感じた。

 咄嗟に思いつかなかったとはいえ、もう少しましな答えがあった。そう後悔しても口に出した言葉を引っ込めることは出来ない。


「ホントに、ホントにそう思ってる?」


 丸は俺ににじり寄って念を押すように聞いてくる。

 その表情はとても真剣だった。


「ああ、俺は嘘はつかない。それはお前だって知ってるだろ?」

「そうだよね、そうだったよね。たいちゃんが私に嘘ついたことなんてないもんね。……ありがと」


 丸は制服の裾でごしごしと顔を拭って、にっこりと俺に微笑んだ。

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