第4話 隠れた才能

 紅さんのお見舞いに行った日の翌日。

 放課後になると、俺はいつものように学校の屋上に向かった。

 この学校の屋上は一度入ったら、屋上側から鍵はかけられない。

 だから、丸や都築先輩が入ってこようとしても防ぐことは出来ない。俺はノートに演劇部用の台本の構成について書いていた。

 普段はPCを使っているけど、学校に持ち込むわけにはいかないので、ノートで代用している。

 扉の開く音がする。丸が来たときの音じゃない。

 顔を上げると、思った通りの人物がいた。

 端正な顔に高慢さを貼り付けた女性――都築双日。


「何か用ですか?」

「私に言わせたいのか? 君も可愛らしいところがあるんだな。君に会いに来たんだよ」

「……そんな嘘はつかないで下さい」


 口ではそう言ったが、都築先輩が嘘をついていないことは俺が一番分かっていた。

 そもそも屋上にいるのなんて俺くらいなんだから、俺に会いに来たに決まっている。共感覚抜きでも分かる話だ。


「それは台本か?」

 都築先輩の白磁のように白く細長い指が俺の持っているノートを指さした。

「俺が関わっていることを知っていたんですね」

「私は部長なんだから当たり前だろう、といっても知ったのは最近なんだけどね。

協力者がいたのは随分前から知っていたんだが、紅が誰かを教えてくれなくて」

「というか部長が部活をサボって良いんですか?」


 今日は演劇部の活動日のはずだ。

 立花高校の演劇部はそこらへんの高校の野球部ばりに活動日が多い。

 大会が間近に迫っているこの時期なら、ほぼ毎日活動しているはずだ。


「三井くん、君は良い組織の条件はなんだと思う?」

「頭が優秀なこと」

「そうだな、それも条件の一つではある。ただ私が一番重要だと思うのは、トップがいなくてもしっかり回ることだと思っている」

「どんなに格好良く言っても、サボりはサボりですよ。怒られても俺の名前は出さないで下さいね」

「紅が入院してから、私を怒る人なんていないよ」


 都築先輩が自虐的に笑う。

 彼女が作って、彼女がここまで育てた部活だ。

 都築先輩を除けば、演劇部唯一の三年生である紅さんがいない今、彼女に物を言える生徒なんているわけがない。

 顧問の先生だって、都築先輩には強く言えないんじゃないだろうか。


「たとえ、怒られないとしても戻るべきです」

「少しくらいいいじゃないか、サボってるわけじゃなくて休憩だ」

「俺なんかがどうこういう権利はないでしょうけど、演劇部をここまで大きくしたのは都築先輩です。全国大会に出られるような強豪になったのは間違いなく貴方の功績です。

それなら、最後まで夢を見せてあげるのが先輩の役目なんじゃないですか?」


 俺の言葉に、都築先輩はしばらく呆気にとられたかのように目をしばたたかせる。


「……年下に叱咤されたのははじめてかもしれない。不覚にも結構ドキッとしたよ」

「別に怒ってはないです」


 都築先輩がはにかむように笑う。

 俺は彼女の発する無色の言葉と柔らかな視線に、気恥ずかしくなって目をそらす。


「ただそれなら私にも言わせてもらおう。私と紅に翼をくれたのは君だ。だから私を更に羽ばたかせるのは君の役目だ」


 先輩の全てを見透かしているような瞳が、じっと俺を見つめる。


「随分買いかぶってくれていますけど、俺は大したことしてないです。脚本の殆どは紅さんが考えたものですし、演出は都築先輩です」

「そう思いたいならそう思っていればいい、ただしやることはやってもらうぞ。台本をどう変えるかは任せるが、出来るだけ早くあげてほしい」

「遅れてしまって、すみません」


 俺は演劇部ではない。一応紅さんにより名前だけ在籍させているらしいが、活動には全く参加していない。

 しかし台本の作成依頼を受けた以上、都築先輩の要望にはできるだけ応えなければいけない。俺は正式な部員じゃないからなんて言い訳は通用しない。

 彼女達が余裕をもって練習し、本番に臨めるようなスケジュールで仕上げる。それが俺の役目。


「ところで前々から気になっていたんだが、なんで私は毎回振られるんだ?」


 都築先輩が俺の隣に行儀良く正座する。

 そして、俺の手元のノートをのぞき込んできた。

 俺は隠すようにノートを閉じる。

 部長の都築先輩には見る権利はあるのだけれど、形になっていないネタ帳的なノートを見られるのは嫌だった。


「なぜ隠す」

「見られたくないからです。完成したら見せるので、今は見ないで下さい。それと、先輩が毎回振られることの理由は教えません。部長である貴方が変えろというなら変えますけど」

「そんなことをしたら、私が駄々をこねているみたいじゃないか」


 都築先輩は憮然とした様子で腕を組む。

 彼女と話す前は、感情が乏しい冷酷な女性というイメージが根付いていた。しかし、こうして話してみると彼女の感情表現は豊富だ。よく笑うし、怒るときは怒る。


「そういえば、都築先輩はどうして紅さんと演劇部を立ち上げようと思ったんですか? 先輩が誘ったんですか?」


「いや、誘ってきたのは紅の方だ。紅も私も特にやりたいことがなかったから、何かやろうと言い出して」

「あの人はおっとりしているように見えて活動的ですからね」

「違いない」


 都築先輩は快活に笑う。

 紅さんは社交的で見目麗しく頭も良い。欠点を探そうとしても見つからないような人だ、丸が控え目な性格をしているのも姉が原因といっても過言じゃない。仲の良い姉妹なのは間違いないが、完璧すぎる姉に劣等感を覚えるのは仕方のないことだ。


「私はそろそろ練習に戻る、このままここにいたら君に叱られるからね。良かったら、練習を見学していかないか。実際に私達の演技を見た方が良いアイディアは浮かぶんじゃないか?」

「……そうですね、そうします」


 はっきり言って、台本作成の作業は滞っていた。

 このまま屋上にいて何か思いつきそうになかったので、都築先輩の言葉に従うことにした。


「たいちゃんと……都築、先輩?」


 俺が腰を上げると、屋上の扉が控えめな音を立てて開き、小動物が訪れた。

 丸は俺と都築先輩を交互に見た後に、すすすと俺の方へと寄ってきた。


「どうした? 今日も何か作ってきたのか?」

「これ……食べて」


 丸が差しだしてきたのはリング状の焼き菓子。まだ焼き上がってから時間が経っていないようでほのかに温かい。


「ドーナツか」


 手のひらサイズだったので、俺はそのまま口に放り込んで咀嚼する。

 チョコパウダーが練り込んであるようで、チョコの風味が口の中に広がる。


「どう?」

「普通」

「に?」


 丸が続きを促すように小首を傾げる。


「美味しい。コンビニのドーナツより美味しいぞ」


 ドーナツ有名チェーン店には及ばないが、コンビニで売っているものよりは美味しい。


「えへへ、美味しかったなら撫でて」

 丸はにへらと笑うと、俺の懐に身体をねじ込んでくる。

「なんだよそのシステム」

「いつも私の頭ぐちゃぐちゃにするくせに……」

「分かったよ」


 都築先輩の前で丸の頭を撫でるのは躊躇われたけれど、不満そうな表情で俺を睨むので、仕方なく俺は彼女の頭を撫でた。

 丸のくせっ毛がいつものようにぴょこぴょこ動いている。


「何してるんですか?」


 俺と丸のやり取りをじっと見ていた都築先輩は、おもむろに膝を折ると俺の目の前に頭を差しだしてきた。


「撫でてくれないのか?」

「先輩を撫でられるわけないでしょ」


 都築先輩の上目遣いは丸のそれとはまた違う意味で破壊力がすごい。

 俺の方に選択権があるはずなのに、なぜか撫でなければいけないような強制力を感じる強い視線。とはいえ、一学年上の先輩の頭を撫でられるわけがない。


「年の問題なのか。それなら私が撫でてあげよう」


 俺が動かないのにしびれを切らしたのか、都築先輩は立ち上がって俺の頭に手を置いた。振り払うのより早く彼女は二度三度頭を撫でる。


「ちょ、やめて下さいって」

「うー……」


 されるがままになっていた俺を、丸が恨みがましい目で見ていたので、慌てて都築先輩の手から逃れる。


「私にこれ以上弄られたくなければ、講堂に向かうぞ」

「分かりました、行きますよ」

「やだ」


 もともと演劇部の練習を見に行くつもりだったのに、丸のせいで余計な時間を取られた。俺が屋上の扉に向かおうとすると、右腕に柔らかい重さがかかる。


「何のつもりだ?」


 その重さの発生源は視認しなくても何なのかが分かっていたので、振り返らずに問いかける。


「行っちゃやだ」

「放せって」


 丸の拘束くらい簡単に解くことはできる。

 でも、そんなことをすれば泣きかねないので、丸の方から放すように促す。


「うー……」

「うーじゃなくてちゃんと言葉にして話せ。俺が演劇部の手伝いをしてることは知ってるだろ?」

「知ってるけど……じゃ、じゃあ私も行く。たいちゃんがなんて言ってもついていくから!」

「分かった、分かったから落ち着け」


 何を興奮しているのか分からないが、多分都築先輩を警戒しているのだろう。

 俺は鼻息を荒くしている丸を落ち着かせるべく、背中をさする。


「うー……」

「丸もいていいですよね?」

「構わないよ。演劇部の練習は見学自由だ」


 都築先輩は一瞬だけ悩むように視線を上に向けた後に承諾してくれた。

 何だかんだで器が大きい。



 都築先輩の許可をもらったので、俺と丸は演劇部の講堂である講堂に来ていた。

 立花高校はカトリック系の高校で、毎日二限の終わりに礼拝がある。講堂はその礼拝を行う場所。外観は無骨なコンクリート造りで、中は教会と言うよりは劇場と言った方が近い。劇場にあるような二つ折りの設置型の椅子が階段状に数百席とある。広さは一般的な学校の体育館より少し小さいくらいで、照明設備も整っており、演劇の練習をするのにうってつけの場所だ。

 俺と丸はその席の五列目の端の方に座って、練習を見学していた。


「ねえねえたいちゃん、次の大会は何をやるの? ロミオとジュリエット?」


 俺と二人になるや否や、丸の声量が上がり、口数が増す。さっきまでうーうー唸っていた奴と同一人物とは思えない。


「紅さんの妹なんだから、そういう素人みたいなこと言うなよ」

「私素人だもん……」

「大会の上映時間は一時間、ロミオとジュリエットは一時間じゃとてもやりきれない。内容を弄って時間内に収めることはできるけど、ああいう古典の名作を弄るのは大会でやるには冒険しすぎだな。文化祭とか新入生歓迎会みたいな場ならありかもしれないけど」

「じゃあ、何をやるの?」

「恋愛物だよ、幼なじみとその親友が男を譲り合う話」

「取り合うんじゃなくて譲り合うの?」

「親友同士だからな」

「それで最後はどうなるの?」

「主人公は幼なじみのヒロインと結ばれて終わり」

「幼なじみと!」

「興奮するな」

「いい話だね!」

「オチだけ聞いて、いい話も糞もあるか」


 メインヒロインの親友である都築先輩に好きな人がいることが、主人公とメインヒロインにばれるシーン。

 当然その相手は主人公なのだが、主人公とメインヒロインはそれを知らずに応援しようとする。

 この場面は都築先輩の方が難しい演技を要求される場面だ。メインヒロインや主人公にとっては演技力が必要な場面ではない。

 しかし、都築先輩の相手役の女生徒――同じクラスの江守えもりさん、二年生の中でも美人だと評判の生徒――は見ていて可哀相になるくらいがちがちに緊張していた。

 見た目だけなら彼女も決して都築先輩に劣っていない。

 それに去年の全国大会では、脇役ではあったが一年生と思えないほど上手く演じていたはずだ。

 都築先輩と紅さんの次に実力のある部員と言われていた気がする。でも今はその面影が一切ない。

 演技しているのだから嘘なんてないはずなのに、その声には嘘の赤色が混じっている。相当混乱しているんだろうことがよく分かる。


「江守さん、すごい緊張してる」


 横で丸が都築先輩の江守さんを心配そうに見ている。

 都築先輩は何も言わずに演技を続けている。本来一回とめても良さそうな場面だけれど、彼女が演技を続けているからか、誰もとめようとはしない。

 そして、一区切りがつくと江守さんが何度も頭を下げる。

 俺は彼女が悪いとは思わなかった。もともとメインヒロインのポジションは紅さんのものだった。それが急遽自分に回ってきたんだから、ああなるのも頷ける。

 とはいえ、もう都築先輩をメインに据えた方が良いとかそういうレベルじゃない。

 このままだと脚本を大きく変更しなければいけないレベルだ。

 その後はなんてことのない日常の場面の練習に切り替えるも、江守さんは依然として緊張したままだった。

 一通りの練習が終わったので、俺と丸は講堂を出た。


「ねえねえ、中学生の時に文化祭で演劇したこと覚えてる?」

「流石に二、三年前の話くらい覚えてる」

「演劇見てると、あの時のこと思い出すなあ。たいちゃんが主人公で私がヒロインだったんだよね」

「そんなこともあったな」


 俺と丸は中学校も同じだった。中学二年生の時同じクラスになり、文化祭で演劇をやった。うちの中学は同じ学年でやることが被るのは禁止されていた。その決まりのせいで、出し物を決めるのが遅かった俺達のクラスの選択肢は演劇くらいしか残っていなかった。

 中学での演劇なんて幼稚園のお遊戯会なんかとは違って、誰もやる気が無かった。俺と丸みたいなクラスの中心にいないタイプが主役をはったのも、誰もやりたがらなかったからだ。

 俺は全くやる気が無かった。見られて恥ずかしくないように適度に練習して、乗り切ればいい。それくらいの気持ちだった。だけど、丸は違った。少しでも良い劇にしようと毎日練習した。俺も当然付き合わされた。

 最初は酷いものになるだろうと思っていたけれど、練習のおかげでかなり見られるレベルになった。元々丸の演技力が俺の想像を超えていたこともあり、どちらかといえば足を引っ張ったのは俺だった。今思えば椿本の血は演技が上手いのかもしれない。

 そして、文化祭での演劇は大成功に終わり、生徒会から表彰までされたのだ。


「あの時はお前が人前で演技できるとは思わなかった。

まあ文化祭だしどうなってもいいかって思ってたから、まさかだった」

「そんなこと思ってたの? 酷いよ! 酷すぎる!」


 実際に酷いと思っていないのは言葉の色からも彼女の嬉しそうな表情からも分かる。

 こいつは共感覚なしでも簡単に嘘か本当か分かる希有な生物だ。大切に保護していきたい。


「なんで丸は演劇部に入らなかったんだ? あの時の演技を見るからに、やれそうだったけどな」

「無理だよ……だって、お姉ちゃんがいるんだよ?」

「いや、紅さんと比べても仕方ないだろ、丸は丸だ」

「それはそうだけど……」


 俺は下手な慰めや気休めは嫌いだ。本当に比べる必要なんてないと思っているから口に出したのだけれど、丸の表情は優れない。

 丸は今までずっと紅さんの背中を見てきた。

 その後ろ姿の大きさを知っているからこそ、同じ部活には入りたくないと思ってしまうのだろう。


「まあ、丸が料理研究部に入ってるから、糖分が補給されてるんだし、俺からしたらありがたいんだけどな」

「そんなこというと、もう作ってきてあげないよー」

「なんだ? さっきの台詞か?」


 さっき見ていた練習での江守さんの台詞だ。

 毎日主人公のために弁当を作っている幼なじみの、照れつつも迷惑そうに振る舞っている主人公への言葉。


「えへへ、分かる?」

「見たばっかりなんだから分かるに決まってるだろ」

「良い表情だ」


 背後からの声に振り返ると、そこには練習着の都築先輩がいた。

 練習が一段落ついて休憩時間になっていたようだ。練習の後だからか、少し赤らんでいる顔がどこか艶めかしく見えた。


「え?」

「椿本妹、君は良い表情をするね。今の台詞は、『本当はそんなこと微塵も思ってない』と観客に思わせる必要がある。声のトーンと表情、その二つで表現しなければいけない。簡単な台詞に思えるが、実は難しい。その点、今の君はとても良かった」

「……あ、ありがとうございます」


 丸が恐縮しつつ頭を小さく下げる。

 都築先輩の声色に嘘はない。あの短いフレーズでそこまで分かるかと思ったけど、この人がいるのならばそうなのだろう。


「そうだ、一つ提案がある。椿本妹、演劇をやってみないか?」

「え……」

「まさか次の大会に出て欲しいって話じゃないですよね?」


 江守さんの演技は俺から見てもらしくなかった。部長の都築先輩からしたら俺と比べものにならないくらい違和感があるとは思う。

 それでも、丸がちょっとやって江守さんよりましな演技をするはずがない。


「それは彼女次第かな」

 都築先輩は相変わらず内心を読ませないような、飄々とした態度を崩さない。

「都築先輩、丸にそんなことできるわけないでしょ。もう大会まで一ヶ月をきってるんですよ? ただでさえ丸は人前に出るのが苦手なのに、大会なんて論外です」

「椿本妹はどうなんだ? 君の言葉で聞かせてほしい」

「うー……」


 都築先輩が一対の明眸で丸を見つめて、答えを待っている。

 丸はその視線から逃れるように俺の後ろに隠れて、唸り始める。都築先輩相手に嫌だとは言いにくいようだ。どうにかしてほしいようで、俺の袖を何度も引っ張ってくる。


「あまり脅すような口調で迫らないでください。丸が怯えてます。それに、丸は素人なんですから無茶言わないでください」

「中学生の頃にやったことがあると話していなかったか?」

「それは文化祭です。あんな舞台失敗したっていいと思ってやってる。誰にも責められないし、笑い話ですみます。けど、ちゃんとした大会でなんて無理に決まってます」

「それは違うんじゃないか?

幼稚園の学芸会だって、中学の文化祭だって、高校演劇の大会だって、全部失敗していいと思ってやっている人なんていない。皆成功を望んでやっているんだから、その言葉は彼女にも当時の君自身にも失礼だよ」


 中学生の時の記憶なんて曖昧ではあるけど、あの頃は俺も丸も失敗してもいいなんて思ってはいなかったはずだ。

 中学生ながらに真剣に練習したし、本番前は緊張していた。


「そうですね、今のは俺の失言でした。ただ、丸には無理です。それに今の配役はどうするんですか? 演劇部の人からしたら、いきなりわけのわからない小動物に役を奪われるんですよ? いくら都築先輩とはいえ、横暴すぎです」


 都築先輩がいくらこの演劇部において権力を持っているにしても、一年間部活動をしていて、実質ナンバースリーともいえる江守さんを簡単に外すのはまずい。

 江守さんの矜恃を傷つけることになるのは当然として、部としての結束に亀裂を生じさせかねない。


「保険だよ、保険。今の配役でやってる子達にも引き続き練習してもらって、最終的にいい方を出演させる。それに、君は今の練習を見てどう思った?」

「そうですね……はっきり言って予想外でした」

「悪い意味でだろう?」

「はい。話の大筋を変えるかどうか迷いましたね」

「勿論今の配役のままでできることが一番良いことくらい分かっているさ。でも、本番までこのままだったら間違いなく大会での最優秀賞はとれない。演劇部の部長として、私はできることはしていきたいんだ」


 都築先輩は昨年全国大会で演劇部に最優秀賞を取らせた実績があるからこそ、部長として部のほぼ全権を掌握している。

 だからこそ、次の大会も当然最優秀賞を取ることを求められる。権利には義務が発生するのは何処の世界でも同じだ。


「都築先輩の覚悟は分かりました。でも、丸には無理です」

「椿本妹も彼と同じ意見ということでいいのか?」


 丸がちらちらと俺に視線をとばしている。俺は小さく首を横に振る。


「はい……私には……無理、無理です」

「そうか、それならいい。じゃあ、私と三井くんは台本についての話があるから、君は先に帰ってくれ」

「どれだけ時間がかかるか分からないし、丸は帰っていいぞ。そもそも料理研究部だって抜け出してきてるんだろ? 戻っとけよ」

「……うん」


 丸はとぼとぼと立ち去る。その背中はいつもより小さく見えた。

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