第2話 演劇部の天才

 共感覚きょうかんかく――ある刺激に対して通常の感覚だけでなく異なる種類の感覚をも生じさせる特殊な知覚現象。音に色がついていたり、文字に色がついていたりするように感じる。

 俺は人の言葉に色を感じる。といっても、嘘をついている声が分かるだけだ。

 嘘が混じった声は赤い。表情や仕草、声のトーンで判断するとかそういう理屈があるわけじゃない。その人の言葉を聞けば、直感的に分かる。

 だから都築先輩に告白され、一目惚れだと言われたときは驚いた。あの言葉は嘘の色である赤じゃなかったから。それどころか、彼女の言葉は全て嘘じゃなかった。


 本来、この力は大した役にたたない。

 何となく嘘だと分かるだけで、何が嘘かまでは分からないからだ。

 「昨日自転車にはねられたけど、怪我一つなかった」という話が嘘だったとする。

 その場合、怪我一つなかったことが嘘なのか、そもそも自転車にはねられたことが嘘なのかは判別がつかない。

 要するに少しでも嘘が交じっていれば赤く見えるので、他人の話す言葉の二割くらいは赤く見えてしまう。

 そこから細かく掘り下げていけば何が嘘で何が本当なのかを確かめることはできるが、俺はそんなことをしてまで物事の真偽を確かめようとは思わない。

 嘘をつくことは決して悪いことじゃない。どんな聖人君子だって一度くらいは嘘をついたことがあるはずだ。

 そんなことは誰もが分かっている。嘘が分かるなんて能力がなくても相手が全て本当のことを話していると思うのは、よほどの世間知らずか頭がお花畑かのどちらかだろう。

 話す言葉に嘘を交えない人なんてほとんどいない。人は嘘をつく生き物だ。

 だからこそ、嘘が一つも交わっていない都築先輩の告白に俺は驚いたんだ。



「たいちゃん、都築先輩のことどうするつもりなの?」


 あの告白から一夜過ぎた朝。

 俺は丸と一緒に歩いている。彼女とは家が近いので待ち合わせはしなくてもよく登校中に鉢合わせる。


「どうするって言われても、どうしようもないだろ」

「『俺に付きまとうな』って言うとか」


 俺の声真似をしているようだが、全然似てない。

 マカロンに蜂蜜をかけたような甘い声色の丸が低音を出そうとしても、普通のマカロンになるだけだ。


「お前他人事だと思ってそんなこと言うけどな、逆の立場でそんなこと言えるのか?

一学年上の先輩で、しかもあの都築先輩だぞ?」

「意気地なし……」

「何か言ったか?」

「何も言ってない! 何も言ってないよ!」


 俺が睨み付けると、丸は大げさに両手をパタパタと振る。


「とにかく、こっちから動けない以上、あっちが冷めるのを待つしかないだろ」

「ノミの心臓……」

「ほう、俺の心臓がノミだったら、チワワに吠えられて逃げ出した人の心臓はなんなんだろうな? ミジンコか?」


 俺は丸の髪の毛をぐしゃぐしゃと撫で回す。


「やめて! 髪の毛、髪の毛ぐしゃぐしゃにしないで!」

「常に寝癖直さないくせに今更髪の毛気にすんのか?」

「寝癖じゃないよ、お洒落だよ」


 丸は頬を膨らませて怒りを表現しているが、食べ物を口に詰め込んだ小動物にしか見えない。

 彼女の頭の両サイドには犬の耳のようなくせっ毛が常備されている。小学生の時から変わらずあるので、寝癖じゃないにしてもお洒落じゃないことだけは確かだ。

 そんな彼女の耳のような毛は長年の蓄積で形状記憶となっていて、俺がぐしゃぐしゃにしても元に戻るのでやっていて楽しい。


「やめてよー」


 もう俺は手を動かしていないのに、丸は口元を緩めながら俺の手に向かって頭をこすりつけてきている。

 丸の声帯と身体にはそれぞれ別々の指令系統があるようで、言葉と行動が一致していない。


「お前がやめろよ」


 なぜか俺の懐にまで入ってきた丸を押しのける。

 その時、ポケットに入ったスマホが振動する。

 取り出してみると、メッセージの通知が届いている。


「双日……」


 メッセージの送り主には、双日と表示されている。双日なんて珍しい名前の人を俺は一人しか知らない。

 俺は丸にその画面を見せ、


「お前じゃないよな?」

「違うよ、違うって!」


 睨み付けると、彼女は頭が取れそうなくらい勢いよく左右に振る。身体の小ささと犬の耳のように跳ねている毛のせいで、いつ見ても小動物感がすごい。


「本気でお前が教えたと疑ってるわけじゃないから安心しろって。

俺のアカウントを知っている人間はそこそこいるし、都築先輩の人脈なら探れても不思議じゃないしな」


 見ないで消去したい気持ちは強かったが、システム的に見ずに消すことは出来ない。

 渋々メッセージを確認すると、


『今日の昼休み、屋上で待っている(猫の絵文字)』

「なんて送られてきたのー」


 丸が俺の手元を見ようと背伸びをしてのぞき込んでくる。

 俺はスマホを持つ手を頭上に掲げる。すると、丸もそれを追いかけるように小さくジャンプするが、彼我の身長差は20cm以上ある。

 彼女の跳躍力で俺の頭付近にある画面を見ることは敵わない。


「いじわるしないで、いじわるしないで!」

「お前相手だとなぜか嗜虐心がそそられるんだよなあ」

「他の女の子にやったら嫌われるよ? 嫌われちゃうよ?」

「こんなことするのお前くらいだから大丈夫だ」

「もう、私だからっていいわけじゃないんだよ!」


 怒った口調とは対照的に丸はなぜかにやついている。前々からMだとは思っていたけど、虐められるが好きなんだよな、こいつは。

 本気で拗ねられても困るので、俺は丸にスマホの画面を見せる。


「え、これって、どういうこと?」

「どういうことだろうな。

なんにせよ、俺が行かなきゃ良いだけの話だ」

「そうだよね、行かなければ良いんだよね」


 丸はほっとしたように丸い目を細める。

 すると、都築先輩から再びメッセージが送られてくる。


『来なかった場合、私直々に教室に迎えに行く』


 後ろを見る、誰もいない。

 あまりにもタイミングが良かったため、監視されているのかとも思ったが、杞憂みたいだ。


「はあ、行かなきゃ駄目か……」

「え、行くの? 行くつもりなの?」

「俺らの教室に都築先輩を来させるわけにはいかないだろ?」

「それはそうだけど……」



「おはよう、帝人。今日も愛犬と登校か?」

「愛犬言うな、丸に失礼だろ」

 教室につくと、友人の伊藤いとう ただしが声をかけてくる。ちなみに、こいつの言う愛犬というのは丸のことだ。丸がよく俺に後ろをちょこちょことついて回ることと、その容姿からクラス内で俺の愛犬と呼ばれている。

 最初はちょっとした冗談だったはずだけど、丸が嫌がる素振りを見せないせいで定着しつつある。


「失礼? 喜んでるじゃんか」


 伊藤が丸を指さす。

 見ると、なぜか満更でもなさそうにくせっ毛を揺らしている。


「お前がそういう反応だから、いつまでも犬って言われ続けるんだぞ」

「犬で良いよ、可愛いから。わんわん」


 丸が両手を握って、顔の前に持って行き、犬の物真似をしている。


「お前高校二年生になってもそんなことして恥ずかしくないのか」

「うー、冷静にさせるようなこと言わないでよ……」


 思い返すと恥ずかしくなったのか、丸は顔を真っ赤にして俯く。


「椿本さんはこいつのどこがいいの?

空気読めないし、顔も普通なんだけどな。俺の方がいけてない?」

「え、その、それは……」


 忠が丸に話しかけると、彼女は口をむにょむにょさせて狼狽える。

 忠は本気で丸を口説こうとしているわけじゃないのは分かる。俺をからかう意図で言っているのだと思う。現に彼の言葉は真っ赤だ。俺を貶めるつもりがないことは分かる。

 こんなのは真面目に対応する必要なんてなくて、忠も軽くあしらわれることを望んでいるはず。それでも、丸は何も言えずにちらちら俺の方を見ている。

 丸の小さい頃からの悪い癖。困ったことがあって、自分にどうしていいか分からない時に俺に目配せをしてくる。彼女には助けを求める意図はないのかもしれないけれど、俺にはどうにかしてほしいと言っているようにしか見えない。


「全然いけてないって言ってる」


 この程度のことで俺が助け船を出すのは、丸にとっても良くないことなんだろうけど仕方なく場を取りもつ。


「そんなこと言ってないじゃんか、勝手に代弁するなよ!」

「丸、今日日直だろ? 職員室に日誌取りに行かなくていいのか?」

「あ、そうだった。行ってくるね」


 そう言って丸はパタパタと駆け足で教室を出て行った。


「なあ、俺って椿本さんに嫌われてる?」


 丸がいなくなったのを確認してから、忠は肩を落としながら俺に小声でささやく。

 あんな反応されたらそう思っても仕方がない。


「嫌われてはない、あいつは本気と冗談の区別がついてないだけだ」

「じゃあ、俺がマジで口説いてるかもって思われたってことか?」

「丸だって馬鹿じゃない、九割方冗談なのは分かってたはずだ。でも、もし本気なら、下手なことを言って傷つけたらどうしようと思っただけだろ」

「お前よく分かってるんだな、付き合いが長いだけはあるよ」


 丸は感情が顔に出やすいし、あまり嘘をつかない。嬉しいときはよく笑うし、悲しいときは泣く。

 何より人の気持ちに敏感で、必要以上に忖度をしすぎるせいでああやって何も言えなくなることが度々ある。

 俺にとって丸は嘘をつかない付き合いやすい相手であるのと同時に、俺は思ったことを言葉にするので丸にとって付き合いやすい相手なのだろうと思う。

 丸は顔に気持ちが出やすいので、もし嘘をついたとしても何を考えているのかが分かりやすい。嘘が分かる俺にとっては、数少ない気を許せる相手の一人だ。


「話は変わるけど、お前都築先輩って知ってるよな?」

「都築先輩ってあの?」


 珍しい名字ではないけれど、忠はすぐに誰のことを言っているか分かったようだ。


「あの都築先輩だ」

「知らないわけないだろ、立花たちばな高校の生ける伝説の一人だぞ」

「一人? 他にもいるのか?」

「都築世代の二大美人のことだよ」

「当たり前のように言われてもわかんねえよ。都築世代って野球じゃあるまいし、素直に三年生って言え」


 野球は高校卒、大学卒、社会人卒でプロ入りの年が異なるから世代という括りがあるわけで、高校内で世代なんて紛らわしい言い方をする必要はない。


都築つづき 双日ふたび椿本つばきもと こう。この高校の演劇部の創始者。たった二人で演劇部を創部して、二人で全国大会に優勝した話は聞いたことあるだろ?」


 立花高校は普通の高校と違って、演劇部だけ飛び抜けて有名だ。

 彼女達が創部してから全国高等学校演劇大会を優勝したのが主な理由ではあるが、もう一つはたった二人で創部して、その二人で全国大会に優勝したという話題性。

 テレビの取材は何度も来たことがあるし、スカウト的な人もよく来るらしい。

 ただ、二連覇がかかった次の大会は優勝できるか微妙と言われている。

 それは、椿本 紅――丸の姉であり、俺の幼なじみでもある――が重い病気で入院中だからだ。


「それ以外にも『絶対王者』とか『黒い天使』とか」

「誰がつけたんだよそれ。うちの高校には二つ名選定委員会でもいるのか?」

「テレビだよ、去年の全国大会を密着したドキュメンタリー番組で言われてたんだ」

「で、その都築 双日に関して、何かしらないか?」

「何かってなんだ?」

「性格とか」

「性格? 話したことないし、分かんないな。急にどうしたんだ? お前が女のことに興味示すなんて珍しい。まさか――」


 急に好奇心に目を輝かせた忠の機先を制するように、


「勘ぐるな、ちょっと気になっただけだ。それに、あの都築先輩相手にそんな大それた事考えるわけないだろ」


 考えるも何もあっちの方から告白してきたんだけど、それを言うとややこしくなりそうなので当然伏せておく。


「そうだな、流石にあり得ないか。同じ学校に通ってるはずなのに、格が違うというか、別次元の人間だもんな。お近づきになりたいとすら思わないし」


 赤い言葉――嘘。

 おそらくお近づきになりたいと思わないというのが嘘なんだろう。

 あれほどの美人相手、近づきたいと思う方が普通だ。


「そんなもんかね」


 別次元というより、単純にお近づきになりたくない。


「あそこまで美人だと告白とかされまくってると思うだろ?」

「違うのか?」

「俺も噂程度に聞いた話だから本当かは分からないけど、都築先輩が二年になって以降は一度も告白されてないらしい」

「畏れ多くて?」


 昨日少し話した感じだと、何を考えているのかよく分からなかった。彼女の日常は知らないが、いつもあんな調子なら告白しようとは思わないかもしれない。


「十中八九成功しないことが分かってる告白をする馬鹿がどこにいるってわけだ。

漫画とかだと、美少女とかイケメンはしょっちゅう告白を受けているけどさ、現実でそんなことするやついないだろ」


 確かにそうだ。百回告白された学年のマドンナなんて、物語の中だから存在しているだけで、実際にはそんな高校生は全世界を探しても存在しないだろう。それはどれだけスペックが高いとしてもあり得ない。なぜなら、スペックが高ければ高いほど凡人は告白を躊躇してしまうから。


「成功しないことが分かっている告白……か。仮にお前に好きな人が出来たとする、まず間違いなく成功しないことが分かってても告白するか?」

「それは、その好きになった相手によるだろ。何年も想い続けたような相手だったら玉砕覚悟で告白するけど、一目惚れ程度だったらしない。というか、ほぼ成功しないなら、成功する確率をできるだけ上げてから告白するけどな」


 忠の言うように、成功する確率を上げてから告白するのが普通だ。誰だって振られるのは嫌だから。

 しかし、都築先輩は逆。告白してから、一ヶ月で成功する確率をあげようとしている。もし、俺と本当に付き合いたいのであれば、一ヶ月で俺の好感度をあげてから告白する方がいいはず。

 インパクトのある告白をして、印象づけたかったという可能性もあるが、俺のような凡人にやる手法じゃない。むしろ、俺のような一般人が都築先輩のような有名人に告白する際に、他の男の告白と差別化するためにする手法だ。

 普通に考えれば都築先輩の告白は嘘で俺をからかいたい。そう考えるのが自然だ。だけど、俺の持つ共感覚が彼女の言葉が嘘ではないことを証明している。

 嘘じゃない。しかし本当だとすると、なんで失敗することが分かっていて告白したのかが分からない。


「そういえば、今日の放課後暇か? 安宅達とボウリング行くんだけど、お前も来ないか?」

「悪い。今日はやることがあるから無理だ」

「そっか」


 こうして忠が俺を誘ってくれるのは、もう何度目だろう。そう思うくらい誘ってもらっている。だけれど、俺は全て断っている。

 俺は別に人付き合いが嫌いなわけじゃないと思っている。嘘が分かるから誰も信じられないとこの世に絶望してるわけでもない。ただ単純に嘘ばかりつく人間が自分の周りにいるのが嫌なのだ。

 嘘をつくのは普通のことだと思ってるし、それを責めるつもりはない。だけど、あまりにも嘘ばかりついている人が近くにいると自分も嘘つきになってしまうのだ。


 学校という狭いコミュニティーの中では人を露骨に嫌うことなんてできない。それは全体の和を乱すことになるから。

 誰もが我慢をして、嘘をついて、その和を保っている。だけど、その嘘を分かっている俺が嘘をついている人と付き合ったら、俺まで嘘をつく羽目になってしまう。

 コミュニティーの和を乱さないことは立派だとは思うけれど、俺は嘘のおかげでぎりぎり保たれている輪の中に加わって、自分も嘘をついていく気にはなれない。

 だから俺は比較的嘘をつかない人としか付き合わない。丸は滅多に嘘をつかないし、忠も他の人に比べれば正直な方だ。それならば、俺もつきたくない嘘をつかなくてもすむ。

 嘘が分かる俺が嘘をつくのはフェアじゃない。勝手に決めたことだけれど、嘘が分かる俺だからこそ少しでも正直でいたいんだ。

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