嘘が分かる俺と嘘をつかない彼女の恋愛劇

ロイ

第1話 嘘のない告白

 屋上。よく創作の世界では告白の舞台になりがちな場所。だが、俺の通う立花高校では屋上がそういった使い方をされることはない。

 なぜなら、屋上には鍵がかかっていて普通の生徒では立ち入ることが出来ないからだ。でも、俺は屋上で本を読んでいる。

 理由は単純で、俺の所属する文芸部の部室に屋上の鍵があったからだ。なぜあったのかは知らないし知ろうとも思わない。普段人が立ち寄らないだけはあって、綺麗とは言い難い場所だけれど、そういうところが気に入っていた。学校にある自分の部屋みたいな感覚だ。

 屋上の扉が遠慮がちな音を立てて開く。その控えめな扉の開く音で、本から顔を上げずとも誰が入ってきたかすぐに分かった。


「また屋上……見つかったら怒られるよ? 怒られちゃうよ?」


 幼なじみの椿本つばきもと まる。俺が屋上に頻繁に出入りすることを知っている唯一の生徒だ。150cmに満たない小柄な身体と犬の耳のように外ハネしているくせっ毛。そして、時代錯誤な膝下スカートは、曰く目立たないためにしているらしいが、逆に彼女を特異な存在として際立たせている。

 俺と丸しかいないのにも関わらず、小動物のように小さい身体を更に縮こませ、周りをきょろきょろと見回している。本来入っては行けない場所であるから、気の小さい丸は負い目を感じているみたいだ。


「ここは鍵がかかってるだけで立ち入り禁止とは言われてない」

「うー、屁理屈ばっかり……」

「それに、ここに俺がいることを知っているのなんて丸しかいないんだから」

「そうだね、そうだよね」


 何が嬉しいのか、丸が頬を緩めて、丸い目を細める。

 そして、俺の座っている床の横にハンカチを敷いて、ちょこんと体育座りをする。

 普通なら下着が見えてしまいがちな座り方だが、膝下スカートのおかげで隠されていた。決して見ようとしたわけではない。


「料理研究部の活動はどうした?」

「これ作ったから、どうかなって思って」


 そう言って丸がビニールに包まれた焼き菓子を差しだしてくる。

 長方形をした橙色の焼き菓子。見覚えはあるけれど、名前が出てこない。


「なんだこれ」

「フィナンシェだよ」


 お菓子業界ではマドレーヌのパチモンをそう呼ぶのか。


「そういう小洒落たやつを俺に食べさせてもろくな感想でてこないぞ?

フィナンシェとマドレーヌの違いも分からないって言うのに」

「とりあえず食べて食べて」


 笑顔の丸に促されるまま、俺は一口でフィナンシェを平らげる。

 表面はサクッとしていて、中はしっとりとした食感。

 食べてみると、こんなお菓子食べたことあったなあと思う。友達が来たときに母親が出してくれたお菓子はこんな感じだった。


「どうかな?」

「普通」

「ごめんね、美味しく作れなくて……」


 俺の感想を聞いた丸はしょんぼりと肩を落として、足下を見つめる。

 彼女のトレードマークであるくせっ毛まで心なしか普段より垂れ下がって、落ち込んでいるように見えてくる。


「普通に美味しい」

「え、それって喜んで良いのかな?」

「良いんじゃないか? そこらで商品として売られている物レベルには美味しいってことだから」

「うー、そういうのより美味しいって言って欲しいのに……」

「ああいう商品はな、多くの大人が必死で考えて、作られてるんだ。いくら手作りといえ丸が部活でちゃちゃっと作った物が、そう簡単に越えられるわけないだろ」

「じゃあ、次はもっと美味しくするね。

そこらで商品として売られている物以上に!」

「俺の味覚なんて鯛とヒラメの違いも分からないレベルだし、よほど美味しくしないと分からないぞ」

「楽しみにしてて!」


 丸が両手でガッツポーズを作る。その時、大きい音を立てて屋上の扉が開く。

 この屋上が生徒立ち入り禁止なのは全校生徒の常識なので、確かめるまでもなく教師か清掃員あたりだろう。

 清掃員はまだしも教師に見つかると面倒なことになるのは確実だけれど、隠れる場所なんて何処にもない。俺は背中で丸くなった丸を隠しながら、隠れることを諦めて来訪者を見る。

 背の高さから教師かと思ったが違う。制服を着ているので女生徒だ。

 身長は170cmくらいあるだろうか、雑誌の表紙を飾っててもおかしくないほどにすらりとした体躯。

 腰まで続く濡れたような烏羽からすば色の髪は、その長さにも関わらず枝毛の一つもなく真っ直ぐ下ろされている。

 おそらく神様は彼女をキャラメイクするのに、丸一日はかけただろう。俺は一分くらいで適当に作られたに違いない。

 そんな馬鹿なことを考えてしまうほどその女性の美しかった。


「こっち見てない?」


 完全に萎縮した丸が、俺にだけ聞こえるような小声で耳打ちしてくる。

 丸の言うようにその女性は、黒目勝ちな炯々とした瞳でこちらをじっと見ている。

 一見すると深窓の令嬢のようなお淑やかな印象を受けるが、その眼光、堂々たる佇まいのもつ風格はその印象とは真逆のもの。儚げな美しさと獰猛さを両立させている。そして、俺と目が合うと、口元に八重歯をのぞかせて、小さく笑った。

 自然な笑みではなく、他人に見せるための笑み。

 沈みつつある太陽を背に、一歩一歩近づいてくるその動きは、まるで舞踏かのように美しく、威圧的な歩み。


「三井くんだね?」


 値踏みするかのように俺を見る彼女の姿に完全に気圧され、頷くことしか出来ない。女性にしては高い方に部類される身長ではあるが、俺の方が高い。それなのに、見下ろされているかのような圧迫感を感じる。


「私と付き合って欲しい」


 彼女の言葉に、俺の頭の中は完全にショートした。

 そのせいで一体何を言っているのか理解するのに、一分近くかかった。

 初めて会った人に告白なんてするわけがない。そう考えると、何かに付き合わせたいに違いない。


「目的語はなんですか?」

「目的語? 私の今の発言は目的語がなくても意味の伝わるもの。

付き合うという言葉は複数の意味を持つが、この場合で文節を成り立たせるのであれば、迷うはずがない。

まさか、私が君にフェンシングの勝負を挑みに来たなんて言わないでくれ」


 芝居がかった仕草で笑っている。画面の中で見れば自然だが、現実で見るには身振りが大きすぎる、そんな不自然さを感じる。

 俺が知る限りでは付き合うという言葉の持つ意味は、男女としての交際をするということと、社交上の必要からくる交際。もしくは、互いに突くこと。

 彼女が冗談めかして言ったように俺と突き合いをしにくるはずがないので、突き合うという意味で使った可能性は零。

 そして、目的語――『どこに』『なにに』といった言葉がなくても意味が伝わるのであれば、選択肢は一つに絞られる。

 男女としての交際を申し込みに来た。常識的に考えればそれしかありえないはずだが、常識的に考えてそれが一番あり得ない。まだ突き合いのフェンシング勝負をしにきた方が納得できる。


「俺と彼氏彼女の関係になりたいってことですか?」

「そうだね」

「なんでですか? 俺は貴方を知らないし、貴方だって俺のことはろくに知らないでしょう」

「私を……知らない?」

「たいちゃん、この人都築つづき先輩だよ!」


 未だに俺の後ろにいる丸が、顔を半分だけ出して、小声で叫ぶ。

 この高校に通っていて、彼女――都築先輩の名前を聞いたことのない生徒はおそらく全体の一割に満たないだろう。


「私も有名になったと思っていたけど、まだまだだな。

初めまして、私は都築つづき 双日ふたび、君の一学年上で演劇部の部長をしている」

「どうも。それくらいは知ってますよ」

「それと三井くん、私は君のことをよく知っている。

二年C組の三井みつい 帝人たいと、成績は学年トップクラス、文芸部に所属しており、放課後はよく屋上で本を読んでいる。家族構成は父と母との三人家族、誕生日は六月十五日」


 都築先輩はすらすらと俺の個人情報を紡ぎ出す。

 まさか、俺が屋上で本を読んでいることを知っている人間が丸以外にいるとは思ってなかった。


「それくらいの情報で俺と付き合いたいと思ったんですか?」


 よく調べたなとは思うけれど、調べようと思えば簡単に調べられる情報だ。


「もっと言って欲しいなら言ってもいいが、そんなことをしても意味はない。そもそも個人情報の量と好意は必ずしも比例しない。それに、ここで私が君を好きになった理由を挙げても信じないだろう?」

「内容次第です」

「一目惚れした」

「嘘ですね、俺に一目惚れする要素はないです」


 人並みではあるけれど、間違っても一目惚れされる容姿ではないはず。

 それなのに、なぜ都築先輩は――


「私は知的な人が好きなんだ」

「それなら普通同学年の人を好きになるんじゃないですか?」

「このように、何を言っても結局信じられないわけだ」

「ないことないこと言ってるだけですからね」

「たいちゃん、もしかして付き合ったり……するつもり? しないよね?」


 隣の丸が俺のワイシャツの裾を掴んで、不安そうに上目遣いで見てくる。

 何か良からぬ事を企んでそうな都築先輩とは付き合わない方がいい。暗にそう言っているように感じた。安心しろ、俺も同意見だ。


「まあ理由があろうとなかろうと、俺の答えは始めから決まってます」


 いくら美人でも、ろくに話したことのない相手と付き合うつもりはない。

 俺が断るべく口を開き、


「貴方とは付き合うつもりはありません」


 そう言ったのは、俺ではなく都築先輩だった。


「と言うつもりだったんだろう?」


 彼女は相変わらず飄々とした態度を崩さずに八重歯を見せる。


「それが分かっていて、告白したんですか?」

「もともと私の告白をこの場で受けるようだったら、こちらから願い下げだ。見込み通りで嬉しいぞ」


 先ほどの威圧的な笑みとは打って変わって、幼子のような屈託のない笑顔を見せる。ころころと変わる彼女の表情に、俺は完全に毒気を抜かれていた。


「意味が分かりません、断られることが分かっている告白をした理由を教えて下さい」


 この人の考えていることが少しも理解が出来ない。何より、全て本心なのが気味が悪い。

 罰ゲームで告白して、告白を受けたところでネタばらしをする虐めがあるとテレビで聞いたことはある。ただ、そんなことを実際にやる人には見えないし、彼女の場合、断られることが分かっていたのでそういった目的ではないはずだ。


「時に、最近私はタロット占いにはまっているんだ」


 俺の質問に答えずに、都築先輩はブラウスの胸ポケットからカードの束を取り出す。


「タロット占いと聞くと仰々しいものを想像すると思うが、簡単な占い方もある」


 カードの束をシャッフルする。

 はぐらかすつもりなのかは分からないけれど、俺の質問に答えるつもりはないみたいだ。


「こうやってカードをシャッフルして、横一列に並べる」


 シャッフルを終えたカードを床に置き、マジシャンのように手のひらを使い、綺麗に横一列に広げていく。都築先輩は形の良い顎に手を当て、一枚引いてみろというように俺を見て微笑んでいる。

 彼女を早く満足させて屋上から出ていってもらうために、俺は適当な場所から一枚のカードを引く。


「一ヶ月後、私の告白の返事を聞かせてくれ」


 彼女の自尊と自信に満ちあふれている凜とした声をBGMにして、そのカードを開く。


「君は私に恋をする」


 そのカードは、天使の下で裸の男女の描かれている――大アルカナⅥの『恋人』だった。

 これが、嘘が分かる俺と嘘をつかない彼女の恋愛劇のはじまりだった。

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