第15話 初報――17時22分、鴬台空港

 管制が募集した試験的な接岸にトライして、当然成功した。航行での垂直接岸は強風で多少スリップを感じたが、除雪し切れていない接岸帯の状況を考えればまずまずと言ってよかった。

 とにかく、これで給油ができる。

 昔馴染みの地上クルーが給油をしてくれている間に到着ロビーに出て行って、温かいきつね蕎麦を食べた。

 午前中にてんりょうを出て、急病人の出た別の巡航船シップから依頼を受け海越えの往復をしてきた。ぶっ続けで飛ぶ間、エネルギー補給飲料は摂取したが食事はしていない。

 キャビンに怪我人がいようが病人がいようが自分が体調を崩せばおしまいなので、必要ならば食べられるように多少の食料は積んでいたのだが、海の向こうも酷い天候でかなりの強行軍だったため、流石にフライト中は余裕がなかった。

 もう若くはない。あまり無茶な食べ方をすると胃がもたれるのは分かっている。温かい蕎麦くらいが丁度いい。クリスマスイヴだからと言ってゴテゴテの料理をこなす必要はない。


 世間に合わせる意味がない。

 好きなようにやるさ。


 そんな気分でお茶をすすりながら、店内の天井に取り付けられたヴィジョンを見やる。欠航のサインが並んでいる。天候調整中。除雪のため待機中。……さて、管制が離岸トライアルをさせてくれれば天菱に帰れるが。

 出来ればすぐに飛びたい、としばは思った。日が暮れて、天海上は夜が始まる頃だ。昼夜が入れ代わる時間帯のフライトは空も雲も美しくて気持ちがいい。

 だが、今夜も引き続きまとまった降雪になるらしい。条件が悪いから飛ぶなと管制に言われれば、久々に鴬台おうだい泊まりだ。さすがに管制に逆らうことは滅多にしない。飛べなくて地上で眠る、年に何度かはそんな事がある。

 代金を払って蕎麦屋を出て、近くの店で水を買った。顔見知りの何人かと軽く挨拶を交わしながら、真っ直ぐ接岸ベイへ戻る。

 柴はなるべく自分の飛行機の側にいたい。だから天菱でも、通常客分船員が住むキャビンではなく、昔使われていた旧ジェット船発着場内にある乗務員オフィスを払い下げてもらって住んでいる。部屋番号もないが、郵便は『旧ジェット船発着場 柴』宛できちんと届く。

 接岸ベイはシェルタに天を閉じられて、その下では雪を払い落として貰った柴の飛行機がじっと待っていた。

 異常はなし。給油は終了。

 びょう、とシェルタの上を風が走り抜ける音が聞こえる。馴染みのクルーが、すげえ天気だ、と苦笑して見せた。


「離岸はさせてもらえるかどうか分からんよ。さっきかにしょうのバスがやらかしたんで、管制がビビってるから」


 蕎麦屋で見た離発着情報にもそのニュースは出ていた。離岸をトチって強制再接岸となりその便は欠航、行く予定だった巡航船の連絡船ダイヤもこれで乱れる。この悪天候だから、巡航船にも鴬台にも振り替え便の機材は来ない。あっちもこっちも人が溜まる。出発カウンタのグラウンドスタッフがえらい目に遭っているだろうな、と柴は思う。


蟹商カニはどうもこういうのが多いよな。やっぱりパイロットの訓練期間が短すぎるんじゃねえか?」


「でもまあ正規のライセンス持ったパイロットには違いない訳でさ。それが管制の言う事聞いたうえで離岸してカスったもんだからもう」


「風に弱いねえ」


「フネってのはそういうもんだろ、シップだろうとバスだろうと……あんたのシップもな」


 通常、シップとは巡航船、バスと言えば連絡船のことである。柴は連絡船業だから、そのフネは業種上はバスなのだが、航物航行する船が圧倒的多数を占める現在の空ではすっかり珍しくなった柴のジェット機は、今も昔と同じくシップと呼ばれていた。

 もう古びた、白い小さなシップ。大昔のツェッペリン飛行船みたいなフォルムが一般化した今では、燃料をたっぷり入れた翼で揚力を得る飛行機は時代遅れだ。


――そうですか? 綺麗だと思うけど。


 天菱の若い写真家は、初めて会った時、お世辞でも何でもない風にそう言った。それから、天菱の窓から撮ったという写真を見せてくれた。

 雲海に片翼の先をこするようにしながら、少し斜めに向かってくる白い飛行機。コクピットの窓に朝の光が反射してきらめき、朝焼けが終わるか終わらないかの色をしたグラデーションの空と雲を背景にして、機は酷く凛としている。機種はオリオーザ、屋号はシバイチ。今まさに天菱に帰投しようとしている柴のシップが、その写真の主役だった。

 機体の写真を撮ってもらうことなどほとんどなかったから柴は自分でも意外なくらい嬉しくなり、引き伸ばして焼き増ししてもらったプリントは今も部屋に飾ってある。次の写真集に載る可能性もあるらしい。

 今も昔も、機械や乗り物が好きな子供というのはいるものだが、撮るのが上手い人間にはなかなか出会えない。その点、あの高校生はかなりの腕前だ。それもテクニックを追い込んで上手くなったのではなく、もっとも美しい一瞬を選び出す目を持っているから結果として上手い。

 その瞬間、自分を信じてシャッタを切ることができるのだろう。自分の感動を幻ではないと信じて撮ることができる。いや、あるいは、記録することで現実にしている。

 ところで、あの高校生の写真家としての名前はどうやってつけられたのか、柴はまだ聞いていない。青菊という本当の名前のインパクトが強くて、本名のほうが『芸名』に向いているのではないかと思うほどだが、なぜ鍵倉かぎくらはなとしたのか。

 姉に贈るプレゼントのことで悩んでいたな、と思い出した瞬間、柴も青菊に、何かクリスマスプレゼントをしたいような気になった。十代のカメラ好きは何を貰うと喜ぶのだろうか。確かに贈り物は難しい。


 思い出し笑いをしていると、このクリスマスイヴに勤務に入っている気のいい地上クルーは、壁面のモニタで天候データを読みだした。


「今日は多分、もう離岸ダメだろう。今でさえこれなのに、夜に向かって悪化の予報だ。久し振りに飲むか」


「駄目かねえ……まあそうなりゃ付き合うよ」


 何とはなしに気温計の赤いデジタル表示を見ながら柴が言ったとき、横に立っていた地上クルーがさかさまに掛けていたヘッドホンから何かザラザラとした音が漏れ出した。


「……あ? はいはい、ゲート53ですが?」


 見上げると、半透明のシェルタの上ではまた雪が降っている。柴は空港から出ていないので分からないが、地上は除雪や事故や停電で大変な騒ぎらしい。いつまで経っても、人は自然には勝てない。


「シバイチなら給油終わりましたけど。え? えぇ……いやまあ、この人のことだから、言えばねえ……」


 ちらりと顔を見られて、柴は交信中のクルーに何だと口パクで訊いた。


「いいんですかぁ? この天気じゃかなりの強行離岸ですよ」


 コクピットに入れ、ヘッドホンを掛けろとクルーはジェスチャで柴に示した。……管制と交信しろということらしい。柴は急いで小さなタラップを駆け上がり、コクピットの機長席に滑り込んで使い慣れたヘッドホンを装着した。


「鶯台、ゲート53シバイチだ、何かトラブルか」


 ザザッ、とノイズが乗った。近くで雷が鳴ったのかもしれない。


『……こちら管制。シバイチ、応答願います』


「聞こえてるよ小池」


 知り合いの管制官だ。


『ああ、柴さん。すいません、ちょっと電波悪いですけど』


「聴取明瞭。問題ない」


『ありがとうございます。あの、今の空どうです? 飛べます?』


 飛行場側のシステムから送られる天候データを見ているか、と問われている。柴は見てるよと答えた。3Dに再構成されたヴィジョンは風速などが色分けされている。横風が少し強い。降雪の塊が側にある。


「離岸させてくれるならすぐ飛ぶ」


『飛べますか』


「すぐなら」


 すぐ、を強調して柴は言った。予報ではこれからまた風速が上がる。降雪も増すなら離岸条件は刻々と悪くなるはずだった。


『ええ、なるべくすぐがいいんです』


「どうした、石橋叩いて渡らないタイプじゃなかったのか?」


『非常事態です。さっき知らせが入ったんですが、事故が発生しました。航行中のバスが外装破損して、飛散した破片が天菱号に衝突。天菱号中一階のフードコートで窓が割れて』


 血が上りかけた。航空事故だ。不可抗力とは言え、空で働き続ける柴のような人間にとって航空事故ほど怖いものはない。


「いつ。どうなった、双方ちゃんと飛んでるのか。怪我人は」


『発生から二十七分経過してます。事故後どちらのフネも航行は正常。ただ、天菱は窓のシェルタが降りるのに時間が掛かって与圧が下がってしまって、風圧に飛ばされて相当な人数が負傷したと報告ありました』


 巡航船の中では、例えばフードコートのテーブルは固定だが椅子は可動で、この時期はクリスマスツリーや各種の装飾もある。中一階フードコートといえば周囲はすべてショッピングモール。固定什器は飛ばなくても商品は飛ぶ。客もいるし、人間はたいがい手ぶらで歩いてはいないからその持ち物が飛び交うことになる。可動状態のあらゆるものが凶器になり得るのだ。


「……墜落者は」


『それはいません。不幸中の幸いです。クリスマスツリーが一つ海上に墜ちましたが今のところ事故報告なし』


「つまり医者か薬積んで飛べっていう話か」


 他のバスには断られたんだろう、俺が飛ぶから早くしろ、と早口に言いながら、柴はコクピットの計器をチェックした。シップの外装を航物に換装したとき、通常のジェット飛行と航行のモード変更に対応するためコクピットの内部もオリジナルとは多少変わっている。慌てると昔のレイアウトを参照してしまう。落ち着かなければ。


『お願いできますか。鴬台のメディカルスタッフと天菱のグラウンドスタッフと、申し出てくださった医療職のお客様と、それから……怪我した方のご家族がすぐ近くまでいらしてて、飛ぶフネがあるなら乗せてくれと』


「五十人以内だ」


『いま十四人しかいません』


「荷物は?」


『空港内の医療物資かき集めてます、二十分以内に』


「そんなに掛かったら揺れるぞ」


『……急ぎます』


「小池、雲が悪い。特急だ、十分後離陸でやってくれ。他にトラフィック無ければ行けるだろう。……怪我人は、重傷多いのか?」


 初報なんでまだ不確定ですが、と断って伝えられた被害状況は、素人の柴にも天菱号船内のクリニックのキャパシティを完全に超えていると分かるものだった。

 クリスマスイヴの夜。旅客定員いっぱいに客を乗せた天菱号。最も効率的に怪我人を生産する条件は揃っていたのだ。


「怪我人降ろすなら折り返しで飛ぶから、天菱と話つけてくれ。鴬台が駄目でも他の空港には降りられるかもしれないし別のシップに分散する手もある。こっちは燃料満載だ。天菱にも非常用の備蓄は載せてるから最悪雲の上でも多少の給油はできる」


『すいません、柴さん。順次増援行きますが、この感じだと現着後の折り返し輸送もお願いする可能性高いです』


「謝られる筋じゃない。俺は天菱の住人なんだからやれることは何でもやるよ」


 順次増援と言っても、時間はすでに夜に差し掛かる。まさにイヴのこの日にオフを取っているようなパイロットは十中八九、家族者か恋人がいて連絡がつきにくいか、ついてもすでに酒が入っている可能性がある。

 恐らく天菱に着いてもすぐまたあちこち飛ぶことになるだろう。こう連続してのフライトは久し振りだ。柴はひとつ、重い深呼吸をした。天菱の住人たちの顔が脳裏をよぎる。誰が無事で、誰が被害に遭ったのか。軽いのか、酷いのか。……軽いといい。


 とにかく。


 集中しろ。

 フライトに集中しろ。

 飛んで、着く。何度でも安全に。それが全てだ。


 母船天菱号のために。


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